2.涼香との出会い
夜7時に待ち合わせのコーヒーショップへ行くと、途端にトニーが喚きだす。
『あそこの角にいるのが涼香だ』
そう言ったのと同時に、涼香がこちらを向いた。思わず域を飲むほどの美人ではないが、可愛い人である。これで感性と相性が合えば、夢中になっても良いだろう。なんて、他人事のように考えていた私である。角の席に行き
「津田です、涼香さんですね」
少しビックリした様子で
「はい、涼香です。よくおわかりになりましたね」
「あなたが店に入ってくる人に、目を向けていましたね。それにパッと輝いていたから、すぐにわかりました」
彼女は照れるように
「マア、津田さんはオーラが見えるのですか」
「オーラですか、なるほど。そうかもしれませんね。涼香さんのオーラは赤みのある菫色かな。違いますか」
涼香は嬉しそうに
「わたし、ラベンダーが好きなんです」
彼女はそう言いながら、ラベンダー色のハンドバックを私に見せる。実のところバッグはこの席に来るとき、チラッと一瞥していた。だから菫色と言ったのである。
「そうでしょうね、涼香さんによく似合う色ですよ」
「初めてなのに、何度も会ったみたいです」
オレはにやけてしまい
「嬉しいことを仰いますね。実は今日連絡したのは、あなたに会って頂きたい人を連れてきたのです」
涼香はきょとんとした顔で
「エ、どちらにいらっしゃるのですか」
「今、話してもらいますので、少々お待ちを……」
彼女は訳がわからず
「はい?」
その間私はトニーが話す言葉を聞いて
「涼香、久しぶりだね。オレだよ、原田だ」
彼女は信じられないような素振りで
「ウソ……、あなた亡くなったのではないの」
一瞬のタイムラグをおいた後
「そうだ、死んだよ。でもキミに会いたくて戻って来たのさ」
涼香は信じていいのか、疑うべきか迷いながら
「いつまでいられるの」
……(以後のタイムラグは省略)
「わからない。1日かもしれないし、10年かもしれない」
彼女は心配そうな顔で
「津田さんの身体に憑依したの」
涼香の声を聴いてすぐに
「私は大丈夫ですよ。原田氏の通訳をしているだけですから」
ホッとした様子を見せた彼女は
「良かったです。原田さん、あなたは悪霊ではないようですね」
「当たり前だ。死んだときにこのスタジャンを着ていたから魂が残ったのさ」
涼香は決心したように
「うちに行きましょう。外で話すことじゃないですね」
と言って立ち上がった。私たち三人は…、いや二人とトニーの魂は涼香のマンションへ行く。彼女は港南中央駅から5分のマンションに住んでいた。一人暮らしなのに3LDKと広い部屋である。独身女性の部屋へ、一人で入るのは初めてだった。
「お邪魔します。オオ、素敵なインテリアですね。お洒落なセンスが見え隠れします」
彼女はよっぽど嬉しいのか
「マア、うれしい!津田さんはわたしの考えがわかるのですね」
「見た瞬間の感想です。ア、いいなとインスピレーションを感じたので……。涼香、オレと暫く暮らしてくれ。これは原田さんの言葉です」
彼女は少し考えてから
「あなた、暮らすのに身体はどうするの」
「この身体がある……。トニー、ちょっと待って。この身体は私のものだよ。私には私の生活があるのだから、この身体は貸せない」
涼香が当然という顔をして
「その通りです。あなたはもう生きていないのだから、霊界にお帰りください。津田さん、トニーって誰のことですか」
「涼香、キミはそんなに冷たいとは知らなかった。こうなったら二人とも、オレの奴隷にしてやる!……、魂の奴隷になって、何をさせるつもりだよ。トニー、もうお宅の通訳は辞める」
私はスタジャンを脱ぎながら言う。脱ぎ捨てた途端、脳裏にいたトニーがきれいに消えた。涼香が心配そうに
「津田さん、大丈夫ですか」
私はニコッと笑い
「トニーは来世の名前だそうです。アメリカあたりで生まれるのでしょう。世話騒がせな人ですね。私がスタジャンを着ないと、出てこれないのですよ」
涼香は呆れ返ったという素振りで
「マア、それなのに奴隷にするなんて、大層なことを言うものですね」
「よっぽどあなたに心残りがあるのですね。男として、わかる気がしますよ」
彼女は不思議そうな顔をして
「どういうことですか」
「こんな素敵な女性を恋人にして突然死んでしまったら、男なら化けて出てもおかしくないですよ。逆だったら、涼香さんは幽霊になって会いに来ませんか」
彼女は私をストレートに見つめながら
「わたしはおとなしく霊界にいます。でも津田さんなら、化けて様子を見に来るかもしれません」
「御冗談を、トニーが聞いていたら呪われそうだ。でもうれしいですよ。結構気が合いそうですね」
涼香は頬を少しだけ赤らめて
「ごめんなさい、失礼なことを言って。出会いが特別だったので、初対面だと忘れていました。このスタジャンはどうしますか」
「着ないで持って帰ります。当分は着れませんが」
「よかったら置いといて頂けませんか。原田さんの願望ですから」
「なるほど、わかりました。置いときましょう。出てこれないけど、彼も本望ですね」
彼女はつぶらな瞳で
「それでお願いなのですが、ときどき来て頂けないでしょうか。このスタジャンを着て、彼と話をさせてほしいのです。いかがでしょうか」
私は意外な申し出に真意がわからず
「すんません、意味が分からないのです。もしや少しだけ、未練があるのですか」
涼香は苦笑いをして
「そう思いますか。女は男と違って、大泣きすると諦めることができるのです。それにわたしは生きていますので、将来を考えなくてはいけません。
来て頂く理由は原田さんに、わたしを諦めてもらうためです。早く来世で生まれてほしい。私の考えは冷たいですか」
「正論です、わかりました。いつ来ればいいですか」
彼女は嬉しそうに
「ありがとうございます。それでは1週間後にいかがでしょう」
この日はこれで涼香のマンションを後にした。一週間で、私は霊魂について調べてみる。死んだ人の霊魂ばかりでなく、生霊もあるそうだ。
この手の科学はいくら研究しても、事実や証明ができても、表社会では認められない。あくまで裏社会のみ通用するのが常識となっている。
人は死んでから輪廻転生すると証明しても、ファンタジー作家か宗教家か、あるいは嘘つきか無視されるのが一般的だ。なぜなら輪廻転生が公に認められたら、世の中がひっくり返ってしまうからである。
例えば親が子を殺し、子が親を殺すなんてたまにあるでしょ。これは前世で、この二人の関係が最悪だったから。
江戸時代では敵同士だったのかもしれない。あるいは上下関係で、上が下をイビリ倒していたかも。人の感情で一番どす黒いのが怨念で、強い恨みは生涯離れないことが多い。それどころか転生しても残るのである。
彼らに前世の記憶がないのに、怨みだけが独立して相手を殺傷してしまう。現世の親子関係は仲良くさせようとの神の配慮なのだが。怖い話である。