ⅩⅩⅨ
「こ……これは……」
エレナはルゼルトの様子を見て言葉を失った。真っ青な顔色、荒い吐息、頬は痩せこけ、今は寝ているようだが目の下の隈が濃い。
「今は魔法で無理にでも眠らせている状態です……そうでない時は、ずっと痛みに呻いていて……こちらの声など聞こえていません。食事は、粥を与えていたのですが……大抵の場合飲み込めずに吐き出してしまう始末で、今は魔法で栄養を込めた液体を流し込んでいます」
アザンツが説明する。何がどうしてこうなっているのかは分からないが、とにかく目がその痛みの原因であることは間違いない。エレナはルゼルトの左目に右手を当て、魔力を流した。そして左手は心臓に当て、同じように魔力を流す。
ふと、ルゼルトの呼吸が少し和らいだ。久々に、呼吸が浅くない。
「……!」
アザンツとアナスタシアは目を見開いた。クタヴェートに優秀な女性は生まれない。だが……それはあくまで、男に比べれば、の話なのだ。
「……ルゼルト様、聞こえますか? 私です、エレナです。……気休めかもしれませんが、痛みを取りますから……少し待っていてくださいね」
優しく語り掛けて、彼女は癒しの魔法をかけ続けた。
やがてルゼルトは静かに寝息を立て始め、アザンツとアナスタシアはエレナに頭を下げた。
「クタヴェート、話には聞いていましたが、凄まじいですわね……」
「少し取り除いただけですから。…………それよりも、あの……」
上目遣いで彼女はアザンツを見る。言いたいことはわかっている、だが、ヤーフェは世に広めるなどと言ってないし、なにしろルゼルトが嫌がる。
「……アザンツ。少しなら宜しいのではなくて? せめて……ルゼルト様が休息を取らない理由くらいは……」
「…………」
アザンツとアナスタシアは昨日、ヤーフェから聞かされた。ルゼルトは天賦の才を持つ逸材として産まれたのではなく、そうなるように調節された子供なのだ、と。まぁ、そのくらいなら話していいかもしれない。精霊召喚が出来ないことと、アレのことについてはもちろん伏せて。
「…………エレナ様。……他言無用を約束してくださいますか」
「──ルゼルト様が小説を読んだり踊ったりするのが苦手なのも、そのために必要な器用さや頭の良さを、魔法のために使っているからなのです。休息を取らないのは、取らなくても魔法で調合した薬さえ飲めば事足りるから……けれど、ルゼルト様だって人形ではありません。心がある。だから、エレナ様といる時はお茶を飲んだりしてたのです。……エレナ様がいなければ、その時間すら消えてなくなる」
もっとも、左目が痛みを受けているのは別の理由だが、そこまで話す訳には行かなかった。
「そんな……ルゼルト様は、尊敬している大賢者様とお父上にそんなことをされていたのですか……!?」
「ルゼルト様本人すらも知らないことです。……知らない方が幸せだろうと思います……」
「……」
エレナは押し黙った。何も言えないのだろう。
「……私はまだ郊外のクタヴェートの屋敷にいますし、来年の秋季に成人し結婚しすれば、今のように自由が多い身ではいられません……今は何とか痛みを取り除いて癒しを与えましたが……いつもこうしていられるわけでは……」
「……いいですよ、気にしなくて……」
少し掠れているが、聞き慣れた声だ。ハッとしてベッドの方を見れば、ルゼルトがぼんやりと両目を開いている。
「ルゼルト様!? いつから起きて……」
「……アズが……他言無用だとか、言い出した時に」
……ヤーフェから聞いたルゼルトの出生がバレてしまったようだ。アザンツは深く溜息を吐き出した。
「起きてたなら言ってくださいよ……」
「……そういうことだったんだな……道理で、魔法以外何も出来ないわけだ……」
はぁ、とルゼルトは溜息を吐き出す。久々にまともな会話が出来ていた。
「……エレナ、もうお戻りなさい」
「え、でも……」
「アズはどうせ、お爺様に許可なんて取ってないでしょうし……というより、エレナがどうして王都に……?」
日にち感覚がないのだろう。エレナは夜会用のドレスを着ていたが、まだその理由を考えられるほど頭が起きてるわけでもなさそうだ。
「今日は王家が開催する舞踏会だったので……そこでアナスタシア様に話しかけられて……」
「……もうそんな日付でしたか……尚更悪い。人を待たせているのでしょう? ……アズ、送って差し上げろ」
「…………はい」
2人が城の門から出ると、待ってましたとでも言うように、1人の青年が顔を覗かせた。茶色い髪に灰色の目をもつ少年だった。ローブを着ていて素性が知れない。さすがにこの時期で真夜中なのだ。冷えるに決まっている。そう思うと、夜会用のドレスを着ていたままのエレナも肌寒さを感じた。
「貴方は……?」
「エレナ様をお迎えに行くようカルブ様とサピュルス様に命じられました、騎士団員のアルペンドです」
アザンツは咄嗟にアルペンドという少年からエレナを庇う体勢をとった。さすが10年ルゼルトの従者をしてきただけの事はある。この少年が騎士団員であるという確証がない今、エレナを素直に引き渡す訳には行かないと思ったのだろう。
「この方はクタヴェートのご令嬢、口で聞いただけでは引き渡せません。騎士団員である証拠、及びその命令を受けた証拠の提示をお願いします」
「命令についての証拠はありませんが……これでよろしいか?」
彼はローブを脱ぎ、騎士団員の制服姿になった。質素ではあるが、だからといって一般の民が入手出来るものではない。騎士団員とみて良さそうだ。だが。
「…………なぜ、スターレイターの方々に代わって一般兵が?」
「団長とカルブ様はまだ警備に回っています。サピュルス様も一時帰宅し着替えた後、警備を頼まれたとのことで」
「…………」
にこりと微笑む顔はあどけなく可愛いが、警戒心を解くことの出来ない人物だ。アザンツの本能が、この相手は危険だと警報を発している。
……とはいえ、このまま睨み合いしている訳にも行かない。自分も同行することを条件に彼女を引き渡すのがいいか。いざと言う時は、クタヴェートにすら及ばないがアザンツも魔法が使える。この条件を飲めないようであれば信用出来ない。
よし、と思ってそれを口に出そうとした時、別の声が乱入してきた。
「さすがだだの一般兵を簡単には信用しない。正しい行動をお取りになりますね、アザンツ殿」
「!」
やってきたのはカルブだった。彼は赤い髪を揺らしてニコリと微笑んできた。相変わらず飄々としているような態度でいるが、現在の状況下では気が抜けない相手だ。そもそもルゼルトが彼を苦手としているため、仲良くする気もないのだが。
「流石はシエラヴェール家の従者だ」
「カルブ殿……警備は終わったのですか?」
「今しがた。もっと用事は早く済むかと思っていたもので」
「あ……ごめんさい、こんなに遅く……」
エレナはぺこりと頭を下げ、カルブヘ近寄った。
「では戻りましょう。恐らく道中でサピュルスも来るかと」
「はい。サピュルス様にも謝らないと……:では失礼します、アザンツ」
エレナはアザンツに丁寧に頭を下げると、カルブと歩き出した。その後ろから、アルペンドと名乗った少年がついていく。
睨みつけるようにその背を見送り、アザンツは屋内へ戻った。