開かずの踏切り
これは、私が実際に体験した事を元にしており、少し脚色したものとなっています。
開かずの踏切り。
複数路線が乗り入れる駅に近い踏切りは、ラッシュ時間帯になると開かなくなる。
時間にして短くて15分、長い時は30分以上になる。
現在は道路を地下に走らせたり、歩道橋を設置したりと対策は組まれているが、未だ開かない踏切りは多くある。
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ここは埼玉県にある開かずの踏切り。
なんの対策もされていない開かずの踏切り。
朝と夕方5時以降は平均して15分~20分程開かなくなる踏み切りだ。
俺は2年間、毎日朝夕こいつに阻まれる。
鬱陶しい。
何故毎日カンカンカンカン、合計30分以上も言われ続けなければならないんだ。
それでも渡らないとならない。
駅向こうに引っ越す事も考えた。
だがそれだけのために何万も出すのは馬鹿げてると、友達に言われて諦めた。
だが、30分だ。
この時間があればゆっくり朝ごはんも食べられるし、もっと遅くまで寝ていられる。
もっと有意義な生活が送れるはずなのだ。
でも、無理だ。
家を早く出ても遅く出ても、今以上に開かずの踏切りが開かなくなるのだ。
これで最短時間なのだ。
諦めもつくというものだ。
たかが30分、されど30分。
はぁ…とため息をつきながら"また今日もか"と思いながら朝の身支度をし、今日もまたこの踏切りが開くのを待つ為に外に出る。
到着しストレスで落ちていた目線を上げて周りを見れば、ちらほら見た顔がいる。
同じ時間帯で同じように待っていれば、そりゃ知った顔も出来るものだ。
ロードバイクで通学している男子高校生。
近所に買い物に行く2人組の主婦。
読書する女子中学生。
ヘッドホンでノリノリな20代後半の兄ちゃん。
ワイヤレスイヤホンで我関せずなリクルートスーツの女性。
和気あいあいとしている小学生達。
だいたいこの辺がよく見る人物達だ。
今日も挨拶もなく、ただすれ違うだけ。
それが俺たちの日常だ。
いや、日常のはずだった。
線路を挟み反対側の俺の真正面に、1人の女性が立った。
白の立体マスクを着けていて顔ははっきり分からない。
服装は白いワンピースに淡いオレンジ色の暖色系のカーディガンを羽織り、手にはスマホを持ち、肩から小さめの薄いピンクのポシェットを掛けている。
初めて見る人だった。
初めて見たはずなのに既視感を感じる。
なんだか妙な気分になる。
この女性に惹かれている訳では無い。
なのに目が離せなかった。
その理由は分からないまま、その人は轢かれた。
駅のホームに減速しながら入っては来ていたが、時速約60kmは出ており、即死のはずだ。
だが、周りの反応が、無い。
みんな踏切りが開くと普通に歩き出す。
おい、今、目の前で人が轢かれたんだぞ!?
なんで普通にしてんだ!?
そんな思いが身を焦がすが、周りは何も感じていない。
轢かれた場所をもう一度、意を決して視線を持っていく。
あれ?
無い。
無い。
何も無い。
血も、肉片も、服も、靴も、ポシェットも、何も無い。
何か忘れているようだが、何も無いから分からない。
周囲は、変わらぬ日常がそのまま続いていた。
驚きと恐怖が心を支配するが、俺も日常に戻らなければならず、その場をあとにする。
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夕方、またこの踏切りに戻る。
朝に見た顔は居ない。
もちろん、あの女性も。
今朝、見たものはなんだったのか。
あんなにリアルに見てしまったのに、無かったことだったのか。
答えは出ない。
その日は普通に踏切りを待ち、帰宅した。
そこから2週間、俺はあの光景が夢に現れ、寝苦しい夜を過ごした。
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それから2ヶ月後、夏に差し掛かるぐらいの少し暑い朝。
少し汗ばむTシャツを脱ぎ、仕事に出る支度をする。
日中はもうジャケットは要らない程の暑さだろう。
家を出て踏切りに向かう。
あの日以来、あの女性は見ていない。
ただいつものメンツはいつも通りいる。
踏切りを待つだけでも汗ばむ。
17分経ち踏切りが開く。
今日は何事もなく通過出来た。
仕事を終え、会社の人たちと呑みに繰り出す。
1軒目は鍋とビールにチューハイで軽く、2軒目は焼き鳥にビールと芋焼酎でゆったり、3軒目は〆にラーメンと熱燗を少々。
完全にいい気分になり家路を歩く。
その足のまま俺は踏切りにたどり着く。
あと少しで家だ。
カンカンといつも通りの音。
