№1 未来人?に拉致されてしまった!
高校二年の歴オタ主人公・田島錠は幕末にタイムスリップし、「未来から派遣されたターミネーターによる歴史改変の阻止」という途方もない任務を背負わされてしまう。
どんな素人でも剣の達人になれるオートマチック・オペレーション・ソードを手に、新撰組の剣客・沖田総司から気に入られて何かと手助けを受けるようになった錠は、仲間になったツンデレの女剣士・那奈、爆乳の岡っ引き・お涼、クールな密偵・マキと力を合わせ、幕末の京都に潜む凶悪な敵を探し出し、地球を救わなければならない!
生暖かく、ぬるりとした右手の感触に、俺は一旦男の体を起こすのを止め、手のひらを見た。
真っ赤だ!
オレンジ色の強い夕陽に照らされてるからって、目の錯覚じゃない。
べっとりと付いて、なお指の先から滴り落ちる赤い液体は……血!?
俺は慌てて木の幹にもたれ掛かった相手の上半身を前に屈める。背中を見た途端、鳥肌が立って固まった。
薄汚れた着物の上から斜めにざっくりと切り裂かれ、血が噴き出している。
「こ、これって!一体何があったんですか?……とにかく、すぐ救急車呼びます!」
俺は地面に膝をついた姿勢のまま、肩にかけるデイパックからスマホを取り出した。電話をかけようとする俺の手を、男は強く振り払った。スマホが弾き飛ばされ、芝生の上に落ちる。
「ちょっと、何するんです!」
スマホを取ろうとする俺の右腕をつかみ、男は「教えてくれ……」と苦しそうに呻いた。
「えっ?」
「今は……西暦何年だ?」
「はあ?」
「西暦何年だと聞いている!」
「西暦は……二〇△△年ですけど……」
相手の気迫に押され、素直に答えると、男はため息をつき、自分の左手首に目をやった。
着物姿には似合わない、大きな腕時計がはめられている。いや、これは腕時計じゃない。小さなボタンがいくつもあって、ディスプレイに表示されているのは時間じゃなく、理解不能のアルファベットと数字と心電図みたいなグラフだ。
しかも、ケースの上部には何かが強打したらしいへこみ傷があり、ディスプレイにはヒビが入っている。腕時計型のウェアラブルコンピューター?それも日本向けじゃなく、外国の最新タイプだろうか?
「やはりエラーを起こしたか……」
古都と呼ばれるこの街では、和装で歩く人もそれほど珍しくはない。でも、男は普通の和装じゃなかった。
下半身に丈の短い袴をはき、腰帯には大小二本の刀を差し、頭には……何と本物のチョンマゲを結っている。これだけ間近で見れば、カツラじゃないのはわかる。これは……江戸時代の侍、しかも下級武士の身なりだろうか。
映画かドラマの撮影?……いいや、それらしきスタッフの姿はどこにも見えない。スタッフどころか、ここは市の中心部だから決して辺鄙な場所ではないものの、日が傾いてきたせいか、たまたまなのか、周りに人影はない。
じゃ、ハロウィンでもないのに、どうしてこんな奇妙な格好をしてるんだろう。腑に落ちないけど、まずはこのひどい傷の手当てが先決だ。
「あの、それより、早く病院に行って治療してもらわないと……」
男は俺を見上げ、あきらめ顔でかぶりを振った。
「どうやら、そんな暇はなさそうだ」
そう口にした途端、男の体の周りがキラキラと光り出した。いや、彼だけじゃない。彼につかまれている俺の腕が、胸が、腰が、足が……どんどん金色の淡い光に包まれていく。
すごく嫌な予感がする。
「我々の技術では一人しか跳べないと思っていたが、安全度は別にして、許容限界値は二人ってことか……」
意味不明の独り言で苦笑いした男は、俺を直視した。
「こうなったら、もう頼れるのは君しかいない……私に代わって、地球を救ってくれ。幕末に行って、送り込まれたエージェントを倒し……薩摩藩の要人を守らなければ……」
肩で息をしながらそう告げた男は、背中の痛みに耐えかねて言葉を句切った。
間違いない、こりゃ完全にメンヘラだ。親切心を出したばかりに、えらい人間に関わってしまったぞ。これまで怠けてた受験勉強にそろそろ本腰をいれなきゃならない高二の俺にとって、この夏休みは高校生活最後の貴重な長期休暇なんだ。
大好きな幕末の主要舞台で史跡巡りを思う存分満喫しようと、はるばる東京から一人で京都まで来たってのに、これじゃ初日から台無しになりかねない。この人の大ケガは気になるけど、ひとまずここからは退散しなくちゃ。少し距離をおいた場所から、すぐに一一九番すればいい。
俺はその場を立ち去ろうと周囲に目を向け、再びがく然となった。
河川敷の公園にいるはずなのに……ない!景色そのものがないんだ!
