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虹の薔薇

 収穫祭の三日前。薬師はわたしを連れて、街の郊外にある子爵の邸へ向かった。もちろん、子爵の邸にある庭園で栽培されている虹の薔薇の花を咲かせるためだ。

 子爵に案内されて、わたしたちは庭園に入った。庭園に栽培されている無数の虹の薔薇を見て、わたしはおもわず驚きの声を上げる。まだ花をつけていない状態だが、それでも虹の薔薇は独特な姿をしていた。茎も葉も棘も、ガラスでできたように透き通っているのだ。近づいてみると、ガラスのような透ける葉の中を葉脈が走っているのが見える。

 近づいて見てみると、花の季節だというわりには虹の薔薇はつぼみすらつけていない。これでは三日以内に咲かせるのは無理だろう。それこそ、魔法でも使わなければ。

「……どうですか? 虹の薔薇を咲かせることはできそうですか?」

 庭園の主である子爵が不安そうに、虹の薔薇を前に考えこんでいる薬師に尋ねた。薬師は「できることをやってみます」と曖昧に応じる。それから、すぐに準備に取りかかった。

 虹の薔薇の花畑の前で、薬師はひざまずいた。鞄の中から金の鏡の欠片を取り出す。鏡の欠片を花畑の前に設置してから、薬師は立ち上がって二メートルほど後ずさった。胸元から鎖に通した金の宝珠を取りだして掌に載せ、花畑を見つめる。そうして薬師はゆっくりとした口調で呪文のような不思議な言葉をつぶやきはじめた。

 と、花畑の前に置かれた金の鏡の破片が淡く輝きはじめる。ふと見れば、花畑と向き合う薬師の持つ宝珠からも光がこぼれていた。薬師の宝珠の輝きが増すにつれて、鏡の破片が放つ光も強くなっていくようだ。

 やがて、輝く鏡の破片が宙に浮き上がった。糸が解けるように金の光が解けて光の糸になり、うねりながら宙を進んでいく。光の糸は幾本かの虹の薔薇に巻き付いて、やがて溶けるかのように消えていった。

 それと同時に、薬師の呪文を唱える声がやんだ。彼は力尽きたようにその場にくずおれる。わたしはあわてて薬師に駆け寄った。

「大丈夫!?」

「――私は平気だ。それより、薔薇は……?」

 薬師が弱々しい口調で尋ねる。そのとき、子爵がわたしたちの横を通り過ぎて虹の薔薇の花畑へ走っていった。花畑を振り返ると、まるで早送りのように薔薇が急速に成長し、つぼみができて花が開いていく。

「ああ……よかった! これで収穫祭に間に合う……!」

 魔法の力で薔薇が花を付けたのは、結局、畑の前面の一角だけだった。それでも、子爵は泣いて喜んでいたくらいだ。花束が作れるほど咲けば、十分に必要量を満たしているらしい。

 子爵は感激して、薬師とわたしにさまざまなお礼の品をくれた。同時に収穫祭にはぜひ祭に参加してほしいと言った。

 三日後、わたしは薬師に連れられて収穫祭でにぎわう街に出かけた。収穫祭には薔薇の飾りをつけるのが習慣らしく、店や家の軒先には赤や黄や白の薔薇の飾りが吊されている。また、市場では薔薇をかたどった焼き菓子や薔薇の砂糖漬けが売られていた。

「薔薇の菓子を食べると、一年間、健康で過ごせると言われているんだ」

 薬師はそう言って、わたしに赤い薔薇の砂糖漬けを買ってくれた。

「虹の薔薇も砂糖漬けにされたりするの?」わたしは尋ねる。

「虹の薔薇は稀少だから、砂糖漬けとして市場で売られることはないよ。それに、文献によると虹の薔薇はガラスのように硬いらしいから、仮に砂糖漬けにしても食べられないだろうね」

