嘘つき聖女は神を愛していたか?
久しぶりに皆さんの目に届くような作品が出来ました。
『私、愛人がほしいわ。人選をして頂戴 【不定期連載版】』以来の恋愛モノとなります。
お楽しみください。
「はぁ、これはいよいよあたしの出番っすかねぇ」
売れるものは何でも売ろうと決めていました。
いまさら最後の一つを売ることに抵抗はありません。
別に悲しむような事でもありません、泣くような事でもありません。
その時までは、そう思っていました。
*
歴代の聖人や聖女の彫刻が並ぶ豪華な部屋があった。
そこで、死ぬにはまだ若すぎる妙齢の婦人が病の床に伏せていた。
彼女の眠るベッドは幾人もの人々に囲まれている。
そこは王宮の一室。本来であれば王の寝所である。
彼女は王妃だろうか?
いや、彼女を取り囲む人々の中には王冠を頂く王がいる。
王は彼女よりは随分と若い。それに彼女の手を取り泣いている女性の頭にはティアラが飾られている。
では、王の母親だろうか?
いや、彼女は独り身であるし、王は孤児だった。
王は言った。
彼女こそが建国の礎たる聖女だと。
騎士も言った。
今のこの国があるのは彼女のお陰であると。
「我が王国は彼女を聖女として、国を挙げた葬儀を行う」
しかし、その場に居たのは死にゆく彼女を悲しむものばかりではなかった。
「お待ち下さい陛下。この者の名は聖都の聖職者名簿にございません」
それは寄付金の名簿だろう!? と、喉まで出かかった声を王は飲み込む。
異を唱えたのは聖都からやってきた司祭達だった。
「間もなく大司教猊下がお越しになられます。猊下がこのものが聖女であるかを見極めて下さるでしょう」
その言葉を受けて、ベッドに横たわる女性がゆっくりと声を発した。
「まぁ、わたくしなどの為に大司教様にお越しいただくなんて恐れ多いわ」
「ならば、貴方の口からご自身が聖女であるか否か、ご説明いただけますかな?」
その頃、王宮に向かう一台の馬車があった。
天界からやって来たとしか思えないほどの豪華な馬車だ。
乗っているのは一人の男性。
その来訪を待たず、ベッドに横たわる婦人は静かに昔の話を始めた。
「これは懺悔です」
*
あの頃の私は、修道院で住み込みの下働きをしていました。
後で知ったのですが、戦争があったそうですね。
迫る戦火に最初に逃げ出したのは修道院の聖職者達でした。続いて貴族と役人、それから兵隊たちが売れそうな物なら何でも持ち出しました。
私達といえば何が起きているのかもわからず、ただただ不安な日々を過ごしていました。
教会に残されたのは、古着が入った家具とかわいい孤児たちだけです。
つい数日前まで富裕層の住む街でしたので、ゴミ箱を漁れば結構な食材を得ることができました。
とはいえ、人々が活動を止めた街です。
生活が行われなければゴミも出ません。やがて漁るゴミもなくなります。
兵隊が去ってから数日。今度は見たことのない兵隊が街にやって来ました。
街を占領した隣国の兵隊たちです。
そして、修道院には兵隊の警護を受けながら新たな司祭様もやって来ました。
「こちらです」
裏庭で仕事をしていた私は、男性の話し声を聞いて修道院を覗き込みました。
「ここがこの街の教会か?よしよし、誰も居ないな」
「炊き出し用の食材はどちらに降ろしましょうか?」
「まて、降ろす必要はない。それは商人に買い戻しをさせろ。しめしめ、やはりこの教区を選んで正解だったな。これでここの維持費は私のもの。返金は私のホテルに届けよ。銅貨一枚盗もうと思うなよ?神罰が下るぞ」
「それは、もちろんでございます」
この修道院は決して無人ではありません。ただ子どもたちがゴミ漁りに出かけ私は裏で掃除をしていただけです。
その会話を聞いた私は慌てました。せっかくの食料が持ち帰られてしまいます。なんとか炊き出しの材料を貰おうと強引な手に出ました。
