59.片鱗の力
「お、終わったの……?」
ライゼルとミサト、どちらを気遣っているのかは不明だが、心配そうな声色でライゼルに訊ねるフィーナ。
そんな彼女の問いに、ライゼルは無言を貫く。その視線は未だ、土埃の向こう側へと向いていた。
眼を細め、いぶかしむライゼル。
魔力濃度が濃い土地柄に加え、巻き上げられた土砂や砂埃等でライゼルの持つレーダー網も一時的に不調に陥っており、五感を働かせねばならない状況。
――直後に土埃から飛び出す、妖しい煌きを湛えた白刃!
「ッ――!?」
咄嗟に短剣をかざし、その突き出された刃の軌道をそらす!
その突撃にはダメージの気配は感じられず、勢いはなんら衰えていないようにも思える。
ライゼルの渾身の一撃をその刀身で受け、ミサトは勢い良く吹き飛ばされた。
そう、吹き飛ばされたのだ。ライゼルが狙ったのは武器であるにも関わらず、だ。
武器が壊れたのであらば、ライゼルの放った破壊力となる運動エネルギーの大部分は外へと逃げる。
人体が銃弾を受けた際、貫通しているよりも体内に留まった方がダメージが大きいという理屈と同じである。
武器が破壊、つまり貫通していればミサトへと運動エネルギーはそこまで伝わらない、つまりここまで派手に吹き飛んだりしないのだ。
そして、ミサトがこの衝撃で武器を取り落としていてもここまで吹き飛んだりしない。
手にした刀を弾き飛ばされたのならば、弾き飛ばされた時点でミサトに運動エネルギーの伝達はストップするからだ。
だがしかし、刀は無傷。
あれだけの衝撃を、一点で受け止めたというのに。
刃が罅割れる所か、掠り傷一つ存在しない。
武器は破壊出来ず、ミサトが刀を取り落としもしなかった。
故にその運動エネルギーがダメージとなってミサトを襲ったはずなのだが……無傷。
否、無傷というのは違う。良く見れば多少の打ち身切り傷等で出血も確認出来るが、戦闘能力が落ちる程ではない。
傷は負っているが、戦闘には支障が無い程度、といった所か。
魔力で身体能力を引き上げているにしても、ライゼルの攻撃を受けてこの程度で済んでいるのは相当なものだ。
「うおっ、オイオイ……! これで破壊出来ないのかよ!」
流石にノーダメージはライゼルも想定外だったのか、思わぬ一撃を受け、防御こそ成功したものの、たたらを踏む。
そしてその隙を見逃す程、相手は愚かでは無かった。
即座に切り返し、刃を再び、逆袈裟懸け気味に振り抜く!
体勢を立て直すべく後方へ飛び退くライゼル。しかしそれを見てミサトも飛び込み追撃を加える!
横薙ぎを短剣で受け止める。
ミサトの片腕が刀から離れ、自然な動作で左手がライゼルの胸元に添えられる。
「――烈掌」
何かが砕けたような鈍い音と共に、ライゼルの身体がくの字に折れる。
ミサトが放った掌底がライゼルの心臓部分に衝撃を与え、まるで暴れ牛にでも突っ込まれたかのように吹き飛ぶライゼル!
細い木々を巻き込み圧し折り、やがて地面へと転がった。
「ライゼル様!? 大丈夫ですか!?」
「大丈夫に決まってんだろ。ちーっとばかし加減を誤っただけだっつーの」
直撃を受けたライゼルを心配そうに見守るセレナ。
手を出すな、というライゼルの指示に従っているので、決してその場から動かない。
ロクにダメージが入った様子も見せず、突風と共に姿を現すライゼル。
先程の攻撃は、ライゼルの身体に確実にダメージを入れる事に成功していた。
恐らく骨の一本や二本は折れていてもおかしくない。
しかし、ライゼルは無傷の状態でこの場に健在している。
ダメージを回復したというより、ダメージが無かった事になったようにも見える。
「剣士かと思ったら、徒手空拳でもやれるのかよ。魔法剣も使ってるし、器用だなオイ」
ライゼルの問いにはミサトは沈黙を貫き、追撃を仕掛けずに様子を伺う。
全くのノーダメージで振舞うライゼルをいぶかしんでいるのだろう。
確かに手応えがあったはずなのに、痩せ我慢ではなく完全にノーダメージなのだからおかしく感じて当然だ。
「面倒くせぇ」
土埃も全て吹き飛ばす、強烈な突風。
巻き起こる風と共にライゼルはその場から姿を消し、一瞬でミサトの背後に回る。
剣の柄から離していた片腕を掴むライゼル。
後ろ手に捻り挙げ、そのまま組み伏せ――それを察知したミサトが地を蹴り、捻られた腕の動きに合わせ器用に宙で回転しつつ、ライゼルの首を刈らんと刀を振り抜く!
