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№34 俺と那奈は敵に囚われてしまった!

高校二年の歴オタ主人公・田島錠は幕末にタイムスリップし、「未来から派遣されたターミネーターによる歴史改変の阻止」という途方もない任務を背負わされてしまう。

どんな素人でも剣の達人になれるオートマチック・オペレーション・ソードを手に、新撰組の剣客・沖田総司から気に入られて何かと手助けを受けるようになった錠は、仲間になったツンデレの女剣士・那奈、爆乳の岡っ引き・お涼、クールな密偵・マキと力を合わせ、幕末の京都に潜む凶悪な敵を探し出し、地球を救わなければならない!

 狭苦しく、天井のやけに高い部屋の中で、俺は目覚めた。


 室内に照明はないが、かなり高い位置にたった一つ、鉄格子の入った小さな窓から夕焼けの赤い日差しが差し込み、ぼんやりと周囲を見渡せる。


 俺と那奈は両手を後ろ手で縛られた上、大きな柱を挟んで背中合わせに別の縄でぐるりと縛られていた。


「那奈さん、那奈さん、起きてる?」

「う……うう……」


 俺の呼びかけで那奈は意識を取り戻した。


「ここは?……」

「わからない。これは物置小屋……と言うより土蔵かな」

「私たちが助けようとしたあのおなごは、敵だったのですか?……」

「左手に、弓を扱う人によくできるタコがいくつもあったんだ。それにあの背格好と声……今まで侍姿しか見たことなかったからすっかり男だと思い込んでたけど、あの女こそが……」


 俺の話を遮るように、表で鍵を開ける音がして、重そうな扉が開いた。

 入ってきたのは、司義太夫という名を併せ持つ道端瑞雲と、襲われるフリをして俺を欺いたあの女!

 瑞雲の左手には、俺から奪った自動操作刀が握られている。二人が中に入ると同時に、扉は再び閉められた。


「ああ、二人ともお目覚めかい?棟田万太郎、本名かどうかは知らないけど、どうやら我らの正体にも気付いたようだねぇ?」


 俺たちの前に立った女が、不敵な笑みを浮かべて見下ろす。


「お前は、狐火だな!」


 俺の言葉を聞き、那奈は顔色を変えて、女をにらみ付ける。


「ふふっ、我の左手を見て悟ったのね?見かけは子どもなのに、さすがは皇国すめらくにが送り込んだ刺客だわ」

「ここはどこだ!」

「あなたたちがずっと監視してた夷川家の邸内にある土蔵。先に言っておくけど、上にある窓は小さくて、壁は分厚いから、どれだけ大声を出しても屋敷の外には届かないわよ。それに周辺の坊主や町人はみんな戦火を恐れてどこかに逃げちゃってるし」

「俺たちが見張ってるのを知ってたのか……」

「当たり前じゃない、我らは玄人よ。周囲の警戒に怠りはないわ。だからこそ、このアルバートには先に屋敷を出てもらい、あなたたちにわざと尾行させた後、我が通常この邸内で過ごす際に着る公家女性の扮装で後を追ったのだから」

「フォックスの素顔はお前たちに知られていないからな。こちらの芝居に、まんまと引っかかったという訳だ。それと、その小娘の刀は部下にくれてやったが、お前の持っていたこの奇妙な刀、どうやらAIとシンクロさせて刃を超音波振動で高熱化する仕組みらしい。しかも、他人では扱えないようにセッティングされている。こういう物騒な代物は俺が預かっておくぞ。高熱化しなくても、素材は折れも曲がりもしない立派な超合金が使われているし、木刀代わりに十分使えるだろう」


 アルバートと呼ばれた瑞雲が刀を胸の高さまで上げて示し、フォックスと呼ばれた狐火が得意気に肩を揺らす。

 アルバートとフォックス、それがこいつらの本当の名前?……。


「この家の当主はどうした!お前たちが入り込んで勝手なことをしているのを知ってるのか?」

「夷川匡胤のこと?あいつはひと月前とっくに病死したわ。もちろん公にはしていないし、朝廷にも病気療養中と届けたままよ。でもすごく役に立ってくれた。我が色仕掛けであいつに取り入り、アルバートを側近の雑掌に推薦し、それまで雇われていた仕丁と女中をみんな追い出して、仲間に加えた浪人たちを代わりに邸内へ入れても文句一つ言わなかった。もちろんそれは、以前から献金してもらってる長州の復権と帝をお守りする私兵を匿い、養うためと説明してのことだけど」

