60.誘惑
――想像以上に厄介な障害のお陰で、随分といらない消耗をさせられた。
だが、これで片は付いた。
かなり派手に出血はさせたが、それでも即座に傷口を塞いだから致死量の出血はしていない。
殴り付けて意識を奪ったのと体力の消耗でしばらくは動けないだろうから、取り敢えずフィーナとセレナには刀に触らないよう、それとミサトを見ておくよう伝えた。
この戦いは、目的じゃない。俺の目的はこの霊峰という魔力溜まりの地に付与世界陣の術式を刻む事。
その目的を済ませる為に先に進もうとした所、セレナも一緒に付いて来た。
ミサトを見ておくだけならフィーナ一人でも十分だし、それにこのミサトという少女が周辺の魔物や動物を粗方殺し尽くしてしまったであろう事を考えれば、特に差し迫った危険も無い。
「付いて来ても意味無ぇぞ?」
「私には、意味がありますよ」
クスリ、と愛らしい笑顔を浮かべるセレナ。
世の男の心を墜落させるような、そんな笑顔なのだが。良く見ると目が笑ってない。
明らかに何か企んでるような、腹に一物有りとか、そんな感じだ。俺が言えた事じゃないが。
襲撃の危険も無いので、とっとと目的地まで移動する。
セレナを振り切る位の気持ちで移動したのだが、杖に腰掛けて飛行するセレナは俺の移動速度に追い縋ってきた。
結構な速度で飛んだつもりなんだが。フィーナだったら間違いなく置き去りだな。
目的地への到着と、術式を刻む作業はものの数分で終わった。
一番大変な作業を終えた後の消化試合みたいなものだから、こんなものだ。
そのままとんぼ返りでフィーナのもとへと戻る。
フィーナは忠犬の如く、ミサトの側で腰掛けて周囲に気を配っていた。
「おう、馬鹿フィーナ。刀に触ったりしてないだろうな?」
「触ってないわよ」
ミサトの側に腰を下ろし、ムスッとした表情のままぶっきらぼうに言うフィーナ。
「……その刀のせいで、この人はこんな風になっちゃったの?」
「まぁ、簡単に言うとそんな所だ。こういう代物を見るのはフィーナは初めてだろうから説明すっとだな、強力な魔力の塊っていうのは、そっくりそのまま強力な思念の塊と言っても差し支えないんだ。強力な魔力を宿しているが故に、そういう代物は大体例外なく強力な武具防具なんだが、その強い思念に押し負けるような弱い精神の持ち主がうっかり触ると――」
「……こんな風になるんですね。精神汚染自体は知ってましたけど、ここまで酷いのは初めて見ました」
「この人、治るの?」
「傷は治した。命にも別状は無い。だが心がどうなるかなんてのは、流石の俺様でもどうしようもねえな。そこは、このミサトって女が自力でどうにかしなきゃならない問題だ……元凶は、取り除いたからな」
視線を、地面に転がったままの刀へと移す。
戦い自体には、余裕で勝利した。
ミサトという肉体への攻撃を躊躇っていたから苦戦しただけで、それを考慮外と斬り捨てれば苦戦する要素なんて何処にも無いからな。
だが、俺と打ち合った刀は結局破壊出来なかった。
それも、刀自体には容赦無く本気の攻撃をぶち当てたにも関わらず、だ。
つまり、この刀は俺の全力戦闘に耐え得るだけの耐久性を有しているという事に他ならない。
ミサトの腰に携えられていた、鞘を抜き取る。
今後どうするにしても、取り敢えずこの刀は回収しなきゃならないだろう。
こんな物騒な代物、転がしておいたら二次災害が起きるかもしれないからな。
ゆっくりと、刀のもとへ歩み寄る。
「……ライゼル?」
フィーナの言葉を無視し、俺は腰を屈め――刀を、手に取った。
―――――――――――――――――――――――
視界が、黒く塗り潰されるような感覚。
右も左も見えない、闇に包まれた空間の中、しわがれた老人のような、例え難い不気味な声が聞こえた。
「力が、欲しいか?」
耳ではなく、直接頭の中に響くような声。
この刀に宿る強烈な魔力、強大な思念の塊。
それが俺の身体を伝い、語りかけてくる。
「力? ああ、くれるってんならいくらでも欲しいね」
俺は、強くなる為に今まで行動してきた。
何年も、何年も、それだけを求めて。
「ならば喰らえ。肉を、血を、魂を。この我に捧げろ! 全てを喰らい、その魔力を我に注げ!」
声が、俺の感情を揺さ振り突き動かそうとする。
「それをすれば、俺は強くなれるのか? それで俺は"最強"になれるのか?」
「無論だ」
声の主に問う。
それに容易く是と答える。
「……お前を使えば、最強になれる……か」
それで本当に最強になれるってなら――委ねるのも、悪くない。
「なあ、本当に最強になれるのか?」
俺は、この世界で本当に"最強"と呼ばれる世界を、最も間近で見てきた。
アレを越える力を、お前は本当に持ってるのか?