私は残されていた修道服に袖を通します。
「ま、待ってほしいっす」
教会で下働きをしていたのですから修道女は毎日見ていました。
でも、自分が修道女に扮するなんて考えたこともありません。偽物と知れたらなにか罰を受けるのでしょうか?飢えるのも罰を受けるのもどっちも嫌ですが、飢えるときは子どもたちと一緒、でも罰なら私だけです。
司祭様はいぶかしげに私をにらみます。
「ここの修道女かね?」
「そうっす」
「若いな。責任者はどこかね?」
不在などと言っても二度と帰ってくることは無いのです。そんなウソを言ってもすぐにバレてしまうでしょう。
「院長様はその、戦争で怪我を」
「ほう?」
「それで、その……街から出ていって怪我を治してるっす。その間は、あたしに任せると言ってた……っす」
「ふむ。まぁ、残るバカは居ないだろう」
その場しのぎのでまかせでしたが、司祭様は納得して下さいました。
「それで、何の用で私を呼び止めた?」
「はい。ここはその、今はあたいだけですが朝晩は親のいない子供たちが寝起きをして、周辺のお年寄りも炊き出しを楽しみにしているっす」
それがどうしたと言いたげな司祭様でしたが、話を聞いていた兵隊さんが降ろし場所を聞いたため、渋々ながらも炊き出し用の食材を下さいました。
「それで、その司祭様。次の炊き出しはいつになるっすか?」
チッっと司祭様が舌打ちをされて、忌々しげに言いました。
「炊き出しは三日に一度だ」
兵隊さんは何が言いたげでしたが、司祭様に睨まれて言葉を飲み込んだようです。
私と言えば三日に一度でも炊き出しが出来ることに大喜びでした。
*
その日は久しぶりに豪勢な炊き出しが出来ました。
司祭様がくださった食材は三日分としては少し寂しい量ではありましたが、それでも大変ありがたい事です。
修道女の格好をはじめた私は、炊き出しを貰ったからには神様にお祈りをするべきだと考えました。
「食べる前に、みんなに話があるっす」
夕飯は豪華でした。
炊き出し用の材料を三日分に分けたものと、子供たちみんなで集めてきた残飯。
昼食は街の人々への炊き出しで忙しくて、私も子供たちもまだ食べていませんでした。
「今日からここは修道院になったっす」
私の宣言に子供たちは首を傾げます。
「ねーちゃん、ここって前から修道院じゃないの?」
「建物だけ修道院で勝手に住んでるガキンチョだったっすよ」
私は立ち上がり、スープが入ったお椀を掲げます。
「これは、神様から貰った食べ物っす」
おぉと子供たちがどよめきました。
「そして、これからも神様から貰うためにはお祈りが必要だと思うっす」
「ねーちゃん、早く祈りってのやろうよ!食べたい!」
「ねーちゃんでは無いっす、今からあたいの事はシスターと呼ぶっす」
私は改めて椅子に座り直しました。
「じゃあ、お祈りして食べよっか?」
スープを前に子供たちはソワソワしています。
「お祈りってどーやるの?」
そういえば、私はお祈りをしたことがありません。
「そうっすね。まずはスープのお礼っすね」
皆で声を合わせてお礼を言いました。
「神様に助けて下さいってお願いしたらいいのかな?」
「えー?なんか違うと思うっす。お願いなんてしても聞いてもらえなかったら神様を嫌いになるだけっす。だったらこっちから神様に明日もがんばりますって約束するっすよ」
「じゃぁボクは王様になって、みんなを幸せにする!」
「俺は騎士になってみんなを守るよ!」
「私は学者さんになる!」
「いいっすね。じゃあそのために明日は何をするっすか?」
「うんとね。早起きしてシスターの手伝いをするよ!」
「俺も!」
「私も!」
「じゃ、祈るっす」
「神さま、明日もがんばりますのでみててください!」
「神さまスープありあと!」
「神さま大好き!」
*
