婚約破棄するなよ! 絶対婚約破棄するなよ!
「ねぇアル、知ってる?」
悪友が心を弾ませながら、サロンで寛いでいる俺の座る椅子の背もたれに両手をつき、身を乗り出しながら問いかけてくる。
「ん? 何をだ」
「何だか今、よその国の貴族の間で『婚約破棄』っていうのが流行ってるらしいんだ」
その飛び出してきた物騒な言葉に思わず眉を顰めてしまう。しかもそんなものを何故そこまで楽しそうに話せるのか、正直俺には理解しかねる。
「『解消』ではなく『破棄』……? そもそもそれは流行り廃りがあるようなものか……?」
俺の問いかけを受け、顎に人差し指をやりながら視線を上に向ける悪友。
「う~ん……最初に婚約破棄した人は『真実の愛を見つけた』とか言ってからの破棄らしいんだけど、なんでも他人が婚約破棄しているのを見てしまうと自分の婚約者の粗が目立って見えてくるらしいよ」
それはつまり結婚への不安を抱えている者が婚約から解放された者を勝手に羨んで、その原因を相手に押し付けているだけなのではないのか。
「下らんな……。で? 婚約者がいる俺に対してそれを聞く意図は何だ? それにお前、今日はアイツと街に行ってたんじゃなかったのか」
まさか俺が流行に乗ってシャールとの婚約を破棄するとでも思っているのか。あの天使のように美しく聡明で優しく穏やかなシャールと。
心外だと訴える視線につい力が入る。
「んもぅ、そう睨まないでよぉ~!」
「お前が馬鹿なことを言うからだ……!」
悪友が慌てて俺の椅子の前に回り込んだかと思えば、力の抜ける笑顔でこちらを覗き込んでくる。
「あはは~ごめんごめん! アルがシャールちゃんのこと大好きなのは知ってるって! 学内でも理想のカップルって言われてるのに今更そんなこと有り得ないと思ってるから言ってるのさ!」
そうやって調子の良いことを言ったかと思うと、今度はつまらなさそうに頬を膨らませた。
「あとギルは途中で見つけた、行列の出来てる洋菓子店で新作ケーキを食べるって言って聞かないから置いて帰ってきたよ。ケーキ一つにそんな何時間も待ってらんないよ……」
「アイツは新しい物好きだからな……」
いつもなら流行の話をするのは目の前のカイではなく、もっぱらギルの役目だ。その情報収集能力の高さに関しては俺も高く評価している。だが流行の最先端を行くといえば聞こえは良いが、その熱しやすく冷めやすい性格のせいで、勧められる側の俺たちはいつも振り回されているのが現実だ。
「まぁ放っとけば良いよ! 次会った時はケーキの話されるだろうけどね」
「……そうだな。はぁ……また『お前まだ食べてないのか!?』などと言われるのか……」
俺が未来を想像して溜め息を吐いたのを見て、カイは苦笑いを浮かべた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
数日後、学園が休みだということもあって久しぶりにシャールと街に出てきた。一緒に演劇を見たり、レストランで昼食を取ったり、アクセサリーを見たりと楽しく過ごした帰りの馬車で、和やかな雰囲気でその余韻を楽しんでいた。
ちなみに途中であれから予想通りギルが推してきた洋菓子店を見つけはしたが、俺も彼女も行列を見て食べる気が失せたので、教えられた情報が役に立つことはなかった。
しばらく「あれが楽しかった」「これが良かった」などと話していた時、ふと数日前のやり取りを思い出した俺はほんの会話の隙間にあの時の話を振ってみることにした。
「――そういえばシャール、婚約破棄というものを知っているか?」
俺にとっては本当にただの何気ない話題だったのだが、彼女はそれを聞いた途端顔を真っ青にして、その美しい紫色の目に涙を溜めてこちらの腕に縋りついてきた。
「わたくし、何かアルフレッド様のお気に障るようなことをしましたか!?」
彼女の動揺ぶりを見て、何か勘違いさせてしまっていることに気付いた俺は慌てて口を開く。
「お、落ち着いてくれ! 誤解だ! 君と別れるとかそういった話ではない!」
