ⅩⅩⅤ
ルゼルトがベッドに突っ伏していた頃、エレナは嬉しさを胸にスターレイターへと帰って行っていた。クタヴェートへ帰る予定が明日で良かった。今日だったら、悲しいままで帰ることになっていただろう。シエラヴェールの美しい中庭を見ることも、ルゼルトに修復してもらえることもなく帰ることにならずに良かった。……だが、ルゼルトのことが心配になる──そしてゆるゆると頭を振った。もうあの人とは婚約者でもなんでもないのだ、考えたって仕方がないし、心配するような義理もないのだ。
そう考えようとしたし、実際その通りなのだが……自然と足が止まり、彼女は後ろを振り返った。シエラヴェールの白銀の城。この国で王城の他にある唯一の城。爵位を持つ中で1番ランクの高い公爵家ですら城ではなく屋敷で過ごしていることを考えれば、シエラヴェールは本当に特別だ。物心ついた時からそれが当たり前だと思っていたが……己は本当に、とんでもないところに嫁ぐ予定だったのだな、とエレナは唇を結んだ。そして、ようやくまた足を動かして、今度こそ振り向くことなくスターレイターへ帰っていった。
騎士たちは、市街地の見回りに出て訓練非参加の日と訓練に参加して見回りは非参加の日を繰り返している。といっても全員がいっせいにそう動く訳ではなく、騎士団の半分は見回り、半分は訓練、という風に動いているのだ。この日、アルペンドは市街地見回りの日だった。
アルペンドは16歳の少年騎士だ。通常見習いを卒業して騎士になれるのは成人してからと決まっているが、彼は明晰な頭脳と高い剣の技術を買われて去年見習いを卒業した。
彼のフルネームは過去、アルペンド・オーヌスタングと言った。オーヌスタング家は10年前まで準男爵家だったが、国家に対する反乱を企てているとあらぬ疑いをかけられ、彼は家族を処刑された。だが彼自身はまだ幼かったため、騎士団に身を寄せることを条件に処刑を免れた。
今でも彼はどうして親が処刑されたのか納得出来ていない。だが、とある噂を信じていた。
──その事件を引き起こしたのは他でもない、スターレイターである、という噂だ。いつ聞いたのだったか覚えていないが、親が処刑されてからそう年月は経っていなかったはずだ。
何故騎士団長家がそんなことをしたという噂が立ったのか、というと、その少し前、騎士団家は少しゴタゴタしていたのだ。現団長カルティアと元団長ラーヴェスの間での決定的な対立によるものだった。クタヴェートは中立を保っていた中、過半数の騎士たちがラーヴェスを支援し、当時騎士団との結び付きが強かったオーヌスタング家もラーヴェスを支援していたため、誰もがラーヴェスがまだ騎士団の統治を続けるものだと思っていた。
──しかし、それほどの支援を受けておきながら、息子のカルティアが対立する姿勢を辞めないことを察したラーヴェスは、自ら身を引いた。息子と和解できないこと、そしてラーヴェスを指示した騎士たちに非難された末心労に倒れ、そのまま世を去った。
その後、団長をカルティアに変わってすぐ、騎士団による各貴族家の屋敷の捜査が始まった。これは5年置きに行われるもので、もちろん結び付きが強いオーヌスタング家の屋敷も対象とされる。郊外にあるクタヴェート、王家は除外されるものの、大賢者家シエラヴェールも対象内となる大掛かりな検査だ。…………もっとも、シエラヴェールは都合の悪いことの隠蔽くらいおちゃのこさいさいなのだが。
さておき、10年前のこの屋敷捜査の際、新騎士団長のカルティアが、オーヌスタングの屋敷で王家に反逆する計画書を見つけたと言い出したのだ。当然アルペンドの両親と祖父母は否定したが、証拠は次から次へと出てきた。王家への不満を綴ったものであったり、緻密な計画を練ったものであったり、揃いすぎてるくらいだった。その上、準男爵家という爵位を貰っていながら、オーヌスタング家は円卓への参加を許されていないため恨みが全くないといえば嘘になる、ということもあった。
とはいえ、だ。揃いすぎているという点と、少し前の対立でオーヌスタングがラーヴェスに味方したというカルティアの個人的な恨みがあるのではないかと言う点から、今回のことはスターレイターが証拠をでっち上げて仕組んだことなのではないか、という噂がたった。カルティアの野心家なところは対立当初から目立ったため、騎士団をよく思わない貴族たちはスターレイターを怪しんだようだ。
普通ならここで、大賢者たるシエラヴェールが中立の立場を誓い、神の前で真偽を決定する──はずだった。しかしそうはならなかった。
というのも、伯爵家の一つであったパージー家、アザンツの生家で不祥事が起こったのだ。パージー家から嫁を貰っていたシエラヴェールはこの事の対処に忙しく、とても準男爵と騎士団の揉め事を仲介をしている暇などなかった。
結果、王家と貴族たちの話し合いにより、準男爵家は他にも多くあるが騎士団には代えがなく、国にとって欠かせない存在であるとして、オーヌスタング家の方が断罪されることとなった。また、騎士団が挙げた証拠が苛烈極まる内容であったため、不穏分子は排除すべきという貴族らの声のもと、アルペンドの両親は処刑され、子供だったアルペンドは騎士団に身を置くことになったのだった。
もちろん彼は、愛情深かった両親が悪かったなど思っていない。噂を聞いた時から、これは騎士団の策略だったのだと盲目的に信じている。……だが、自分一人ではどうにも出来ないと思っていたところに、都合よくエレナがやってきた。否、エレナが都合がいいのではない。都合がいいのは、彼にとっては全ての黒幕であるカルティアが、エレナが来たことで明らかに自分の息子達に対する態度を変えており、それに二人の息子、とくにカルブと騎士団員が不信感を顕にしている事だ。カルティアは絶対に失脚させる。その為ならば、クタヴェートの令嬢だって利用してみせる。
市街地の見回り中偶然見つけた、シエラヴェールからの帰路を歩くエレナを、アルペンドはじっと見つめていた。
夕方になって帰ってきたサピュルスは、驚いたようにうさぎの置物を見ていた。朝壊されていた置物は、何事もなかったかのように修復されている。
「これは……どうやって?」
「ルゼルト様に頼んできたのです。今はもう関係ないとはいえ、元は婚約者で、お優しい方ですもの。頼めばきっとと思ってお訪ねしたら、あっという間に治してくださいました」
「……そう、ですか……」
「……あ、ごめんなさいサピュルス様! あなたの前で前の婚約者の話なんて……」
「あ、いえ……気にしてません。ただ……その」
少し口ごもった後に、なんでもありません、と小さく口に出した。本当は、あの方は本当にあなたの事を愛していたのでしょうね、と言おうとしていた。だがそれを口に出して、エレナが気にしてしまったらどうしようという懸念が混ざり、結局出すことが出来なかった。エレナが気にしたって仕方がないことではあるのだが、何しろその置物が壊されてしまった時ですら一言も父を責めなかったような彼女だ。すごく優しい人なのだ。サピュルスも一般的に見れば優しい人に分類はされるが、それでもエレナがどんな言葉で何を気にしてしまうかは、彼にはわからなかった。