私と子供たちが思い思いに祈りを捧げていると、不意に男性の笑い声がしました。
驚く私達に一人の男性が姿を現します。
それは、若い貴族様のようでした。
彼は笑いをこらえながら、なんとか私達に語りかけてきました。
「ふはは。俺に構わずスープを飲むと良い、冷めてしまうよ」
「誰っすか?」
「いや、失礼。そのような祈りを初めて聞いたものでな。姿を見せるつもりは無かったのだが、笑いが堪えきれなかった」
私は子供たちに食事を始めさせると、貴族様を出迎えました。
「あの?貴族様がこんな修道院に何の用っすか?」
「炊き出しがあったと聞いてね、散歩がてらに様子を見に来ただけさ。君がここのシスターかい?」
「そうっす、あたしがここのシスターで間違い無いっす。噂では新しい司教様が炊き出しをすると決めたそうっす。おかげで助かったっす。きっと立派なかたに違いないっす」
貴族様は私の椀を眺めました。
「そうか。これが立派な司教からの施しか」
「美味しいっすよ。よかったら食べていくっすか?」
「頂こうか」
鍋に残ったスープを新しい器に入れて、私の椀から半分具材を移しました。
「食べる前には祈るっすよ」
「さっきのやりかたで?」
「祈り方法まちがってるっすか?教会に告げ口するっすか!? それは困るっす!」
貴族様がちょっと意地悪な笑みを浮かべます。
「そうですね。では口止め料をもらおうかな?」
私は全てを投げ出しました。目の前の私の椀を貴族に差し出したのです。
「これだけですか?他にもっと美味しそうなものが、ここにはあるようですが?」
私に伸ばされた手は、しかしお椀で遮られました。それはさきほど王様になるといった男の子の椀です。中には小さなニンジンの欠片が残っていました。
「おまえ! シスターをいじめるなよ! 食うならおれのを食え!」
それをみた子供たちが次々とお椀を貴族様に差し出します。
「これは参った、降参です。シスター、貴方はこどもたちに好かれているのですね?」
それでも子供たちは中々つきつけた椀を下げません。
「それはちょっと違うっすよ。さあ、みんな! 好き嫌いは駄目っすよ! ニンジンは自分で食べるっす!」
次の日から僅かですが炊き出しの材料が増えて、私達はそれをやりくりすることでなんとか生活が出来るようになりました。
なんでも若い神父様が立派な方で司祭様に炊き出しを増やすようにお願いしてくださったそうです。
そんな方がいつか大司教様になればいいと、みな噂していました。
*
婦人の話を静かに聞いていた司祭達であったが、祈りのくだりになると婦人の話を遮った。
「そのようなものは祈りではない」
「平民の祈りとは懺悔をすることだ」
「感謝と賛美はわれら高位の司祭が行うものだぞ」
司祭たちは怒りを顕にした。
「我ら聖都はそのような祈りを認可してない。祈りとは一日に十二回、決められた時間に、正しい所作で行うものだ」
それに対して婦人が優しく問いかける。
「まぁ、そうでしたの?でもそんなにお祈りばかりしていたら、仕事をする暇がありませんね」
司祭が呆れた様子を隠す事無く応える。
「労働とは前世の罪を償うものだ。我ら聖都の住人は前世で徳をつんでいるのだ、我らに労働の必要はない」
「あらあら。でしたらあの方が教えてくれた祈りは何だったのでしょう」
貴族の話をする婦人の笑みはとても幸せそうだった。
その笑みは司祭の疑念を呼び、国王たちを不安にさせた。
「失礼ながら、貴女はその貴族の若者に心を奪われたのではありませんか?」
「私がその答えを出すのは、もう少し先のお話ね」
婦人は懐かしい恋の話をもったいぶるかのように応える。
「修道女と婚姻が許されるのは高位の司祭以上だけですぞ! 貴族に心を奪われるなど許されることではない。やはり、貴女には聖女の資格など無いのでは?」
