55.ジパング領
空で、ウミネコが鳴いている。
白い雲がゆっくりと、青い空を流れていく。
穏やかな波の音が、規則正しく船体を揺らし、まるで揺り篭のようで眠気を誘う。
平和だ。この海原には争いなんてものは何も存在しないのだろう。
俺と、フィーナと、セレナ。甲板に転がりながらぼんやりと空を眺めていた。
最早ロンバルディア領では時代遅れの産物になりつつある帆船に揺られ、波間を掻き分けどんぶらこ。
常にその帆に追い風を受け、一切淀む事無く真っ直ぐに目的地へ向けて邁進する。
そうなるように大気の流れを制御してるから、当然なのだが。
付与世界陣の効果は、単に空気の流れに指向性を与えるという、言葉にしてしまえば単純な代物だ。
風を吹かせるだけなら下級魔法でも出来るし、多少強い風でも中級魔法を扱える人物であらば実行出来る。
俺が白霊山で用意した術式は、それを世界規模で行う代物。
世界中に点在している要所要所で風の流れを操作し、特定のポイントに空気を押し流すのだ。
これはその副産物。空気の流れを操作出来るということは、嵐を呼ぶ要因となる積乱雲等が寄り付かないよう排除出来るという事だ。
追い風を常に帆に受ける事も出来る。これが帆船が順調に進んでいる仕掛けの種だ。
白霊山での強行軍で身体に蓄積していた、こびり付いた疲労もこの船旅の間で回復出来た。
俺が単身移動するだけならこんな船舶なんて必要無かったので、船を用意したのは完全にフィーナとセレナの為なのだが……休息時間という意味では案外調度良かったのかもしれない。
こんな風に、のんびりした時間を送る時なんてここ最近無かったからなぁ……
数年がかりの大仕事、その峠を越えた事で少し気が緩んでしまったのかもしれない。
まだ、足りない。緩むには早過ぎる。
俺はまだ、まだ何も成し遂げていない。
「ねえ、ライゼル」
「んー?」
「空って何で青いの?」
「俺が知るかよ」
そういうのはロンバルディアの学者に聞け。科学者の領分だろ。
ロンバルディアから今離れてるんだった。ちくしょう。
「ねえ、ライゼル様」
「んー?」
「何時になったら私とキスしてくれるんですか?」
「したいのか?」
「駄目に決まってるでしょ!」
飛び起きて、何でか知らないが妙に必死な口調でフィーナが口を挟んできた。
「何でフィーナさんが口挟んで来るんですか? 何か不都合でもあるんですか?」
「だ、駄目なものは駄目なの!」
「具体的な理由は?」
「理由、は……その……」
モゴモゴと口を動かすが、言葉にならず押し黙るフィーナ。
のん気だなお前等。毒気が抜けるわ。
「理由が無いなら、別に良いですよね?」
「そ、そう! ライゼルが困るでしょ!?」
「別に嫌じゃないですよね?」
「そうだなー」
寝転がった状態の俺の顔を覗き込んで来るセレナ。
栗色の髪が頬を撫でる程の至近距離。
吸い込まれるような翡翠色の瞳。視線が天地真逆の状態で交わる。
ほんのり染まった頬。その薄紅色の唇がゆっくりと近付き――
「だ、だって! キスなんてしたら……あ……あ……」
「あ?」
「赤ちゃんが出来ちゃうでしょ!?」
――空で、ウミネコが鳴いている。
信じられないモノを見たとばかりに、間近のセレナが「何言ってんだコイツ」という視線をフィーナに投げ掛ける。
「あー……ソウデスネ。赤ちゃんできちゃうのは不味いデスヨネー」
馬鹿で田舎娘で生娘で初心かよ。
性知識無さ過ぎるだろコイツ。
大丈夫か本当に。
「……な、何よ。何なのよその目は!?」
毒気を抜かれて思わず優しい目付きになってしまった。
しかし、眼前にようやく目的地が見えてきたので、波間で揺れているようにふわふわした気持ちを入れ替える。
身体を起こし、そこを見据える。
天頂に粉砂糖を掛けたような薄っすらとした白。
麓には緑溢れる森林地帯が広がり、頂は空をたゆたう雲よりも高い。
あれが魔力溜まりの要所の一つ、霊峰フジヤマ……だったか?