「本当ですか……?」
彼女の両肩を掴んで真っすぐに訴えかけると、次第に落ち着きを取り戻し始めた。
「あぁ、俺は君と出会ってから今の今まで、嫌な気分になど一度もなったことがない。だからこれからもずっと傍にいて欲しい」
頬に手をやり、そのまま彼女のその美しい銀色の髪を撫でる。すると彼女は顔を真っ赤にして、その俺の手に自身の手を重ねて俯いた。
「もう……本当にびっくりしました……」
「驚かせてしまってすまない……」
こちらの言葉が足りなかったせいなのだから、俺も素直に謝るしかない。
「うふふ……でもお陰で嬉しい言葉も頂戴出来ましたから、良しとしましょう」
顔は真っ赤のままだが、熱を含んだ視線でこちらを見上げて微笑むシャール。……嗚呼、その姿は本当に天使のようだ。
「それで、その『婚約破棄』とは何でしょう? 解消とは違うのですか?」
俺は数日前のカイとの話をそのまま彼女にも話してみる。
一通り話し終わると、彼女もやはり理解出来ないといった表情で困惑していた。
「何と言いますか……とても無責任な話ですね……。貴族の婚約というのは最早本人たちの為のものだけではありませんのに……」
「まったくだな……。そんなものが流行するなど世も末だ」
婚約、そして結婚とは両家の利益と発展にも関わることだ。現に我が家は商売の、彼女の家は土木建築の分野において確かな知識と経験を持っているからこそ、その両家の者が一緒になることで更なる販路の開拓や、これまでにない商売が出来るという利点が生まれるのだ。
そんなものはこの婚約が決まった時から判りきっていることであり、今更どうこういう話ではない。俺の場合は更に相手が文句の付けどころがない素晴らしい女性であったのだから尚更だ。
「恐らく今、世間には恋愛結婚に憧れを抱いている方々が増えているのでしょうね」
「あぁ……なるほど……」
確かにそれはありそうだ。というのもつい最近他国の王族が壮大な恋愛の末に結ばれたらしく、そのエピソードが既に舞台にもなっているほどに今話題になっているからだ。今日彼女と見てきたのもソレだ。
正直その内容は我々の常識から外れすぎていて理解するのに苦労したのだが、とても情熱的なものだったのは確かで、それに憧れてしまう者が出てきてしまうのも無理はない……かもしれない。
「まぁ俺は政略結婚だとは微塵も思っていないがな」
「うふふ、私もです」
たとえ出会いや結ばれる過程がどんなものであろうと俺には関係ない。この素晴らしい女性が隣にいるという、ただそれだけで充分だ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
朝にも彼女を迎えに来た、彼女の実家の屋敷に馬車が到着する。今晩はただ彼女を送るためだけではく、彼女の父親である伯爵から晩餐会に招待されているのだ。
彼女と共に玄関ホールに入ると見知った顔が出迎えてくれる。
「ようこそおいでくださいました、アルフレッド様。それにおかえりなさい、お姉様」
シャールの双子の妹であるリーシャだ。双子だけあってその銀色の髪も紫色の目もそっくりなのだが、気性に関しては姉と正反対で少々気が強い。だが乱暴というわけでもなく、姉同様聡明で話しやすい相手だ。
「久しぶりだな、リーシャ嬢」
「お久しぶりです。今日はお姉さまと一日楽しんでいらしたのですよね、羨ましいですわ。私もたまには二人で街に繰り出したいものです」
彼女も既に婚約者がいる。それがあの新しいもの好きのギルなのだが、彼女の言葉を聞くにそういった事はしていないようだ。
「奴はつい最近洋菓子店の新作ケーキについて語っていたよ。君と一緒に行くために、事前に確認しておきたかったのかもしれない」
「まぁ……! あの人がそんなことを……」
あいつの事なので実際そこまで考えていたのかはわからないが、これでも友人なのだからフォローくらいはしておいてやる。相手は愛するシャールの妹なのだし、俺だって彼女の悲しむ顔は見たくない。
俺にフォローさせたのだから、後で何かしらあいつから見返りを貰うことにしよう。