国王が怒りに震え司祭につめよる。
「そもそも我が国が先生を聖女とするのに、聖都にとやかく言われる筋合いはない! お前たちは戦火とともに逃げ出したではないか。こちらに向かっている大司教とやらも、我らが安全な国を立ち上げてからようやくのこのことやって来るのだろう、それでよく国教だなどと言えるものだな!」
「そのような冒涜を言えば、神罰が下りますぞ! 聖都にさからえば我らを国教とする列強各国が黙ってはいませんぞ!」
そして、司祭は一冊の本を取り出す。誰もが知っている、それは聖書だ。
司祭はその聖書を婦人に差し出す。
のこり短い命に対する、教会からの手向けなどでは決して無い。
「これらの事は全て聖書に書かれているのです。そうですよねシスター?」
先程まで司祭に詰め寄っていた国王の顔が青ざめる。
「そういえば、シスターが聖書を読んでいるところを見たことがございませんな。よろしければ私どもに読み聞かせて下さいませんか?」
司祭が聖書を開き、婦人に突きつけて見せた。
婦人は静かに聖書の第一章、第一節を話しはじめた。
しかし、司祭が開いているページは聖書の中程であった。そこが第一章のはずはない。
「ごめんなさいね。せっかくあの人が教えてくれたのに私が覚えているのはここだけですのよ」
婦人の手を握っていた王妃が顔を伏せる。
「私は聖書を読んだことがありません。私は文字が読めないのです」
*
それから暫くは静かな時間が流れました。
あの貴族様はそれからもときおり修道院に足を運んでくださいました。
彼はなによりも夕食のときに行う私達の祈りを聞くのが好きな様でした。
私は我儘を言って、夕食の後に聖書を読んでほしいと頼み込んだのですが、私は勉強が苦手で結局文字を覚えることは出来ませんでした。それに彼もあまり聖書は好きでは無かったようです。
それでも子供たちの中でも年長者は、貴族様に文字と算数を教わることが出来ました。
あのひとのお陰で、こんな私に育てられた子供たちでしたが将来はちゃんとした仕事につけるのではと私は楽しみでしかたがなかったのです。
でも、そんな日常は長くは続きませんでした。
三日に一度だった炊き出しは四日に一度となり、週に一度となり遂には、いつ届けられるかもわからなくなってしまったのです。
新しい司祭様になにかあったのでしょうか?
ちょうどその頃から、あの貴族様も修道院に顔を出さなくなりました。
あの方のおかげで、子供たちの中には商人の元で下働きが出来るものも出ていました。
しかし、職人の弟子などは本人の食事はでるもののお給料が出るものではありません。
まだ、仕事に出られない小さな子供たちだけではゴミ漁りにも限界があります。
私も働きに出るべきでしたが、小さな子供だけを残しては行けません。
それならばと、近所の子供を預かって食材を分けてもらっていましたが、お金にはなりませんでした。
お金。
そう、修道院にはお金が必要でした。
九歳を迎えた子供たちをギルドに送り出し、その手に職を持たせるためには、どうしても準備金が必要でした。
お金を得る方法はあります。
それは修道服に袖を通したあの日、あの炊き出しが届かなれば既に選んでいた方法です。
その日、私は自分の為だけに祈りました。
「神さま。私は明日、聖職者の住む地区にゆきます。どうかその前に、最後にもう一度あの方に会わせて下さい」
私の頬を涙が流れました。
「お前はまた奇妙な祈りを捧げているのだな」
久しぶりにやって来た貴族様はなんだかとても不機嫌でした。
「驚いたっす。あたしは神さまなんて、やっぱり居ないんだと思ってたっす」
「それよりお前! いったい何をする気だった!?」
貴族様が私の肩を強く握り迫りました。
「もう一週間も炊き出しが途絶えてしまったっす。なんとかやりくりを続けてるっすけどね。子供たちより近所の年寄りや病人がもう限界っす」
