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第十一話 作戦実行の日①

 きたる、七月二十三日。

 夏休み前最後の日。

 週初めの月曜日でありつつ、夏休みの始まりを告げる終業式でもあるという、ギャップをはらんだ解放感からか、少しばかりはしゃぎすぎているような笑い声が、校舎内のそこかしこで弾けている。

 勢いづいて階段を駆け下りた一年生の男子生徒の肩が、東井に当たった。

「あ。―ご、ごめんなさい。なんか、変な当たり方しましたか」

「いや、いいのいいの、大丈夫。ちょっとこいつ体調悪くて」

東井の顔色を見た一年生は、気の毒なほど頭を下げながら去っていった。

「ごめん、雪本」

「いや、むしろごめん、まさか、本当にここまで体調悪くなると思ってなくて―」

「東井君、大丈夫?」

クラスの女子が追い越しながら声をかけた。東井は何とか意地でうなずく。ここで保健室に連れていかれてしまうとまだ早い。

「校長先生の話までは耐えられる?」

「大丈夫。行ける」

東井は血の気のすっかり引いた顔で、しっかりと言い切った。


 先週水曜日の放課後から動き始めた作戦。今日のこの日―一学期の最終投稿日はまさしくその決行日だった。

『一年以上まともに口を聞いていない石崎と二人きりでゆっくり話し正式に別れ話をする』

『陸上部を可能な限り穏やかに退部する』という、この二つの大仕事につき、口には決して出さなかったが夏休みまでにカタが着くのか、かなり不安に思っていた。

 石崎の件は、終業式という特殊な状況そのものが作戦のみそなので今日やるしかないのだが、退部については後になっても仕方がないかもしれないと考えていた。

 しかし、考えてみれば、作戦主導を買ってでてくれた榊は(もっと言うと泉美も)、自分で一度立てたスケジュールを変更する(できる)ような人間ではない。

 恐ろしいスピードでことは進み、下準備は前日までにきれいさっぱり済まされていた。

 石崎から同意が得られるかという最大の不確定要素も、水曜日の夜には泉美から『OKだった』と連絡が来た。

 雪本が話をしたがっていることを石崎に伝えたところ、一も二もなく了承してくれたという。実際今日の朝練で石崎は体調を()()()()()()()()()()()、少し前から保健室で休んでいる。

 

 部活の方もかなり緻密かつ迅速にことが進んだ。

 雪本の退部の意志は、木曜と金曜の二日間かけて、上級生たちに榊と泉美から伝えられた。比較的物のわかる上級生から、まるで個人的な相談でもするようにして、最終的には、部長へと伝わった。

 今日、雪本の口から正式に理由を説明すれば、退部をする最低限の手続きは済む。

 問題は、どれだけ良い形で退部できるか―つまり、雪本が最後の最後、()()()()陸上部員として辞めていけるかにかかっていた。逆に言えば、あれだけ散乱していた不安要素がその一点にまで片付いたのだ。

 雪本は、軽いのだか重いのだかわからない足取りで、今日のこの日を迎えた。


 体育館に入ると、すでに大勢の生徒が集まっていた。終業式まであと五分もない。

 入り口付近で、榊が養護教諭と打ち合わせをしていた。

「うん、じゃあ、そこの説明は、僕が一緒に説明しちゃおっか。榊君は従来通りのほうが、まとまりとしていいかもしれないね」

「そうですね。すみません、急に」

「いやあ、とんでもない。すぐ足せる内容だし」

榊がふと顔を上げた。用件がある目つきだった。東井もそう踏んだのか、雪本が榊にだらだらと絡んでも、文句を言わずついてきた。

「よう、委員長」

「今並んでるやつ大体委員長だけどな」

 発表のある委員長は、数名の教職員と一緒に、十数名ほど舞台の下手側に並んでいた。保健委員は、生徒会の次に並んでいる。生徒会長さえ話し始めてしまえば、保健委員の順番まで五分とかからない。そのタイミングで出ていけば、養護教諭も、保健委員の順番が終わるまでは、その場を離れられないだろう。

 保健委員の順番の直前に、東井が体調不良になって、それに付き添う形で雪本が着いていけば、養護教諭の約五分弱の発表の間だけは、保健室で待つ石崎とゆっくり二人だけで話が出来るはずだ。

