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第二十四話 満開の噂の中の友人

 床、壁、家具の隙間、窓、サッシ、風呂場のタイル、浴槽、キッチン。

 その他諸々、隅から隅まで掃除して一息つくと、十二時半になっていた。


 夕飯づくりの当番が回ってきているので、このまま真菜の家のある駅に戻って、ゆっくり準備をしていてもそれはそれでいいのだが、いかんせん時間は余る。天気もいい上、今日はここ最近と比べると、全体的に気温が一、二度低くなっていて、夏休みを満喫するにはちょうど良い気候だった。せっかく宿題も終わっているのだから、東井や榊に連絡をつけてきてもよかったか――。

 少し考えて、雪本は、高校のほぼ真裏にある自然公園を通り抜け、隣の駅まで歩くことに決めた。


 隣の駅は東井が登下校で使う駅でもあり、その途中の自然公園は、夏場に東井が好んで通る帰宅ルートだった。榊も東井の使う駅までは必ず一緒に帰るので、実質、榊と東井の下校ルートだ。

 二人とも、今日の部活は午前中だけだったはずなので、今から行けばちょうど下校のタイミングと合い、それなりの確率で二人にも会えると踏んだ。


*****


 久しぶりに訪れた公園は、改めて広く、木々が茂って涼しかった。小学生があっちこっちで虫を取ろうと試みる一方、近所の中学の制服を着た女子数名が、課題でも出たのか、川辺のベンチに座って風景のスケッチをとっている。

 花壇の近くのベンチには大学生くらいの男女が並んでのんびり座っていた。それなりに人はいるものの特に特徴もないただの自然公園だからこそ、すれ違うのも気にならないといった風情が懐かしい。

