№8 ツンデレ女剣士が俺の弟子になってしまった!
高校二年の歴オタ主人公・田島錠は幕末にタイムスリップし、「未来から派遣されたターミネーターによる歴史改変の阻止」という途方もない任務を背負わされてしまう。
どんな素人でも剣の達人になれるオートマチック・オペレーション・ソードを手に、新撰組の剣客・沖田総司から気に入られて何かと手助けを受けるようになった錠は、仲間になったツンデレの女剣士・那奈、爆乳の岡っ引き・お涼、クールな密偵・マキと力を合わせ、幕末の京都に潜む凶悪な敵を探し出し、地球を救わなければならない!
額がズキズキする……。
目を覚ますと、俺は物置部屋で布団に寝かされていた。額には、水を絞った手ぬぐいが当てられている。
「おお、棟田様、気が付かはりましたか!良うおした〜〜〜〜」
枕元で俺の顔を覗き込む茂平が安堵のため息を漏らし、妻だと紹介した同年輩のお文と笑みを交わした。
茂平に支えられて上半身を起こすと、彼の後ろにはすでに着物を身に着けた女剣士が正座して小さくなっている。
手ぬぐいを取って額を触ると、ズキンと響いた。大きく腫れているようだ。
「タライが当たって、気を失うてはったんどすわ。それで、えらい大きなでんぼが。手前がきちんと部屋まで案内して、こちらの方に相部屋のお願いをしておれば、こないなことには。ほんまに何とお詫びしてよいやら……」
「あられもない姿を見られて頭に血が上り、てっきり暴漢か盗っ人の類かと……私の方こそ、面目次第もございません!」
女剣士は、小さくなった体をさらに丸める。
「いや、俺だって、中に声かけてすぐに扉を開けたもんだから。こっちも悪いんです。だから、気にしないで……痛ててて」
騒動が取りあえず収まり、茂平とお文が出て行ってからも、俺と女剣士の間には微妙な空気の中で沈黙が続いていた。
俺の脳裏には、まだ目から火の出るような彼女の裸体画像がこびりついて離れようとしない。彼女の顔を見れば、その映像がますます肥大化していきそうで、自ずと伏し目がちになってしまう。
「「あの……」」
二人が同時に口を開き、その後互いに譲り合った末、まずは俺から名乗ることにした。未来から来たなんて言える訳もないから、通行手形に書かれている偽りの個人情報を基に、少しは脚色をしつつ……。
「俺はたじ……じゃなくて、棟田万太郎。こんな格好をしてはいるけど、江戸から出てきた浪人なんだ。相模の出身で、家は代々の浪人。両親は早くに死んだから、身寄りは一人もいない」
「あの剣の腕を見れば、あなたは正真正銘の武士、しかも若いのに相当な修練を積んだ剣客だということはすぐにわかりました。私も同じ、剣の道に生きる者。三好那奈と申します」
「同じ剣の道?」
「私の実家は、江戸開府以来、上野国(群馬県)の片田舎に居を構える剣道場。と言っても、門弟は近辺の百姓や町人ばかりなのですが、祖先の三好一石斎が創始した心頭飛電流剣術を今に至るまで伝えてきました。私は当代の道場主・三好左衛門の一人娘。幼き頃より天子様を尊ぶ父の薫陶を受け、剣の道の修業に励んできましたが、黒船の来航に端を発する神州の大きな混乱に常々心を痛め……尊王攘夷の志を持つ多くの士が都へ上って天子様をお守りし、お支えしていると風の噂で聞き、居ても立っても居られず、その一助になるべく父を説き伏せ上洛したのです」
「一人娘なんでしょ?お父さん、よく許してくれたね」
「父は元々尊王家。それに道場を高弟ではなく、将来私に継がせる心積もりですから、諸国を行脚し、他流派の剣を学ぶのも一人前の剣客へと成長する大きな糧になるだろうと、最後は快く送り出してくれました」
「そっか……那奈さんはそこまでの心構えとお父さんの期待を背負って京の都に」
「父以外の相手に負かされたのは、あなたが初めてです。真剣で勝負を挑みながら命を助けられ、しかも此度は私の軽率な振る舞いで斯様なひどい目に遭わせてしまい、容易にはお返しできぬ負い目があるあなたに斯様なお尋ねは無礼でしょうが……それでも聞かせてください」
「何を?」