 すると、榊が長身をややかがめ、そっと声を潜めた。

「先生の話す内容を直前で追加させてもらった。三、四分は余分に時間かけて問題ないから、一応言っておく」

「三、四分―」

 出来るだけ早く話終わらなければならないと踏んで、話す内容をかいつまもうとしていた矢先の、ふってわいた猶予だった。思わず言葉を失っていると、榊は東井に向き直った。

「お前、大丈夫か」

養護教諭もその声に反応した。

「どうしたの、貧血?」

「いえ、大丈夫です……。一応、立ってはいられるんで」

「問題があったら、遠慮せずに保健室使ってね」

温厚な丸顔いっぱいに心配げな表情を浮かべて、養護教諭が言った。空気が流れていくように、状況が整っていく。

「じゃ、そろそろ並ばなきゃ。委員長、発表頑張って」

「頑張るも何も、これが仕事だしな」

 榊が苦笑したのに合わせて、雪本も笑ったが、心中は静かだった。

 東井も、榊も、そして石崎を説得して保健室で待たせてくれている泉美も、雪本がすべきことを……それでもできなくなったことを、きちんとやりきれるように、その整備をしている。感心するより先になすべきことがある。 

 クラスの後列に並んだ東井は、より一層青ざめながらも、しっかりと立っていた。他の生徒は口々に体調を案じる言葉をかけたが、雪本はそれっきり、「大丈夫か」とは聞かなかった。


 学校長の話はたいして長引かず五分程度で済んだ。

「雪本、ごめん、きつい」

うめくような東井の声に、周囲の人間が最低五人、待ち構えていたというようなそぶりで振り返った。いつ倒れてもおかしくないと思われていたようだった。

「わかった。保健室行こ。ちょっとごめん、そこどいて」

雪本が東井とともに列を外れて体育館から出ていくのにも、違和感を抱く人間はいない様子だった。入り口に向かって歩いていく途中で、何を言う前から、養護教諭が「やはり」という顔をしていた。

「すみません、やっぱりきついみたいです」

「いいよ、大丈夫。ついていかなくて平気?」

「ちょっと、朝食あんまり食べられなかったみたいで。……なんか、軽いもの食べちゃってもいいですか」

「いいよいいよ、ぶっ倒れるよりは」

話の分かる養護教諭は、無駄に引き止めなかった。


 体育館を出てすぐ、東井はポケットからカロリーメイトを取り出して貪り食った。

「ありがとう、東井、助かった」

「いや、全然全然。二回目だから慣れてたし。初回は本当、もっとひどかったから」

東井の声には、常の勢いが戻ってきていた。ハリがよくなったのは構わないが、廊下に響いて体育館まで聞こえそうだった。顔色も、保健室が見えてくるころにはすっかり回復していた。

「お前、今日大変ね」

「えっ?」

素っ頓狂な声を上げると、東井は珍しくやや陰険な細め方をした目で雪本を睨んだ。

「こっから、石崎とお話して、退部しに行って、そんで放課後はあれでしょ、カフェの人だっけ?告白しなきゃいけないんでしょ」

「あー、えっと」

「特に告白とか大変じゃん。めちゃめちゃ大変じゃん。うわー。大変だ大変だ」

「こぼれてるよ東井、こぼれてる、ほら」

「榊だけなんか、先に知ってっし」

「別に、榊にだけ相談してたとかそういうことじゃないし」

 榊に真菜のことを知られたのは、むしろ雪本からすれば、『やらかした』と言えるくらいの出来事だった。一年生の十月、診断書についてだったか、勉強についてだったか、部活動についてだったかの相談をしていた最中に、うっかり、しかし決して直接的ではない程度の失言をしたら、あっという間に勘づかれたというだけのことだ。

「……頑張ろうって思えたの、その人のおかげで。いろいろ、自分のしたいようにしようって。ちゃんと、本気で、目の前の事を動かそうって」

リノリウムの床が、やけに上履きに引っかかるような感じがした。きゅっ、という耳になじんだ音が、しっかり聞こえる。『保健室』という文字が、はっきりと見えてきた。

「俺はでも、今回、普通にうれしいんだよ」

東井はカロリーメイトの袋を、折り紙を折るように爪で後をつけながら言った。

「雪本、いいやつだと思うけど、ガッツないじゃん」

「おい」

「で、色んな奴のせいで、色んな面倒巻き込まれて……でも、いいやつのまんまだったじゃん、一応。でもどうせガッツないから、何もやり返したり、自分の意地とおしたり、しねえんだろうなあって。だったらせめて、こっちに投げてくれりゃいいのにって。……でも今回はさ、割とガンガンこっちに投げてくれてるじゃん」

「こういう系のほうが好き?」

「好きっていうか、『だろ?』って感じかな。すっきりした」

 東井は足を止めた。雪本も足を止めたが、東井は、お前が止まってどうする、と言わんばかりに、指で保健室を指した。それくらいどっちでもいいだろうに、と思いながらも、雪本は扉を開いた。


 石崎は、ジャージ姿のままベッドに腰かけて、保健室の救急箱を広げていた。扉の音に気が付いて視線を上げると、すぐ笑った。


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