第四十三話 ふたり旅行 ②(旅館のロビー)
午後三時半ごろ、宿に到着した。
見晴らしのいい高台にあるため、ガラス張りのロビーからは地域特有の青々とした田園や、少しだけ離れた位置にある大きな神社の周りの市街地が一望できる。都心部よりも相当に強い太陽の光が、大きな大きなガラスから差し込んで、明るい木を基調にしたフロア全体を膨らませているようだった。
面積としてはそれほど広くなく、主だった店へのアクセスはやや悪い。置かれた家具も一つ一つは比較的小ぶりで、観葉植物や花が置いてあるということもないので、「それほど値段は張らない」という川上の話は嘘ではないのだろう。
しかし“とびぬけて高価そうには見えない”というだけで、広々とした窓の近くにはモダンなデザインのソファとローテーブルが抜け目なく置かれ、ローテーブルの端にはガラスでできた造花が彩を添えられたりと、ところどころに気が利いていて見栄えがいい。
それが功を奏してか、ロビーには比較的若い女性の客が多い。
川上と雪本が手続きをしていると、不意に声をかけられた。
「あの」
明るいブラウンに染まった髪の毛や、表情の感じから、大学生あたりだろうか。声をかけられた川上が、半ば心配そうにすら感じられる表情で振り向くと、もともと腰の引けていた女性が慌てた。
「あ、すいません、急に声かけて……お二人、学生さんですか?」
「ああ、いえ」
川上はすぐに心配そうな表情をとりさげて、
「こっちは学生ですけど、僕は」
と、すぐ手続きを再開した。そのそっけなさに気づかせないよう、雪本は補足しておくことにした。
「俺は高校生です」
「えっ、高校?」
女性があからさまにたじろぐ。共に来たらしい女性グループが背後で笑った。
「ほら言ったじゃん」
聞き逃すのが難しいほどの音量だった。従業員や他の客までも思わずといったように苦笑する。雪本もあまりにあっけらかんとした態度が面白くなって笑いをこらえようと顔を背けると、ちょうど川上が一瞬だけ視線を書類からこちらによこしたのを目撃した。
川上は怒っていた。酷く馬鹿にされた時のような拒絶的な色を一瞬だけ目にちらつかせ、すぐ視線を戻した。
一方、話しかけてきた女性はやや恥ずかしそうに顔を赤くはしたものの、むしろ先ほどより快活な態度になった。
「そっかそっか、ごめんね、変なこと聞いて」
恥をかいて弾みがついたという感じだった。
「大人っぽく見えたからつい」
「あ、いえ――」
「もうどこか回った?」
「今来たばっかりで」
「家族旅行?それか、お兄さんと二人でって感じ?」
何の疑いの色もないその女性の言葉に、どう答えようかと、悩んでいると
「雪本」
川上の声が無遠慮に会話を遮った。その固い響きに平手打ちでも喰らったように、ロビーが静まった。
「もう行くから」
思うところを放り捨てるような似合わない口調だけよこして、川上が踵を返す。
雪本は一瞬あっけにとられて身動きができなかった。隣の女性が、引き留めちゃってごめんね、と焦ったように、促すように謝ってくる。
雪本はそれでもしばらく――ほんの数秒だけ――そこに居座った。意地になった。自分が怒っていることを確かめると、わざと丁寧にゆっくりブラウン髪の女性に会釈してやり、はるか向こうでエレベーターの前に立ち止まる川上と従業員に向かって歩を進めながら、遠慮がちに、全員に聞こえるような声で
「川上さん」
と呼びかけた。兄弟ではないこと、赤の他人であることを、ことさら強調してやるように、
「川上さん」
と呼びつけてやった。
二度呼ばれた川上がやっと雪本を見たので、残りの距離だけ申し訳程度に走った。待ってくれている従業員に申し訳ないと思ったのだ。川上への配慮では、絶対になかった。
「ごめんなさい、待ってください」
そう言って駆け寄ると、川上は困ったような目をして何も答えなかった。
川上は川上で、まだひどく苛立っていた。




