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第三十一話 ペア

「悪い、思ったより時間かかったな」

川上は家に入るや否や、器用に手を使わず靴を揃えて脱ぎながら言った。雪本もそれにならって家に上がり、いの一番にキッチンに向かう。

「食材、いったんここに置いちゃいますけど」

「ああ、ありがとう」

川上は窓を開けると、腕をまくりながら早足でキッチンに来た。窓で入れ替わった空気がゆっくり金髪をなぞっていた。


*****


 結局川上と雪本は件の地下街にあったいくつかの店で、この家で使うためのラグ・ランチョンマット・ソファカバー・クッションをあれやこれやと二時間ほど物色した。

 漸く駅に戻ろうと道に出ると、今度は、川上が目をつけていたものと似た形のダイニングテーブルを使っているカフェが目に留まった。テラス席の女性が店員にビーフシチューを注文していたのを聞いて、その日の夕飯が決まると、そのままスーパーで食材を買い求め、家に戻れば真菜が帰宅するまで残り一時間を切っていた。


*****


「何か手伝えることありますか」

今日の料理当番である川上は、慌ただしく洗った手を拭きながら首を横に振った。

「とりあえず、料理の方は大丈夫だよ。机を拭くのも直前で良いから――いや」

突然通せんぼをされたように一瞬目をつむって、

「悪い、それじゃあ、俺の部屋からノートをとってきてくれると助かる」

と、川上は言った。

「ノート?」

「そう。深緑というか――青っぽい緑色の表紙のついた、リングの。手帳くらいの大きさなんだけど。料理用のメモなんだ。ビーフシチューなんて、そういえば、久しぶりだった」

「わかりました。どこにありますか?」

「俺の部屋にある背の低いカラーボックスの、一番上。あと、買ったものを雑に放り込んでるから、多少片付けてくれると凄く助かる」


*****


 リビングの扉を閉めると、左右に伸びる廊下から、さらに垂直に玄関へと続いている廊下がある。丁字路のような作りだ。

 垂直に抜けた廊下と玄関を間仕切りにするように、リビングの扉から見て、玄関を挟んだ右側が雪本の部屋、左側が川上の部屋になる。


 川上の部屋の扉を開けると、初めに目につくのは真正面の一番奥にあるウッドブラインドだった。小さな窓からは今日の日光が差し込んでいて、明るい木目ブラインドが遮って生まれるボーダーが、その少し手前にあるローテーブルに表情を出していた。

 木製のローテーブルはウッドブラインドと似た色味と材質で、ひょっとするとどちらも引っ越してきたから取りそろえたものかもしれなかった。ローテーブルの上にはメタル製のシンプルなペンケースと、ベルトで巻きとめる眼鏡ケースと、ほとんどおもちゃのようなアンティーク風の置きランプだけが悠々と存在している。

 部屋の左奥には二つの大きなハンガーラックが並んでいて、その巨大な容積いっぱいに夏服がつり下がっている。夏服がというより、夏服『の一部』であろうシャツ類とジーンズ類が、と言ったほうが正しい。ラックの下には黒いシンプルなボックスが二つ置かれている。タンクトップやTシャツはそちらに詰め込んでいるのだろう。よく見かけるサマーニットも見ないので、それもそこに詰まっているに違いない。

 奥の方に進むにつれて、小さいカラーボックス、大きいカラーボックス、特大のハンガーラックと言うように家具の背丈が増しているような塩梅で、狭い部屋を比較的広く見せている要因かもしれないと思った。

 入り口に最も近い位置にある小ぶりなカラーボックスは、二段分の容積を全て書籍がしめていて、ボックスの上には川上のものと思しきメモ帳やノートがきちんと積み上げられている。

 くだんの料理ノートは一番小さかったからか、一番上の方に置いてあった。

 床のど真ん中には、地下街での戦利品がひとまず放置されているが、それでも商品を傷めるような置き方はされていない。紙袋に皺ひとつついていなかった。

 雪本は却って緊張しながら無傷の商品を取り出すと、ふと気が付いて、戦利品一つ一つをスマートホンのカメラにおさめ、真菜に送ってみた。川上が椅子を買う時にやっていたことを思いだしたのだ。しかし椅子が予約段階で会ったのに対して、ラグやマットはもう買ってしまっているので、家に戻ってきてから見せてもいいと気がついた。

