93.無垢に迫る魔の手
残り一週間ともなれば、その時間はあっという間に過ぎていった。
あんまりにも飛ばして詰め込み過ぎると、リンディがダウンしてしまうので無理には出来なかったが。
それでも焦点を絞って教育したので、水属性に関してだけならば人前に出しても恥ずかしくない程度には仕上がったはずだ。
正直な感想を述べれば、まだまだ教え足りない位なのだが。
期限がある以上、これが精一杯だ。
少し駆け足過ぎたかな? とは思ったが、リンディが楽しそうだったので何よりだ。
「――先程、報酬をセレナ様のギルドカードに入金しておきました。主も感謝しております」
「勿体無いお言葉です」
ハミルトン経由でハンスからの謝辞を受け取る。
ライゼル様の言っていた約束の日には少しだけ余裕があるが、当日ギリギリまで働いて時間にゆとりを確保しない駄目な女だと思われてはいけないので、気持ち早めの切り上げだ。
リンディへの授業自体は昨日で終了しており、今日は単に依頼完了の手続きを行っているだけだ。
それとリンディは今現在、この邸宅には居ない。
何でも入学の目処が立ったので、聖王都に向けて早朝に旅立ったらしい。
今行ってすぐに入学という訳では無いようだが、入学の手続きの絡みで色々あるのだろう。
無事に報酬も入金されたようだし、これで懐も暖かくなった。
ハミルトンが用意した馬車に乗り込み、宿まで戻る。
今までやっていたのは家庭教師という頭脳労働であり、肉体的には大した疲労も無く、むしろ元気が有り余ってる位なのだが。
というかうら若き乙女がこんなにも恋焦がれて日々を悶々と過ごし身体を持て余しているというのに、ライゼル様が襲ってくる気配がまるで無い。
なんという紳士なのだろうか。でも、獣欲に任せて襲われたいという気持ちもままある訳で。
あっ、でもキスだけはして欲しいというか、キスの無い行為は流石に嫌というか。
そしてそしてそのまま大人の階段を駆け上がって見事懐妊! 御両親との挨拶! ウェディングロードを駆け抜けてゴールイン!
子供は三人、男が二人で女が一人。ファーマイング辺りにでも庭付きの一軒家を建てて、そこで夫婦仲睦まじく幸せな余生を送るの!
ふへへへへ!
「――セレナ・アスピラシオン様。いらっしゃいますか?」
ベッドに潜り込んでゴロゴロしながらトリップしていた所、部屋の扉を叩く音で我に返る。
「何か用ですか?」
「ハミルトン様がお会いしたいとロビーでお待ちです」
ハミルトンが?
何か書類不備でもあったのだろうか?
ベッドで少し乱れた衣服や髪を整え、ロビーへと向かう。
「セレナ様……!」
やや早足で、血相を変えたハミルトンが駆け寄ってくる。
――嫌な予感がする。
「どうかしましたか?」
「申し訳ありません。足労を掛けてしまいますが、もう一度邸宅まで来て頂けますか?」
「何かありましたか?」
「いえ、実は少々書類に不備がありまして……その手直しをして頂きたいのです」
「書類の不備ですか」
……絶対違うわね。
そんな些細な要件なら、ハミルトンがここまで顔色を悪くする理由が無い。
「分かりました。手荷物を取ってきますから、少し待ってて頂けますか?」
そうハミルトンに言い残し、一度部屋まで戻る。
……ロビーでは話せないような内容。
周りに聞かれたら不味いという事か?
