歴史知識ゼロの現代少女が戦国時代に行った結果、世界がはちゃめちゃになった話
「ええっと、ここどこだろ……」
果穂は困り果てていた。
田辺果穂。それが彼女の名前だ。
二十一世紀の日本で生き、ごくごく平凡に暮らす十五歳の少女。
容姿は普通、頭はあまりよろしくない。
そんな彼女は今……見知らぬ土地にいた。
「でも変だよね、神社の門を潜っただけなのに」
ちょっとお稲荷さんにお参りをしようと思い、神社の朱門を通り抜けた。
軽く瞬きして目を開けると――、全く見覚えのない場所へ着いてしまったというわけだ。
「周りの人たちの様子もおかしいんだよ。みんな着物なんて着込んじゃってさ……。ここってもしかして時代劇の舞台セットとか?」
そうなのだ。
見たことのない景色に加え、とても違和感が強いのは行き交う人々の格好。
みんながみんな浴衣のようなものを身に纏っているのである。明らかに普通ではない。
「これってあれ? 神社の門で異世界にワープしちゃった系?」
よくラノベでありがちな異世界転移。
あれのトリガーが神社の朱門で、果穂は今転移してしまったのだろうか? でも全然中世ヨーロッパの世界観じゃないし。
もしかすると和風ファンタジー?
「うーん。でもわかるのは、恐らくだけど現代日本じゃないってこと、か……。時代劇セットにしては大掛かりすぎるし、みんな当たり前に挨拶してるもんなあ」
しばらく思案顔になってから、少女は一言。
「――とりあえず、聞き込みするしかないか!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
わかったことがいくつかある。
まず、言葉が果穂の世界とは少し違うこと。方言っぽい感じだ。
そして果穂の服装が周囲からしたらとてもとてもおかしいのだということ。全員が白い目を向けてくる。
そりゃそうだ、セーラー服姿の彼女は、着物の彼らにとって物珍しいに違いない。近づくだけで逃げ出す者まで現れた。
「外国人か?」とも訊かれた。これは答えに詰まるところである。
それから――。
「ここが、昔の時代だってこと、だね……」
誰に聞いても今は、
「天文十八年やで」
「天文に入ってから十八年やろが」
「変なこと言うねえあんた」
と、いうことだった。
場所は名古屋の尾張。果穂は名古屋市在住なので、時間だけを移動したのだろう。
天文がいつかはよくわからないが、五百年くらい前……だろうか?
「つまりはタイムスリップかぁ。小説なんかで読んで憧れたけども」
でも、
「果穂、歴史が最高に苦手なんだよね」
そう。
果穂は、天文十八年が一体何が起こっていた年なのか、知らない。
というか今が平安時代なのか戦国時代なのかもっと後なのか、それすらわからないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
果穂は大の歴史嫌いであった。
他の科目は平均的な正解率なのに、歴史だけは常に赤点。
授業を聞いていると眠くなってきて、大抵は寝ていたし、テストの時もまともに答えられた試しがない。
第一、戦国大名はおろか三大武将の名前も怪しい。
平安時代なんかになるともっとあやふやで、江戸時代の「え」の字も知らないと言っても過言ではない。
そんな果穂が大昔にタイムスリップ……不利過ぎである。
「普通は歴史知識チートで奔走するのが定番でしょ。なのに知識ゼロ現代少女が何をしろと……」
よく、信長に転生したり他の武将に転生したりして活躍する、という物語があったりする。読まないけど。
でも果穂はそれと真逆である。体はそのままだし、知識はここの人間よりダメダメ。もう最悪だった。
「あーあ。早く帰りたいな」
神社の朱門を通り抜けるだけで500年近くタイムスリップするのはおかしすぎる。
なんとか戻る方法はないだろうか。そんなことを考えながら、あてもなく街を徘徊していると。
……一人の百姓家の少年と出会ったのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼はなかなかの美少年だった。
まあ果穂にこの時代の美的センスはわからないが、彼女の価値観で言えば、学校に一人はいるイケメンな感じ。
彼はたまたま自分の村から街の方に出ていて、そこで果穂と出会ったのだという。
何気ない出会いだったが、道すらわからず迷っている果穂を拾ってくれた。
そして家へ連れて行ってもらったわけである。
「お前の名は何や」
「果穂。果穂だよ」