反射的に後ろに飛び退くライゼル。
先程までライゼルの頭部があった空間を、ほんの僅かの時間差で凶刃が通り過ぎていった。
宙に身体が浮いた状態で、即座には動けないミサト。
片腕を振り抜き、髪の毛程に細いミスリル銀糸を放つライゼル。
先程のように弾くのではなく、今度はその刃で銀糸を切り裂いてみせた。
「これを斬るのかよ……縛り上げようと思ったのに本当面倒くせぇ」
小さく舌打ちするライゼル。
ライゼルはミスリル銀に己の魔力を流し込み、その強度を引き上げている。
しかしミサトの刀の前に切り裂かれた。
これはライゼルの力量というよりも、質量の問題であった。
この世界には、銃という武器が存在している。
女子供ですら容易く猛者を屠る破壊力を有する攻撃力を有するこの武器は、かつて世界から剣や槍で突撃する突撃兵を消滅に追いやった。
銃は剣を駆逐し、戦いは銃の独壇場となった。
しかし、この世界ではそうはならなかった。それは魔法という存在と、質量という壁。
武器には、魔力を流す事で強度や性能を引き上げる事が出来る。
それは剣の切れ味を引き上げ、銃の破壊力を更に向上させる事が出来るのだ。
故に、魔力による武器の性能向上は別に剣や槍や銃といった、どの武器だから出来ないという事ではない。
しかし、武器に込められる魔力量という限界は存在し、その限界量は材質というのもあるが、基本的に質量に比例するのだ。
剣や槍は、その持つ質量全てが破壊力である。しかし銃は銃自体は破壊力を持たず、あくまでも破壊力を発生させているのはそこから放たれる銃弾である。
銃弾はそれ自体の持つ質量は非常に小さく、どう足掻いても剣の質量には決して届かない。
ライゼルが放った銀糸は、ミスリル銀を細くした物。
細くした事で視認し辛くして防御や回避を困難にし、切り裂くだけでなく特定の場所に絡み付かせたり縛り上げたり等も出来るのだが、当然細くした分だけ質量は小さくなる。
刀という大質量と衝突し、その質量に流し込める魔力量の限界という力押しで、ライゼルの銀糸はミサトの刀に敗れたのだ。
だがそれでも、ライゼルの放つ銀糸による攻撃は木々の幹を両断し、容易く人体を輪切りにし殺傷せしめる破壊力を有するのは変わらない。
ただの鉄の鎧程度では防御出来ない事を考えれば、単純にミサトの持つ刀の有する力が大きいという事だ。
猫のような柔軟な足取りで着地するミサト。
その体捌きはとてもそこいらの娘の所業とは思えず、刀に宿った魔力によって操られている事を考慮しても、彼女自身に宿る天性の輝きを感じさせる。
再びライゼルに向き直るが、追撃はしてこなかった。
――それは、戦いの合間に僅かに覗いた光。
無表情のミサトの目元から、陽の光に照らされ輝く一筋の雫が零れ落ちる。
それは、涙であった。
戦いによって刀の魔力による精神支配が僅かに緩んだのか。
「に、げ……」
魔法の詠唱でもなく、それはただ、少女の懇願の思いが表れた言葉。
――逃げて。
あの時流れて来た魔力、精神汚染を受けた当時の頃から考えれば、既に数年単位でその精神を蝕まれているはずだ。
にもかかわらず、まだここに、少女の精神は残り続けていた。
支配された肉体の内で、ずっと抵抗を続けていたのだ。
誰にも手の届かない、孤独な戦い。
無関係の人に刃を向ける、抗いようの無い、刀の呪いとでも言うべき精神汚染に身体を支配され、心も蝕まれ。
それでもミサトは、ずっとそこに居た。
「……死んでも離す気は無ぇってか」
――何時もの調子が、ライゼルからストンと抜け落ちた。
眼から光が消え、ライゼルの普段の仮面ではない、本性が姿を現す。
引き裂かれたミスリル銀糸を片付ける。
開いた片手を懐に伸ばし、ライゼルはそれを取り出す。
銀色の懐中時計を手にし、それを力強く握り締める。
ライゼルの腕を通じ、流された魔力。
魔力反応により、蓋を閉じた状態であるにも関わらず、蓋の内から溢れ出る金色の輝き。
「――限定時感加速」
ライゼルは、ミサトとの戦いに苦戦していた。