まぁ山の名前なんざどうだって良い。
肝心なのはあそこが魔力溜まりだって事実だけだ。
付与世界陣は、まだ完成していない。
完璧な物にするには、世界中の魔力溜まりを潰さねばならない。
「そろそろ接岸するぞ」
海岸に設置された桟橋に接岸する。
縄で係留し、ジパングの大地を踏む。
一応、接岸した場所はこのジパングでも都市に当たる場所なのだが、あまり大きな建造物は見当たらない。
レンガ造りの建物は見当たらず、木造家屋と粘土を焼いて作ったであろう屋根の平屋ばかりだ。
海岸にはクロマツが並んで生えており、何となく、村っぽいイメージがある。
道行く人々は木綿製の衣服を着ており、髪を上で纏めてる人が多い。
でも街中の様子なんて俺には関係ない。
有り難い事に日中に上陸出来た事だし、霊峰は目と鼻の先だ。
とっとと登頂を済ませて、こんな島国とはオサラバさせて貰うぜ。
なーに、白霊山アタックと比べたら朝飯前、目隠ししてても出来るレベルだ。
「で、お前等どうする? 俺はここの霊峰に用事があるだけで、日が沈む前に帰ってくるけど、待ってるか?」
「当然、ライゼルについて行くからね!」
「私もです」
どうせついて来るとか言うんだろうなぁ、と思いつつ質問した所、案の定の回答が帰って来て思わず苦笑する。
「チンタラしてたら置いてくぞ」
まぁ、今回は白霊山のような極限地帯とかいうフォローが難しい場所に向かう訳ではないし、作業自体も峠は既に越えたので楽なものだ。
邪魔さえしないのであらば、別に付いて来ても構わないか。
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「あんた等、見ない顔だな。異国のモンか?」
「まぁそうだな」
上陸後、税関のような詰め所で三人まとめて簡易的な調書を取られる。
その間、船の中も調べられるが、俺は別に商売で来た訳じゃないので積荷は食料だけだしここで降ろす事も無い。
密輸とかそういう絡みでの調査なのだろうが、俺には関係ないので存分に調べれば良い。
調書とやらも、この地でもギルドカードという身分証明に便利な代物が通用するので比較的早く済んだ。
「それから、異国の人じゃ知らないと思うから警告しとくが、霊峰には近付くなよ」
「あん……?」
取調べも終わってさぁ霊峰に行くか、ってタイミングで横槍が入る。
俺は正にその霊峰に用事があるんだが。
「霊峰って、向こうに見えてる山ですよね? 何かあるんですか?」
「あるっていうか、『いる』だな。あそこには物の怪が住み着いてるんだよ」
「物の怪? 魔物じゃなくて?」
取調べをしていた青年の口から、説明される過去の出来事。
何か思い出話のような昔話のような語らい方だったので要点だけ頭の中でまとめる。
数年前、この都をヤマタノオロチという巨大な魔物が襲った。
幸いにもその魔物は討伐されて既に存在していないのだが、それ以後、霊峰には物の怪が現れるようになったそうだ。
物の怪の見た目は十代の少女で、なんでも元々はこの都に住んでいた少女だったらしい。
ヤマタノオロチの襲撃により家屋が倒壊し、家屋を建て直す為の樹木を伐採する為、森に入った人々がその少女に襲撃される事件が多発。
討伐隊が差し向けられた事もあったらしいが、森の中という数の利を生かし辛い場所であり、百人規模で組まれた討伐隊も全て撃退してしまうという、恐るべき戦闘能力を有しているそうだ。
森に近付かなければ被害は出ないらしく、彼女もまた森から出ようとしない為、近隣の住人は森に入らないようお触れを出す事で一先ずの事態の沈静化を図ったそうだ。
「……きっと、ヤマタノオロチの呪いなんだろうなぁ」
「呪い?」
「そうとしか考えられねえよ。その子、ミサトって名前の子なんだけどさ。昔、俺が小さい頃に何度か一緒に遊んだ事あったんだけど、とても人を襲うような性格じゃ無かったんだ」
「知り合いなんですか?」
「ああ、知ってるよ……その子の親父さんを筆頭に、ヤマタノオロチ退治の討伐隊を組んだんだ。倒せはしたが、その時の傷が原因で親父さんも2年前に死んじまったし……こんなんじゃ、親父さんも死んでも死に切れないだろうなぁ……」
霊峰のある方角の窓に向けて、遠い目を向ける青年。
どうにもならない、手出しも出来ない、理不尽に対する諦観に満ちた目だった。
……気に入らない。
「――おっと、お前さん達には関係無い話だったな。とにかく、簡単に言えば霊峰とその周囲の森には人斬りが出る。強くて手に負えないから、絶対近付くな。警告を無視して入って死んでも、俺達は助けに行けないし責任も取らないからなって事だ」
近付く事を明確に法で禁じている、という訳では無さそうだ。
近付けば死ぬから命が惜しければ近付くな、という注意に留まっている。
まぁ仮に法で禁止とか言われても既に俺の中では行くのは決定事項なのだが、法で禁止ではなくお触れに留まるってのは大きな違いだ。
法律で厳密に禁じられているのであらば、大抵霊峰周囲には警備の目がある。
俺一人なら何も問題無いが、フィーナ達を連れて行くのであらば監視の目を掻い潜る手段が必要になり、少々厄介だった。
だがただのお触れ程度であらば、わざわざ周辺に警備なんて配置してないだろう。あってもザルだ。
出遭えば入らぬよう止められるかもしれないが、出遭わなければ普通に入れる。
物の怪、とやらが出て来ても、俺が始末してしまえば何も問題無い。
「用事が済んだらとっとと帰るつもりだから、帰りの食料と水をここで買って船に積み終えたら、とっとと霊峰に向かうぞ」
「えっ!? 行くの!?」
目を丸くして驚くフィーナ。
行くに決まってんだろ。このままとんぼ返りしたら一体俺が何の為にこんな辺境まで来たんだって話になるだろ。
「別に付いて来いなんて俺は一言も言ってないんですけどねぇ~。ならお前だけ一人で船でお留守番してろよ」
「じゃあお留守番宜しくお願いしますねフィーナさん」
その持ち前の豊満な胸部を腕に押し付けるように、自然な動作で俺の左腕に絡み付いてくるセレナ。
ふへへ。柔らかくてそして邪魔だ。
「えっ、ちょっ、置いていく気!? 分かったわよ! 私も行くわよ!」
独特な雰囲気のある商店街にて帰りの食料と水を購入し、船へと積み込む。
その後、街中を散策する観光客の振りをしながら裏路地へと足を進め、そのまま街中を後にし、目的地目指して足を進める。
目指すは霊峰フジヤマ。
世界有数の魔力溜まりの地、付与世界陣の要の地だ。
前作の777777PVとかまぁ無理だろとか思ってたら何か行ってしまいそうというか良く見たらユニークに至っては10万超えてるし……なんかすげぇ(小並感)




