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 蒼也はスマホを見つめながら深く思案していた。文字を打ち込んでは消す。それを何度も何度も繰り返し、果てには指が完全に止まってしまい、思考も停止してしまった。


 蒼也は碧夏にメッセージを送ろうとしていた。しかし、なんて送れば良いのか。挨拶から始めればよいのか、『この前はありがとう』といった、自然風にすれば良いのか、ずっと迷っていた。メッセージを送る建前が見つからないのだ。

 蒼也は正月に『今暇?』と送った。


 すぐに既読が付いた。


「珍しいね。暇だけど、遊べない」

『SNSで話しかけるとき』

『理由が必要だよね?』

「必要でしょ」

『どんな理由がある?』

「なんだそれw」

「つまり、蒼也は話かけたいけど」

「理由が見当たらなくて困ってるってこと?」

『そうかも』

「乙女かよw」

『悪かったな』

「じゃあその人に、

 僕と同じこと聞けば?」

『どういう意味?』

「その人に、他人に話しかけるとき」

「どんな理由がありますか?」

「って」

「これも立派な理由でしょ?」

『なるほど、そうかもしれない』

『ありがとう、絶対やらないけど参考にはなった』

「おう!頑張れ!」


 蒼也はスタンプを送信するとスマホを机の上に置いた。

 水滴が薄い金属の板に叩きつけられる音が部屋の中で響いた。部屋の中はとても静かなので、その音は六畳一間の中を駆け回る。


 台所の蛇口が少し緩んでいたみたいだ。蒼也が作業しているデスクから台所まで大股でたったの三歩。部屋は四階建てのうち、三階にある。アパートは東京にあるが、多摩地区の外れなので、家賃はとても安い。


 大股三歩で台所に行き、蛇口を捻る。台所の正面には三点ユニットバスがあり、そこの折れ戸が開いていたので、ついでに閉めた。また三歩でデスクに戻る。壁際には横倒しにされたカラーボックスがあり、大学の教科書や、小説、自己啓発書が並んでいる。その横には机がり、黒いノートパソコンと筆記用具一式、そして投げ捨てられたかのように公共料金の明細が置いてある。机の正面には折り畳み式のベッドがあり、その上には無造作に布団が敷かれている。


 テレビもゲームもない部屋だ。


 正月は何回か蒼也の部屋を訪れたことがあるが、きっと彼はこの部屋を退屈だと思ったにちがいないと、蒼也は確信した。彼は優しいので声には出さないが、表情を見ればわかるのだ。この部屋にある娯楽はパソコンと本くらいだ。台所の脇にある冷蔵庫も冷やすものが少ないので、もっと仕事をさせろと怒っているに違いない。


 テレビも食材が少ないのも仕方がない。お金がないのだから。


 一応この何もない部屋にもアドバンテージは存在する。それは、窓からの景色だ。


 このアパートは『大比企丘陵』という丘陵の一番高い所に位置する。窓から先は、棚田のように、階段状に建物が建築されているため、見晴らしがとても良いのだ。窓を一つの絵として考えたとき、上半分は、空で覆われている。そして、下半分は、民家、アパート、山のように大きいが遠近法で小さく見えるマンション、遺跡発掘のために、掘り起こされた土の山積、サッカー場、無名の大学キャンパス、畑、ガソリンスタンドにスーパーなど、人々の生活そのものが詰まっている。天気の良い夜には、六キロメートル離れた都市にある高層マンションの赤い航空障害灯がハッキリと見える。


 蒼也はこの景色を心の底から気に入っている。


 外はもう日が沈みかけている。雲が近い。部屋がだんだんと暗くなっていくので、蒼也はカーテンを閉め、明かりをつけた。

突然、電話がかかってきた。

知らない番号だった。嫌な予感がした。

恐る恐る電話に出ると、「もしもし」知っている声がした。あの独特な擦れた声にゆっくりとしたしゃべり方。これは蒼也の母の声だった。

 