「へぇ、見た目どおりの食感なのね。変わった植物だわ」

「そう。物珍しいからと採取されつくして、今では子爵の庭園に栽培されているものがすべてなんだ」

 収穫祭のメインイベントは、初日の正午から行われる豊穣の儀式だという。豊穣の儀式まで時間があるため、わたしたちは市場で行われている劇を見て過ごすことになった。

 劇で演じられているのは、この国の王家が王権を授かるまでの話らしい。

 この国はかつて、豊穣の女神に仕える神子を頂点とした神殿が統治していた。この国はもとはといえば氷の世界で、豊穣の女神の力で国の周囲に薄い膜を張り、降り注ぐ日の光を強めている。女神の力の源は民の信仰だ。神子は豊穣の儀式によって民の信仰心を高め、女神に還元する。それによって女神の力は強化され、この国を包む膜は薄れることなく寒さから国を守るとうサイクルが繰り返されていた。

 しかし、あるとき神子が失踪してしまう。後継者も選ばれぬままの失踪であったため、神殿はひどく混乱した。神子ほどの力を持つ者は現れず、豊穣の儀式は五年もの間、行われなかった。

 その結果、この国は冷えきって一年中、冬のまま。当然、作物も育たず、民は飢えて死んでいく。そんな中、立ち上がって女神の元を訪ねたのが今の王家の初代だったという。

 ちょど、女神が初代の王に神子にかわる豊穣の儀式を行う権限を委ねようとしているクライマックスのシーンだった。観客をかき分けて、呪い師が近づいてくる。彼は薬師とわたしを連れて、群衆の輪から抜け出した。

「まずいことになった。国王の代わりに儀式を行うはずの王子が倒れた。これでは儀式は行えない」呪い師は声をひそめて言った。

「王子って……前に王子が落馬して傷が深いからって騎士が薬をもらいに来ていた、あの王子なの……?」

「そうだよ」わたしに答えてから、薬師は呪い師へ顔を向けた。「王子は今、どこに?」

「王子は神殿でお倒れになった。今は控えの間で休んでいただいている。お前の力でどうにかならないか? 何なら魔法を使ってでも治してくれ」

「分かった。ひとまず王子を診てみるが……。人の生命にかかわる魔法は、途方もない対価を要求される。魔法が必要な状況でも、使えないこともあるということは念頭に置いておいてくれ」薬師は慎重な口振りで言った。

 わたしたちは急いで神殿へ向かった。神殿の警備は厳重だったが、兵士たちは呪い師の顔を見ると恭しい態度で道を開けた。

「――あなたは何者なの?」わたしは思わず尋ねる。

「俺や薬師は神子が失踪した後に選定された神子の候補だったのさ。しかし、俺たちでは神子の代わりにはなれないと気づいて、王家の初代を女神の元へ導いたんだ」呪い師が答えた。

「でも、さっきの劇によれば、王家の初代が女神の元へ行ったのは、三百年くらい昔のことなんでしょう? あなたたちはそんな年齢に見えないけれど……」

「私たちは女神の元へ続く道を切り開くのに、自らの時を対価としたんだ」

 薬師はそう打ち明けた。それから、それ以上の質問を受け付けないというように前を向いてしまう。沈黙がわたしたちの間に広がった。廊下を歩いていると、窓越しに綺麗に整えられた祭壇が見える。祭壇の前にはすでに虹の薔薇の花束が捧げられていた。

 やがて衛兵が扉の前に立つ部屋が見えてくる。

 呪い師が前へ出ると、衛兵たちはさっと扉を開けてわたしたちを中へ入れた。部屋の中には毛の長い絨毯が敷かれ、凝った細工のテーブルや椅子、長椅子などが置かれている。長椅子には豪奢な衣服の男性がひとり、横たわっていた。年齢は三十代前半といったところだろうか。どうやら彼がこの国の王子らしい。

 長椅子を取り囲むようにして、家臣らしき人々がたたずんでいる。彼らの中には先日、薬師に会いにきた騎士の姿もあった。

 呪い師と薬師が長椅子へ近づくと、人々はさっと二人のために場所を開けた。薬師は横たわる王子の前にひざまずき、手首を取って脈を測る。それから、彼は顔を上げてわたしを呼んだ。

「アムネジア。鞄の中から気付け薬を出してほしい」

 わたしは薬師の隣に行き、彼の鞄の中から小瓶に入った液状の気付け薬を取り出した。瓶の中の液体には、覚醒を促す匂いがつけてある。その匂いを嗅がせることで、気を失った人間の意識を引き戻すのだ。

