LⅦ
やがて雨は上がり、平原を通り過ぎてまた森に入った頃には、時刻はもう日が沈みかけていた。こんな状況ではあるが、さすがに全員空腹だ。
「どうしましょう、川はありませんし、街に行ってもお金はありませんし……」
うーん、と考えていると、遠くから声が聞こえてきた。声と言うより、誰かが大声で歌っている様子だ。
「やーほー! やーほー!」
歌声が近づいてくる。4人は馬から降り、木の影から様子を覗いた。1人の男性が、30頭ほどの羊たちを率いて歩いてきている。2匹の牧羊犬が、群れをはずれた羊たちを群れに戻していた。
「羊飼い……?」
「……恐らく、羊たちを外で遊ばせてきた帰りなのでしょうね。この近くのラストルという村へ帰るのでしょう。あの村は大きくて、酪農が盛んですから。歌っているのは熊除けでしょう。熊は割と臆病ですからね、人がいると分かれば逃げるらしいですよ」
「へぇ……」
「まぁ、あの人に声をかけても貰えるのは羊の毛くらいでしょうし──」
とにかく先へ、とルゼルトが口に出しかけたその時、気持ちよさそうに歌を歌っていた男性の叫び声が聞こえた。
「うわぁぁあ!?」
「!」
5人ほどの野盗が、最後方を歩いていた羊を剣で切りつけている。4人は思わず、影から飛び出した。
「アズ!」
「はい!」
アザンツは転移魔法を使い、傷つけれて連れていかれそうになっている羊を移動させた。
「エレナは羊の治癒を! アナスタシアは彼の側へ!」
「はい!」
突然森から出てきた自分たちに野盗は慌てている。相手がただの旅人でなく、転移魔法を使えると知ったためだろう。
「魔法使い……!」
「怯むなぁ! 俺たちの飯のためだ!」
「……可哀想だとは思いますが……」
ルゼルトは手のひらに力を込めた。ヒュオオ、と手を翳した先で風が渦巻く。
「はぁっ!」
渦巻いた風は、野盗たちの方へ向かい、5人を吹き飛ばした。暫くは気絶するだろうが、少し吹き飛ばされたくらいでは死なないだろう。
羊毛のおかげで怪我は大したこと無かったらしく、エレナは既に羊の治療を終えていた。
「……さて、大事ありませんか?」
「あ……あぁ、済まないな。まさかこんなところで野盗が出るとは思わなくてな……」
「…………」
「礼をしよう。何か……」
彼が言いかけた時、全員の腹から音がした。4人は気まずそうな表情を浮かべる顔を思わず彼から逸らしたが、羊飼いはケラケラと笑った。
「なんだ、空腹なのか! いいよいいよ、村まで来るといい。なにか奢ってあげるよ!」
正直街は避けるつもりだったが、このまま空腹で倒れても仕方ない。その言葉に甘え、4人は羊飼いについて行くことにしたのだった。
予想通り、男はラストルの村の出身で、平原の奥の方で羊たちを伸び伸びさせていたらしい。
羊飼いの男性はリヒトと言い、村の食事処まで連れていってくれた。友人がやっている店なのだそうだ。店の主人は話を聞くと、友人の恩人ならと言って、無償でスープとパンを用意してくれた。もちろん、城で食べたものほど美味しくはないが、食べられるのは非常にありがたい。
「ありがとうございました、助かりました」
「良いって。助けられたのは俺と羊たちの方なんだから」
「…………リヒト殿、お尋ねしたいことが」
「ん?」
「先程の野盗ですが……普段はこの辺りでは見ないのですか?」
リヒトは苦い顔をした。
「そうなんだよ! ここから南に行ったところの、ヨーレットって村があるだろ? 公爵家が持ってる辺境。あの付近を通る商人なんかはよく襲われるらしいけど……この辺じゃ初めてだ。そういう辺境に近づきたがる商人も今はいないだろうから、そのせいかな……」
「……どういうことですか?」
エレナが首を傾げると、リヒトは少し目を見開いて知らないのかいと言った。
