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第二十一話 川上との一日③

 最寄り駅の反対側の出口を抜けると、すぐ、大規模なショッピングモールがある。家具や食器の揃うホームセンターも、凝った総菜を買うことができる食品売り場も、衣料品店も、一つの建物の中に集約され、エスカレーターで接続されていた。


 シンプルなストレートのデニムジーンズを手に取り値段を確認すると、思わず声が出た。

「高い」

川上が覗き込み、すぐ眉間に皺を寄せる。

「高くないだろ。安いよ」

「そっか、服って結構するんですね」

「……いや、多分だけど、お前が今着てるのは、もっとするだろ」

「え?」

雪本は思わず、自分がその場で着ていた服をまじまじと眺めまわした。

「そうなんですか?」

川上は今までで一番険しい目つきをかろうじて床に伏せた。

「自分で買ってないんだな」

「はい、あの……、母が、送ってきてくれるので」

「海外にお勤めなんだっけか」

「真菜に聞きました?」

「去年くらいから、お前の話はちょくちょく聞いてたよ。――ああ、一応、お前の名前とか、そういうのを聞いたのはお前と真菜が関係を持ってからの事で……だから、そこに関しては、そう悪く思わないでやってほしい、単純に心配していたみたいだから」

「あ、いや、それは、全然いいんですけど」

笑うと、今度は川上が何か言いたげに目を上げて、そしてすぐそらした。

 雪本は、彼が何か話出すかもしれないと一拍置いてから、沈黙を確認して、ジーンズをもとあった場所に戻した。

「ファッションの世界で働いてる人なんです」

「ああ――」

川上は心底納得したというようにうなずいた。

「どうりで」

「日本に戻っても、必ず何か洋服を買ってくれるし」

「なら自分で選ぶ発想がなくなっても、無理はないか。高校生なら平日は制服なんだろうし。お母様は、デザイナーとか?」

「ではないですけど、それに近いような仕事をされてるんだと思います。学生時代はモデルをかじったこともあるとかで……」

「それは……」

川上は苦笑しながら、雪本の顔の輪郭に素早く視線を動かした。

「人の親に言うのもなんだけど、まあ、随分綺麗な方なんだろう」

「はい。あの人より綺麗な女の人、今まで見たことないです。仕事熱心だけど、ちゃんと俺を気遣ってくれるし、忙しいのに心が広くて、ちゃんと自分の管理もできて――尊敬してるんです、本当に」

川上は丁寧に柔らかくうなずきながら、目を見て自然に微笑んだ。

「立派だな」

「はい、本当に、すごい人で」

「いや、お前もだよ」

「俺が?」

 川上は手に取ったスウェットをかごに入れて、軽く整えながら言った。

「俺は物心ついた時には母が亡くなっていたから、何とも言えないけど、ただお前の年頃って一番気難しい時期だろう?そういう時期に、他人に向かって親の事をちゃんと褒められるっていうのは、随分大人だよ」

「それは、沙苗さんがすごい人だからで」

「沙苗さん?」

「ごめんなさい、えっと、母が――母が、本当によくできた人だから、事実を言ってるだけだから別に、違和感なく褒められるっていうだけですよ」

雪本がそう、咄嗟に返すと、川上は少し躊躇するように微笑んだ。

「……そりゃ、いいところのない親を無理やり褒める子供っていうのは、そういないだろうけどな」

「そうです。それは親離れできてないって話だろうし」

「でも、事実として素晴らしい親でも、その事実をそのまま褒められないって奴も、お前の年頃なら沢山いるだろうな」

「川上さんは――」

聞きかけて、危ういところで引き返した。

「川上さんは、いつぐらいから自分で服を買うようになりました?」

「中学に入学してから。小遣いをもらうようになって、貯めてちょくちょく買ってたよ」

「それで買えるものですか?」

「そりゃあ、大量にとはいかない。ただ、それこそ中学高校はほとんど制服で過ごすし、服を買える場所はたくさんある。安く買うルートもな。幸い、父はそういう気づかいが不得手な人だったから、中学の男子に何を買っていいかなんてわからなかったんだろう。その分、小遣いはしっかり余裕ある金額をくれた。後は俺のリサーチと、計画次第だ」

