56.霊峰の物の怪
霊峰の麓に生い茂る、原生林。
ありのままの姿が残るそこは、雨でも降ったのかそれとも朝露か、むわりとした青臭い臭いが鼻を突く。
木々の密度が濃く、視界が草木で制限され、魔物の接近があれば気付くのは遅れるだろう。
通常であらば。俺の索敵網から逃げられる奴なんざまず居ねぇんだが……
生憎、障害物が多過ぎるせいで電波レーダーの方は役立たずだし空気振動の方も精度が最悪な状態だが、魔力反応感知は問題無く出来る。
魔力溜まりの地点にもっと近付いたらこちらも怪しくなりそうだが、まあその時はしっかりと警戒すれば良いだけだ。
「取り敢えず、魔物が居たら普通にぶっ飛ばしちゃいますけど良いんですよね?」
「んー? まぁそうだなぁ」
手にした杖をブンブンと振りつつ、セレナが随分とやる気なので、もし魔物の襲撃があったらセレナに任せる事にした。
まあ、セレナが気付く前に俺が接近に気付きそうだから、俺が楽する為以外の何の意味も無いが。
レーダー網の50%以上が機能停止状態なので、少しだけ周囲に気を配りつつ木々を掻き分け進んでいく。
「でも、折角こんな遠くまで来たのに、すぐにとんぼ返りって何だか勿体無いね。折角なんだしもうちょっと色々見て回ったりとかしない?」
「ゆっくりしたいならお前だけ置いていっても良いぞフィーナ」
「でも少し位ゆっくりしたって良いじゃない。具体的に何してんのか知らないけど、そこまで焦ってするような事なの?」
「俺様、お前みたいに暇してないんですぅ~」
しなきゃいけない事なんて、いくらでもある。
そもそもの話、俺の全力戦闘に耐えられるような武器が手元に無い。
本気で振るえば、すぐに武器が破損して使い物にならなくなってしまう。
武器という制約のせいで全力が出せないし、出そうとするとやっぱり――魔力が足りないという結論に陥る。
もうじき魔力問題は解決する予定だが、それが終わったら今度は装備の問題に取り掛からねばならないし、そもそも雑魚をどれだけ潰しても成長なんざ有り得ない。
強い奴との戦いで、己自身の実力も高めねばならない。
時間なんて、いくらあっても足りない位だ。
「それにしても、何も居ませんね……」
周囲に視線を細かく動かしながら、足元の根っこに気を付けつつ足を進めつつセレナはポツリと呟く。
セレナは……あの様子だと多分気付いてるな。
「何も居ないなら別に良いんじゃないの?」
「ちげーよ馬鹿。何も居ないってこの状況がおかしいとか思わないのかテメーは」
気付いてない頭お花畑を小突く。
そう、何も居ないのだ。
これ程の鬱蒼とした木々の真っ只中、自然が沢山残ったこの状況だというのに、周囲から鳥の鳴き声一つ聞こえない。
まるでここは、死の森。
生物全てが死に絶えたかのような、命無き世界。
「鳥一匹居ないんだぞ、誰も入ってこない原生林なのに。こりゃ多分、小動物は全部死んでる可能性が高いぞ」
「それって一大事じゃない! えっ、もしかして私達も死んじゃうの!?」
「物の怪とやらが来たら、そうなるかもなぁ」
「でも、先に進むんですよね?」
セレナの質問には当然だと答える。
この地も、付与世界陣の構成術式に取り込む。
決定事項であり、変更は有り得ない。
更に先へ進んでいく。
徐々に傾斜が強くなってきた、本当の意味で霊峰の麓に来たのだろう。
魔力極点でも無いのに、嫌に魔力濃度が濃い。
魔力溜まりの地点としては今まで見た中でも最大規模だ。
お陰で魔力レーダーの方も精度がガタ落ちだ、普段使ってる索敵用のレーダー網が全滅だ。
木々の密度は、まだ濃いままだ。
もう少し登れば開けて来て空気振動と電波レーダーが復活するんだろうが――
「……何? どうかしたのライゼル?」
暢気なフィーナの声が背後から聞こえたが、取り敢えず無視だ。
今さっき、不自然に枝が揺れた気がするし、幹が軋んだようなお供した気がする。
ただの気のせいかもしれない。レーダーも不調だから確かめようが無いしな。
ただ、その二つの気配が同じ方向から来た。
一つだけなら偶然かもと断じたかもしれないが、二つ同時は、気になるな。
「……居るんですか? ライゼル様?」
俺の斜め後方、すぐ側に寄り添いながら耳打ちしてくるセレナ。
杖を構え、既に臨戦状態となっている。
「ま、どうせこの森には誰も近付かないよう言われてるんだ。だから見知らぬ誰かを巻き込む心配も無い訳で――」
気のせいなら、それで良い。
だから先制あるのみ、だ。
左腕の袖口から、ミスリル銀の塊を手の内へと滑り落とす。
それを握り締め、魔力を流す。
ミスリル銀は非常に魔力伝導率が高く、魔力を流す事で形状を変化させる性質を有する。
細長い糸状へ形状を変化させ、気配のした周囲を丸ごと削り取るような形で腕を薙ぎ払う!
