ⅩⅩⅠ
「どうしたのですか、何故ここに……」
「エレナ様こそ、その格好……如何なさいましたの?」
ハッとエレナは自分の服を見た。そうだ、町娘の格好をしていたのだった。
「ええ、と、これは……その……」
「……ふふ、隠さなくてもいいですわ。貴女、街に買い物に行くの好きですものね。でもお一人では危険ではなくて?」
「うっ」
それはその通り、だがジェシーはきっとこの家出のメイドの仕事を覚えるのに忙しいだろうし、自分の都合で連れ出すのも申し訳ない。庭に飾りがあったらいいのではないかと思ったということを素直に打ち明けた。
「ふふ、なるほど。たしかに騎士団長家は少し無骨ですわよね」
「……アナスタシア様はどうしてこちらに?」
「私は少しこの家のメイドに用事が。マヤという方をご存知?」
「えっと……ごめんなさい、この家には来たばかりでまだ……」
「ふふ。当たり前でしたわね、こちらこそごめんなさい……あら」
ふとアナスタシアが視線を動かしたのに反応し、エレナは後ろを振り向いた。そこには、この家の使用人の服を着た女性が立っている──マヤ、というのはこの女性だろう。アナスタシアに声をかけるかと思いきや、彼女はエレナに声をかけてきた。
「エレナ様? その格好は……」
「あっ! いえ、これはその、ええっと……」
「見逃してあげてマヤ。この子は街に行くのが好きなのよ。1人で出かけようとしていたところに鉢合わせたの」
「なるほど……しかし一人でお出かけさせる訳には」
「貴女との話が終わったら私が連れていくわ。それでいいでしょう?」
「……私は構いませんが……」
問題はエレナの付き人であるジェシーの許可だ、と言いたげな目だ。仕方ない、ジェシーに黙っていかず許可を取ろうとエレナはバレないように溜息を吐き出した。
「エレナ様は私と一緒で宜しくて?」
「え? ええ、私は構いません」
「じゃぁ、そういうことにしましょう。私はマヤさんと話をしてきますので」
アナスタシアはにこりと笑った。
「アナスタシア様と……?」
エレナが話すと、ジェシーは訝しげな顔をした。当たり前だろう。エレナはルゼルトの元婚約者、そしてアナスタシアはルゼルトの妻だ。アナスタシアのことはエレナが話すため知っているし、悪い人でないことは確かだと思うジェシーとはいえ、複雑な間柄のエレナを連れていこうとはどういう見解だと思うのは当たり前のことなのだ。
「ねぇ、お願い、いいでしょう? 何度も話しているけど、アナスタシア様は私とルゼルト様が街を出歩いていると高頻度で会うのよ、街には慣れていらっしゃるはずだわ」
「お嬢様、私が心配しているのはそこではなく……」
──アナスタシアがエレナに優越感を著しくアピールして来るのではないか、という点だ。もっとも、エレナはアナスタシアと違い、ルゼルトに恋していたわけでは無いため、優越感アピールをされたところで気にしないのかもしれないが、それでも気分を害することがあってはどうしよう、と思うのだ。仲のいい従者として、それは避けたい。
しかし、だ。エレナは事実、目に見えてこの家に退屈している。シエラヴェールのような綺麗な中庭もない、お茶の時間もない、一緒に出かける人もいなければ、スターレイターの女中たちはエレナの話し相手にもならない。シエラヴェールの女中たちは、エレナが赤子の頃から顔見知りであるため、しばらく雑談をしてくれたものなのだが。……退屈がすぎて婚約を後悔してしまうよりはいいか、とジェシーは頷いた。
「……分かりました。しかし、団長家の皆さんが帰るまでにはお戻りになってください」
「えぇ! ありがとうジェシー!」
エレナは門まで駆けていった。
エレナが門に戻った少しあとに、アナスタシアは来た。
「エレナ様。了解を貰えたのですね」