「じゃあ、禁門の変直前に有栖川宮幟仁親王家と、加賀、鳥取、岡山藩を巻き込んでクーデター計画を裏工作してるのもお前たちなのか!」

「あら、そこまでお見通しだったの?」

「歴史上は禁門の変で長州だけが幕府軍に刃向かったように思われてるが……」


 狐火の言葉を、瑞雲が引き取って自慢げに説く。


「実際にはまとまった兵力を伴う反幕府勢力が水面下で結成されていた。以前から、都に潜む数人の長州藩士が役人や新撰組の目をかいくぐって裏工作していたが、時間がかかり、効率が悪い。そこで、もっと自由に洛中で活動できるのは、誰からも警戒されていない小禄の廷臣であり、尊王攘夷の志が特に篤い夷川家だと、我らが長州藩京都詰めの外交係・久坂玄瑞を訪ねて説得し、秘密工作役にしてもらったのだ」


 唇を噛む俺に、那奈が「先生」と呼びかける。


「事のあらましを聞かされて概ね納得はしておりましたが、こやつらはまことに夷狄なので?日本の言葉を話し、姿形も日本人とそう大して変わりませぬが」

「女、お前は未来から来たのではなく、この時代の協力者だな。二百年後の我らの時代では、全身を整形して他の民族そっくりの容貌にするなど簡単なことだ。まあ、お前たちのように汚らしく、下等な黄色いサルに己を整形しなければならなかったのは、かなり抵抗あったが」


 腰を落としてからかう瑞雲に、怒りを露にした那奈がもがく。


 怒りをたぎらせているのは俺も同じだった。いや怒りだけじゃない。今まで経験したことのない屈辱感、不甲斐なさが混ざり合っている。

 日本人、そしてアジア人であることを貶め、憎悪する言葉を直接浴びせられたのは、生まれて初めてだ。


 『人種を差別したり、偏見を持ってはいけない』『皮膚の色は違っても、人類は皆兄弟』……そんなセリフは幼い頃から何度となく耳にしてきた。

 学校でも、テレビのニュースやドラマやバラエティー番組や、ネットの中でさえも。

 だからそれは、当たり前のことなんだと、特段意識するでもなく、俺はこの問題から目をそらし、のほほんと育ってきた。

 俺と同世代だったり、もっと若かったりする連中の大半もきっと。


 でも海外の留学経験もある父親が、いつだったかこんなことを話してたっけ。


「欧米では人種差別をおおっぴらに肯定する白人はごくごく少数に過ぎない。でもな、多くの白人の内面には、アジア人に対する差別意識が根付いてて、無自覚のうちに優越感を抱いている。平和な時はそれが表立って現れないんだけど、世の中に不満や憎しみが蓄積するとどうなるものか……」


 あの時も、俺は大して気にも留めず、聞き流していた……。その人種差別という目に見えない絶対悪が、今世界を滅ぼそうとしている。


「これから俺たちをどうするつもりだ!」


 語気を強める俺に、狐火は冷ややかな視線を浴びせた。


「クリスの仇であるあなたたちを、できるなら今すぐにでも殺してやりたいんだけれど、まだ何人かお仲間がいるでしょ?大事な明日を控えて、できる限りすんなり仕事を進められるよう、あなたたちをエサにしておびき出し、早めにまとめて始末したいのよ。夷川家を見張ってた二人がいなくなり、残りの仲間は心配してきっとここまでやってくるわ。この土蔵の前で何人もの侍が立ち番をしていたら、中に囚われてるんだと察して必ず助けに潜入してくるでしょう。それをお出迎えしようという趣向よ」