 しかし、小瓶を近づけても王子は目を覚まさなかった。薬師は険しい顔になり、耳元で王子に呼びかけてから、目蓋を持ち上げて彼の目の動きを確認する。そうやって、しばらく幾つかの方法で王子の意識を呼び戻そうとしたが、彼は目覚めなかった。

「――駄目です。王子の魂は冥界に還りかけている」薬師は重々しくそう告げた。

「王子を助けてください!」壮年の騎士が薬師にすがった。「王子が唯一の世継ぎなのです。今お亡くなりになっては、豊穣の儀式ができません。王もご病気で王宮から出られないので、儀式の祭祀を交代することもできません。このままでは、王国は来年の春を迎えられない……!」

「そうです」他の家臣たちも口々に言った。「世継ぎを失えば、貴族たちが次の王の座を狙うでしょう」

「冷夏で実りの少なかった今の状況で政争が起きれば、民はいっそう飢えることになる。助けてくれ」

 呪い師はそう言って、鞄から金の鏡の破片を取り出した。薬師は厳しい顔でその破片を受け取る。鏡の破片を受け取った薬師の手が震えているのを、わたしは見て取った。

「やってみます……」

 薬師は呟いて、意識のない王子の胸の上に鏡の破片を載せる。それから宝珠を取りだして呪文を唱えはじめた。虹の薔薇を咲かせたときと同じように、宝珠と鏡の破片が輝きはじめる。破片から伸びた糸が王子に絡みつき、ゆっくりと金の光の繭を作った。虹の薔薇のとき同様に繭が消えれば、王子は目覚めるのだろうか……。

 そう思ったが、繭が消えないうちに薬師が苦しそうに床に膝をつく。彼は脂汗を掻きながら、呪文を唱えつづけていた。わたしはとっさに薬師に駆け寄って、その身体を支える。

 そのときだった。

 わたしの奥底から、また何か温かなエネルギーがこみ上げてきた。胸の辺りまでせり上がってきたそれは、すぐに左目から溢れだし、薬師の持つ宝珠に吸い込まれていく。頭の奥で何か火花が散るような感覚。そのとき、薬師が体勢を崩して、わたしは彼と一緒にその場にくずおれた。

 その直後、わっと家臣たちから歓声が上がる。

「――大丈夫かい?」

 薬師がわたしを助け起こしてくれた。顔を上げて見ると、長椅子に横たわっていた王子が上体を起こしている。意識がないときよりも、彼は顔色がよくなったようだった。

「ひとまず魔法は成功したようだ」わたしたちに近づいてきた呪い師が安堵したような表情で言う。それから、彼はわたしへと目を向けた。「それにしても、さっきの魔法は……君から大きな魔力が生まれたように見えたが、君はいったい何者だ?」

「わたしには魔力なんてないわ」

 わたしが答えたときだった。廊下を誰かが走ってくる音が聞こえる。乱暴にドアを開けて入ってきたのは、衛兵のうちの一人だった。

「大変です! 祭壇に捧げられていた虹の薔薇が消えました!」

 その報告を聞いた途端、王子も家臣も顔色を変えた。すぐに騎士が再度、子爵の邸から無くなったものを取り寄せるようにと命令する。

「いったい誰が持ち去ったというんだ?」

「儀式ができなければ、この国は一年続く冬に見舞われるというのに、いったい誰が……」

 家臣たちは不安げな顔で話しあっている。薬師はしばらく彼らの話を聞いていたが、やがてわたしに顔を向けた。

「――まさか、君がやったのか?」

「やったって何を?」わたしは尋ねる。

「君は魔法を使うために、虹の薔薇を消したんじゃないのか?」薬師が言った。

「――虹の薔薇ってどういう薔薇なの? よく分からないけれど、それって大切なものではないの?」

 わたしの答えに薬師はさっと青ざめる。そのとき、子爵の家へ行ったはずの家臣の一人が帰ってきた。「子爵の庭園にあるはずの虹の薔薇が、すべて忽然と消えたそうです……!」

 その言葉に控えの間が凍り付く。わたしはなぜ彼らが怯えているのか、分からなかった。




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