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帝国歴二六〇年 瑠璃月(一二月)。
租税の徴収はイレーナが万事滞りなく、在庫管理から帳簿管理まで完璧にこなしてくれたおかげで、去年に比べ労働時間が劇的に減っていた。
おかげで、せっせと夜のキャッキャウフフと嫁孝行しつつ、昼間は怪しげな頭巾を被って、ゴシュート族は香油の訪問販売に混じり、エラクシュ家の家臣の家々を訪ねる。
香油売買の元締めという肩書きである。けして、越後のちりめん問屋のご隠居様じゃない。
ステファン殿が頑張ってくれたおかげで、クライスト陛下から調略対象者の所領安堵の勅許を得てくれた。
けど、所領安堵には条件が付いている。
それは、リヒト・フォン・エラクシュ及びアレクサ王国派の首。
領地を認めて欲しいなら、裏切りの証拠を自分たちで挙げろということらしい。
まぁ、あの陛下のことだから、ただ裏切るだけじゃ許してもらえないと思った。
その点もすでに織り込み済みだ。この世界は実力のみが自らの命を守れる世界。
酷いと思うだろうが、ここは現代日本じゃない。油断すれば、俺の首だってさっくりと飛ぶ。
非情だといわれても、嫁たちと暮らすためなら、俺は戸惑ったりしない。
なので、地元派の首魁であるニコラス・ブラフに会いに来ていた。
爵位こそ持っているが、地元採用のため騎士爵であり、領地も持たないが、地元の有力者たちに顔が利くため、家中での発言力は高い。
そんな彼が、リヒトを裏切るとは思わなかったが、やはり周囲からこの状況を不安視され、そのことをリヒトに諫言したら、出仕停止を下されていたのだ。
「ニコラス殿、お初にお目にかかる。アルベルト・フォン・エルウィンです」
「!?」
俺を香油売りの元締めだと思っていたニコラスが目を見開く。
当然だ、境を接する隣の領で争っている相手の家臣が目の前にいるのだから。
「驚かせて申し訳ありません。内密にお話したいことが、ありまして……」
「黙れ! 敵と話すことはない! 命は取らぬから出ていけ!」
まぁ、当然の反応。
事前に掴んでいたニコラスの性格を考えれば分かりきった反応だ。
「此度はニコラス殿に是非聞いて頂きたいお話がありまして」
「うるさい! 出ていけ」
とりつく島もないほど、冷淡な態度である。
さすがリストの一番手に上げた男だけのことはある。忠誠は厚いようだ。
だが、俺が欲しかったのは俺に会ったという事実だけだ。
「なにとぞ、俺の話を聞いて下さい。ニコラス殿にはけして悪い話ではありません」
平伏した俺は、家の者に聞こえるくらい大きな声を発する。と、同時にニンマリしていた。
大事なことなので、もう一度言う。俺が欲しかったのは、『ニコラスが俺と会った』という事実だけだ。
「出ていけ! これは最終警告だ! 出なければ首を討つ!」
「わ、分かりました。首を討たれて敵いません。此度は退散させてもらいます。ですが、またいずれ近いうちにお目にかかるかと思います」
「なにを馬鹿なことを! この私が敵国の家臣と会うわけなかろうが!」
調略は、調略だけでなく、謀略も混ぜると劇的な効果をあげる。
すでに何名か地元派の家臣が内応を約束しているが、未だに態度を決めかねている者もいた。
そんな奴らの耳に『ニコラス殿も我らに面会している』って囁くわけさ。
あとは相手が勝手に想像してくれる。俺は事実しか言っていないしな。
その噂が地元派の家臣に知れ渡れば、いずれリヒトも噂を捕捉するだろう。
そうなれば、元々、リヒトに諫言して嫌われているニコラスの立場はもっと追い込まれるはずだ。
そして、窮したニコラスはこちらの手に落ちる。
タイミングだけ間違わないようにしないといけない。
ニコラス始め、リストに入れた奴らは、その後の領地経営に必要なんで、なんとしても助けたい。
リスト外のは残念だが、謀略の生贄として使わせてもらうつもりだ。
これも世の習い。俺もだんだんと修羅の世界に染まってきている。
生き残るためとはいえ、地獄に落ちるかもしれんな。
あー、嫁たちとくんずほぐれずイチャイチャしてぇ。おらぁ、天国さ逝きてぇだ。
っとまぁ、嫁との夜の性活(間違え生活)は順調でついにマリーダが解任した。
ちがう、喜びすぎて誤字を書いた。懐妊だ。懐妊。マイベイビーを授かったぜ。
これには、エルウィン家の全員がお祭り騒ぎ、家老のブレストも『産まれたら、ワシが直々に武芸を仕込んでやる』って鼻息荒く喜んでいたが、女の子だったらどうすんのさ?