ミサトの持つ天性の資質に加え、手にした刀という武器による補正がライゼルの思ってた以上に強力だったからだ。
体術による接近戦にも対応し、ミスリル銀糸は切り裂かれる。
短剣による攻撃も鍔迫り合いで拮抗し、防げない攻撃となれば見切って回避してくる。
ミサトにダメージを与えずに無力化する手段が、ライゼルは見つけられなかった。
ただの被害者にしか過ぎないミサトを傷付けないように立ち回っており、これ以上の攻撃はミサトという肉体自体を傷付けてしまう。
「――だったら、死ね」
ライゼルは、配慮を捨てた。
ミサトをなるべく傷付けず無力化するのを諦め。
「ライゼル! 駄目!!」
「時空裂衝爪」
フィーナの悲鳴にも似た制止の声は、ライゼルには届かない。
――気付いた時には、ライゼルはミサトの居た場所を通り過ぎていた。
銃弾が鉄板にでもぶつかったかのような、強烈な金属の衝突音が轟く。
眼で追うとか、とてつもないスピードだとか、そういう代物ではない。
そこで時間の流れが抜け落ちたかと錯覚するような、一瞬の交錯。
ライゼルは短剣を降り抜いた状態で、ミサトの背後に着地する。
それに合わせ、ライゼルの立っている場所とは少し離れた、ミサトの側で別のモノが地面を転がる音。
――刀を握ったままの、右腕。
ミサトの肘から先、鋭利な切り口を残してその先の腕が存在していなかった。
傷口から湧き水の如く溢れ出す鮮血。
苦痛に耐え切れず、絶叫を上げるミサト。
切り口をもう片方の腕で力強く握り締めながら、ミサトは地面でくの字に折れ曲がりながら倒れ込んだ。
刀は、ライゼルが思っていた以上に強力で、渾身の一撃が直撃してもビクともしない。
だが、いくら刀が強靭強力であろうとも、それを握っている人物を斬り捨てるだけであらばライゼルは何時でも出来たのだ。
「ライゼル!! 貴方なんて事を!!」
襟首を掴み上げ、怒気に満ちた言葉を投げ付けるフィーナ。
そんなフィーナを、冷ややかな――無気力な双眸が捉えた。
「邪魔だ、退いてろ」
片腕でフィーナを突き飛ばし、無くなった片腕の先から血が流れ続けているミサトを横目に通り過ぎ、その場で立ち止まる。
先程切り裂いた、ミサトの右腕を拾い上げる。
握り締める握力が消失し、あっさりと腕から零れ落ちる。
刀は力無く地面を転がり、その妖しい波紋にライゼルの顔が映りこんだ。
「クソが。要らねぇ消耗させやがって」
ライゼルは倒れ込んだミサトの顎を拳で打ち抜き、その意識を的確に刈り取る。
意識を失い、ミサトはその場でピクリとも動かなくなった。
ミサトの側で屈み、拾い上げた右腕をミサトの側に近付ける。
ライゼルの片手に収まった懐中時計から、再び金色の輝きが放たれた。
「――――――」
数秒程その場に屈み込んでいたライゼルが立ち上がる。
ミサトの右腕が、繋がっていた。
「……えっと、終わったんですよね? ライゼル様?」
「ああ」
決着が着いたであろう事を察したセレナが、ライゼルの元へと駆け寄る。
「ライゼル様って、回復魔法も使えたんですね」
「ん、ああ……まあ、回復魔法みたいなモンか」
大きく溜め息を吐くライゼル。
額からは大粒の汗が流れ落ちており、この僅かな間に体力を大きく消耗したであろう事を物語っている。
視線をセレナから、地面に転がった刀へと移すライゼル。
先程ライゼルが放ったのは、点ではなく面の攻撃。
コンマ1秒にも満たない、瞬く間で放たれる高速の連続多段斬撃。
短剣から放たれるその連続攻撃は、銀糸とは比べ物にならない魔力が込められており、その破壊力は銀糸による一閃とは比べ物にならない破壊力を有している。
その最初の一撃をミサトの腕に当て、両断する事で物理的に刀の精神汚染から引き剥がしたのだ。
最初の一撃以外は全て刀に当てたのだが、ライゼルの眼に映るのは、未だ健在の無傷の刀。
これでも破壊出来ない刀。
再び光が戻り、興味を示したような色を浮かべた目で、ライゼルはその刀を注視するのであった。