「はい、何とか。アナスタシア様もお話は終わったのですか?」
「はい、少し用事があるだけでしたもの。さ、行きましょう」
2人は姉妹のように門から出ていった。
「庭に置物となると……アンティークショップでしょうか?」
「そうだ、エレナ様、私素敵な雑貨を売ってる店を見つけましたのよ、そこに行ってみましょう!」
エレナが案内してくれたのは、ちょっと入り組んだ道の先にひっそりと佇む店だった。独特の雰囲気だが、何だか不思議と落ち着いた。何かしらの結界魔法の効果がかかっているのかもしれない。
「御機嫌よう、おばば」
「おや、久しぶりねぇアナスタシア。貴女、結婚したんじゃなかったかい?」
「あら、知っていたのね。今日はちょっと抜け出してきたの。内緒よ?」
アナスタシアが店の奥に声をかけると、店主らしき老年の女性が姿を見せた。かなりの年齢なのかしわくちゃではあるが、親しみやすそうな優しい顔をしている。
「……そちらのお嬢さんは?」
「エレナ様よ。クタヴェートのお嬢様」
「あんれまぁ! そんなやんごとなき人を連れてきていいのかい」
「貴女の店はとっても素敵よ、おばば。きっとエレナ様も気に入りますわ」
店の棚には、人形、ぬいぐるみ、ほんの形をしたケース、剣の模型、なにかの儀式に使うらしき仮面、ガラス細工、装飾品、カトラリーなどが所狭しと並べられている。エレナは口を開けて上の方まで見渡している。すっかり魅了されているようで、アナスタシアと店主の声は聞こえていないようだ。
「何かお気に入りのものはありますかしら?」
アナスタシアが聞くと、エレナは少し悩んだ後に、上の方を指さした。
「梯子はありますでしょうか? あの置物がとても可愛いので……」
「梯子がなくても問題はないよ、どれ……」
店主はそう言うと、指で虚空に文字を描いた。魔法だ。エレナが欲しがった置物はふわりと浮くと、エレナの手の上に着地した。陶磁器でできている兎の置物だ。大きいうさぎが1匹、小さいのが2匹、それに加えて人参が備えられている。
「おいくらかしら」
「そうさね……いいや、折角クタヴェートのお嬢様が来たことだ、それに、あまりそれが売れることはなくてねぇ……タダでいいよ、持っていきな」
「ええっ!? そんな、あまりにも申し訳ありませんわ、払わせてください!」
エレナが焦って少し詰め寄るも、店主は微笑んでいる。そして彼女は言った。
「お嬢さん、あたしはね、もう80過ぎてんのさ。旦那はもう10年も前に死んだし、子供は40年前くらいに、戦争で死んでね……」
「…………」
「こんな老いぼれが金なんて貰ったってしょうもないことさね。可愛いお嬢さんが気に入ってくれて、その置物も嬉しいだろうさ。貰っておくんなよ」
エレナは少しの間逡巡したが、やがて頷いた。
「ありがとうございます。大切に致しますわ」
「あぁ、ありがとうさん」
置物を麻袋に入れて店から出てから、エレナはアナスタシアに礼を述べた。
「いいお店を教えてくださってありがとうございます。……でも本当に良かったのでしょうか、タダなんて……」
「ふふ、元々あのお店、店主の気分で値段が変わるお店ですもの。気にしなくても大丈夫ですわ」
くすくすとアナスタシアは笑う。エレナも釣られて笑った。
「……あの、アナスタシア様はスターレイターの方となんの繋がりが……?」
「あぁ……うーん、そうですわね……次お会いする時にお話しますわ」
「はぁ……」
首を傾げるエレナに、アナスタシアはまた笑う。ルゼルトに見せるような妖艶な笑みでなく、年相応の笑みだった。
2人はスターレイターの屋敷まで帰り、そこで別れた。次会うのがいつになるのか、分かっているような口振りだった。考えてもその理由はわかるまいと判断したエレナは、それよりも早く着替えてしまわないとと、急いで部屋に戻った。