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 蒼也は家から自転車で十五分くらいの所にある飲食店でアルバイトをしていた。このバイトを始めてからまだ二週間で、新人も同然だった。


「安岐君はさ、真面目なのは良いんだけど、無駄な動きが多いんだよね……」


 机をダスターで拭く蒼也の背中に店長が不満をぶつけた。


「はい、申し訳ございません」


 最近毎日謝ってばかりな気がするな。と心の中でぼやいた。


「仕事を早くこなすコツはね、手を早く動かすことじゃないんだよ。無駄を省くことなんだよ」

「はい」

「早く戦力になってね」

「はい」


 蒼也は大学以外の時間の多くをアルバイトで費やしてきた。おかげでサークルに入ったり、友達と遊んだりなど、大学生らしいことが何一つできないでいた。これも全部お金のためだ。だから我慢するしかない。そんな彼は当然のように彼女もいない。大学生らしいことをしてみたいな。と蒼也は時々思っていた。


 午前中のアルバイトを終えて、家で人心地つくと、お腹がグーと唸った。


 冷蔵庫を開けてみるが、まともなご飯が入っているわけではない。ほぼ空の状態の冷蔵庫から、もやしと卵を取り出すと、それらをめんつゆとマヨネーズと一緒に炒めた。卵は栄養が豊富に含まれている。もやしはお腹を膨らませてくれる。


 みすぼらしい昼食を済ますと蒼也はやることが無くなった。午後は暇だ。しかし、どこかで遊ぼうにもお金はないし、スマホで動画を見るのも飽きてきた。蒼也は再び身支度を済ますと、大学の図書館に自転車で向かった。


 蒼也はよく、暇になると図書館でDVDを借りて映画を見ていた。画面も小さいし、ヘッドホンを付けて鑑賞しないといけないので、開放感に欠けるし見れる作品数も少ない。しかし、蒼也にとっては数少ない娯楽だった。最近はネットストリーミングの普及によって、利用する人は少なくなっているみたいだが、お金の無い蒼也のとっては関係がなかった。


「やめてよ、ガハン君!わかってるんだから!」

「洋子!どういうことだってばよ!」

「実はね、私、他人の心が……読めるの……だから、あなたが私のリップ隠れて使ってるの知ってるんだから!」

「だったら、俺だって、俺だって言ってやる!実はな、俺がハンガーマンの正体なんだ!」

「そんなの知ってるよ!」

「だったらわかるだろ!俺が今まで、洋子に手を出す悪党の服をハンガーにかけては千切っては投げてきたんだ。ずっとお前を守って来たんだ!洋子!」

「ガハン君!」


 映画を見終えた蒼也は、感慨に浸っていた。素晴らしい映画だった。人間は必ず他人には言えないことを持っている。主人公はヒーローであること、ヒロインは他人の心を読め、それ故にずっと悩んできたこと。


 お互いずっと隠してきたことをラストで告白する所がなんと素晴らしい。そして同時に、もしかしたら、現実世界にも、他人の心が読めて、それ故に苦しんでいる人がいるのかもしれない。と蒼也は淡い期待を抱いた。


 普通に考えたら、そんなことはあり得るわけがない。という結論に至るが、本当にそうだろうか。本当に、この世界には誰も他人の心が読める人がいないと証明することはできるのだろうか。もしかしたら、本人が誰人にも言わないだけで、他人の心が読める人がいるかもしれない。どちらにせよ、悪魔の証明になってしまうが。


 そう思わせてくれる映画はやはりすごい。


 大学で無料映画を見ること以外に、蒼也はもう一つ趣味のようなものを持っていた。それは陸上競技場で走ることだった。とある理由でやめてしまったが、走ることは好きだったので、一週間に一度、町の外れにある陸上競技場に行き、遊ぶ感覚で走っていた。


 やはり、ただ走るのとは違い、トラックの上で走るのは楽しい。タータンの上をスパイクで走ると、まるで足がバネになったかのように跳ねることができる。歩道を走るのとは異なり、なぜかトラックで走ると緊張感が湧いてくる。基本、陸上競技場は共有して使われるので、知らない人の横で走ることが多い。


 また、走っている人以外にも、幅跳びや、高跳び、砲丸投げなどのフィールド競技の選手や、タイムを計るどこかのマネージャー、コーチや監督、休憩する選手、ジョギングをするおじさんなど、沢山の目が陸上競技場にある。走るとき、沢山の目に自分の走りが観察されているような気がする。


 実際に蒼也も「あの選手のフォームが綺麗だな」と選手を見ることがある。大会ではタイムを競うが、練習ではフィギュアスケートのように、見栄えの良さや技術が他人によって無意識に採点される。そんな雰囲気が緊張感をつくっているような気がするのだ。


 陸上競技場を定期的に使っていると、顔見知りが増えていく。


 日曜日、午後からアルバイトで、午前中は暇だったので、陸上競技場で走っていた。


 蒼也はスターティングブロックを準備しながら、トラックを走る人たちを眺めた。


 何人も地元の中学生をごぼう抜きするお兄さんは、いつも、十キロくらい永遠に同じレーンを無機質に走っている。無尽蔵の体力に、背中に棒が入っているかのような真っ直ぐなフォームはさながら蒸気機関車のようだ。


 そんなお兄さんに何回も抜かれながらも、自分のペースでゆっくりと走るおじさんは、確か田中さんだった。向こうも蒼也の顔を覚えていて、以前に一度だけ話したのを覚えている。


「あ、蒼也君!」


 スタブロを百メートルのスタート地点に置いた時、蒼也は女子に声をかけられた。


「夢原さん、お久しぶりです」と蒼也は挨拶をした。女子の平均身長より一回以上大きく、足も長い夢原は、同学年の大学生スプリンターで、よく自主練習にきているので知り合いになった。


「最近調子はどうですか?」

「上々だよ。蒼也くんは?」

「俺は……どうですかね?やっぱり日に日に遅くなっているのを感じます」と苦笑する蒼也。

「蒼也君はもったいないね……才能あるのに……私蒼也君の自己ベスト聞いたときビックリしたよ。それで陸上辞めちゃったって知ってもっとビックリした」

「才能ですか……そういえば、そろそろ恒例の地域大会ですね。出場します?」

「今回は予定が入ってて行けないんだよ。夏の方はいけるんだけどね。蒼也君は出るの?」

「はい、出る予定です」

「だったら、陸連に登録して大会に出ればいいのに……」

「はは……」


 蒼也はもう一度苦笑した。


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