「届いていないのか? 炊き出し」
「新しい司祭様はいいひとらしいから、何か困ったことがおきてるっすかね?」
「そんなわけがあるものか。三日に一度の炊き出しも惜しくなったのだろう。横領しているに決まっている」
「横領ってなんすか?」
「炊き出しを買うお金を自分のものにしているってことだ」
「だったら、司祭様はお金をもっているっすね。それは良かったっす」
「もう一度聞くぞ、何するつもりだった?」
「あたしは炊き出しをしてたっすから、街の人は神さまの罰を怖がって、私を買ってくれないっす。だから富裕層の住む区画にゆくっす」
「そこなら、お前と子供たちを養えるほどの金でお前を買えるやつがいるのか?」
「あそこには聖職者だけの地区があるっす」
「聖職者がシスターを買うのか?」
「買わないっすよ。少しばかり結納金をもらって司祭様の妻になるっす。ただ夜明け前にその妻が修道院に逃げ出して司祭様は追わないだけっす。夜になったらまた別の司祭様の妻になるっすよ」
「シスターは神の伴侶ではなかったのか?」
「いやぁ、家族を飢えさせるような旦那に義理立てする操は無いっすよ」
「この国の聖職者は腐っているな」
「あたしも明日からその一人っす。だから今日、貴族様にあいたかったっす」
「俺に会ってどうするつもりだった?」
「どうしても伝えておきたいことがあったっす」
貴族様が来てからも私の涙はとまりませんでした。
いえ、このころにはもう涙で喉の奥がギュッと詰まってさえいました。
私は、なんとか言葉を絞り出しました。
「好きです。神さまよりも」
*
婦人の告白に司祭たちは遂に言質を得た。
「やはり、貴族に身を売ったのだな! このような女を聖女だなどと認められるわけがない!」
王を始めとする王国の者たち、特にあの修道院で育った者たちは恩人であるシスターの告白を否応なしに受け止めるしか無かった。
あの貴族の事は今でもよく覚えている。
そして、年相応に貴族の来訪を心待ちにしていたシスターの気持ちも、今は痛いほどにわかってはいる。
あの修道院を出た宰相が声を絞り出す。
「先生。どうか、どうか今の発言を取り消して下さい。貴女の愛は神にあったと言って下さい。そう言ってくだされば、必ずや貴女を聖女にしてみせます」
あの修道院の子供たちにとって、まもなく天に召されるシスターを聖女とするのは恩返しのつもりであった。
「いいえ。わたしはあの方を愛していました」
「しかし、私達はあの日からあの貴族を見ていません。先生も会ってはいないはずです」
「そうね。でもあの日から修道院には私達が飢えないだけの食料と、あなた達をそれぞれのギルドに預けるだけのお金が贈られるようになったわ。私は今でも約束通り、あの方が迎えに来るのを待っているのよ」
そのとき、先触れを伝える使者が現れる。
「大司教猊下がお見えになられました」
*
ついに婦人を見定める大司教が現れた。
白を基調として金の刺繍をあしらった法衣を身にまとった長身の男性だった。
ベッドを取り囲んでいた司祭たちが、我先にと大司教を取り囲む。
「ようこそ、お越しくださいました、大司教猊下」
「遠路はるばるお疲れでございましょう」
「ですが、我々の方で尋問は済ませてございます」
「あの者は、神を愛していないと間違いなくハッキリと申したのです」
大司教は矢継ぎ早にまくしたてる司祭達を軽く手で抑えると、ゆっくりとベッドに歩み寄った。
皆が固唾を飲むなか、婦人と大司教が対面する。
「お久しぶりですね、大司教猊下」
微笑む婦人に大司教は怪訝な表情で眉をひそめる。
「失礼ですが、以前お会いしたことがありましたかな?」
あれからもう随分と年月が経っている。
この聖職者が婦人を覚えていないのも仕方のないことだった。