駅に向かう終電列車だ。
誰もいない踏切り。
まぁ深夜のこの時間だ。居たとしたら俺と同じ呑んだくれか、仕事でてっぺん超えた人ぐらいだろう。
待ち時間が暇なのでスマホをいじる。
深夜のこの時間でも遮断機が開くまで、だいたい5分程は待つ事になる。
俺はスマホに目線を落とし、周りの情報が入らなくなる。
少し経った頃だろうか、ふと自分の右に気配を感じる。
とりあえず今はスマホに夢中なので気にしない。
それから1分程経ったか、遮断機の音が消える。
俺は一瞬安全確認で目線を上げ、大丈夫かを確認し1歩踏み出す。
すると、右隣にいた人が自分を追い抜き、少し前に出たのを視界の端に見えた。
白い服だ。
あの淡い暖色系のカーディガンだ。
そんな事が過ぎった時、目線を落としていたから気づいた。
線路上にその人のスマホが落ちた。
しかし、その人は気付かず歩いていく。
俺は直ぐにそのスマホを拾い、目線を上げその人、彼女を目線に捉える。
そして、彼女を呼び止める。
「スマホ、落としましたよ?」
すると、彼女は足を止め振り返り、こう応えた。
”ありがとう。貴方は、拾ってくれるんだ・・・”
俺はその言葉に困惑し、彼女のスマホに目を移す。
すると、綺麗だったスマホは少しずつ画面にヒビが入り、縁に傷が走り、背面が割れ、完全に壊れていく。
画面の光が消える。
そして、
彼女は、
スマホを受け取らず、
また、
目の前で轢かれた。
メチッ!という音ともに彼女は視界から消え去った。
俺は、その場で崩れ落ちる。
は?
え?
あ?
またこれだ。なんなんだ。またかよ。
瞬間、過ぎる言葉たち。
直後、俺の耳に周りの音が戻ってくる。
遮断機の音が、まだ鳴っていた。
列車のブレーキ音が聞こえてくる。
カンカンという音が消え、遮断機が開く。
駅のホームでは変わりなく到着アナウンスが流れる。
俺は、何をしていたんだ。
あの彼女は、なんなんだ。
前回も、今回も何が起きた。
唐突に現れ、目の前で列車に轢かれる彼女。
前回と同じく到着列車に轢かれる彼女。
なんなんだよ。
ありがとうって、拾ってくれるんだってなんなんだよ。
手元見ると、俺は、彼女のスマホを握りしめていた。
完全に画面は粉砕され、背面も亀裂が走り、基盤むき出しのスマホを。
俺は短い悲鳴を上げ、そのスマホを投げ捨てる。
声にならない声が喉から漏れる。
やばい、やばい、やばい。
死ぬ、死ぬ、死ぬ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
そんな事が過ぎる。
だがそんなことも言っていられない。
酷く混乱しているがこのままだと危険だ。
とりあえず線路上からどかなければと思い、よろよろと立ち上がり遮断機の外に出て縁石に座り込む。
呼吸が荒い。
動悸が収まらない。
焦点も定まらない。
でも、これは酔いから来るものでは無い。
落ち着こう落ち着こうとしても、先程の光景、そして前回の光景が脳内で何度もフラッシュバックする。
あの光景に耐えきれず、思わず道端にかがみ嘔吐する。
その場で40分動けなかった。
駅の方から光が消えた。
終電が去り、駅が閉められたようだ。
流石に動き出さねば。
俺はよろめく脚に力を込め、立ち上がる。
ふと、先程投げ捨てたスマホの方向を見る。
その場にまだ、スマホがあった。
俺はどうするか迷ったが、スマホを拾い直し、割れたりしていて危険なのでカバンにしまい込む。
その後、俺は力の入らない脚のまま、踏切りから5分程の自宅に帰る。
その日は眠れず、ずっと深夜のテレビショッピングを流したまま過ごした。
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あの光景は、あの現象はなんだったのか。
何故俺なのか。
何故スマホはなんなのか。
テーブルの上にある金属の菓子缶には、彼女のスマホが入れてある。
缶を振ると音がする。
ある。スマホは確かにある。
俺は菓子缶を開け、スマホを取り出す。
ビニールのパウチに入れてあるスマホが目の前に現れる。
これは本当に彼女のなのか。
たまたま拾ったモノなのか。
その疑問に俺は囚われる。
そして俺は思う。
このスマホを直すかどうか。
見ると、スマホの基盤部分は綺麗に見え、外装だけどうにかすれば直りそうではある。
でも、それを俺がしていいものか。
あくまでこれは他人の持ち物だ。
直すということは人のプライバシーを覗き見ると変わらない。
だが、気になる。
どうしても気になってしまう。
俺は、スマホを直したい衝動に駆られる。
ダメだ!ダメだ!
これは人のモンだ!
俺は頭を振り、邪念を払う。
よし!