「あなたほどの剣客が、どうして尊王攘夷に味方してくださらないのですか?茂平殿の話によれば、あなたは新撰組に加担して三人もの志士を打ち負かし、捕縛の助勢をしたとか。何故に?」
「俺は、尊王攘夷に反対してるんじゃないし、志士を敵だとも思ってないよ」
それは、本心だ。だって、この当時、過激な尊王攘夷運動が起こっていなかったら、開国を求めてきた列強諸国はもっと強引に内政干渉して日本を植民地化するか、自国領に組み込む侵略政策を推し進めたはずだから。
「それはまことに?」
「そもそも、尊王って、幕府の姿勢に異を唱える人たちの専売じゃないんだよ。幕府だって、幕府側に立つ諸藩や新撰組ですら、帝を敬う尊王思想を持ってるんだから。それに、攘夷と相対するのが開国だと思ってる人も多いけど、開国派の人たちだって、その究極の目的は攘夷にあるんだ。今の日本の力では、とても列強諸国には勝てない。だから、開国し、貿易して資金を蓄え、軍事力を整えたうえで、日本に圧力をかけてくる国々と対抗する。それが開国派の考え方なんじゃないのかな」
「されど、このまま野蛮で卑しむべき異人の上陸を許せば、神州はどんどん穢れていきます。天子様はそれを恐れておいでなのです。されば、即刻打ち払わなければなりませぬ。確かに異国は強いかもしれませぬが、我らには大和魂があり、いざとなれば必ず神風が吹きます!」
「その単純な攘夷論でもって、去年外国船を砲撃した長州藩は、アメリカやフランス海軍の報復を受けて砲台を全て破壊され、軍艦二隻を沈没、一隻を大破させられたのを知ってるのかい?……それに、東海道の生麦という村で大名行列を横切ったイギリス商人を無礼討ちで斬殺した薩摩藩に対して、イギリス艦隊が攻撃を仕掛け、藩の蒸気船三隻は沈没、鹿児島の市街地は炎上し、最新の洋式工場も破壊されたのはどう?どっちも神風は吹かなかったんだ」
「そんな……」
那奈はかなり大きな衝撃を受けたようだった。
これは一八六三年の六月に起こったアメリカとフランスによる下関報復攻撃、七月にイギリスと薩摩の間で起こった薩英戦争だ。
長州藩とは現代の山口県にあたる長門・周防の二か国を治める毛利家の領地であり、薩摩藩は鹿児島県に相当する薩摩・大隅の二か国などを治める島津家の領地を言う。
幕末、租税を米で納めさせる石高制の経済運営には限界が訪れていて、安定供給されている米価が下落傾向であるのに対して、諸物価は上昇して実収入が減少。
藩主が江戸と地元を往復しなければならない参勤交代や幕府の命令で請け負わされる土木工事なども追い打ちになり、全国の多くの藩が深刻な財政危機に陥っていた。
そんな中、債務の整理、特産品の振興と専売、密貿易を含む交易などの藩政改革によって行財政の再建に成功した長州、薩摩、土佐、肥前佐賀、越前(福井県北部)、宇和島といった一部の藩は国政における発言力も強め、「雄藩」と呼ばれた。
雄藩が一六〇〇年前後の江戸時代始期から徳川幕府に臣従した外様大名、つまり徳川家の一門や譜代でない非主流派に多く見られるのは、歴史の皮肉だろう。
江戸時代の外様と言えば、本来幕閣の要職には就けず、幕政への発言権もなかったんだけれど、幕末に多くの藩が財政難に陥る中、取り分け強い経済パワーを手にしていた長州藩と薩摩藩は幕府や朝廷に影響力を及ぼしていく。
両藩とも当初は尊王攘夷思想が強かったものの、異国との戦いを経験して即時攘夷の不可能を悟り、幕政改革ではなく、討幕による天皇中心の中央集権国家体制構築を目指すようになった。
彼女をあと一押しすれば、急進的な攘夷派から転換させられるかもしれない。
俺は、ようやく落ち着いて物置部屋を見回した。
板張りの部屋は十畳以上あってそこそこ広いものの、壁周りには陶器や掛け軸などを入れているらしい大小の木箱が山積みにされていて、俺たち二人が使える実質的なスペースは六畳以下だった。それでも、客室になっている二階は、一人で一畳分も使えないほどの混み具合らしいから、こっちの方が遙かに居心地は良いだろう。
茂平の収集品を眺めているうち、毛色の違った品物がいくつかまとめて置かれているのが目に留まった。
あれは、外国からの渡来品!
