ⅩⅩⅩⅦ
地下の練習部屋の方へ足を運ぶルゼルトに、エレナはただついて行った。こっちには練習部屋しかないのに、どうしてと思っていたら、ルゼルトが手を翳すと、行き止まりを示していた壁は消え、廊下が現れた。スレイドが見たのと同じだ。
「……こんなに深く続いていたのですね」
「ええ、地下はもうないものだと見せかけるため、魔法をかけていました」
言いながら、ルゼルトはランタンを魔法で呼び寄せた。練習部屋に置いてあるものだ。明かりをつけ、歩き出す。
「……エレナはシエラヴェールの過去を知っていますか?」
「……いえ、あまり……」
そうでしょうね、と言った後、ルゼルトは歩きながら話し始めた。
「シエラヴェールとは王の相談役……それは昔、それこそ国として成立した時からそうです。そして、まだ国家体制が整っていなかったころは……シエラヴェールが今の騎士団と同じことをしていました。罪人の確保だったり、市街地の見回りだったりですね。……罪人を確保していた場所が、ここです」
階段を降りて、地下2階。ズラっと立ち並ぶ鉄格子に、エレナは少し脅えているらしい。ルゼルトは空いている手でエレナの手を握った。
「2階と3階はこんな感じです。……この牢屋の中で死んで行った人も多いと聞きますので……苦手な人は苦手だと思います。特に……クタヴェートのような、心身の治癒魔法を得意とする、感受性が強い人は」
……中には、痛みを隠そうとする人もいる。そのために、どこに痛みを感じているか、どれほど疲れが溜まっているか、それを感じ取る魔法をクタヴェート家の人間は使う。それは確かに、クタヴェート家の人間が基本的に感受性が高いがためにできることだ。
歩き続け、3階に降り、さらに歩いて、4階へ続く階段前に来て、ルゼルトは立ち止まった。
「……4階は拷問部屋です。……手は引くので、目を瞑っていても構いませんよ」
「……い、いえ。見ます。騎士団とも関係ありますもの」
「さすがは、女子とはいえクタヴェートに生まれた自覚はあるな、エレナ」
後ろから聞こえた声に振り向けば、ヤーフェが歩いてきていた。祖父があまりここへ立ち寄ることはないのに、と言いたげな顔でルゼルトが彼を見る。
「お爺様……どうしてここに」
「お前こそどうてここにおる?」
「…………エレナに全てを話したら……精霊がやはり私の目を取ろうとしてきたのですが……突然やめて、可視化したあと消えたので……ルドルフに何かあったのかと思いまして」
「……そうか。儂もそうでな。市街地の様子を精霊に聞いていたが、突然なにかに気づいたように顔を上げると消えたのだ」
やはり、何かが起こったのだ。ルドルフは、寿命が来ない限り精霊の加護で死ぬことは無い。ここに閉じ込めて3年以上生きているのだ。
4階、そして5階の最奥。エレナは初めてそれを目にした。
「……!」
力の抜けた手足。半開きの口からは音が漏れ、左目はなく、右目だけはキラキラと魔眼が光っていた。
「これがルドルフです。精霊から魔力を貰っていますが、魔力が増えすぎるとルドルフはコントロールが出来ないので、定期的に押さえ込みに来ていたのですが……いつ見ても体制に変化がないので、やはり自力では動けないのでしょうね。世話は毎日メイドがしているのですけど……」
ランタンの明かりが揺れる。油切れか、と思ったその時、ヤーフェが周囲を明るくする魔法を使った。ルゼルトの持っていたランタンの灯りはついに消え、彼はその場にしゃがみこんで、眼帯を解いた。
きら、と宝石の瞳が光る。
「……返せば、いいのですか?」
「ルゼルト様……」
エレナが心配そうに声を出す。恐らく、彼女の心配はルゼルトだけを思ってのことではない。国のことも思っている。今……騎士団が割れようとしている今、シエラヴェールの体制が崩れれば、国はどうなるのか……それが分からない、それが怖い。エレナはスターレイターの次男に嫁ぐ予定なのだ。巻き込まれるに違いない。自分はどうなるのかも、不安なはずだ。
分かっている。シエラヴェールが崩れれば、マカレニータへの援軍どころの話ではない。彗星は、国の崩壊を意味するかもしれない。だが、この苦しみを、精霊の怒りを買い続ける訳にも行かない。
そっと瞼の上から魔眼に触れたその時、ルドルフの右目がカッと光った。同時に、その片割れであるルゼルトの瞳も同様に輝く。3人は思わず目を瞑った。
「……!?」
目を開けるようになった頃には光は収まっていたが……目を疑った。
「……こ、れは……」
ルドルフの周りに、とんでもない数の精霊が浮いていた。これが、ルドルフを守ってきた冷静たち。こんなに、たくさんの精霊がルドルフを認めていたのかと、ルゼルトは泣きたくなった。
「ルゼルト・シエラヴェール」
ふと、一匹の精霊がルゼルトに声をかけた。
「私たちは、ルドルフ様の御意に従い、貴方を次代の大賢者と認める」
「……、……は?」
意味がわからない。何を言っているんだ?ルドルフの意志に従い、認める?なぜ、精霊の決定権をルドルフが持っている?ただ、精霊に守られていただけのルドルフが?
