ⅩⅩⅣ
「…………」
エレナの願いはすぐに受け入れられ、彼女はルゼルトによって中庭へと案内された。
……相変わらず、とても美しい中庭だ。魔法結界の張られたこの場所では、四季折々の花が季節を関係なく咲き誇り、池は中心が噴水仕様で、虹がかかっている。睡蓮の隙間から綺麗な小魚が泳いでいるのが見て取れる。果樹もいくらか植わっており、栗鼠が枝の上で眠っている。いくつか掘られた穴は兎の仕業だろうが、景観を崩してはいない。池から細い川が流れていて、そこではメダカが泳いでいる。針葉樹も広葉樹も様々で、どれも青々と茂っている。
中庭の入口から中心までは大理石で道ができており、そこには屋根付きの椅子とテーブルが置いてある。2人はそこに腰掛けた。
「本当に……美しいところですね」
「……エレナは昔からここがお気に入りでしたね。綺麗な庭は本の次に好きなのでは?」
「ふふ、そうかもしれません」
以前のように笑いあっていたが、やがてルゼルトが少し視線を逸らした。やはり、彼は少しエレナを避けようとしているようだ。だが、どうしても頼みたい。なんて切り出そうかと考えていると、ルゼルトの方が口を開いた。
「……それで、用件というのは?」
「は、はい……これを、直していただけませんか」
そう言ってエレナは、麻袋をテーブルの上に置いた。ルゼルトが中身を見て、いくつかテーブルの上に出した。置物はバラバラに壊れてしまっているが、色合いや材質で、何となく庭に飾るたの置物だとはわかったらしい。
「これは……落としたのですか?」
「実は……」
エレナは事の顛末を説明した。
「……なるほど、そういう事でしたか。では今直しますので、少し待っていただけますか」
「すみません、よろしくお願いします」
「構いませんよ、これくらいならすぐに……っ、うっ……」
「! だんっ……ルゼルト様!?」
直そうとした瞬間、ルゼルトが左目を抑えて苦悶の声を漏らした。エレナが慌てて立ち上がり、彼の背に手を添える。痛みは一瞬だったようで、ルゼルトは少しすれば顔を上げた。
「……大丈夫ですか?」
「……えぇ、大丈夫です……すみません……」
ここに来てようやくエレナは思い至った。──政治的な婚約破棄とは、この左目に関係しているのではないか、と。エレナはルゼルトが精霊召喚を出来ないことは知らないが、左目がずっと魔眼状態になっていることは知っている。左目だけ開眼して、戻らなくなってしまったと聞いた。もしかして、エレナといる間は耐えていただけで、ずっと開眼状態にある副作用が起こっていて、それを治すために……などと考えていたら、ルゼルトは麻袋の中身を全部取りだし、修復魔法をかけていた。見事なものだ、元の形を知らないし、シエラヴェールとて別にその魔法の専門ではないのに、うさぎ達はあっという間に元通りになった。今は違うとはいえ、エレナの婚約者は正しく天才だったのだ。
「……! ありがとうございます、ルゼルト様!」
「いえ……もう壊されないようにしてくださいね。と言っても、カルティアももう壊そうとはしないでしょうが……」
言いながらルゼルトはうさぎ達を丁寧に麻袋に詰めて彼女に渡した。エレナは頭を下げ、二人は中庭を後に──しようとしたところで、エレナはもう一度振り返った。ここまででなくてもいい。あのそう広くも無い庭を、自分でどれだけ綺麗にできるか……期待と不安が胸にあった。その瞳の意味を少し勘違いしたルゼルトが口を開きかけて、やめた。庭を見に来たいのなら、いつでも……と、そう言おうとした。だが、エレナがここに来ているかもしれないと思ってしまっては、政治参加も魔法の修行も疎かになる。
「……エレナ」
戸を閉めますよ、その意味を正しく受け取ったエレナは、ようやく前を見て庭から出た。
門前で再度礼を述べてエレナは去っていった。その背が見えなくなるまでルゼルトは見送っていた。エレナが見えなくなると自室へと戻って行き、気が抜けてふらりとベッドに倒れる。