あるのは……金色の壁。俺と男がいる場所を中心にして、金色に輝く無数の粒子が猛スピードで渦巻き、天空に舞い上がっている。
ぽかんと口を開けている俺の右腕を、男はようやく離した。
「すまん……巻き込んでしまって」
俺は我に返り、男に目で問いかけた。
「私は……君のいる時代から四十六年後の未来の日本から来た……国家防衛省・情報調査本部の広川と言う……すぐには信じられないだろうが、私の時代では機能が限定的ではあるものの、日本や欧州の一部の国で、時間遡行が実用段階に入っている……世間にはまだ公式発表こそされていないがな」
「はあ?……じかんそこう?」
「過去への……タイムトラベルさ。君の時代でも、コミックやアニメの題材によく取り上げられてるだろう?過去にタイムトラベルした人間が、歴史を変えようとする物語とか……」
「う、うん」
「だが、それは原則的に不可能だった。本来、過去はどんなことをしても改変できない。もちろん、その時代に生きる人間の命だって奪えない。奪おうとしても、パラドックスを許さない地球の、いや宇宙の力によって必ず妨げられる」
俺は、置かれているこのあり得ない状況のせいなのか、男の話に黙って耳を傾けていた。
「……はずだった。しかし、それを可能にする理論が発見され、実用化する装置まで開発されてしまったんだ……日本以外の国で。もしも……歴史がある時点で改変されれば、時間軸が分岐し、元の世界と並行した別の世界が生まれる」
「それって、パラレルワールド?」
幕末フリークの俺は歴史書やネットの専門記事だけでなく、この時代をテーマにしたコミックやアニメやゲームなんかにも目がない。そんな娯楽作品を通じて、空想科学用語の基礎知識も何となく頭の中に入ってる。
「ああ、並行世界、または並行宇宙。君の時代では、SFを面白く演出する設定の一つにすぎないだろうが……現実はもっと深刻だ。ハイパーコンピューターが、パラレルワールドの出現によって高確率で発生する余波をシミュレーションで予言した。もし時間軸が枝分かれすれば、それは新たな世界が物理的に誕生することを意味する。しかし、自然の摂理はそれを見過ごしにはしないらしい。増えれば、減らす。宇宙は復元作用を発動し……旧世界を消滅させる」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。さっきから訳のわかんない話ばっかり……」
「現に!……私の時代では突如として、地球の周回軌道上に急接近してくる巨大隕石が観測された!」
妄言を止めようとした俺は、広川の言葉に固まった。
「隕石の大きさは、直径千二百キロ以上。地球に衝突する公算は九九・九%。衝突が予測されるのは、初観測から数えて約五十日後。もし直撃すれば……地球上に住む百億の人間、そして全ての生命体が宇宙空間に吹き飛ばされるほどの環境破壊を引き起こし、我々の世界は文字どおり消滅する。その時、爺さんになった君には嫁さんや子どもや孫だっているかもしれないが、もちろんみんな宇宙の塵となって消える」
自分が年寄りになった時なんて想像したこともないけれど、背筋に冷たいものが走った。広川は続ける。