「クリスって、あの陣羽織の男?……」

「ああ、お前が斬ったのは、同じ施設で育ったわしの可愛い弟分。だから、決して許さぬ」


 瑞雲が憎しみを込めて声を荒げる。


「勝手なこと言うな!お前たちは、歴史を無理矢理改変して、地球に住む百億もの人の命を奪おうとしてるんだぞ!そんな無法が許されると思ってんのか!」

「新世界の創造に、犠牲はつきもの。我らの目指す世界が実現するのであれば、例え百億の命が引き換えになろうと知ったことではない」

「このケダモノ!そなたたちは狂っています!」


 思わず那奈が叫ぶ。


「黙れ、サル!貴様らが、そして貴様らの子孫が世界を汚し続け、私腹を肥やし、アーリア人の生活を圧迫し、地球をもはや救いようもなく死を待つのみの末期患者のような星にしてしまったのではないか。新世界の誕生と引き替えにそんな穢れた世界が消え去るのであれば、一石二鳥というもの。新しい地球は、最優等人種たるアーリア人が主導し、人民を平和と繁栄へ導いていく。我らはその理想郷を建設するために選ばれた、十字軍のようなもの。この任務を完遂できるなら、喜んで殉教する」


 瑞雲は勝ち誇ったようにとうとうと述べる。

 それは自分の信じる思想を絶対と捉え、その原理原則の前には何をしても許されると考える狂信者の姿そのものだった。


 十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教諸国が、イスラム教諸国に占領された聖地エルサレムを奪還するために何回も派遣した遠征軍だ。

 こいつらに人の言葉は通じない。

 説得するなんて到底無理だ。

 こうなれば、後はお涼とマキが上手く助け出してくれることに願いを託し、九死に一生を得た時のために、こいつらの計画を少しでも具体的に知っておかなければ。


「どれだけ浪人を集めたか知らないけど、禁裏を囲む公家町に設けられた九つの門は諸藩の兵がしっかりと警備してて、お前たちが狙う薩摩藩の要人も大勢の兵士を率いてその中にいる。簡単には打ち破れないぞ。それとも、分子破壊砲をぶっ放しながら強行突入するつもりなのか?」

「ふ〜〜ん、皇国は分子破壊砲の詳細情報はまだ手に入れてないと見える。分子破壊砲は大量殺戮用の兵器じゃないのよ。どちらかと言えば、暗殺の名手として訓練を受けた我らにぴったりの火器だもの」

「おい、フォックス、何もそこまでこいつらに教えてやらなくても……」

「いいじゃない。どうせ、あと半日ほどで死んでもらうんだもの。日本の言葉に〝冥土の土産〟ってあるの。それよそれ」


 狐火に丸め込まれ、瑞雲はやれやれという表情で口を閉ざす。


「それでも、浪人の力は必要なの。あなたたちに何人も捕らえられたり、ケガを負わされたりして戦力に少々の損害を受けたけど、それでもどうにか五十人は集められた。さすがに薩摩藩が守る乾御門の正面を外から突入なんてできないから、事前に他の門から公家町に入れてもらい、内側からターゲットに仕掛ける。まあ、我らは薩摩兵を皆殺しにする必要はなくて、目標は総指揮官たった一人。心配してもらわなくても、任務は必ず成功させるわ」

「乾御門以外の門から、どうやって公家町に入るつもりだ」

「ふふふ、さすがにそこまでは教えてあげられない。でも、我らは、あらゆる事態を想定して、完璧な計画を立てているの。失敗はしない」

「おいフォックス、俺たちはもう一休みして、明日に備えよう。こいつらの仲間が助けに来るとしても、それは恐らく深夜だ」

「ええ、そうね。じゃあお二人さん、あとしばらくこの世の名残を惜しんでおきなさい」


 狐火と瑞雲が去り、日が暮れて真っ暗になった土蔵の中はしばらく重苦しい沈黙が支配した。

 そんな空気を吹き飛ばしたくて、俺が先に口を開いた。


「俺、諦めてないからね」

「え?」


 背中越しに、那奈が答える。


「奴らは俺たちをすぐには殺さない。少なくとも一斉に打って出る明日の朝までは、侵入者を待ち構えてるはず。それまでの間に、抜け出せるいい知恵が浮かぶかもしれないし、そのきっかけになる出来事が起こるかもしれない。それに、お涼さんやマキさんが助けに来てくれたとしても、二人とも並の女の子じゃないんだから、奴らの罠に易々と掛かるようなことはないよ。だから、最期の最期まで、俺は希望を捨てない」