少年は、「珍しい名前やん。可愛いな」と笑顔で言ってくれた。
果穂は大きく頷いて、少年に微笑み返したのだった。
まあそんなこんなで少年の家で暮らすようになって。
帰る方法がわからないまま数ヶ月が過ぎていった。
しかしそんなある日。
「お前は今川家の奉公に出ろ」
少年の父親が、こんなことを言い出した。
まだ少年は十三歳。果穂より二つ年下で、まだまだ幼かった。
「ねえねえおじさん。奉公ってなあに?」
お婿さんに行く、みたいなことだった気がする。
しかし全然違った。
「奉公というのは、家に住み込みで働き、身を捧げて尽くすこと。それが与えられた使命なのだ」
「でもそんなの聞いてないやで」少年は慌てた。「だってまだ子供やもん。奉公なんて無理に決まっとる」
奉公は、使用人のような仕事なのだとざっくり理解した。
しかしそんなことをするには、まだ小さすぎるだろう。なら、
「代わりに果穂が行っちゃダメ?」
「どうして」
「だって嫌なんでしょ? なら果穂が行く。お世話になった分まで頑張るよ」
正直、ずっと田舎に引きこもっていても帰る手立てが見つからないままだろうし。
それからまあ色々ゴタゴタ揉め事があったのだが、結局果穂じゃ信頼が置けないらしく、少年が行くことに決まってしまった。
あぁ、これからどうしよう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「果穂」
出発の前日、真剣な顔の少年が果穂の元にやってきた。
「なあに?」
「おら、お前と約束したいことがあるねん」
「うん」
「実はおら、果穂のこと好きやで。何年かしたら絶対戻ってくる。やから、待っといてくれへんか」
「待つって……。でも果穂は」
言葉を続けようとした果穂に、少年は一言。
「お願いやから」
果穂は断ることができなくなってしまった。
だって「好きだ」と言われた上に待ってくれと頼み込まれたら、断るに断れない。
「じゃあ、お願いだから聞いて」
その代わり、彼女は自分の境遇を話した。
神社の門を潜り抜けただけで数百年前の過去――つまりこの時代に戻ってきてしまったこと。
今でもずっと帰りたいと思っていること。
「わかった。それでが点がいったやで。果穂の服も言葉遣いも、なんか変やなと思っとった。……果穂が戻れるといいな。でもその時はおらもついていくから、覚悟しいや」
「ええっ、ついてくるつもりなんだ!?」
果穂と少年は笑い合った。
もちろん本当に連れ帰ったら大騒ぎになるかも知れないけど――それでもいいか。
けれどこの時、果穂は知らなかった。
自分が歴史を大きく変えてしまいつつあることに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
果穂が、ここが戦国時代であり、あの少年が後の武将の一人となることを知ったのは、それから数年後のことである。
「ただいま。帰ってきたで」
「あっ、おかえり!」
果穂はいつの間にか十九歳になっており、相手は十七歳。
もうどちらも立派な大人に近づいていた。
奉公から半ば抜け出すようにして帰ってきたらしい少年。
彼は、色々な話を持ち帰ってくれた。
まず、ここ数年、『神隠し』が増えていること。
これが果穂がこの時代にタイムスリップしてしまったことと何か関係があるのではということだ。どこかに別の時代と繋がる場所があり、そこに身を投じると移動してしまうんだとか。
よくわからない話である。
残念ながら、戻る方法はわからなかった。
そしてもう一つ。
少年が今川家を抜け出してすぐ、とある人物に目をつけられたらしい。
その名は、織田。これには聞き覚えがあった。
「ええっと……。信長だよね。天下取ったんだっけ? 取ろうとして殺されたんだっけか……?」
どこかで殺されていたような覚えはある。敵にやられたか何かだったか。
記憶がかなり怪しい。
それでも、気づいたことがある。
それは――。
「もしかしてこの子、なんか重要人物の一人じゃない?」
名前は忘れたが、三大武将の一人に、農民上がりの武将がいたことを果穂は思い出した。
聞き覚えがない名前だったので思いも至らなかったが、確かこの時代は名前をコロコロ変える制度があったはず。
つまり、
「果穂ったら、結構やばいことしてない?」
歴史の改変。
それを無意識に行ってしまった可能性に思いあたり、しかし果穂はすぐに忘れる。
「まあいっか。どっちでも」
織田に目をつけられたものの、果穂が待っているからとその手から逃げ出した少年。
