第十四話 告白
真菜の働く小さなカフェは五時半に閉店する。他の客も、店主も帰った後の、六時に待ち合わせてしまったので、雪本は家で四時間ほど時間を潰した。宿題でも片付けようと思って、テーブルにノートを広げて、しかし、全く手がつかずに閉じた。ただ真菜の顔だけが浮かぶのだ。
「うまくいってもいかなくても、作戦実行したら、連絡ちょうだい。コーヒー淹れて待っててあげる」
真菜はまだ、作戦がうまくいったか、いってないか、わからないまま待っているのだ。うまくいったと伝えたら、喜んでくれるだろう。またあの彩り豊かな笑顔をコロコロとせわしなく浮かべてコーヒーをくれるだろう。
けれどその後、真菜への気持ちを語っても、それが続くかはわからなかった。もしかしたらもう二度と、同じくらいの明るい笑顔は向けてもらえなくなるかもしれなかった。
雪本は繰り返し繰り返し、真菜がどんな反応をするか、一つ一つ、思い描いていった。何通りもの道筋を考えて、考えて、考えて、考えて……よほど気が小さくなっているのか度胸を午前中に使い果たしたか、心なしネガティブなイメージの方を多く思い浮かべたものの、それでも結論は変わらなかった。
究極的には、うまくいく為ではなくて、ここまで全力でぶつかってくれた真菜に対し、一番重要な隠し事をぶつけたくなって、その実行の為に、思い立ったことだったのだ。
ただそれでも、叶わなくていいなんてことは全くなかったので、悪あがきと知りつつも、簡潔に、しかし誤解を招かず、嘘にはならない範囲でできるだけ格好のつくような、そんなルートを一生懸命に探した。
切り出し方、タイミング、声音、順序、小手先ではあるがしかし、案外土壇場において軽視できない各要素を、無数の可能性の端から掴んで、飽きもせずに膨らませ、いくつか切って、いくつか繋いで、そんな風に時間を過ごした。
いよいよもって時間が来て、いざ出かけんと玄関の姿見を確認して、景気よく笑った。四時間あって、制服を着替えるのを忘れた。もう時間がない。仕方がないのでそのまま出た。
*****
到着は、五分前になった。
扉のガラス越しに真菜の様子をうかがうと、傾く夕暮れに赤々と染まった店内で、照明もつけず、雪本がいつも座っているカウンター席の中央で、手を何度も握りなおしていた。目は幾度も瞬きをして、開くたびに、思いつめたように強張った目が、じっと手を見つめていた。
雪本は少しの間だけ、その真剣な光景に見入った。いつまでも見ていられると思った。しかし本当にいつまでも見てしまうと、最後の最後に何も言えなくなってしまう予感がしたので、ほどほどにしてガラスを軽くノックする。
真菜は弾かれたようにこちらを見た。強張った目の焦点が雪本の目に合わさると、じきにほどけて笑みをかたどる。安堵が夕焼けの中に溶けだしているようだった。雪本は扉を開けて、薄暗くなる室内に入る。
「うまくいった?」
真菜の柔らかな問いかけに頷きながら、
「うまくいった。うまくいきました」
と返事をして、ふと、あるべき香りがないことに気が付く。
「コーヒーは?」
「へ?……あ!」
真菜は夕暮れの中でもわかるほど耳を赤くして、慌ててキッチンに駆け込んだ。
「ごめん、ごめんね、緊張しすぎて忘れちゃってたみたい。私が緊張したってね、しょうがないのに」
「好きです」
真菜が、エプロンをつけなおそうと背中に回していた手を止めた。もう笑みはなかった。ただ驚いて驚いて、雪本をじっと見ていた。
思わず出してしまった大切な言葉の重みに痺れながら、照れと混乱と焦りと、何より強い恐怖がせりあがって、早くこの時間を終わらせたいとすら思った。
この人が好きだし、だからこそ怖い。