 真菜の働くカフェ周りの雰囲気をゆりかごに例えるならば、こちらの公園は殺風景な縁側だった。遠くの部屋から大きな声で食事の席に呼ばれるような。


「あれ、雪本くんじゃない」

 細くて楚々とした響きに顔を上げると、丁度公園の入り口から歩いてくる人影が手を振った。

 泉美だった。

 よく見るとすぐ近くに、東井も、石崎もいた。 

「ちょっと待って東井、榊はどうしたの」

思わずそう尋ねると、石崎が吹き出し、泉美が手元で口を押えて笑った。東井は露骨に表情を引きつらせていた。

「え、何、喧嘩?うそ、喧嘩したの?」

「いや、そういう事じゃ……」

 東井は慌てて否定したが、なかなか次の言葉が続かない。泉美は雪本と目が合うと、滑車で目を回したハムスターをからかうような声で東井に笑った。

「榊君忙しいんだって、ね」

「やめろよ」

「東井君置いてけぼりになっちゃった」

「別に」

東井は呆れたようにため息交じりに言った。肩がすくんでいた。

「榊は悪くないよ」

「……どうしちゃったの?」

要領を得ずに問いかけると、石崎がじわりじわりと歩み寄ってきた。

「いやあ、春ですよ。いや夏だけど」

「は?何?」

「いやあ、だからね」

石崎がなぜか小声になるので、雪本は彼女の口元に合わせてかがんだ。

「夏なんですよ。アツいんですよ。もうアツが夏いんですよ」

「ごめん、マジで何?」

「女だよ。女」 

泉美もなぜか小声で雪本の背を叩いた。 

「榊君に、女ですよ」

「……………………女?」 

 思わず泉美の顔をしげしげと眺めると、泉美は屈託なく笑った。

「そんなに意外じゃないでしょう、榊君にだって浮いた話くらい、そりゃ、出るよ」

「いや。そこはそうなんだけどさ」

「夏休み入ってからね、榊くん、浜上ちゃんって一年生とずっと一緒に帰ってるの」

「あ、浜上さん?」

覚えのある名前だった。

「あれか。前に泉美さんとかが話してくれた─」

「え、雪本、知ってたの?」

東井が目を丸くした。

「榊の保健委員の仕事を手伝ってくれてるとかなんとか。その程度の話だけど」

「随分前から好きって言ってたよ。5月くらいにはもう私に話してくれてたの」

石崎が無邪気に声を弾ませた。

「夏休み入って、気合い入れ直したって言うのかな」

「ちょっとちょっと」

雪本は苦笑した。 

「そんなベラベラ喋っちゃっていいの。友達なんでしょ。そりゃ俺は言いふらしたりしないけど」

「あ、いや、それは平気……だと思う」

それまで黙っていた東井が歯切れ悪く言った。

「だって隠す気ないだろ、どう見ても……。陸上部のメンツとか結構知ってるんじゃねーの?あの調子じゃさ……」

「知ってるね、全員」

泉美はあっけらかんと笑った。

「私も本人からあっさり聞けたし、言いふらしまくったりはしないけど、聞かれて隠すタイプじゃないだろうね」

「じゃあ、もう堂々と告白していい気がするんだよな」

東井が頭をかいた。

「あんな色々理由つけて帰らなくってもさ」

「榊は断らないの?」

「断らない。誘われたら絶対一緒に帰ってる。それもなんだか、よくわかんなくてさ。あんまり変に聞きすぎるのもあれかなって思うし……ほんとに仕事とか勉強の事だったら、ほら」

 東井はだんだん声が小さくなってきた。以前、泉美と榊のカフェでの打ち合わせに食いついて痛い目を見たので、同じ失態を避けようとしているようだった。

 石崎が飛び跳ねんばかりに尋ねた。

「ねえ、これ脈あるのかな、雪本くんはどう思う?」

「本人から進捗は聞けてないの?」

泉美は笑いながら答えた。

「夏休み入ってからは、私達も置いてけぼりだから。でも険悪ってことは無いから、どうだろねえ」

「ううんでも、健康的ってタイプじゃないしな」

「何?浜上ちゃんが?」

「うん。前に榊、そんなこと言ってたよ。な、雪本」

「ええ?榊くんが?健康的な人が好きって?」

 東井からの新情報に、泉美は見開いた目を雪本に合わせた。雪本は苦笑った。

「あいつの言うことだしなあ。どこまでホントだか」

「浜上ちゃん、でも、健康的じゃない?」

石崎が少し早口で言い募った。

「じゃなきゃあんなこう、しっかりしたお胸にはさ」

「何の話だよ」

「私はさ、やっぱり、上手くいって欲しいんだよ、浜上ちゃんいい子だし」

石崎の真っ直ぐな視線に押されて、東井は反対側に首をひねって

「……まあ、真逆の駅まで送ってるくらいだから」

「えっ」

雪本は声を抑えきれなかった。

「何その子、電車なの」

「そうそう、私とか石崎ちゃんとかと同じ」

「じゃあ本当、きっちり真逆だね」

「そうなのそうなの、ね、脈がなかったらありえないと思わない?」

石崎の声があまりに真剣な調子になってきたので、東井はたじろぎ声を引っ込めた。泉美は雪本の答えを待つように重みのない視線だけ寄こしていた。

「うーん、浜上さんを見た事がないからわからないけど、それだけじゃ脈があるかわかんないかなあ、もちろん、嫌いってことは無いんだろうけどね。今の話だけだと、榊が浜上さんのお誘いにそのまま乗ってるってことしか分からないし、それだけだと脈じゃなくて、礼儀とか義理っぽい感じもしなくはないよ」

「うーん、そっか。確かに。私が騒いでもな……」

「榊、そういうの慣れてないだろうし……もう手遅れかもだけど、あんまり騒ぎにしないようにしてやって。脈があるにしろないにしろ、結構いっぱいいっぱいかも」

「部活で騒ぎは、鬱陶しいもんね」

身に覚えがありすぎる石崎が、真摯な声音でうなずくのを、東井は判断しづらい表情で眺めていた。

 泉美が雪本にふと、切り出した。

「そういえば雪本君、一人?東井君とか榊君とか、待ってたんじゃないの」

「ああ、そうだ。話したいこともあって」

東井が素早く雪本の目を見て、エナメルバックを抱えなおした。泉美は朗らかに言った。

「石崎ちゃん、お腹すかない?どうせだったら一緒にご飯食べようよ」

「え、でも――あ、そっかそっか」

「うん。雪本君、東井君と同じ駅から帰るでしょ?」

「うん、そのつもり」

「ほら、だから私たちはここでお役御免なの。行こ」

「ん、行こ行こ」

 石崎は頷いて歩き出し、手を引く泉美のやや強引なスピードにも気が付かないように、振り返って手を振った。

「東井君、雪本君、またねー」

雪本は手を振った。東井も律儀に軽くお辞儀をしながら、雪本の横で遠慮がちに手を振った。


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