第1-7 好き嫌い
「っ……」
私は言葉を失う。
これは、アレだ。リストカットってやつだ。
彼女の白い肌に、赤黒い線はよく映えて、一種の芸術作品のようにも見える。
よく見ると、傷痕は手首だけじゃない。
腕にも、古い傷痕のような線がある。
これは、えっと……アームカット……アムカ、って、言うんだっけ……?
「うん? どうしたの? 影山さん」
言葉を失った私に、不思議そうに首を傾げる茂光さん。
私はそれに、「だ、だって……」と言いつつ、視線を下げ、彼女の腕を見る。
その瞬間、彼女はハッとした表情になって、両腕を背後に隠す。
「茂光さん……」
「……影山さん……腕に傷がある子は、嫌い?」
その言葉に、私は息を呑み、顔を上げた。
見ると、茂光さんは悲しそうな、泣き出しそうな笑顔で、私を見つめていた。
「えっ……と……」
「じゃあ、もう少しだけ分かりやすくしようか」
そう言うと茂光さんは私との距離を詰めてくる。
ほとんどゼロ距離で、息がかかるくらいの位置に、彼女の顔がある。
その瞬間、私は息が止まりそうになり、つい仰け反った。
「影山さんは私のこと……嫌い?」
彼女にそう言われた瞬間、私は、心臓が止まるかと思った。
なんで……それを聞くんだ……。
私は未だに、その答えを見つけ出せていないのに……。
茂光さんのことをどう思っているのか。これから茂光さんとどうしたいのか。どういう関係でいたいのか。まだ何も、分かっていないというのに。
「……分からない……」
声を振り絞って、それだけ答える。
顔を上げると、茂光さんは落胆したような顔をして、無言で私から離れた。
「あ、でも……仮に嫌い、だとしても、それに、その……傷のことは、関係ないよ……」
どうにかそう答えると、茂光さんは微かに輝いた目で、私を見た。
私はそれにぎこちなく笑って見せた。
「……そっか……」
そう言った茂光さんの笑顔は、やはりどこか、偽物のようで……。
どう答えようか迷っている間に、茂光さんは着替えを再開してしまった。
仕方なく、私も制服を脱ぎ、彼女が出してくれた着替えに身を包んだ。
「そういえば、影山さんはどうやって帰るの? 外、まだ雨降ってるけど」
私が着替え終わる頃に、茂光さんがそう聞いてきた。
先程のことは、無かったことにでもするのだろうか。
……まぁ、その方が、楽だからね……。
「あっ……姉に、迎えに来てもらって……」
「お姉さんいるんだ?」
「うん。まぁ……」
「へぇ~……でも、この場所分かる?」
「電話で説明すれば、なんとか……」
「んー……」
茂光さんは唸るような声を漏らしてから、外を見た。
相変わらず外は豪雨で、雨粒が窓に打ち付けている。
「お姉さん……車?」
「うん……」
「そっか……じゃあ、車で来てもらえば、なんとかなるかな」
「……」
「電話、しないの?」
茂光さんが、どこか急かすように言ってくる。
私はそれにスマホを取り出し、一度部屋から出て、電話をする。
お姉ちゃんはちょうど大学の授業が終わった後らしく、アパートの場所も知っているようで、今から迎えに来てくれるらしい。
今雨宿りしているのが茂光さんの家であることを伝えると、声だけでも分かるくらいニヤニヤしてた。
『少しくらい遅れて行こうか? 茂光さんとの友好を深めるためにも』
「そ、そういうの、良いから……早くしてよね」
『はいはい、分かってるって。つれないなぁ』
いじけるような言い方でそう言ってから、姉さんは電話を切った。
私はそれにため息をつき、茂光さんの部屋に戻った。
「お姉さん……何だって?」
「多分、すぐに来る……このアパートの場所も、知ってるらしい、から……」
「そっか……」
相変わらず笑顔のままで言われた言葉に、私は俯いた。
やっぱり、彼女の笑顔はどこか、悲しいんだ。
「影山さん」
その時、名前を呼ばれた。
顔を上げると、ベッドに腰掛けた茂光さんが、私の目を真っ直ぐ見つめていた。
「私のこと嫌いなら、無理して付き合わなくても良いよ」
唐突な言葉に、私は息を呑んだ。
彼女は続ける。
「拒絶してくれても構わないし、私はそれでも平気だから。……だから、無理して一緒にいてくれなくても良いから」
笑顔のままで言っているのに、彼女の目は、なぜか、潤んでいるように見えた。
私はそれに何も答えることができなくて、ただ呆然と立ち尽くした。
それから、姉さんが迎えに来るまでの間、私と茂光さんが言葉を交わすことはなかった。