「隕石が急に現れた理由は、複数のエージェントが分子破壊砲を携えて一八六四年……我々が幕末と呼ぶ日本の元治元年に時間遡行したからだ。それは国防省の内偵でも明らかになっている……少人数で実行可能な局所的、限定的テロ行為によって、奴らに都合のいい歴史へと改変できる分岐点は、禁門の変。そして、分岐を引き起こす要件は、事変発生時における薩摩藩兵指揮官の殺害……それを許してしまえば、日本の歴史だけでなく、世界の歴史が大きく変わってしまう……」
禁門の変と言えば、別名を蛤御門の変とも呼び、幕末の京都で起きた大きな動乱だ。でも……。
「何で、禁門の変なんですか?それも幕末?そもそも日本の歴史が、どうしてそんな世界史を変える分岐点になっちゃう訳です?それに、分子破壊砲って?」
「ハイパーコンピューターのシミュレーション結果だ。君の時代にある最新鋭のコンピューターはスーパーコンピューター程度だろうが、近い将来にはさらに高性能な量子コンピューターが普及する。その量子コンピューターを遥かに凌駕する能力を持つのが、我々の時代のハイパーコンピューター。禁門の変で特定の薩摩藩要人を抹殺することによって起きる歴史改変の可能性は……そいつがはじき出した。分子破壊砲は、歴史の改変を妨げようとする〝時の力〟を遮断し、分子間の静電結合力を中和して、対象物を熱発生なしに原子の細かい塵、あるいはガスへと崩壊させる武器なんだ。それを使えば……本来の歴史に逆らって過去の人間を始末できる」
「あのですね、そんな風に整然と言われたって、さっぱりわかんないですよ。そもそもそのエージェントたちだって、歴史を変えれば自分たちが社会ごと破滅するって、わかってるんでしょ?」
「奴らも、奴らのバックにいる連中も普通じゃない。新たな世界を創造するという目的のためなら、自分の命はもちろん、家族や他人の命だって、何とも思っちゃいない。いないどころか、自己犠牲によって関係者全員が救済されると信じている狂信的テロリストだ……」
「いやいや、そんな説明じゃ全然納得できませんよ。自己犠牲って、エージェントのバックには何がいるんですか?そいつらが目指してる世界って、何なんです?大勢の兵士が死傷する禁門の変で、新たに一人を殺したくらいで、どうして世界が変わるんですか?」
「それは……」
と言いかけた広川は、周囲の変化を見て一瞬口ごもった。
高速で渦巻いていた金色の粒子が、次第にスピードを落としていく。
「もう詳しく説明している時間がない……すぐにも元治元年に着いてしまう」
「元治元年?まさか、俺も?」
「だから、巻き込んですまないと心から思っている。私の傷は致命的だ……もう長くはもたん。日本が同じ年代に時間遡行させられる数は、たった一人。私が死ねば、もう奴らを止められる者はいない。となれば、すがれるのは君だけ……私の代わりに、幕末の京都に送り込まれたエージェントの中心人物を探し出せ。そいつは狐の面を被り、現地の仲間からは〝狐火〟と呼ばれている。狐火を殺すか……奴らが狙っている薩摩藩の人間を守り抜くか……二つに一つ……」
広川の声音はどんどんかすれ、弱々しくなっていく。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!一介の高校生がそんな大それた任務を引き受けられる訳ないでしょ!」
「これがあれば……君にもできるかもしれん……」
広川は帯に挟んでいた長い方の日本刀を漆黒の鞘ごと抜き、俺の胸に押し付けた。
「こんな物、俺に扱えるはずが……」
思わず口を突いて出たが、やけに軽い。おもちゃ?