しかし、一番大切なことは、自分の気持ちを細大漏らさず伝えることのはずだ。そのつもりで来たはずだ。まくしたてたくなる気持ちを抑えた。
「一年間、ありがとうございました。お世話になりました。弱音ばっかりぐずぐず喋って。ちゃんと事情も説明しないで」
目を伏せてしまっている自分に気が付いて、深呼吸して、目を上げる。今後は目で勝負することにしていたのを思い出した。
真菜の目を見る。ただじっと、雪本を迎え撃つような、まっすぐな目を。
「ただ……迷惑、かけたと思うけど、でも、弱音を聞いてもらってからじゃないと、安心できなかった。どうしようもない本音を、受け止めてくれる人がいるって、そう信じられないと、きっと今でも、誰ともまともに話ができないままだったと思います。今だって、腹を割って全部話そうなんて、思えるわけじゃないけど……。話せる範囲だけでも、誰かに話してみようと思えたのは、真菜さんに全部話せたからなんです。でも、これはまだ話してなくて。話してなかったから、話したくて」
雪本は、心にある一番強い感情を引っ張り出して、反対に引っ張られたように笑った。
「好きなんです。本当に、大好きなんです。向き合ってくれて、話してくれて、心配してくれて、だから好きだし、でも何もしてくれなくても好きです。笑ってるところが好きだし、笑ってなくても好きです。おいしいコーヒー淹れてくれるところも好きだけど、うっかり失敗しても好きです。忘れちゃってても好きです。俺はまだここに来たいけど、真菜さんが困るっていうなら二度と来れなくなってもいいと思ってる。俺は、真菜さんの事が好きです。できたら結婚を前提に、お付き合いしてもらえませんか」
言い終わったとたん、ずん、と、心臓が一キロくらい重たくなったような奇妙な感覚に襲われた。少し位置を下げ、みぞおちの近くで深く、強く、体全部の力を用いるように、脈打っていた。
「結婚、前提?」
真菜は、ただ雪本の言葉で気になった個所を繰り返した、という雰囲気でそうつぶやいた。
「はい。……あ、まだ俺高校生だから、多少、後にはなると思うんですけど」
「ああ、そっか、そうね」
真菜は初めてその点に気づいたようだった。
そして、かろうじて笑った。
「すごい、凄い嬉しい」
嘘をついているとは思えない声だったが、迷いながら発音しているような響きだった。
「ごめん、待って、今、びっくりしちゃってて」
「真菜さん」
「でも、嬉しいの」
真菜は焦ったように、強くそう言った。
しかしそこから先は、えっと、を繰り返し、なかなか言葉が出てこなかった。
「あの、真菜さん、俺」
雪本はさすがに言いあぐねたが、最後には
「俺、大丈夫です。気を遣わなくても、ダメならダメで」
と告げた。しかし真菜は首を横に振る。
それでもやはり、何かとても複雑な問題に挑んででもいるかのように、妙に言葉がつっかえていた。
日がな一日、身構えていたものと、違う話題を持ってこられて、混乱してしまったのだろうか。ただでさえ、慌ててコーヒーを淹れようとした矢先の出来事だったのだから、そうであっても不思議はない。
「真菜さん、俺、帰ります」
「え」
「今じゃなくていいんです。何日でも待ちます。真菜さんの気持ちが決まったら連絡、」
「待って」
扉に向かって踵を返しかけた雪本の手首を、真菜がカウンター越しに身を乗り出して掴んだ。手の力が思いのほか強かった。
真菜の目を思わず凝視する。真菜は、しばらく雪本の目をそのままじっと見据えた後、一瞬、二瞬、焦点を当てる位置を変え、もう一度目を見た。
ゆっくり顔が近づく。
その目は変わらず雪本の目を見据えながら、解釈を拒むかのように、顔と顔が近づいてできる陰の中、その焦点を暗がりの中に溶かした。
なぜか焦って目をつむってしまった雪本の襟足を、細い指が軽く撫でた。