「おぼえていないっすか? あの街外れの修道院にいたシスターっすよ」
大司教の顔がみるみる青ざめてゆく。
「まさか! その下品な言葉遣いは!?」
そこに立っていたのは、あの炊き出しを持ち去ろうとしていた元司祭だった。
「魔女だ!」
大司教が婦人を指差し叫んだ。
あの炊き出しの横領は、大司教が出世するための足がかりにつかったのだ。
司祭どもなら金を掴ませていくらでも口止めできる。
しかし、国王たちは不味い。
どこまで話したかはわからないが、万一にも自分が横領していた司祭だなどと知られるわけにはいかない。
大司教は部屋の彫刻や絵画を指し示した。
どれも聖人や聖女のものだ。
「魔女め! これほどの聖人に囲まれていながら、聖女を騙るなど許しはしない!」
「魔女ですと? ではこの女が貴族の情婦だったというのは?」
「間違いがない。たった今、神からお告げがあった。この女は情婦にすぎず、聖職者を騙る魔女なのだ!」
大司教はもはや王国との確執などかまっては居られなかった。
「この魔女を即刻処刑しろ、この国も破門にする!」
このような田舎の小国など切り捨ててしまえばいいと考えたのだ。
「先生! どうか魔女ではないと言って下さい。先生がそう言ってくだされば王国は必ず先生をお守りします」
婦人は小さく首を振った。
「こんなに大変な思いをして育て上げた子供たちの国を、いまさら私のために苦労させる気はありませんよ。あなた達が立派に育ってくれた。私はそれだけで満足よ。
――ただ、最後にあの方に逢いたかった。
婦人の頬を涙が伝う。
あの日、貴族と最後に別れたとき以来ずっと堪えていた涙だった。
*
鐘が鳴る。
教会の鐘が鳴り響いた。
幾重にも幾重にもはるか遠くから鐘の音が響いてきた。
聖女の肖像画が動き出し手を合わせ祈りを捧げた。
聖人の彫像は台座から降りて膝をついた。
「魔女が正体を現したぞ!」
司祭たちが慌てふためく。
バルコニーから一台の馬車が空を駆けて入ってきた。
それは、天界からやって来たとしか思えないほどの豪華な馬車だった。
騎士が馬車とベッドの間に割って入る。
あの修道院から巣立った騎士だった。
しかし、騎士は馬車から降りてきた男の顔をみると、男に道を譲ってしまった。
男が大司教に向かって言った。
「我が妻を泣かせるとは、いい度胸だ。覚悟はできているのであろうな」
驚いた大司教は司祭や神官騎士たちに狼藉者を取り押さえる様に命じる。
しかし、その半数は石像と同じく乱入者に膝を折り祈りを捧げていた。
「いったい何をしているのか!」
「大司教様こそ何を言っておられるのですか? この御方こそ我らが神ではございませんか」
大司教は状況が飲み込めなかったが、金ではなく徳で高位となった者たちが一様に膝を折っているのを見ると行動に出た。
「神よ、よくぞおいで下さいました。わたくしは聖都の大司教でございます」
「誰だお前は? お前の祈りなど聞いたことがない。邪魔だそこをどけ」
大司教が膝から崩れ落ちた。
「いや待て、我が妻を魔女と呼んでいたな? この女は修道女だ。修道女が神に惚れて何が悪い。もともと俺の女だ」
神が側によると手を握っていた王妃が、場所を譲った。
椅子に座り婦人の手を取る。
「あの日、この身を売ると言った私に呆れて姿を消したのかと思っていました」
「お前が再び泣く事があれば、いつでも迎えに来るつもりだった。」
「飢えないだけの施しを頂きました。そうなるとやることがイッパイで、泣いている暇なんてなかったのです」
神は王国のものをゆっくりと見渡した。
「それだけではない。あのときこの子らは、もう二度とお前を泣かさないと俺に誓ったのだ」
「あの妙な言葉はもう使っていないのだな?」
「そうっすね。ふふふ」
「泣いていたな?」
神が婦人の頬を指で拭った。
「貴方に逢いたくて泣いてしまいました」