「なあ、答えてみろよ」
刀に宿る意思とやらに、俺の求める"最強"の世界を見せ付けるようにして、記憶の一部を魔力として流し込む。
――ミスリル銀糸が綿飴の如く容易く溶解し、打ち合えば力量で押し負け、離れれば何もかも炎上溶解するふざけた熱量で焼き払われ、魔力で補強しなきゃそもそも肌一つ切り裂く前に溶解する圧倒的熱量で全身を覆われた、まるで太陽が人の形を取っているような理不尽で最強の勇者様。
――何年生きてどれだけ物事を知ってるのか分かったもんじゃない、底の知れない師匠。知識だけでなく身体能力まで化け物そのもので、姉弟子様と二人掛かりで行ってもまるで赤子をあしらうかのように容易く打ち据えられ、俺は幾度と無く地面を舐めた、俺の知る最強の師匠。
「なあ、本当にあの化け物を超えて、最強になれるのかよ?」
「我に、魔力を捧げよ。さすればどんな輩であろうと敵ではない。さあ、手始めにそこにいる女共の魔力を、魂をこの我に捧げよ」
魂は、純粋な魔力の塊。
魂を喰らい、その身に魔力を宿し己を高めていく。
成る程、この辺りにロクに生物が居ないのはこの近くに居る生物の魂を根こそぎ食い尽くした、つまり殺したからこんな風になってる訳か。
霊峰から離れないのは、周囲を漂う魔力をも少しずつ吸収する為。
魔力を喰らう剣、魔剣ってヤツか。
「殺せ、貴様の前に立つ全ての命を殺し尽くせ」
殺す。
強くなる為に、俺は何でもやってきた。
殺しもした、略奪だってした。それで強くなれるから、強くなる為に必要だから。
その為なら、俺は――
フィーナを、
「フィーナを、殺せだと? 馬鹿言ってんじゃねえぞ、オイコラ」
魔力が欲しいんだろ? だったらくれてやるよ。
手にした刀に向けて、俺の持つ感情、それを魔力として燃やして流し込む。
水を欲する相手の首根っこを押さえ付けて湖に沈めるが如く。無遠慮に、執拗に。
俺に語り掛けていた声の持ち主が、くぐもった苦しそうな呻き声を上げ始めた。
何だ?
この程度の魔力で押し負けるのか、お前は。
「そんな程度で覆るような差なら、俺は苦労してねえんだよ! このナマクラがァ!」
視界が、光で包まれていく。
闇に漂っているような感覚が消えていく。
片手に握られているその刀を、勢い良く鞘へと納刀する!
鞘に収められた途端、刀が漂わせていた妖しい煌き、妖しい魔力が欠片も残さず周囲から霧散した。
―――――――――――――――――――――――
「ちょ、ちょっとライゼル!? その刀って危ないんじゃないの!? 大丈夫なの!?」
声のする方向を向く。
気が動転してパニックに陥ったフィーナが心配そうに俺を見詰めている。
セレナは無言だが、手にした杖を俺に向けて構えている。
何かあれば、恐らく魔法で拘束する気だったのだろう。
万が一、億が一にそうなったなら、そもそもセレナに止められるとは思えないが。
「あーん? 俺様がこんなナマクラの魔力に押し負けるようなヤワい野郎な訳ねえだろ。鞘に収めたら大人しくなったし、抜かなきゃこれ以上この刀が悪さする事も無いだろうよ」
明確な受け答えをしてみせると、フィーナは安堵の溜め息を吐き、セレナは静かに杖を下ろした。
「ライゼル様。これでこの地でやる事は終わったんですよね? もう帰るんですか?」
「ああ、これでもうここに用は無い、とっととソルスチル街に帰るぞ」
「えっ? ちょ、ちょっと待って。まさかライゼル、このままこの人を置いていくんじゃないよね?」
「あ?」
「……」
無言のまま、視線で批難してくるフィーナ。
あー……面倒臭ぇ。
でも確かに、このミサトを斬り捨てたのは俺だしなぁ。
命に別状は無い、十中八九無いはずだが、それでも人体である以上絶対ではないだろう。
それに、急ぐとは言ってもこいつ等が付いて来る現状を考えると急ぎ過ぎても駄目かもしれない。
何しろ砂狼の牙の破壊工作によってロンバルディア内の鉄道網は麻痺しているのだ。
復旧には最低でも二週間、船旅での移動時間も考慮すれば向こうに着く頃には調度二週間が過ぎる。
だけど最低でも、という事はそれ以上掛かる可能性もある。というかその可能性の方が大きいと考えた方が良いだろう。
急いで向こうで足踏みしてたらそれはそれで何の意味も無い。
「わーったよ、数日位は様子見るぞ。それでも目を覚まさないなら今度こそ置いていくからな。取り敢えずフィーナ、お前そこのミサトを担いで下山な」
「私が!?」
「言いだしっぺだろ、嫌なら捨てていけ」
「ぐぬぬ」
ギリギリと歯軋りしながらも、フィーナは大人しくミサトを担ぎ上げる。
まあ、数日位なら良いさ。それで駄目ならはいさよなら、だ。
――確かに、悪人でも屑でもない、ただの被害者であるミサトを、このまま放り出すのは少し……ほんの少し、俺の心にチクリとくるからな。
心の平穏の為なら、たかが数日待つ位、許容するさ。
暑いとやる気が出ない
暑いより寒い方が良い