「今の御時世、貴女も積極的に行くぐらいで丁度良いのかもしれないわよ、リーシャ」
今日見てきた舞台の話題と絡めて妹にアドバイスするシャール。その内容に最初こそ戸惑っていたが、その持ち前の頭の良さですぐに言いたい事を理解したようだ。リーシャ嬢はとても良い顔で頷いている。
「婚約破棄はともかくとして……確かに婚約関係に胡坐をかいていてはいけないわよね。うん、私ももう少しギルと一緒にいる時間を増やそうと思うわ」
「そうだな、二人の仲は良いに越したことはない」
そう言って視線をシャールに向けると、あちらも微笑み返してくれる。
「んもぅ、お熱いことで……! ではこちらへ、皆待っていますわ」
俺たちを見て頬を染めたリーシャ嬢に連れられて食堂へと移動する。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
食堂にはシャールたちの家族の他にも、俺やギルの家族も揃っていた。今日は結婚を目前に控えた俺たちを祝うために、このような場を設けて下さったそうだ。
「よく来てくれた、アルフレッド君。いつもシャールと仲良くしてくれていて私も嬉しいよ」
早速シャールの父君が歓迎してくれる。
「……いえ、このくらい当然のことです」
「こいつは初めて会った時から彼女に夢中さ」
「むしろ私たちがお礼を言いたいくらいだわね」
そこに両親が間に入ってくるものだから、俺としてはとてもやりづらい。特に間違ったことを言ってはいないので余計にだ。
「はぁ……ウチのもアルフレッド君のように落ち着いていたら良かったのだが……」
「リーシャさん、ウチの馬鹿息子が迷惑を掛けてないかしら……?」
「大丈夫ですよ、それに何にでも夢中になれるところは彼の良いところですから」
ギルの両親がぼやきながら息子を心配しているが、そこは流石のリーシャ嬢、思うところはあっても貶したりせずに上手く返している。
「それにしてもギルはまだ来ないのか。もう全員集まっているというのに……」
ギルの父親がまたそうぼやいた瞬間、食堂の扉が勢いよく開かれた。
何事かと思ってそちらを見ると、ギルが妙に勇ましさを感じる表情で立っていた。
「ギル! 他人の家でそのような――――」
「リーシャ!」
父親の怒りにも耳を貸さずにギルは婚約者の名前を呼んだ。
「どうされました……?」
「君はいつも俺が新しいものに飛びつく様を呆れたように見ていたな」
「は、はぁ……」
そりゃ周りのことなんておかまいなしに飛びついているのだから、呆れもするだろう。リーシャ嬢だけじゃない、お前の事を知っている人間はみんなそうだ。
「俺はそんな視線にいつも傷ついていた! だが、そんな俺を理解してくれる人に俺は出会ってしまった!」
ギルが手招きをして姿を現したのは、ピンク色の髪をしたどこぞの男爵令嬢。その表情は妙に自信に満ちており、そのままギルの腕に抱き着いた。
「そう、俺は『真実の愛を見つけた』のだ!」
聞き覚えしかない単語が飛び出し、俺はもちろん、シャールも、リーシャ嬢も目を見開いて「まさか!?」と互いに視線を交わし合う。
これまで俺たちが散々意味が分からない、理解出来ないと言ってきたことを、まさかこんな身近な人間がしようとするなど誰が想像出来ただろうか。
それぞれの両親たちなど状況が理解出来ずに絶句している。
ふと見ると、リーシャ嬢が呆れを通り越して笑いを我慢していた。駄目だ、これはもう「あの言葉」を口にしたら最期、徹底的にやられる未来が待っていることだろう。
(嘘だろオイ……馬鹿! 頼むからやめてくれ!!)
『よってここに、君との婚約の破棄を言い渡す!』
しかしそんな俺の願いも空しく、ギルはとても良い顔で破滅への坂道を自ら転がり落ちていった。
「ギル様は私が幸せにしますのでどうぞご心配なく!」
そんな男爵令嬢のどうでもいい意志表明と共に。
ほんの少しですが世界観を自身の他作品と共有しています。
もし気になって頂けたのであればそちらも是非ご覧いただけたらと思います。