「楽しそう」

「楽しい。服に限らず、満足のいく買い物ができた日は、今でも気分がいい」

「――それって、でも、どんどん物が増えませんか?」

「だから俺も、物は多くなりがちなんだ。真菜に文句言ってられない」

川上は肩をすくめると、本来買う予定ではない値下げされたスニーカーに伸ばしていた手をそっと引っ込めた。

 そのままふと、近場に有った薄手のロングニットを手に取る。

「生地がいい」

「そうなんですか?」

独り言のつもりだったらしい川上は、少し驚きながらもうなずいた。

「まあ、この形のカーディガンはたくさん持ってるんだけど」

「川上さん、背が高いから似合いそう。こっちの色は?」

雪本は同じ形のニットのうち、赤に限りなく近いオレンジ色の方を指さした。川上が手に取ったのはオリーブに似た色だった。川上は少し首をかしげた。

「いまいち。派手すぎるというか、俺が着ても悪目立つ」

「そうですか?」

「うん。色として嫌いではないけど……ああ、また無駄買いしそうになるな」

雪本は川上が触っているオリーブ色の方を手に取った。明るすぎず落ち着いた色味である一方、薄手の生地のおかげで重たさは感じさせない。

「確かに、こう見ると、こっちの方が雰囲気合いますね、今着てるものとも合いそう」

「買わない。どうせ買うものはたくさんあるんだ」

川上は手に取ったときとは裏腹にきびきびとハンガーを元に戻した。


 それから川上が移動するのにただついていく形で、二階上にある食器売り場を訪れた。

「最低限、皿とコップとマグカップと、箸はいるだろ、あと包丁……」

「料理するんですか?今日?」

「するに決まってるだろ、夕飯があれじゃ足りない」

「まあ、時間的に早かったけど」

「いや、じゃなくて、それもあるけど」

川上は呆れ切ったように振り返った。

「お前の食事の事を言ってるんだよ」

「俺の食事?」

「これから最悪五時間は作業するかもしれないのに、あんなもんで足りるか」

「ああ」

雪本はようやく要領を得た。

「いや、あれ、結構量あるんですよ。昼はあれだけで部活出てたくらいだし」

「腹が減らないのか」

「あんまり。まあ、さらにご飯が出ればそれはそれで入りますけど」

「それは足りてるって言わないんだよ」

 川上はぴしゃりとそう言うと、反論を避けるように早足になって歩いた。川上は脚が長いので、雪本はほとんど小走りにならざるを得なかった。

 「待ってください」

「どれがいいとかあるか」

「え?」

 川上が指さす方向には、綺麗に展示された質のよさそうな皿があった。

「どうせだから三人分買う、どういうのだと使いづらいとかあるのかって聞いてるんだ」

「いえ、特には」

「じゃあ今日作ろうと思ってるのに合わせるぞ」

「川上さんが作ってくれるんですか?」

川上は今度こそ本当に驚いたようで、目を丸くした

「なんだ、お前作れるのか」

「いや作れます、作れますよ、普通に……自分が食べる分わざわざ作ろうと思わないだけで、今日だって別に、作れますよ」

「いや――いや……いいよ、俺が作る」

「でも」

「お前、おかしいよ」

その目の力の強さに、雪本は思わず視線を泳がせた。川上は丁寧に、しかしハッキリと雪本の顔を見据えながら続けた。

「お前自身は夕飯いらないって言ってるのを、俺が納得しないから食わせようとしてるんだ、それでお前が作るって、そんな話ないだろ」

 雪本は黙った。返す言葉が見当たらなかった。物言わぬその肩を川上が軽く叩いた。

「お前、マグカップとか普段使うか」

「冬にお茶を飲むくらいですけど、一応、あります」

「真菜はコーヒーをよく淹れるから、いやでも飲まされる。用意しておいた方がいいと思う。どういうのがいいとか、あるのか」

「よっぽど変なガラとかキャラクターが入っているとかでなければ大丈夫です」

「飲み口の厚さは?猫舌だと薄い方がいいと思うけど」

「猫舌ではないです」

真菜の働いているカフェでは、歯が当たったら割ってしまいそうに見えるくらい薄い飲み口のカップを使っていたことを思い出していると、川上が首肯した。

「薄い方が甘く感じやすい。逆に分厚いと、苦みの方が際立つことが多いかな」

「どっちでもいいですけど、しいて言うならじゃあ、真菜に選んでほしいです。コーヒーを淹れてくれる人が選んでくれた方が」

「なるほど」

川上はそう口元でつぶやくと、大したためらいも見せずに、藍色と白と鈍色の和風マグカップを三つ手に取った。飲み口は平均よりやや薄いくらいで、真菜の働くカフェにあるものの二倍はあった。

「これにする」

「真菜はでも、もっと薄い方が」

「どうしても欲しかったらあいつが自分で買えばいい話だ。俺の好みからすると、真菜のカフェの飲み口は薄すぎる。じっくり飲もうとするとすぐに冷めるし、雪本に特に意見がないなら、俺はこれがいい。……それとも、あれか、何か気になるやつがあったのか」

「ないですけど」

雪本の返答に、川上は深くため息をついた。

「だんだんわかってきた。お前、こだわりがないなら相手になんでも合わせればいいと思ってるな」

「合わせればいい、というか」

雪本は感情の重心を見失い苦笑いした。

「こだわってる人の意見を、こだわってない人間がおしのけちゃだめでしょう」

「でもこだわってなくたって意見の一つや二つはあるんだろう」

「そりゃあ、あります」

「こだわってる人間は、こだわってないお前が何をどう言ったって、本当に肝心なところはてこでも譲らない。それで譲るようなら尚更、お前が気に病むことじゃない」

「でも、川上さんがお金を出してくれるんだし」

「いや、だから……」

川上が慎重に笑った。

「だから、そこを聞いてるんだよ。お前は、おごってもらう立場だから意見の主張を遠慮してるのか、それとも、大したこだわりがないから自分の意見の優先順位を下げているのか。……まあ、本当は俺が口を出すことでもないんだろうけど。でもお前、こういう、俺や真菜に金を出してもらう機会が、今後何回あると思ってるんだ」

「はい」

「だったら、そこはきっちり考えてほしいと、金を出す身としては思う。……布団を買うんだろ、それはお前の好みで買えよ、ここの一つ先にコーナーがあったから」


 結局雪本は川上の言う通り、川上に一切の質問や相談をせず、布団を一式購入することになった。自由に選んでいいはずなのに、話の流れや川上の『物』への執着の程度を鑑みれば、目利きをはかられてでもいる様な変な緊張感があった。寝具として落ち着ける色合いのものの中から、独り暮らしの家にあるものとは少しデザインの印象が違っていて、なおかつ、真菜の好みに合いそうなものを選んだ。

 

 川上はその選択を見て、ああ、と、比較的軽快な相槌を打った。その後の会計のしぐさを観察している限りでは、金を払う身として納得のいく買い物にはなったらしい。


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