いや、マジで女の子だったら、絶対にマリーダの二の舞をさせないために武芸はやらせないし、嫁なんか出さないからね。
『お嬢さんを嫁に下さい!』なんて、男が挨拶しに来た日には帰り道で謀殺しちゃうよ。
娘であれば『パパと結婚するー』を地で行ってやる。
「マリーダ、でかしたな。ここに私の子がいるんだね」
「ああ、そうじゃな。月のものが二か月来なかったからリシェールに言ったら医者がかっ飛んできてのぅ。懐妊したと告げられたのじゃ。だから、しばらくはアルベルトの夜のお世話はイレーナたちにお任せして、妾はアルベルトの大事な子を無事に産むことに専念じゃ」
「ああ、そうしてくれ。アシュレイ城に居る時は、毎晩、俺がマリーダの身体のむくみを取るマッサージしてあげるよ。それに護衛もゴシュート族に付いてもらうから安心してくれ」
「すまぬのぅ。いくさの前の大事な時期に」
「いや、これは大事なお務めだよ。私の子を産んでくれるという大事な務め。マイベイビーも大事だけど、マリーダも身体には細心の注意を払ってくれよ。私の傍から居なくならないでくれ」
「アルベルト……」
「いやぁ、それにしても俺とマリーダの子はどっちかなぁー」
マリーダの懐妊に、喜び過ぎた俺。ずっとマリーダのお腹に耳を当てているのだ。
眼前では、エルウィン家の面々が子孫繁栄の祝いと称し、筋肉自慢コンテストを始めたが、脳内にまったく入ってこない。
筋肉より、マイベイビーの方が大事。
そんなこんなで、当主の懐妊祝いに明け暮れるエルウィン家だったが、年も暮れかけた頃になると、ニコラス効果で内応者も増え、リストから漏れた内応者を謀略の生贄に差し出し、リヒトを疑心暗鬼に陥らせていた。
すでに内応を許諾した地元派家臣は一〇名、そのうちリストから漏れた三名の名が『偶然』、アレクサ王国派に捕捉されてしまう。
世の中、不思議が溢れている。内密に進めているはずの調略者リストが敵の手に落ちるとは。うーん、残念。残念。
偶然、敵が手に入れた内応者の偽リストに載った三人が城内で謀殺されると、俄かにニコラスの尻に火が付いた。
なぜかって? そらぁ、謀殺された三人は拷問でニコラスの名を出したからだろうさ。
ちなみに犠牲に捧げたのは、優先リストの載せた者より能力的に見劣りする者で、しかも内応の答えを先延ばしして日和見した三人だ。
即断できない奴は裏切ったあと、処遇に不満を持って裏切り直す可能性が高い。
逆に内応に即断できる奴は、家や主君に愛想を尽かしている奴で、新天地での躍進を求めてる奴らだからだ。
そんなやつらにはキッチリと仕事を与え達成した際、褒美や権限を与えれば、新たな家に忠誠を誓ってくれるだろう。
私が裏切り者を信用するのかって? 彼らは裏切ってないさ。今回の場合、裏切ったのはリヒトの方だな。
地元派はエランシア帝国領でいたかったのに、トップが勝手に鞍替えして、自分たちの身が危なくなった。
全てはリヒトの独断が招いたことだ。
アルカナ城内はギスギスした空気で新年を迎えることになるだろう。