「ぐっ……」
ズキンと左目が痛むのを、シーツを握って耐えた。まだずっと痛むわけではないが、徐々に痛みの頻度は上がっていた。
3度目に精霊召喚に成功した時が初めての痛みだった。その時は突然の痛みに驚き、思わず蹲ってしまい、そこへ召喚した精霊が冷たく声を投げかけてきた。
「奢るな、人間」
「……!?」
「我々は貴様が強引に神の加護を受けたから仕方なしに貴様の召喚にだけ応じているに過ぎない」
「……従うつもりは、ないと……?」
「然り」
精霊の瞳は冷たかった。
「貴様が神の加護を強引に受けたうえ、その魔眼を酷使することでようやく我々を一匹呼べているだけなのは当然のこと。我々はシエラヴェールの跡継ぎとして貴様を認めていない」
「!!」
「他に方法がないなら今のやり方に従うがいい。だがその魔眼は痛みに侵食され、貴様は普通の生活もままならなくなるぞ」
「待って、待ちなさい! あなた方が……精霊が私を認めない理由はなんです!」
「それも分からぬか。……貴様には大切なものが足りない。それだけだ」
精霊はそう言い残し、消えた。それ以降、ルゼルトは半ばやけになってアナスタシアを抱いている。エレナが来た時寝起きだったのもそういう理由だ。
……それにしても、痛みの侵食の速さが尋常ではない。……あの精霊の忠告を受けてなお、無理やり精霊を召喚しようとするせいだろう。いつも成功する訳ではないし、やはりすぐに消えてしまうが。
──罰だろうか。そんな考えは否定したかったが、出来なかった。
ともあれ、寝てる場合ではない。グッと体を起こし、まだふらつく頭で地下へと向かった。しっかりせねばと言い聞かせ、何とか足を運ぶ。
精霊に忠告された場には、祖父とアザンツがいた。アザンツは何度も、もうこんなことはやめるべきだと進言した。精霊がルゼルトを認めない理由が『アレ』ならば、『アレ』はもう処分するべきだ、精霊もきっと分かってくれる、何よりルゼルトの体が保たないと言ったが、ルゼルトもヤーフェも聞き入れなかった。そんなことをして精霊が今後一切シエラヴェールの召喚に応じない方が怖かったのだ。
「っ、はぁ、はぁ……」
階段を下るだけで息まで切れてきた。ずきん、すぎんと鈍い痛みが続く。階段を降りきったところで足がもつれ、その場に転んだ。
──私、私は──……
……しぬのか?
そんなことを考えていたら、ずる、と、なにかに体を引きずられた。どこを持って引きずられているのか分からない。誰が引きずっているのかも。……アズ?いや、アズは自分の体を引っ張るわけがない。アザンツどころか、ここにいる誰も、そんなことはしない。体はどんどん、地下の奥へと引きずられていく。危機感を感じているのに、意識が朦朧として起き上がることが出来ない。
ずるずると引きずられていく。やがて、頭が床につかなくなった。階段だろうかと感じた時、誰かの声がはっきりと声が聞こえた。
「死ね」
蹴飛ばされ、頭から落ちる。
「う、うわぁぁぁぁぁあああっ!?」
まずい、と思うと同時にようやく体が動くようになり、声も出た。ガバッと起き上がると、ベッドの上にいた。少しして、夢だとわかり脱力感に襲われる……どこからが夢だったのか分からないが。溜息を吐き出した時、カチャリとドアが開いた。アザンツが入ってきて、起き上がったルゼルトを見て安心したような顔をした。
「お目覚めですか」
「アズ……。……私はどこで寝ていた……?」
「その記憶もないのですか!? 左目抑えてベッドに突っ伏していたんですよ!」
「…………そこから夢だったのか……」
「もう夕方ですし、食事は粥を用意して貰っているので、食べたらゆっくりお休み下さい」
そんなに寝ていたのかと項垂れる。あぁ、もう、自分には本当に一刻の猶予だってないのに。
『貴様には大切なものが足りない』
大切なものとは、一体何なのか……それすら分からない。正体がわからなければ、手に入れることも出来ない。あぁ、本当に……憂鬱だ。