相手の経験人数が見える能力
僕にはその人間の「経験人数」を見ることができる特殊な能力があった。
それ以上詳細なことは一切わからないが、その人の頭の上に浮かぶ数字がそのことを示しているということだけは確かだった。
僕には幼稚園から現在の高校までを共にする幼馴染の女子がいる。すごくかわいいわけじゃないし、誰からも好かれるほど愛想がいいということもない。
平凡という言葉がこれほど似合う人間もいないなというほど、波乱万丈からはほど遠く、可も不可もない女子だった。
小学生の低学年のあたりには、すでに僕は彼女への好意を自覚していた。長い間一緒にいたからか彼女とは家族以上に気が合ったし、何より一緒にいて居心地が良かった。
あれは高校三年の時だった。
夫婦だなんて茶化されるのはもう日常に成り下がって、なんとも思わなくなって久しく。
ある朝彼女の頭上にいつものように浮かんでいた0が1となっていた。
あいつに言い寄ってきている男はいないはずだし、彼氏もいない。なぜ? 誰と? そんな疑問が二週間くらいはずっと頭の中を支配していた。
彼女に何気なしに聞いてみたかった。
彼女ならば俺の質問に正直に答えてくれた気がする。でも僕はどんな答えが返ってこようと受け止められる自信がなかった。
そして僕は名案を思いつく。
タイムマシンを作って、彼女の初めてを奪った相手を突き止めてやると。あるいはその相手を出し抜いて、俺が過去を書き変えてやろうと。
勉強は嫌いじゃなかった。だが、その決意をしてからはこれまでの比にはならないほど勉学に取り組んだ。
それからの人生は、生きて研究するのに最低限必要な諸々と研究だけがあり、他のことはあまり覚えていない。いや、嘘だ。その期間の高校三年生の間の彼女の表情や言葉は今でも深く焼き付いている。
僕の好きな彼女の笑顔は他の男にも向けられているのだと思うといやでも記憶に刻まれた。
気づけば、タイムマシンを完成させていた。
どうにか二十代のうちに完成させることができた。
これから会いに行く彼女は高校三年生なわけだ。おっさんになってしまえば彼女に拒否されていただろうから。
彼女との再会。
色々と考えた。あまりにも問題が多く、最適解がどれなのか俺にはまったくわからない。
この選択が正しいのか微妙だ。
といっても、タイムトラベルの成功確率は0.004%なのだ。考えたって仕方がないのかもしれない。
僕は自分の作ったマニュアル片手にあまりにも多い解除していき、わずかのズレもないよう機器の数値の数を何度も確かめ、そしてボタンを押す。
成功だった。間違いなく「ここ」はあの日の前日、指定した空き地。
僕は自らのタイムトラベルの成功に喜びを感じつつ、何を優先させるべきなのかわかっていた。
彼女の元へ走る。
そして見つけた。
学校からの帰路を一人歩いている。
僕はその日友達との付き合いで彼女と下校しなかったのだ。
そして僕の目には彼女の頭上の数字が見える。
0だ。
彼女が僕のことを一目で認識できるのかとか、法的に大丈夫なのかとか、それ以外にも数えきれない不安があって結局僕は彼女に声をかけられずすれ違う。
ダメだな僕は。
歴史を変えることが怖いし、僕だと気づかれないのが怖いし、長年の夢が叶わないことを恐れている。
「ちょっと」と背後から聞こえ、もしかしたら僕が呼び止められたのかもしれないなんて考え、歩を遅くし軽く振り返った。
彼女がこちらを向いて立ち止まっていた。
彼女の頭の上の数字は1となった。
彼女に自分の尻尾追っかけ回してる犬みたいだね、なんて言われ笑ってしまう。
その通りだ。高校三年生の時、彼女の0が1になったのは、僕がやったのだ。僕は僕に振り回されていたわけだ。
しかし、彼女は僕が思っていたよりも僕を想ってくれていたようで、おじさんになりかけの僕のことを一目で僕だと気付いてくれたし、事情を聞けば笑って受け入れてくれた。
僕はそんなところも好きだった。
思い出してしまった。
「君に言わなきゃいけないことがあるんだ」
彼女の家のベランダで涼みながら僕は切り出した。
「一年以内に君は死ぬ」
「……そっか」
水難事故があって、彼女は無謀にも身を呈して今にも溺れそうな子供を救い出そうとした。
彼女は小学校の頃からスイミングスクールに通っていて泳ぎは人並み以上だった。けれど、その日はひどい雨で、川は茶色の激流。
結局彼女は死んでしまって、子供も救い出せなかった。
僕があの時彼女の隣にいればと何度悔やんだことか。
彼女にすべて話した。いつ、どの状況で、何があって、君が死ぬのか。
世界の矛盾など知ったことではない。
整合性を失った世界がどうなろうと知らない。
僕は彼女に生きて欲しかった。
異物の僕が世界に排除されたとしても、彼女が生きて、この世界の僕と結ばれてくれれば、僕はそれで十分だった。
彼女は深く息を吸うと破顔し、頭を僕の方に預ける。
「私は何度でも助けるよ」
「……うん。知ってた」
僕はそんな彼女を好きになったのだ。
それに、僕の時間であの子供を助けられず死んだ彼女も、未来の僕からこのように話を聞いていたはず。
つまりそういうことだ。
「私のためにありがとう。長かったでしょ」
「カップラーメンの麺が伸びるくらいにはね」
「そういうとこ好きだよ」
「……はは」
僕は泣き崩れた。
彼女は優しく僕のことを抱きしめてくれた。
結局、彼女の救いたかった子供は救われないし、
僕の救いたかった彼女も救われない。
それでも、どうしてこんなに報われたように感じてしまうのだろう。