彼はスマホを片手に顔をゆがめた。サルバドール・ダリが描いた『戦争の顔』のように、顔を歪めた。


「もしもし、何か用?」蒼也はなるべく平静を保ち、苛立ちを声に出さないように話した。

「ああ、久美子さんが蒼ちゃんに電話しろってうるさくてね。元気にしてる?」


 久美子さんは蒼也の叔母の名前だ。彼女母に何かを言ったみたいだ。


「元気だよ。今朝もラジオ体操四回も踊ったくらいだ。母さんの方は元気?」

「元気だよ。でも歳を取るって本当に嫌ね」


 独り言のように言う母に対して、蒼也はキツイ口調で「で、母さん。ギャンブルはやめられたの?」と尋ねた。


「え……ああ、パチンコね。もう随分やってないよ。それに蒼ちゃんが毎月お金送ってくれるから、本当に余裕があるのよ」


 母は明るい声で言った。


「そうかい。それは良かったよ。でもそれ、嘘でしょ?」


 蒼也は床を見つめながら語気を強めた。


「嘘じゃないよ。ちゃんともうやめた。やってないよ」

「母さんはそうやってまた裏切るんだ。知ってるよ何度も裏切られたからね」

「やってない」

「叔母さんから聞いたよ。母さん、生活苦しいんでしょ。だから、もっとお金が欲しいから電話してきたんでしょ?」


 蒼也はとても強い口調でまるで攻撃するかのように言い放った。

「え……それは……」


 狼狽する母を目の当たりにした蒼也は「ほら、やっぱり」と言った。

 彼は母にかまをかけたのだった。

 一つ、間を置いて母が言った。


「蒼ちゃん、今度一緒に山にでも行かない?小さい頃、家族でよく行ったの覚えてるでしょ?」

 話を逸らす母に蒼也は苛立ちを覚えた。しかし、それを表に出そうとすることは無かった。


「山?ああ、俺も行きたいけど、ここからだと遠いし、遊ぶお金も母さんにあげちゃっているから、また今度にしよう」

「いやいや、近いよ、近い……たか」

 まだ話を続けようとする母の話を蒼也は遮った。「とりあえず、今は忙しいから、また今度電話するよ。じゃあ、切るね」


 そしてついに、彼は強引に電話を切った。 

 スマホを机に置いて、腕を天井に伸ばして深呼吸をした後、彼はパソコンを閉じた。


 どんなものごとも、破壊するのは簡単だが、それを復元するのは難しい。人間関係も同様で、壊すのは簡単でも、戻すのは難しい。特に、一度切れた人間関係はどんなことがあっても、絶対にもう元には戻らない。蒼也はそう考えていた。何度も裏切った母とはもう二度と会いたくないと。


 ああ、肩が重い。嫌なことを思い出してしまいそうだ。

「繫華街でもぶらつくか」

 蒼也はため息交じりに言った。

 


 蒼也は一般的な家庭で育った、恵まれた少年だった。



 彼は一人っ子で、父、母、そして退職した祖父の四人で暮らしていた。

 母はとても厳しく、蒼也がいたずらをすれば鬼のようにしかり、父と祖父は寛容で、蒼也はよく怒る母から逃げるために、祖父や父の元で隠れていた。


 蒼也の母はとても教育熱心で、厳しかったが、全ては蒼也のことを思ってだった。

 とても幸せな家庭だった。

 しかしある日、幸せな家庭は父の死と共に崩壊した。

 事故死だった。


 ある日、蒼也は殴るような勢いでドアを開けた。

 部屋の中でくつろいで雑誌を読んでいた母は「どうしたの?」とびっくりした様子。


「ねえ、爺ちゃんから聞いたよ。またパチンコに行ったって、本当?」

 母はきょとんとした表情で「そうだけど」と言った。

「パチンコに溶かしたお金、俺があげたやつだとね」

「違うよ」

「そうだよね」


 蒼也は圧迫するかのように母に一歩近づく。


「先月も、ギャンブルのせいで生活苦しくなったよね。そして今月も。だから、俺がお金をあげた。生活費の足しにしてって。それを、ギャンブルに使った?ふざけないでくれよ」


 ベッドで寝そべっていた母は読んでいた雑誌を脇に置くと、蒼也の方を向いて座りなおした。


「確かにちょっとだけ使わせてもらちゃったよ。でも少しだけだから」

 母は親指と人差し指で『少し』を表現すると、ニッと笑った。

 蒼也は突然、母の胸ぐらをつかむと、「やめてくれって何かいも言ってるだろッ!」と怒鳴り散らした。


 すると母は「無理だよ。それに、ギャンブルやるなんて私の勝手でしょ」と抵抗した。


「ああ、確かにギャンブルをやる権利はあるかもしれないよ。でも、生活に影響が出るまでやるなんておかしいだろッ!」


「それもそうだね……」

 考え込む母。

 蒼也は胸ぐらから手を離そうとした。


「いつかは絶対やめるよ。約束する。でも、明日だけは絶対に行かせてもらう」

「は?てか、何でそんな挑発するみたいに言うだッ?」


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