彼はこうして田舎に戻ってきたというわけだった。
「果穂。待たせたで。約束を叶えようや」
「うん」
果穂と少年は、ぎゅっと抱きしめ合った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
生じた一つの小さな亀裂から、大きなヒビが入っていく。
果穂が少年――後に秀吉となるはずだった彼――と結ばれてしまってから、歴史は大きく変動した。
あちらで戦いが起こったと思えばこちらで戦いが起こり。
とうとう尾張にまで魔の手が伸びて来つつあるらしかった。
……でも、果穂たちはそんなことは気にしておらず。
元の時代に戻れるための『裂け目』を探して、日本全国ぐるり一周旅を始めていたのだ。
本州の西端から、果ては東北まで。
様々な地を巡るうち、何度も戦に絡め取られそうになったがうまくかわして旅を続ける。
そうしているうちに、いつの間にか明智という武将が天下を取っていた。
「あれ、確かあっという間に死んだってなんかのドラマでやってなかった?」
でも天下は安泰らしく、なんだか平和な世の中になったらしい。
あちらこちらで起こっていた小競り合いもすぐに収束し、徳川という家は簡単に潰されたと聞いた。
これは秀吉が抜けたことによって起こった事柄たちだが、果穂にその自覚はゼロだった。
そうして時が過ぎていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
果穂が二十歳を少し過ぎた頃。
元少年――今は果穂の夫となった彼が、ある時に『変な場所』を見つけた。
それは変な色の霧が湧く場所だった。
その向こうに、なんだか妙なものが見える。
水面から立ち上る白い湯気。湯に浸る裸体の――日本猿?
この光景は見覚えがあった。だから果穂は、夫の手を引いて霧の中へ飛び込んだのである。
……飛び出した先、そこは長野県の地獄谷という場所だった。
日本猿たちが湯浴びをしているその光景は、テレビなどで何度も見かけたことがある。
果穂は慌てて温泉を後にし、人を探して走り回った。
「ちょ、ここは何なんや!?」
「果穂のいた時代かも知れない! 急ぐよ!」
で、まもなく第一村人発見。
服装は極めて普通の、Tシャツにズボン。でも果穂にはこれが懐かしくてたまらなかった。
「あの。今って何年ですか?」
「え? 2020年だけど……」
それを聞いた瞬間、果穂の顔に安堵の笑みが広がった。
「やったあ! やった、戻れたんだ! やったあ!」
――正確に言うと、果穂の時代から数年のタイムラグがあるけれど、それくらいは問題ではない。
歴史ちんぷんかんぷんな現代少女果穂にとって、この時代に戻れたことがとてもとても嬉しかったのだ。
夫のヒデくん(あだ名)が、戸惑うように笑っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
存外――いいや当然なのだが――果穂が及ぼした影響は、未来にも至っているらしく。
政治家が主たるはずだった日本国は、家柄を重視するような貴族社会に似たものになってしまっていた。
上流階級になると和服が基本らしい。まるで時代劇みたいな世界観と、平民の洋服姿がなんともチグハグ。
そうそう。
果穂が一度、名古屋の自宅に帰ってみると、そこは『田辺』という名前の女主人が暮らす、超巨大な屋敷になっていた。
そしてそこには、別の世界軸に生まれた『田辺果穂』がいて……。
「あっ、お客さん? 誰?」
「田辺果穂だけど」
「果穂? こっちも田辺果穂だよ?」
……大混乱を極めたのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、果穂は田辺家で暮らすことになった。
時代錯誤な夫を抱えつつ、異世界となってしまった現代に馴染もうと日々努めている。
「それにしても果穂ってば、世界をはちゃめちゃにしちゃったよなあ」
果穂はそう言って、苦笑を漏らす。
だって日本は地球中全ての国を乗っ取って、天下を勝ち取っているのだから。
ご読了、ありがとうございました。
めちゃくちゃなストーリーになってしまった……。(反省)
ちなみにですが、作者はこの作品の主人公並みに歴史に関して疎いので、あくまでさらっと調べただけでございます。何かおかしな点があったりしたら御免なさいませ(笑)
少しでも面白いと思ってくださいましたら、評価・ブックマーク・いいね等々してくださると嬉しいです!