「そのお言葉を聞いて、安堵いたしました。私とて、あのような奴腹に為す術もなく討たれるつもりはありませぬ。何としてもこの場を切り抜けて、悪巧みを阻止せねば」

「ああ、今はそのことだけを考えていよう」

「それにしても厳重に警備されている門を、あやつらはどうやって通り抜けるつもりなのか。先程の口ぶりでは、武力に訴える強硬な手段は使わぬようですが」

「諸藩の兵が疑いもなく通すか、もしくは通さざるを得ないような工夫をしてるんだろうな。それが何なのかは想像もつかないけど。こうなれば、分子破壊砲を事前に奪い、事を未然に防ぐという当初の計画を実行するのは難しい。俺たちもどうにか脱出して乾御門まで行き、奴らが狙う薩摩藩兵の指揮官を守り、その場で狐火と瑞雲を迎え撃って倒すしか」

「その薩摩藩兵の指揮官とは、一体誰なのか、先生はご存じなのですか?」


 この質問には、明快に答を出せた。

 これまで幕末を舞台にしたドラマや映画で何度も描かれ、ネットの関連サイトや歴史本でも共通して書かれている当時の薩摩藩兵総指揮官、それは……。


「西郷隆盛という人だよ」


 俺の暮らしてた時代、幕末ファンだけでなく、歴史に少しでも興味のある人なら、大抵彼の名前は知っているだろう。


 大久保利通、木戸孝允と並ぶ〝維新の三傑〟である隆盛は、薩摩藩の下級武士の家に生まれ、時の藩主で名君の誉れ高い島津斉彬に見出され、他藩との連絡役も兼ねる御庭方に抜擢されるなどして薫陶を受けた。


 息子の相次ぐ夭折で血脈を後継者にできなかった斉彬の急死後は、遺命によって甥の島津忠義が藩主を継承。まだ若い彼を後見し、藩政の実権を握ったのが父親で、斉彬の異母弟である島津久光だった。


 しかし、〝国父〟と尊称された久光と、斉彬こそを唯一無二の主君と仰ぐ隆盛はことごとに対立。やがて、隆盛は流罪にされてしまう。

 しばらくして復権し、薩長同盟の締結、王政復古、戊辰戦争を主導して明治新政府の中枢に登り詰めた。


 その後、盟友である大久保との政争に敗れ、官を辞して鹿児島に帰ると、政府の政策で禄や刀を取り上げられ不平を募らす旧士族に担がれて西南戦争を引き起こし、新政府軍と戦って敗死したんだ。それが明治十年のこと。


 本来なら反乱を起こした逆賊なのに、彼の人気は当時から相当に高く、死から十二年後には大日本帝国憲法発布に伴う大赦で名誉を回復され、上野駅の隣に銅像も建てられる。


 禁門の変が起こった時、西郷は流罪が赦されて京都に派遣され、軍務役という軍の最高司令官になっていたはず。


「それはどのようなお方なので?」

「写真……つまり、えーっと、実像を特殊な技術でそっくりそのまま写し込ませた紙や、直接本人を描いた自画像が残ってないから、後の時代の人たちは誰も彼の容貌を正確には知らないんだ。でも、残された資料によると背は俺よりもずっと高くて、目のとても大きい人だったらしい。晩年はでっぷりと太った体型だったみたいだけど、今は島流しから解放された直後だから、やせ細ってるんじゃないかな」

「島流しになるような罪人が、薩摩藩の大将に、でございますか」

「罪人と言っても、過激な行動に走ろうとする仲間を押し止め、助けようと藩命に逆らったことが原因なんだ。西郷は私利私欲のない人格者だったから、多くの薩摩藩士から慕われ、圧倒的な支持を得て、藩の中心人物になっていくんだよ」

