第三十三話 川上の誕生日プレゼント
八月十二日。
雪本が作った夕飯を平らげた真菜が、幸せそうにため息をついた。
「ありがとう、雪ちゃん、今日もごちそうだったね」
「そうですか?」
川上もうなずいた。
「品数が多いよな。食べていて楽しい」
「ここ数年は母が帰ってくるときに作ってるので、毎回パーティみたいになるんですよ。そのせいかもしれないです」
注文していたダイニングテーブルが、今朝届いた。以前に雪本が夕飯を担当すると、当たって音が立ちそうなほど皿と皿が接近していたが、新しいものは前より一回りほど大きく、もうひと品追加しても問題ないくらいの、頼もしいキャパシティを見せつけていた。
「良ちゃん、誕生日どうする?」
川上は言われて初めて気が付いたようだった。
「ああ――再来週か」
「何日ですか?」
「二十一日」
「おめでとうございます」
「ありがとう。まだだけど」
川上がはにかみながら食器を片付け始める。ふと、真菜が先日の件を思い出したかのように慌てて確認した。
「仕事入っちゃってたりする?」
「いや、もともと休みだよ」
「そっか、よかった」
もともと休みだよ、と言った川上の声に違和感があって視線を向けると、シンクに食器を沈めてから戻ってくる途中の川上と目が合った。川上は目をすぐに伏せながら席に座った。
「何か欲しい物、ある?」
真菜が半ば身を乗り出して聞くと、川上はしばらく考えて、やや慎重な口ぶりで言った。
「物というより、映画が見たい」
「映画?」
「DVDだから、家で見ることになると思うけど。昔の作品が最近、高画質で販売されなおしたらしくて」
「ほー、つまり、復刻版みたいな?」
「そう。メイキングが三時間分入ってるっていうから、それも含めて」
「その映画、面白い?」
「そこそこ万人受けする」
質問しておいて、真菜は遠慮なく大笑いした。
「わかった。わかったわかった。OK。じゃあ、それをみんなで見るのでいい?美味しいお酒とか付けとけば大満足かな?」
「ありがとう」
皮肉めいた口調とは裏腹に、川上はリラックスした笑みを浮かべた。真菜もつられるようにして笑って、その笑いを共犯者めいたものに変えながら雪本と共有した。
「じゃあ、ついでだし、追加でもうちょっとプレゼントしたげよっか」
「そうですね」
「ちょっと待った」
川上が鋭く会話に割って入った。
「雪本にまで買わせるのか」
「えっ?駄目なの?」
「当たり前だろ」
「当たり前なの?」
真菜の言葉に、雪本はすかさず首を横に振る。
「俺、用意するつもりでしたよ」
「用意するって言ったって――」
川上は眉をひそめた。目頭から目じりのラインに対して形のいい眉がまっすぐ並行になるので、怒っているというより生真面目な印象が強い。
「親御さんのお金だろ」
「でも、俺が自由に使っていいって言われてるお金ですよ」
「雪本」
「俺が買いたいんです、それでも駄目ですか」
思わず声に力がこもると、川上は一瞬瞳を動かし、数回瞬きした後伏し目がちに頷いた。
「わかった」
「ありがとうございます」
「ただ、あんまり高価な物は買うなよ」
「はい」
と、息をついた雪本の膝を、真菜がつま先で二回つついた。
「良ちゃんの言う高価って難しくない?」
「いくらくらいですか?」
雪本が尋ねると、川上は今度は一切迷わずに
「三千円」
と答えた。
えー、と真菜がヤジを飛ばす。
「そんなん、もう、良ちゃんが普通のお買い物したほうが高いじゃん」
「そんなこと言ったって、雪本は学生なんだから」
「良ちゃんが学生の時なんかもーっと馬鹿みたいにいっぱい買ってたよ」
「大学生の時だろ」
真菜がどんなに呆れたように言い立てても、川上は冷静だった。その分てこでも動かなそうだった。
「七つも下に、自分から見て『ちょっと豪華だな』と思うようなもの買わせてどうする」
「それはそうかもしれないけど。ねえ、雪ちゃん」
「……三千円か」
雪本は言葉が出てこなかった。少なくとも、地下街で買い物をした時は、川上が目をつけるものはどれもこれも当然のように三千円を超えていた。
三千円以下で質の良いプレゼントを贈るというのは決して不可能ではない。しかし目利きの川上を満足させるものを、そもそも買い物に慣れていない雪本が、三千円以下で探し出せるのか怪しいところだった。
「ちょっと、考えてみます」
「無理することはないからな。付き合いで買うようなものじゃないし」
「今のが余計なお世話だよね」
川上が睨みつけると、真菜は余計に笑いながら席を立ってキッチンに逃げると、まるで口実のようにアイスコーヒーを注ぎ始めた。
「珈琲いかがですかー」
「ホット」
「駄目でーす」
雪本より七つ上だという川上が「本当にホットがいいのに」とため息をつく中、真菜が平気で三つ分のマグカップにアイスコーヒーを注ぎ始める。雪本は半ば口の端を内側でかみつけるようにしながら川上に尋ねた。
「アイス、嫌なんですか?」
「嫌じゃないけど、真菜のアイスコーヒーは甘すぎて」
「甘い?」
「水出しだと甘くなるんだよ。雑味が消えるのはいいけど――」
「苦い方が?」
「たまには飲みたいな」
「めんどくさいもん、ほんとにいるなら自分でやってよ」
そう言って真菜が運んできたアイスコーヒーを、川上はきちんと味わって飲んでいる。どうも二人を鑑賞しすぎていると気づいた雪本は、緩みそうになる口をマグカップで隠し、水面をぼんやりと見詰めることにした。甘くて軽い、華やかな香りを味わううち、ふとプレゼントのアイディアが浮かんで、また慌てて口元を隠す羽目になった。