短剣で対処するような近距離でもなく、さりとて魔法で薙ぎ払うような遠距離でもない。
このミスリル銀糸による斬撃は、中距離で役立つ攻撃手段。
魔力を乗せた銀糸が、枝葉をまるでバターでも切っているかのように容易く切り裂いていく。
幹も両断し――終える前に、銀糸を通じて手応えを感じた。
銀糸の軌道が意図しない方向に弾かれた。
抉じ開けられた空間を、黒い弾丸の如く飛来する影。
氷のように冷たく、青い目。薄汚れボロボロになった着物は、辛うじて衣服という体裁を取っているだけで、その機能は最早失われている。
胸元や腕、足には布が巻かれ、着物や布には赤黒い染みが転々と付着している。
恐らくあれは血だろう。自分のものか他者の返り血かまでは分からないが。
胸元に膨らみが確認出来たので、アレは女性だろう。ロクに切り揃えてもいない、野生児そのものな黒い長髪が動きに併せて靡く。
その本来であらば人目を引くであろう整った顔立ちには一切の感情が浮かんでおらず、無数の擦り傷が折角の美貌を台無しにしていた。
赤黒く染まった布を巻き付けた右手には一振りの刀が握られており、陽光が刃を照らし、妖しい煌きを湛えていた。
「爆ぜろ! 攻勢防御!」
短剣を抜き、迎撃しようとした所でセレナによる防御魔法が発動する。
半透明の薄い紅色を湛えた膜が俺達の前方を覆うようにして展開された。
側面や背後への展開は捨て、効力を落とさず速度を重視した展開速度。
それなりに納得出来る、魔法の使い手としては中々の腕前だと認めても良い程度はある。
腕がブレる程の速度を有した刃が、セレナの被膜と衝突する。
指向性を持った爆風が、飛び込んだ女性を飲み込み、吹き飛ばす。
破壊力というより、敵と距離を取る事を重視した吹き飛ばす力を重視した防御なのだろう。
微々たるダメージは入ったようだが、行動不能には程遠い。掠り傷同然だ。
しかし距離を取るという仕事は果たしたようで、銀糸によって両断され、随分と開けた場所になった倒木の上に、その女性は猫のように軟着陸した。
「行き成りな御挨拶だな。随分と美人なお嬢さんみてぇだが、俺に刃を向けるなら容赦しねえぞ」
「えっ!? もしかして物の怪っていうやつ!?」
今更理解が追い付いて戦闘体勢を取る脳みそあっぱっぱー一名。
さーて、物の怪さんとやらのお出ましだ。
見付からずに行けるなんて端から考えてなんかいなかったし、立ち塞がるってなら誰であろうと始末するだけだ。
黒髪の女の足元、両断された太い木の幹が陥没した。
強い踏み込みの衝撃に木が耐えられなかったのだ。
力を蓄えたバネの如く飛び出した黒髪の女の動きは、かなり早い。
俺ほどではないが、俺の普段の全力と比較して7割程度の速度はありそうだ。
つまり、常人では普通対処出来ない程の速度。これならば討伐隊が返り討ちにあったという説明も納得である。
「爆ぜろ! 攻勢防御!」
だが、その動きは直線的。
来ると分かっていれば対処は容易。
今度は比較的余裕があったのか、一面ではなく全面、俺の周囲を全てカバーする防壁をセレナが展開した。
「――氷月閃」
獣のような、直線的な攻撃ではあるが。されど獣にあらず。
セレナの展開した攻防一体の防壁を、刀が描く青い軌跡を残す弧が食い破る。
しかし手にしている武器は一つのみで、それも降り抜いた直後であるが故に無防備な懐を晒している。
その身体も踏ん張りが効かない空中。
「ッつえりゃあっ!!」
振り抜かれた、刀を持つ方の腕を掴み。
力任せに背負い投げの要領で黒髪の女を地面へ向けて叩き付けるフィーナ。
そのまま身動きを封じようと、体重を乗せて圧し掛かろうとしたが――叩き付けられる直前、黒髪の女はその両足を地面に突き刺さんばかりの勢いで踏み付ける。
驚異的な体幹の力で、地面を踏み込みフィーナを持ち上げる!