「なるほど、左様なお方であれば、どうにかしてお救いしたいもの。それができねば、後の世も破滅してしまうのですね」

「うん、だからこそ簡単に諦める訳にはいかない」

「はい……」


 長い沈黙の後、那奈がふいに「先生」と声を掛けた。


「ん?」

「あの……先生は、お住まいになっていたあちらの世に、大勢のお身内を残しておられるのでしょ?」

「大勢はいないよ。親戚だって少ないし、俺、一人っ子だから、一緒に住んでたのは両親だけだもん」

「先生が突如として姿を消しておしまいになり、親御様はさぞお悲しみでしょうね……それに……許嫁のお方とて、同じ思いをされていましょうし……」

「許嫁?婚約者なんて、いる訳ないじゃん。俺はまだ十七歳だよ」

「そ、そうなのですか?……されど、十七ならば、許嫁がいてもおかしくない歳でございます」


 那奈の口調が少し和らいだような……俺の気のせいかも知れないけれど、そんな風に感じられた。


「そっか、江戸時代なら……で、那奈さんはどうなの?一人娘で、実家の道場を引き継ぐんだから、お婿さんを取らないといけないんじゃないの?」

「父はそのつもりですが、私は敢えて誰かと夫婦にならねばとは考えておりませぬ。夫がおらねば、私の後は養子を迎えて継がせればよいだけのこと。幼き頃より父から剣の道を叩き込まれてきた私は、己よりも剣の腕が立つ方でなければ妻にはならぬと心に決めておりました。されど、父が添わせようと連れてくる門弟やら親戚の者やらは、誰一人として道場で私に勝てませぬ。私を負かしたのは……………先生だけです」


 最後の一言、那奈はぽつりと声をひそめた。

 俺の心臓はドキリと鼓動を打つ。


「いや、でも、前にも言ったように、俺の剣は実力じゃなくて、機械の力を借りた……」

「わかっております!されど刀とは、いかに切れ味鋭く、いかに頑丈であろうと、持つ人が持たねばその真価は発揮できませぬ。どれほど優れたからくりを施していようと、刀は刀に他なりませぬ。その持ち主となり、これまで幾度も窮地をしのいでこられた先生は、やはり元々剣士としての素養をお持ちだったのです。先生の意思と力によって、初対面で斬り掛かった私は助けられました。あの時、刀に任せ、命じるままに動いておられるだけであったなら、私はとても無事には済んでおらなんだはず。その上、先生は愚昧な私の目を開いてくださった。剣の道は、技だけにあらず。殺人剣だけでなく活人剣をも会得し、修養を重ねた精神が合わさって初めて真の剣士と言います。先生は、正真正銘の剣士に他なりませぬ。さればこそ、真実を明かされた後も、私は先生を軽蔑したり見下したりするどころか、変わらぬ尊敬の念を抱き続けているのです。先生は、私にとって唯一無二のお方……ですから、左様な仰りようはおよしください……私は、私は……」


 それ以上言葉にできなくなった那奈の熱い思いが、ひしひしと伝わってくる。

 彼女の感情の中には、遠回しに俺への好意、もっと言えば恋情さえ混ざり合ってるんじゃないか……そんな風にも思えてしまう。

 那奈のまっすぐでひたむきな物言いが、いじらしく、そして愛おしく思う気持ちを増幅させた。


 だから、自然と体が動いた。体をよじり、少しでも那奈に近寄ろうとするんだけど、縄がきつくてなかなか横に移動できない。


 俺の動きに気付いた那奈も、同じように横へずれ動こうとする。

 少しずつ、少しずつ俺たちは間を詰めていく。


 そして、ようやく横にピタリと並んだ。暗闇の中で那奈がどんな表情をしてるのかは全くわからないけど、彼女の息づかい、そして体の暖かみが伝わってくる。


「那奈さん……」

「せ……」


 那奈は「先生」と言いかけて一旦押し黙り、やがて深く息を吸った。


「田島……錠様……」


 俺を本名で初めて呼んだ那奈を、強く抱きしめたい衝動に駆られる。でも、それは物理的に不可能だ。俺は体をさらに密着させ、腕をひねって縛られた両手を彼女に近付けた。


 那奈も同じような姿勢を取ると、手と手が触れた。

 俺が那奈の手を握る。すると彼女は、堅く握り返す。


 時間が止まったかのような心地……夜のしじま……胸の中が温かい。


 祈るような思いでマキやお涼の救援を待つものの、土蔵の外は静まりかえっている。


 時間は容赦なく過ぎていくのに、祈りは一向に通じない。

 触れ合った手を通じて流れ込んだ温もりと、不安や緊張から生じる疲労もあったのだろう……やがて瞼が自然と重くなり、俺と那奈は体を寄せ合っていつの間にか半分夢の中に入り込んでいた。

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