俺は缶にスマホを戻し、それをカバンに入れる。
警察署に行こう。
家を出て、いつもの踏切りに向かう。
だが、踏切りは渡らず駅に向い、ここから2駅先にある警察署に向かう。
警察署に到着し、総合案内に拾得物はどちらかと聞き案内してもらう。
そこで俺は、拾った物や拾った場所・日時を記載し、缶ごと預ける。
すると、担当の警察官は怪訝な顔をする。
「これは、本当に拾ったもの?」
何故かこんな事を聞いてくる。
俺は”そうだ”としか言いようがないのでそのまま伝える。
警察官は更に顔をしかめる。
すると、少し待っていて欲しいと言われ、警察官はその場を去る。
俺はしょうがないので待つ。
数分後、先程の警察官は違う人物を連れて戻ってくる。明らかに雰囲気が違う人な為、その人が刑事だと俺は気づく。
刑事が俺に質問する。
「これは、君が持っていたものでは無いのか?」
と。
どういうことか分からない、と伝えると刑事はこう告げる。
「これはある場所で亡くなった女性のものだ」
「現場で消失した証拠品だ」
「いつから持っていた」
「何処で拾った」
「何故今になり持ってきた」
矢継ぎ早に俺は質問を受けたが、俺は先程書いた通りにしか答えられない。
「女性の物だとは分かる」
「証拠品なのは知らない」
「あの踏切りの線路上で拾った」
「昨日の深夜から持っている」
「昨日拾ったから、今日持ってきた」
こうしか答えられなかった。
刑事も困惑顔だ。
「本当に昨日なのか?」と聞かれたので、「はい、昨日呑んだ帰り彼女が目の前で落としたので拾った」と素直に答える。
刑事の顔が更に歪む。
「昨日、彼女が落とした?」
「はい、俺の横を通り過ぎた時に落としたので拾い上げ、彼女に渡そうとしました。でも、彼女は・・・いませんでした」
「いませんでした、というのは?」
「彼女が、目の前で、列車に轢かれたからです」
刑事は絶句する。
目線が泳ぎ、何かを思考している。
刑事は深い呼吸をして、俺に向き合う。
「よく聞いてくれ。そのスマホの彼女は、1年前に死んでいる。その踏切りで」
「えっ、、、」
「彼女は、駅に向かう列車の前に飛び出し、轢かれている。即死だった」
「その時、現場検証していた鑑識からスマホがないと指摘されていた」
「彼女の自宅からも、スマホは発見されていなかった」
「そのスマホが1年越しに、それも命日に見つかることなんてあるか?」
「まさに今日、彼女は死んだんだ」
ここまでの真実に、脳の処理が追いつかない。
つまりは彼女の死から1年が経った今日、そんな日に何故君は、彼女のスマホを持ってここを訪れたのか。
と、問いただされていると理解出来た。
この問に出せる答えを、俺は持っていない。
俺が黙っていると刑事は言った。
「この件に事件性はない。この事故は確実に自殺だ。駅のホームの飛び込みではなく、踏切り内への侵入による事故だから」
と、安心させようと言葉をかけてくる。
俺は”はい”とだけ応える。
ここでやっと俺は心が落ち着けた。
あの出来事は心霊体験だったのだと理解出来たから。
刑事が話す。
「今日はもう大丈夫だ。これは確かに預かる。もしこれが直り何か分かったら連絡をする」
と、言われ”分かった”と応える。
俺は刑事と警察官の方に礼をし、警察署をあとにする。
その日の夜。
俺は前回の事、昨日と今日の出来事をノートに書き記す。
ある程度書くと、心に余裕が生まれてきた。
これなら安心して寝られそうだ。
俺は23:45に布団に入りスマホで動画を見る。
30分程した後、眠気が訪れ、スマホを閉じ眠りにつく。
5分もしないで浅い眠りに入る。
その時
”見ても良かったのに”
女性の声で耳元で囁かれる。
俺は驚き、寝ぼけ眼を開ける。
目の前には天井は無く、黒い何かに視界の大半を遮られていた。
それは、髪の毛だった。
視線が一点を捉える。
真正面。
そこには、あの女性の顔があった。
穏やかで綺麗な女性の顔だった。
周りのこれは彼女のロングヘアだった。
彼女はもう一度告げる。
”見ても良かったのに”
彼女は笑顔で消える。
俺は、驚き失神した。
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後日、あの刑事から連絡があった。
詳しくは話さなかったが、スマホの中に遺書のようなものがあったらしい。
自殺理由は男女の痴情のもつれ。
彼氏の浮気によるものだったとの事。
まぁよくある話だ、と刑事は言った。
だが、その後に言った刑事の最後の言葉が、俺の頭から離れない。
「スマホに残ってた彼氏の写真。君にそっくりだったよ」
俺はその日以来、その踏切りを超えていない。