圧し掛かろうと体勢を崩していたのが災いし、フィーナは抗う術も無く。投げを逆に返され、宙へと投げ飛ばされた。
フィーナが空中で体勢を立て直し、着地する……その僅かな時間の間に、黒髪の女は体勢を立て直し、身体を捻り、その刃をセレナ目掛けて放ち。
「俺様を無視してんじゃねえよ」
セレナの首筋を切り裂かんと伸びた凶刃を、片腕に構えた短剣で受け止める。
俺が使っている短剣は、純粋なミスリル銀製の代物だ。
ミスリル銀は金属としては柔らかく、ハッキリ言って武器としては合金でなければ使い物にならない。
それにも関わらず、純度の高いミスリル銀で作られた短剣を使っているのは、魔力伝導率が高いという一点に限る。
刀身に魔力を流し、その強度を高める事で強引に武器としての性能を上げているのだ。
武器強化に回す魔力分だけ常に消費を迫られるので、その分だけ本来の魔力の嵩が減ってしまう事になる。
しかしこうでもしなければ、俺の戦闘に耐える武器が無いのだから仕方ない。
魔力伝導率が高い。
魔力とは、魂や記憶、感情の総称だ。
つまり魔力伝導率が高いという事は、非常に感情が伝って流れやすいという事でもある。
それ故に、届いてしまった。それを垣間見てしまった。
目の前の女の記憶が。
普段はこんなヘマなんざしない。
だが、俺が考えていたよりも遥かに多い、鉄砲水の如き膨大な魔力の奔流に、一瞬だけ押し負けてしまった。
無論、即座に押し返した。だがそれでも、見てしまったという事実は変えられない。
「呪いの正体見たり、ってか……」
動悸が、激しい。
吐息が荒れ、掌や額から鬱陶しい程の汗が滲み出る。
「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですかライゼル様!?」
キンキンと耳障りな声。
違う。アレは、俺の時とは違う、違うんだ……!
あの時のドラゴンとは、全く違う……ッッ!
「精神汚染――発生源は、あの刀、か……」
額の汗を手で払う。
軽度。少し休めば大した事は無い。
だが、目の前の相手は決して休ませてなどくれないだろう。
「何で、だよ……! クソッ、クソッ!!」
何で、どうして。
お前は何で、そこで前に踏み出せたんだ!
何の力も無いのに、勝ち目なんか何処にも無いのに!
感情の波立ちが抑えられない。苛立ちばかりが噴出する。
どれだけ心の中で葛藤しても、目の前の相手は決して答えてなどくれない。
当たり前だ。あの女は、剣の持つ魔力に抗い切れず、意識を乗っ取られている。
典型的な精神汚染状態だ。
仮に受け答えをしていたとしても、それはあの身体の本来の持ち主の意識ではなく、剣に宿った別物の何かの言葉でしかない。
「ムカつくんだよ、テメェ!!」
気付けば口を突いた言葉。
短剣を両手に握り、俺は無意識の内に目の前の女に向けて、猛牛の如く突進していた。