 ハンガーラックのボックスの裏にラグもマットもまとめて立てかけておくことにした。キャスター付きのハンガーラックを動かした拍子に、カーンと大きな音を立てて銀製のジッポーライターが落ちてくる。ハンガーラックを少し動かした拍子に大きい方のボックスにぶつかってしまったらしい。 

 大きい方のボックスは、中身が蓋付きの籠の中に収納されていて、内容物まではわからない。しかしその代わり、入りきらなかったのかどうなのか、ボックスの天板にいくつもいくつも小さな細工物が置かれていて、今落としたライターはその一つだった。確かに美しいデザインのものではあったが、川上は喫煙者ではないため、ただ純粋に見た目が気に入って入手してしまったのだろう。天板上のものすべてがそんなような物ばかりだったので、もっぱらこの大き目のボックスは川上の宝箱というのが一番妥当であるかもしれなかった。

 ライターを天板に戻すと、一番下の段に置いてあった籠のうち一つが足先に触れた。それほど重たいものが入っていなかったようで、ハンガーラックがぶつかった力を受けて滑り出てきてしまったらしい。戻そうとすると、上からかぶさった蓋の隙間に挟まった新聞紙の切れ端が、やけに目に留まった。

 籠を引き出して蓋を開けると、何の変哲もない数年前の新聞の塊がキャンディーボールの直径程の横幅を占領し、その奥の方で、蓋つきのカトラリーセットが二種類積み上げられていた。カトラリーセットといっても中身があるわけではなく、せいぜい数名分のそれは、なんだか用途がいまいち掴みづらかった。まして新聞紙などと一緒にわざわざ保管するほどの事なのだろうか。

 何はともあれ、と、蓋に挟まっていた新聞の端を塊に撫でつけると、その塊から手ごたえが感じられなかった。正確に言うなら、まだまだ何重にも括り付けられた新聞紙の層を感じたばかりだった。

 そしてよく観察すると、巨大な新聞紙の塊だと思っていたものは、真ん中で二つに分かれていた。

 二つとも別々にくるんであって、あんまりぎゅっと寄り添いあっていたから、大きな塊に変貌していたのだ。


 雪本は流れに吸い込まれるようにして、その新聞紙を剥がした。


 中からマグカップが出てきた。一つの塊から一つずつ、だから合計二つ、しなやかな黒猫のシルエットをメインにしたものが一つ、点々とつづく猫の足跡が横切っているのが一つ。色味から何から同じコンセプト上の産物であるのが一目でわかる。

 川上にしては随分工夫のないストレートなマグカップ。同じコンセプト上というより、むしろ「二つ」揃っているのが当たり前であり、この「二つ」のほか類するものは何もないと言われた方が、得心のいくような、そんな不可分さを感じさせた。


 雪本はそれをすぐに戻した。見た形跡を残してはいけないと思った。

 手早くラグとマットをラックの裏に立てかけ、クッションを畳まれた布団の上に置き、ソファカバーをローテーブルの下にもぐらせる。

 念のため空になった紙袋も丁寧に畳んでおいて、料理ノートを手に部屋を出た。


*****


「ごめんなさい、遅れて」

「遅れてないよ、まだ野菜切ってただけだ」

 川上はノートを受け取ると、素早くページをめくってキッチンの端に置いた。よく見ると、紙に直接文字が書かれているのではなく、手書きで書かれたメモのコピーが貼り付けられていて、しかもその文字は心なし丸みがあった。断定はできないが、前にちらりと話が出た、川上の母親の料理ノートのコピーを取ってきたのかもしれなかった。