「一昨日の朝、国王による魔女に対する一斉発令があっただろ? あれでピリピリしてるんだよ、ヨーレットとか、その辺は。商人が足を踏み入れたら魔女の変化と疑われて、身ぃ剥がれたりするらしい」
「そんな……地方にも兵士はいるはずですよ。呼び名が違うだけで兵士と騎士は違わないと聞きますが……そんなに魔女を警戒しているのですか? どこを狙うかも分からないのに」
「でも、優れた魔法使いは王都にいるんだ」
「!」
「大賢者ヤーフェに賢者ルゼルト……早く何とかして欲しいもんだぜ、まったく……」
食事を済ませ、挨拶もそこそこに彼らは街から出て、馬に股がった。
「……国内の状況も、芳しくないですね」
「ルゼルト様……」
「……気にしないでくださいエレナ。ここは王都じゃない。偽名を名乗ったのだし、私たちの身分も誰も知らない……愚痴の一つや二つ、覚悟の上です」
エレナは目を伏せた。エレナももちろん、王都とシエラヴェールがどうなっているかも知らないで、と怒鳴りたかった。だが、本当に叫び出してしまいたかったのは、ルゼルトの方だっただろうに。ふざけるな。国の政治の一端を担う立場でありながら、それを覚悟して生きてきた身でありながら、親代わりに育ててくれた祖父を助けることも、民の状況を己の目で確認することも出来ず、ただ逃げろと、杖を守れと言われておめおめと生き延びるのが、どれほど辛いのかわかるのかと──言いたかった。
だが、言えなかった。優秀な魔法使いは王都にいる──その通りだ。辺境が襲われれば……助けることが出来ない。
「……行きましょう、森で野宿になりますが」
森の中で寝て、翌日、夜明け前に起きて、また出発する──今はただ、西へ。魔女が、次に何か行動を起こすより先に、ワットルトンへ。
幸い、ラストルを出て少し進むと、川が見つかり、4人はできるだけこの川に沿って歩くことにした。
人のいない、時折小動物を見つけるだけの森の中を進む。たまに遠くに鹿が見えるが、こちらがそれに気づくと逃げてしまう。暫く魚料理だけで我慢するしかない。
──2日目の夜も、4人は野宿となった。ルゼルトがテントを作れるから良いものの、満足な飯を食えるわけでもなく、寝心地がいいとも言えない環境では、正直魔力の回復も遅い。その上、夜明け前から夜更けまで馬を扱っているのだ。早めの到着が望まれている。
寝る前、ルゼルトは蒼銀から報告を受け取った。
「王家へ送った瑠璃からの報告です。王家は魔女に見つかることを恐れ、ワットルトンにルゼルト様が向かっているという書状は出していないそうです」
「それは何よりです。良いご判断をなされた」
「それと、騎士団へ送った藤紫からの報告です。王都はあれ以来襲撃されていません。明日、騎士団は人員を割いて、シエラヴェールの城の瓦礫の撤去作業をするそうです」
「……分かりました」
ルゼルトは1度目を伏せたあと笑った。
「……ここの国にまた帰ってきて、魔女を倒せたら……その時は、祖父を丁重に弔いましょう」
蒼銀は、柔らかく笑って頷いた。
エレナは、テントから顔を覗かせてルゼルトと蒼銀の様子を見ていた。ぐっと唇を結んで、眉を下げる。自分が、ルゼルトの役に立てているような気がしなかった。結局治癒だって、羊に使っただけだ。
「…………」
こんなこと、今更後悔したって遅い。分かっている。分かっているのだが……。
「エレナ?」
ハッと顔を上げる。ルゼルトがエレナを見ていた。
「……眠れないのですか?」
「……はい、少しだけ……」
「明日の夕方頃にワットルトンに着きますし、当たり前ですよね」
くす、とルゼルトが笑うが、それに笑い返すことが出来ずにいると、ルゼルトは心配そうに自分を見た。
「……どうかしましたか?」
「…………ルゼルト様……私は……」
こんなこと、言っても仕方がないとは分かっている。それでも、彼女はそれを口にしてしまった。