どっちにしろ、ある意味普段通りの装備ではあるが、不測の事態を考慮して装備を固めておいた方が良さそうだ。
手荷物をまとめ、ハミルトンの元まで戻る。
とんぼ返りだが、再びネーブルハイム邸まで向かう。
馬車を降りると、玄関口で家主たるハンスが直々に待ち構えていた。
ハンスに促され、広間まで足を運ぶ。
「それで、そろそろ要件を話して貰っても良いですか?」
「……気付いていましたか」
「流石に気付かない程寝惚けた頭はしていないつもりです」
「これを、読んで頂けますか?」
ハンスが手にしていた、一枚の手紙。
それを受け取り、記された文に目を落とす。
――娘は預かった。
帰して欲しければ金貨一万枚を用意しろ。
二日後の夜までに用意出来なければ娘は殺す。
軍を動かしたりしても殺す。
受け取り場所は明日指示する。
「……護衛は、付けてなかったんですか?」
「無論付けていた! だが、この手紙が置かれていた場所のすぐ側に、死体となって転がっていたよ……!」
唇を噛み、表情を歪めるハンス。
愛娘を拉致されたともなれば、混乱を通り越して発狂していてもおかしくない所だが。
それでも受け答えをしっかりとしている辺り、勤めて冷静であろうとしているのだろう。
錯乱しても、決して娘は戻らないと頭で理解しているのだろう。
「――セレナ殿。折り入って頼みがある。私の娘を……リンディを、救い出して欲しい」
「……」
厄介事だろうとは想定していた。
だが、ここまでの大事だとは。
「救い出そうにも、場所や敵の数なんかが分からなければどうしようもありません」
助けたいか助けたくないか、ならば。
助けたいとは思う。
だが、現実的な問題としてそれが出来るかどうかがある。
私は探偵ではない。
それに、今から地道に探しても二日なんて期日には到底間に合わない。
「――いや、場所や敵の正体であらば想像は付く」
しかし、ハンスから飛び出したのは意外な回答であった。
「私の娘に護衛を付けるのだ。信用できて腕の立つ連中を複数人用意していた。それがこうも簡単に倒されるとならば、相手がそれだけの腕利きを用意しているとしか考えられない」
それはまぁ、確かにそうだ。
一人二人ならともかく、ハンスの言葉からしてもっと多いだろうし、それだけの数が奇襲で不意を突かれて一度にやられたとも考え難い。
状況証拠からして、そう察せられる。
「それが出来るだけの賊ともなれば――最早、砂狼の牙以外有り得ない」
――また、その名前か。
「元々、奴等の一味がこの近辺に潜伏しているという情報は掴んでいた。だが、"魔王"が直々に討伐に打って出ても尻尾切りで逃げ延びるしぶとい連中だ。恐らく、私達では討伐は不可能だろう」
砂狼の牙。
人も魔族も関係無く、世界を股に掛けて略奪を働く巨魁が率いる組織。
捕縛出来た賊も詳細は知らない末端構成員ばかりで、実情は不明瞭。
一度、"魔王"主導の各国連合で大規模な捜索が行われたけど、それでも幹部の一人も逮捕出来なかったって話だし。
いや、そういえば最近になって幹部が逮捕されたんだっけ。
主にライゼル様の活躍で。
「なので、全滅させろとは言わない。恐らく潜伏しているであろう場所は予想が付いている、だから……私の娘を、それだけを救って欲しい」
賊が約束を守るとも思えない。
金を用意したにも関わらず、リンディが殺された状態で発見された、なんて事も考えられる。
信用が無いから、賊と呼ばれているのだ。
どちらにしろ、強攻策に出る他無い。
「――分かりました。ですが、その分の報酬は頂きますよ?」
「勿論だとも。そこをケチる程私は落ちぶれてはいないつもりだ」
「それから……私一人では流石に手に余ります。出来れば、腕の立つ人員を可能な限り用意して欲しいです」
二つ返事で了承したハンスに任せて、私はそのまま邸宅に残り、少し仕込みをしておく。
――砂狼の牙、か。
そこらの賊と何が違うんだと今までは思っていたが、ライゼル様と一緒に行動するようになって、そのイメージはただの末端構成員だけに対するモノだったのだと思い知った。
無論、そう易々と後れを取る気は無いが。それでも、私よりも強いであろう人物が居る事は分かっている。
以前、刃を交えたユーリカという女。
あの時はフィーナと一緒だったから、何とか善戦出来ていたが……もし、これから向かう地にあのレベルの戦闘力を持つ人員が居たら、私一人ではどうにもならない。
私も強くなっているとは自負しているが、それでも、あの領域には程遠い。
――こんな時、ライゼル様が居てくれたらなぁ。
そんな事を考えつつ、リンディの無事を祈りながら、その時を待つのであった。