「そうか、泣かせたのは俺か。――約束通り迎えに来た」
神が婦人の手をとり立ち上がった。
皆、今にも婦人も立ちがってあの馬車で行ってしまうのだと思えた。
二人の再会を見守っていた王国のものたちも、たまらずベッドに寄り添った。
「神よ! 私達はこの国はまだ先生のことを必要としています」
国王が神に願い出た。
「お前のことも覚えているぞ。ニンジンは食べられるようになったか?」
「いいえ。先生が居なければ今でも食べたくはありません」
「まだ心配をかけていると言うのだな? お前が我が妻を泣かさぬなどと祈り誓うものだから、こんなにも迎えが遅くなったではないか」
「神よ、先生はまだ死ぬには若すぎます。聖都の権威が地に堕ちた今、ふたたび世界は先生を必要としているのです。我らに新しい求心力が必要なのです。それでも先生が死ぬ定めというのなら、先生を聖女とお認め下さい」
皆が神をじっと見つめる。
その神気を恐れ目を逸らすものは居なかった。
「なるほど。よし、そこまで言うなら仕方がない。いや仕方がない。そこまで言われてはな。では小僧、我ら夫婦の住まいを用意するが良い」
「は?」
「新婚を引き離そうと言うのか? 酷いやつだな。俺がこちらに住もう、婿入りでも良いぞ?」
「――そして我が妻であれば、聖女ではなく女神と呼ぶべきだろう」
*
「聖女様! 聖女様はどちらに!?」
王宮で侍従長が聖女を探し回っていた。
いまや神本人とその伴侶が住まうこの国は世界の中心となった。
かたや神の信任を得ていない事が露呈した聖都の権威はあっという間に地に落ちてしまった。
真っ当な聖職者たちは喜んでこの国に移り住んだ。
一方で、聖都の権威に固執した者たちの末路は哀れだった。いくら金を積み虚勢を張ろうとも神が直々に聖職者の資格なしと断ずるのだ。
「どうした?」
その世界の権力者を次々と断罪していった神が、侍従長に声をかけた。
「ああ、なんだ神ですか。神よ先生を、いや聖女様を知りませんか?」
神はその問いになんとも情けない応えをする。
「おいおい、なんだ神ですかは無いだろう? 俺は神だぞ? しってる?神様。けっこう偉いぞ?」
実のところ神はこの国の民の扱いに困っていた。
この国の民、特にあの修道院から巣立った彼の妻を先生と呼ぶ連中だ。奴らは神をそれはそれはぞんざいに扱う。
「列強の王や皇帝たちが、先生にご挨拶をと押しかけてきているのですよ、神」
しかし、心を読める神はその彼らが心の底から神を敬って居ることも分かるのだ。そして、大事な先生を助けてくれた感謝の気持ちと、その先生を独占している神への嫉妬も痛いほど知っている。深く敬虔な神を敬う心と、それを僅かに上回る嫉妬が神をぞんざいに扱う理由なのだからなんとも対応に困っていた。
「我が愛しの妻は疲れているのだよ」
神の身にまとう貴族風の服は僅かに乱れていた。よく見ればその肌は僅かに紅潮しており、息にも乱れがあった。
「貴方はまた真っ昼間から先生を! 先生はまだ病み上がりなのですよ!」
「だからこそ我の神気を分け与えてだな……まぁ、わかったわかったそう怒るな、俺の責任は認めよう。すまぬ、全く我慢できなかったのだ。しかたがない。妻が身なりを整えるまで俺が代わりに会ってやる」
*
謁見の間、いや礼拝堂と呼んだほうが正しいのだろうか。
その大広間には王冠を戴いた者たちと、ティアラを飾る娘たちがずらりと並んでいた。
列強の王達は各国から選りすぐりの美姫を連れてきたのだ。
上手くゆけば神の巫女として、それが駄目でもまだ若い王の側室として神の国との繋がりを持とうと考えたのだ。
「どうか、我が娘を側に置いてくだされ」
神本人が現れるという望外の好機に、王達は自慢げに美姫を誇り神へアピールした。
戦火から立ち上がったばかりの小さな国、王族も貴族も元は平民ばかりだった。
