ⅩⅩⅢ
翌日、今日はどうするのかとサピュルスがエレナの部屋に顔を見せに行くも、既にエレナはそこにおらず、代わりにジェシーが布団を整えていた。
「……ジェシー、エレナ様は……」
「エレナ様はお庭にいらっしゃいます」
「庭に……?」
小首を傾げながらサピュルスは庭へ向かった。庭と言っても、申し訳程度に少し色々植わっているだけだ。花なんて育てても誰も見ないし、果実を育てるには肥料がいる。本当に、水さえやれば勝手に育ってくれるようなものだけ。彼女は、そんな庭で何をしているのだろうか──そう思いながら顔を覗かせると、婚約者は小さな観賞用の木の根元の近くに蹲っていた。手には小さなうさぎの置物を大切そうに持っている。
「……エレナ様」
彼女は驚いたように振り向いた。配置を考えるのに夢中だったのだろう。
「ごめんなさい気が付かなくて……おはようございますサピュルス様」
「いえ……その、それは?」
「あ、これは……昨日買ってきたのです。あまりにも庭が寂しいと思ったので……置物があればいいかな、と思って。勝手にごめんなさい」
「……いえ、お気になさらず」
少し、安心した。彼女は退屈な騎士団の暮らしに、我慢して我慢して我慢し続けて、やがて何も感じなくなってしまうのではないかと思ったが、彼女なりに楽しさを見つけて、ストレスの発散口になることがあるなら、それに越したことはない。
「庭は……好きにいじって大丈夫ですので。花でも、なんでも……お好きに植えてください」
「ありがとうございます。……でも植物は結婚してからにしますわ。たまにここに立ち寄るだけではお世話できませんもの」
「世話は女中に任せれば……」
「いいえ、やらせてください。シエラヴェールにいた頃は女中がやっていましたが……私も興味があるので」
「……分かりました。ええとそれで……今日も……ここに?」
「そうさせていただきます」
少しそこは残念だが、それは隠してサピュルスは去っていった。口元がにやけそうで、手で口を覆い隠した。来年の春には、愛しいエレナが、この何も無い殺風景な庭を、華やかにしてくれるだろう。花の中でわらう彼女はどれほど美しいのか、その時が楽しみで、仕方なかった。
「えっ、エレナは今日も砦へは来なかったのか?」
「えぇ、まぁ……あ、何かエレナ様に御用でしたら承りますが」
カルブに言われ、スレイドは言葉に詰まった。エレナには一応、昨日の王たちとの話をしようと思っていたが、カルブを通す訳にはいかない。
「いや……折角王都に身を寄せているのに2日連続で来ないなんて」
「仕方ないでしょう、女性には退屈でしょうから」
「すまないな……それにしてもエレナは屋敷で何を?」
「さぁ……サピュルスが言うには、庭を少し飾り付けていたそうですが」
……なるほど、恐らく持ってきた本も読み切ってしまったのだろう。まぁ、暇を持て余すよりはいいかもしれないが……そう聞くと、彗星について話したくなくなる。女なのだ、軍がどうこうとかの揉め事に巻き込みたくはない。
「そうか……まぁ、やることがあるならいいんだが。しかし勝手に庭を弄ったりして、カルティアは怒ったりしないか?」
「はは、まさか父上もそんなことで怒ったりしないでしょう。スレイド様は心配性ですね」
言われてしまい、スレイドはバツが悪そうに頭をかいた。…………が、その心配は、現実となるのだった。
朝、エレナは呆然として壊された兎の置物の前に立っていた。カルティアの顔は青ざめ、サピュルスは不安そうにエレナを見ている。
事の発端は昨日の夜、湯浴みを終えたカルティアが、特に意味もなく庭を目にしたことだった。カルティアは特に庭がどうなっているのかなど興味がなかったが、うさぎの置物があるのはさすがに不自然だと思ったそうだ。そして、ここで二人の息子を呼びこれは何かと尋ねればよかったものを、まさかエレナが置いたものだとは思わず、騎士団家に似つかわしくないとして叩き割ってしまったのだ。朝になってエレナが気づき、ただでさえ童顔で大きな目をさらに大きく見開いていた。そして、サピュルスがエレナに今日はどうするか聞きに来て、兎の置物が壊れていることに気づき、直ぐに父がやったのだと直感し──今に至る。
「もっ……申し訳ございません! まさかエレナ様が置いたものだとはっ……お、おいくらしたものでしょうか、今すぐ弁償を……」
「……お金はいりません。これは貰ったものですから……こちらこそ、勝手に置いてすみませんでした」
エレナは1度頭を下げると、その場にしゃがんで欠片を拾い始めた。ハッとしたサピュルスがしゃがみ、エレナが手を出さないように制する。
「触ると危険です。俺が拾います」
「あ……すみません、ありがとうございます」
「いえ…………父上、先に砦へ。騎士たちが待ちぼうけしてしまいます」
「だ、だが」
「ただし俺は休みをいただきます。……エレナ様、新しいのを買いに行きましょう。騎士団の責任として、俺がお支払いします」
「えっ……」
嬉しい申し出ではある。責任を取ろうとしてくれているのもわかる。だが、エレナにとっての問題はそこではなく、あの店主の優しさを壊されたのが悲しかった。それに、エレナはあの店主の心に報いようと、大切にすると言ったのだ。カルティアの許可を取らなかった自分が悪いのだが、それでも何も聞かずに壊さなくてもよかったではないかとも、思う。そんなことを口に出せば、カルティアは大慌てしそうなため、言うつもりはないが。自分では、というより、クタヴェートの人間は人や動物を癒すことは出来るが、壊れたものを治すのは専門外だ。何とかならないか、と考えていると、ふと一つ思いついたことがあった。
「……いいです。あ、ごめんなさい、サピュルス様と出かけるのが嫌なのではないのですけど……少し、行きたいところが出来たので、1人で行かせてください」
「エレナ様……。……分かりました」
「あとその破片、麻袋に入れて貰えますか」
「すぐに」
言葉のとおり、サピュルスは麻袋に置物の破片を入れた後、屋敷を去って砦へ向かった。エレナは、普段出かける時のように町娘の格好になる。
「お嬢様、その置物が壊れたショックは分かりますが……本当に行くつもりですか?」
「えぇ。それに、直してもらうだけじゃないわ。……もう一度、綺麗な庭を見たいの」
エレナは微笑み、ジェシーに手を振って屋敷から出ていった。
目的の場所につき、二人門番の顔を見ると、二人は予想通り厳つい顔をして手に持っている槍で道を塞いだ後、ハッとしてその槍を退かした。
「エレナ様? 一体どうしてここに……」
「お久しぶりです。その……だんなさ、いえ、ルゼルト様にお願いがあって来ました。……呼んでいただけますか」
「はぁ、分かりました」
エレナが来たのはシエラヴェールの城だった。門番の1人が中に入り、ルゼルトを呼びに行ってくれた。エレナの顔はまだ覚えていてくれたようで、少し安心した。
しばらくして、コツコツとブーツの音を響かせてルゼルトが姿を見せた。寝起きだったのか、まだ寝癖が着いている。
「エレナ……どうかしましたか?」
「突然ごめんなさい、ルゼルト様……」
そしてエレナは、懇願するような目でルゼルトを見た。
「……中庭でお話できませんか?」