「貴方はルドルフ様のことを何も知らない。あの御方には何も出来ないと、何か考えることも出来ないと、お前はそう思っていたな?」
「!?」
違うのか?頭では考えることが出来ていたのに、体が追いついていなかっただけなのか!?
「図星のようだな。では、聞け」
フォン、と精霊が結界を貼った。エレナとヤーフェは結界から弾き出されたようで、姿が見えない。精霊がルゼルトだけに聞かせようとしたのか、それとも、それはルドルフがそう望んだのか、それは分からない。
──兄上。
「! ルドルフ……なのか?」
──そうです、兄上。ようやく、お話できた。
「…………」
──僕、兄上にずっと、謝りたかった。父上と母上の興味を独り占めして、兄上を孤独にした。
「……そんなの、ルドルフが悪いわけじゃ……」
──でも、恨んでいたでしょう? おまけに、僕は魔眼まで手に入れてしまった。
「………………」
──兄上、精霊が魔眼を与える……ひいては、精霊を召喚し、使役できるようにする条件は、そう難しいことではありません。
──その前の魔眼を手に入れた人に、より愛された人がそれを手に入れるんです。
「──!!」
その前に魔眼を手に入れた人……それは2人の父親であるベネツェンタだ。そのベネツェンタが、長男を愛さず次男ばかりを溺愛していたがために、精霊は魔眼をルドルフに与えた──あまりにも簡単な答えだった。
──でも、僕は知ってのとおり、1人では生きられない。大賢者にはなれません。
──兄上、僕はもう消えます。
「え?」
──この国を、そしてシエラヴェールをお願いします。
「まって、待ちなさいルドルフ! 私は──」
──恨んでいたことを謝罪なんてしないでください。貴方はもう先程、僕に謝ったじゃないですか。
「違う! あれはただ、お前が哀れで──! 」
──それでも構いません。兄上、僕は兄上を愛しています。
──……さようなら。
それを最後に、結界が解けた。ルゼルト様、とエレナが呼びかけるので、少し顔を上げて驚愕した。ルドルフがいた場所には、白骨死体が転がっているだけで、思わず尻もちをついた。
「さ、先程……ルドルフ様のお体が光って、光が収まったら……精霊も消え、ルドルフ様はこのような姿に……」
「…………ルゼルト、ルドルフは何を話していた?」
「……ルドルフは……私に、両親の関心を独り占めしたと謝罪、そして……魔眼の開眼は、その前に魔眼を開眼した人が誰をより愛したかによるということと……それと、もう消えるから……シエラヴェールを頼むと……」
ヤーフェは少し考え込んだ後、溜息を吐き出した。ルゼルトはエレナの手を借りて立ち上がり、祖父の言葉を待つ。
「……そうか。ルドルフはあの時……3年前のあの日、既に死んでいたのだな」
エレナとルゼルトが、目を見開いた。……そんなはずがない。ルゼルトはあの日から弟が生きている様子を見ていたし、エレナは今日知ったに過ぎないが、それでも確かに音を発していた。
「流石ですね、大賢者様」
ふわりと、黄色い衣の精霊が姿を現した。精霊は、基本的に何匹でも使役できるが、その中でもその人に専属的につく精霊がいる。ヤーフェについている精霊は、この精霊だ。
「大賢者様、賢者様、あの日の真実をお教えしましょう」