大国が何代も美女を迎え入れて作り上げた美姫に比べれば、この国の貴族など全く比較にならない。王など簡単に籠絡出来る。ましてや、聖女はもともと孤児だと言うではないか。神の寵愛すら難しくはないだろうと企んでいたのだ。
「なるほど、賢そうな娘だ」
神が美姫をまじまじと見定める。
王達は信徒の礼をしながらも、心のなかでは獣を罠に追い込む様に狩を楽しんでいる。
「よし、娘。お前には鍛冶屋の三男坊がお似合いだろう」
列強の王はギョッとした。
最上級の美貌だけではない、知性と教養を備えた自慢の娘を連れてきたのだ。
それが、貴族どころか鍛冶屋の三男とは! しかし相手は神だ、到底逆らうことなど出来はしない、だがこれは余りの仕打ちだ。
その時、一人の女性が現れ神の横に立つ。
病に伏せていた頃とは別人のように血行は良くなり、いまや神気を帯びて輝いていすらいる。
列強の王達は、美姫への仕打ちすら忘れてため息を漏らす。
神がその女性の腰に手を回そうとすると、女性はそれを止めるべく神の耳を引っ張った。
「痛い!」
これが、聖女。人から女神となった現人神。
列強の王達はとたんに娘を連れ帰りたくなった。この聖女に比べれば随一と誇っていたはずの美姫など子供にしか見えない。
そして、ため息を漏らしたのは美姫達も同じだった。
「列強の王様方、私の夫が失礼を致しました」
聖女の微笑みに、列強の王はますます熱を上げる。
「我が夫は、なまじ心が読めるために言葉足らずなところがあるのです。あなた、あなたがこのお姫様に勧めた方はどんな男性ですの?」
「ああ、鍛冶屋の三男坊か?奴は見どころがある。品行方正にして頭脳明晰、日々学ぶことを忘れず今や次期宰相になるのではと言われる男の一人だ」
神がそれほどに認める男であれば、確かに能力には不足が無いだろう。だがしかし、列強国家の皇族として地位か名誉。爵位でも協会の地位でも良い。つまり箔があまりに足りない。
「昨日も遅くまで飲んでいらしたのでしょう?」
「ああそうだ。あいつとは旨い酒が飲める、最高の飲み友達の一人だな。おい、お前。もし、あいつがお前の国に仕官しても俺と飲む時間までは奪うなよ。いくら優秀でも働かせ過ぎは駄目だ。何より俺がつまらん」
列強の王達は色めきだった。
「神のご友人であらせるのですか!?」
「そんな大層なものではない、ただの飲み仲間だ」
神が降臨し、聖都の権威は地に落ちた。
そんななかで、貴族でも神官でもない新たな価値観による特権階級が生まれる。
神の友人。これほどの人材が居るだろうか?
「あ、ありがたき幸せにございます!是非ともその鍛冶屋のご子息を我が国に迎えさせて頂きます」
「あら、無理強いは駄目ですよ。お互いの気持ちが大事です。姫様?」
聖女が美姫の手を取り、立ち上がらせた。美姫は聖女へうっとりと憧れの視線を向ける。
「あの子はきっと貴方の美しさに気後れしてしまうわ。あなた方の様なご令嬢は見たことすら無いのですもの。絵本から飛びだしてきたお姫様にメロメロになってしまうわね。でも、優しくしてあげてね」
美姫が小さくハイと答える。
「こんなところで、夫の戯れ言にからかわれていても仕方がないわ。あちらにお茶とお菓子を用意させていただきました。姫君方は私とお茶を楽しみましょう。それでは列強の王様方、私達はこれで失礼させて頂きます」
その微笑みに、美姫達は父王たちがこの聖女に心奪われる事を心配しなくてはならなかった。
「わが妻よ、それは余りにつれないではないか? 俺はこんなにもお前を愛しているというのに、これでも神なんだぞ?」
「あら、だんな様。私は貴方のことを愛していますよ。神よりもずっと」
おしまい。
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