「どうした?」

「あ、いえ。……その、他には」

「――キッチンが狭いし、あんまり人数いても仕方ないんだ、ちょっと待っててもらっていいか」

「わかりました、そういうことなら」

雪本がそう頷くと、川上は申し訳なさそうに

「ノート、持ってきてくれてありがとう」

と言って、笑った。雪本も自然、似たような表情を浮かべてしまっていた。川上のこうした親切を何度も何度も受け取って、雪本に対して何のわだかまりもないように思いそうになるけれど、そんなはずはない。むしろ親切であればあるだけ、その反対を覆い隠そうとしている証拠ともいえる、かもしれなかった。

 雪本は軽く川上に会釈をしてから、テレビの電源をつけてⅬ字ソファに座った。この家のテレビを見るのも、そのソファに座るのもそれが最初だった。ソファは思った以上に明るくて新しくてくすみが無く、大きなテレビは明度も彩度も申し分ない。それらの全てが落ち着かなくなって、二分も経たずにテレビを消して席を立った。結局ダイニングテーブルに着座すると、その物音に気付いた川上が笑う。

「そこにいると、なんやかんやと手伝わされるかもしれないぞ」

「だから来たんです」

雪本は自分の声が変に沈んだ気がしてゾッとした。しかし川上にはそう聞こえなかったのか、

「それはありがたいけど」

と言いながら、手早く二つマグカップ――もちろん、3色1セットの、この共同生活の初めに買った、普段使い――を出して、真菜が朝に淹れておいてくれるアイスコーヒーを注ぐと、うち一つを雪本に出した。雪本が以前に使った色を、今回も自然と差し出してくれた。

 そういえばこのカップは、初めてこの家に来た日に、真菜の意見を聞かずして川上寄りの好みで選んだのだった。

「このカップって、結局真菜は、気に入ったんですか」

「ああ……いや、特に何も」

「何も?」

「文句らしい文句もない。褒めてもなかったけど。『こういうの好きだよね』とかそのくらいで」

「言われてるじゃないですか」

「文句のうちか」

「そんな気がしますけど」

川上は雪本のそんな軽口に、むしろ心を弾ませたように笑って見せた。

「まあ、構わないよ。どうせ趣味合わないんだから、変に機嫌とることない」

「そうなんですか?」

「好みがそれぞれ分かれるから、こういうことで意見があったためしないな。どっちかがどっちかに合わせなきゃならなくなるし……」


 ――川上の部屋にあった、二つで一つのマグカップは、随分飲み口が薄かった。それで変に軽くなって籠が動いてしまったのだろうし、薄いカップが割れるのを防ぐべく何重も何重も新聞でくるんでいた。カトラリー類は二セットあった。材質もニュアンスも対照的だった。


「そういえば、真菜も真菜で、そんなこと言ってましたよ、昨日」

「昨日?」

川上はつけかけた火を一度消した。

「面白いお店があったんですよ。和食の居酒屋さんなんですけど、コーヒーにも結構力を入れてる、みたいな」

「もしかしてそれ、隣の駅に向かってずっと歩いたとこのじゃないか?」

「知ってるんですか?」

「ネットで調べて見つけただけだけどな。実際には行ってない」

「俺たちも、入って食事とかをしたわけじゃないんですけど。そのお店のカップが、分厚いっていうか、これよりずっと分厚くって。そしたら、川上さんが好きそうだって、真菜が」

「ああ、そういうことか」

川上の笑顔が少し遅れた。雪本は急に怖くなって続けた。

「俺も行きたいんです、今度行きましょうよ」

言ってから、むしろ野暮な誘いだったと思ったが、川上はむしろ救われたようにしっかりと笑いなおした。

「いいよ。行こう」


 雪本は笑って頷いた。今度行きましょうよ、と言った時に貼り付けた笑顔を、ただただ維持して頷いた。若年者であり未成熟な雪本の世話をする、それは川上にとって、真菜の事を考えるより、スムーズで安定するルートなのかもしれなかった。そして川上は、雪本の方こそ、真菜を常に視界の中心にとらえて、川上自身を端の方に認識しているのだと、決めてかかっているかもしれなかった。


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