「それと、これも持っていけ……」
刀を抱える俺の手に握らせたのは、獣の皮でできた巾着だった。これはかなり重い。
「当面生活するのには事欠かないくらいの金と……役人に疑いをかけられた時に見せる通行手形が入っている。手形は、相模国出身で江戸在住の浪人・棟田万太郎に対し、伊勢詣りの目的で現住長屋を管轄する町役人が発行……もちろん、偽造だ」
俺は刀と巾着に目を落としつつ、必死で心を落ち着けようと努めた。
痛っ!
首筋に突然痛みが走った。広川が、右手に持った何かをいきなり押し付けたんだ。針を刺されたような鋭い痛み。指を当ててみたけど、血は出ていない。
「何するんですか!」
マジギレした俺は、広川の右手から太い万年筆のような器具を取り上げた。
「これは?」
「注射器……だ。悪いが、極小ワイヤレスセンサーを埋め込ませてもらった……」
「俺の首に!センサー?」
「君が手にしている刀は、オートマチック・オペレーション・ソード……脳介電式自動操作刀だ。刀身はチルソナイトという超軽合金で作られ……三十四個の高性能感知器……そして柄には極小AI(人工知能)が内蔵されている。刀を抜けば……自動的に感知器が作動し、江戸時代以降に存在したあらゆる武器を半径二十メートル以内で捉え……君に危害を加えようと接近する物体の動きとその対処法を超音波で首のセンサーにデータ送信する。データは、圧電結晶で極小の電気に変換されて脳に伝わり……脳波からの指示によって体の筋肉を強制的に動かし、どんな素人でも刀で適切に敵の攻撃を防ぎ、戦える……AIには、日本古武道の様々な流派に伝わる八百八十三の技をインプットし……戦闘で繰り出せるようにしてあるからな」
一気にまくしたてたせいで、広川は激しく咳き込んだ。
詳しい内容はちんぷんかんぷんだけど、この刀は俺でも自動的に操れる……ってことだけはわかった。いや、わかりはしたけど、とてもすんなりとは受け入れられない!
「俺にこの刀で人と戦えって言うの?そんなの無茶苦茶だよ!無理に決まってるじゃないか!」
「無茶苦茶だろうと、無理だろうと……やらなければ、君は殺される……」
「えっ?どうして!?どうして俺が殺されなきゃ……」
「禁門の変が起こるまでに狐火を見つけ、捕殺するつもりだったが……逆に虚を突かれた。元治元年六月十日の夕暮れ、鴨川の河川敷で暗殺者たちに襲われ、不覚にもこんなざまに……その場ですぐさま元の未来に戻ろうとしたが、携帯転送装置も刀傷を受けていてエラーを起こし、途中の時代までしか時代跳躍できず……」
広川は、時計タイプの器具をはめた左手首を持ち上げ、「そして、君に出会った……」と自嘲の笑みを浮かべた。
「じゃあまさか、俺たちはあなたが襲われた現場に逆戻りする……ってこと?」
「その通り……幕末に戻った途端、君は暗殺者たちと鉢合わせする……抜刀した侍が三人、その後ろに……狐火が……」
「冗談じゃないよ!そんな、刀で人を斬る?……できっこないって!」
「その刀に……刃は付いていない。人の体に当たっても、歴史の流れが大きく変わらない範囲内の打撃ダメージを与えるに留まるから、少しは安心しろ。さっきも言ったように、分子破壊砲みたいな武器でもなければ、現地人の命は奪えない……が、接近した相手が同じ未来人なら、時間遡行によって体に滞留する電子を感知し、刀身部分がオートでプラズマ化され、対象物が例え硬い金属で覆われていても溶断できる……」
広川の声は、もう口元に耳を近付けていなければ聞き取れないほど小さくなっている。
俺の頭は混乱し、もうリアクションもできない。
俺たちを囲む光の渦の動きが止まり、スーッと消えると同時に、眩しい西日が目の中に差し込んできた。