鎖国政策が敷かれた江戸時代、オランダに限って唯一通商が許されていた場所・長崎から伝わったものかもしれない。西洋風の風景画、ガラス製の花瓶、望遠鏡……そして、地球儀がある!
これを使えば、幕臣の勝海舟が、夷狄かぶれと見なして斬りに来た土佐脱藩浪士・坂本龍馬の目を覚まさせ、考えを転向させた時みたいに……。
「ねえ、那奈さん、これを見てご覧」
俺は高さ三十センチほどの地球儀を持って、那奈の前に置いた。幕末の頃になれば、知識人なら大抵は地球が丸いと知っている。
「君も聞いたことがあるかもしれないけど、地球は丸く、七割は海で占められている。この世界の中で、日本はこんなに小さな島国でしかない」
地球儀に描かれた日本を指差すと、那奈はその一点を真面目な表情で見入る。
「欧米の列強国が世界を侵略し、植民地化するために最も力を入れたのは、この広い海を縦横無尽に行き来できる巨大な軍艦の建造であり、強力な大砲や鉄砲の製造だ。薩摩や長州が装備してた大砲は射程距離がせいぜい一キロ……って言ってもわからないか、えっと江戸時代の単位だと……十町だけど、イギリス海軍のアームストロング砲なら四キロ、つまり一里も砲弾を飛ばせる。しかも、鉄の塊である日本側の砲弾と違って、着弾時に内部の火薬が爆発し、破片が広範囲に飛び散って大勢の人を殺傷する榴弾みたいな兵器も持ってるんだ。鉄砲の性能だって、最新のミニエー銃なら、日本にある火縄銃の四倍から六倍は弾が飛ぶ。命中精度も段違いさ。彼らはその大きな軍事力を背景にして、自分たちよりも力の弱い国々を侵し、植民地にしてきた。今の日本の軍事力じゃ、逆立ちしたって勝てないよ」
「では、日本はどうすれば良いのですか!」
「勝つためには、欧米列強が持ってるのと同等以上の軍艦、大砲、鉄砲がいる。しかも、日本は海に囲まれてるんだから、軍艦は相当数必要だ。そのためには莫大な資金が必要だけど、今の日本にそんな資力はない。だから、開国して、世界の国々と貿易して、財政を整えなくちゃ。攘夷をするのは、日本が列強と戦えるだけの海軍や陸軍を持ってからのことなんだよ」
口をあんぐりさせたまま黙りこくっていた那奈が、やがて気を取り直したかのように何度も瞬きした。
「私……目からウロコが落ちました」
ぼんやりとそうつぶやいた那奈は、いきなり俺の前にひれ伏した。
「棟田様、いや、棟田先生!私を先生の弟子にしてください!」
「えーーーーーーっ!?」
「弟子なんて。そもそも俺は十七歳だけど、那奈さんはいくつなの?」
「私も先生と同じ十七歳です」
「同い年の人を弟子にするって、ちょっと……」
「師とは、己よりも遙かに高い知識、知見、技能を有する人物。歳など関係ありませぬ。例えば君臣の間とて、年若の家臣であろうと優れた学問教授や剣術指南役を師と仰ぐ殿様はたくさんいます。同輩ならばなおのこと。棟田様は、私の師として何の差し障りもございません!」
「そう言われてもな〜〜〜」
俺が彼女の師匠になるなんて……この展開は一体何なんだよ、全く!