54.少女の過去
崩れ落ちた木造家屋。粉々に壊れた瓦屋根。
山間へ消えていく西日が世界の陰影を濃くしていき、その緋色で塗り潰していく。
日常とはこうも容易く壊れてしまうのかと、愕然する。
立ち昇る黒煙は、地獄の底から湧き出てきた瘴気のようで、まるで本当にこの地が地獄に変わってしまったかのような――否、本当にここは地獄なのだろう。
私の過ごした世界が、壊れていく。
私の生家である道場は既に押し潰され、昨日まであったはずのその姿は影も形も無い。
父と一緒に、時折の贅沢として通っていた団子屋が、どす黒い炎と共に燃え上がっている。
強く、そして優しい、私と唯一血の繋がった父が――今まさに私の目の前で、その命の灯火を吹き消されんとしていた。
――駄目だ! こっちへ来るな! 早く逃げろ!
悲痛な叫び声が聞こえる。
焼け焦げた炭の臭いと、流された血の臭いが混ざり合い、鼻腔を突く。
山かと見紛う程に巨大な胴体には無数の切り傷が刻まれ、数えるのも億劫になる程の無数の矢や槍、刀が突き立てられていた。
かつてあった八つの頭の内、三つは中程から両断され、その首は地に転がり落ちていた。
されど五つの頭は健在で、その内の一つの頭が、私の父の身体を半分以上口内に納め、食い千切らんと力を込めていた。
それを辛うじて片腕で支えているが、それも時間の問題。
助けなければ。
父には及ばずとも、私にも出来る事があるはず。
父の背中を見て、物心付いた頃から振り続けた、その剣術は。人を生かす為の剣は、こんな時の為にあるはずだ。
周囲を見渡し、それが目に入る。
意識を吸い込まれそうになる程の、妖しい刃文の輝きを放つ刀。
それは父の持つ、滅多に抜かれる事の無い一振りの刀剣。
戦いの最中、父の手から滑り落ちたのだろうか?
そしてこれが無いから、今、父は窮地に陥っているのかもしれない。
その柄へと、手を伸ばす。
――それに、触るな!!
その制止の声よりも、このままでは父が死んでしまうという恐怖の方が強かった。
肉親と呼べるのは父しか居らず、父の背を見て育ち、父の姿に憧れた。それが失われるのが、怖かった。
私はそれが、一体どういうモノなのかを知らなかった。
ただただ、父を助けようと――その刀を、手に握り締めた。
「力が、欲しいか?」
耳ではなく、直接頭の中に響くような声。
しわがれた老人のような、例え難い不気味な声。
力。
それがあれば、父を助けられる。
私はまだ子供で、力も弱く、戦う術もまだまだ学び足りない。
しかし災厄は、私の成長を待ってくれたりはしなかった。
力が――欲しい。
「ならば喰らえ。肉を、血を、魂を。この我に捧げろ! 全てを喰らい、その魔力を我に注げ!」
その柄を握りしめた直後。
その剣から、まるで這い上がるようにして沸き立つ黒い魔力。
右腕を伝い、私の身体を蝕むようにして、その魔力が、私の身を、心を、侵食していく。
「――殺す」
突き動かされるように、私の意志に関わらず、その言葉が口を突く。
殺す。敵は殺す。
より強く、より高みに。
敵を喰らい、その魂を喰らい、この刀をより強く、高める。
その為には――殺す。
殺せ、殺し尽くせ。
「敵は、殺す――!」
殺意衝動が身体を支配し、突き動かす。
敵は、既に死に体。
あれだけの敵ならば、さぞ上質な魔力を有しているのだろう。
私を高めるのに、相応しき相手だ。
先程の持ち主は甘っちょろい考え故に不覚を取り、この我を手放した。
だがこの娘は違う。良く鍛え上げられた肉体に、幼さ故の貧弱な精神。
傀儡にするのに実に都合の良い、最高の器だ。
先程までの持ち主――お前の父親だったか?
助けたいのだろう? その為に力を欲したのだろう?
喜べ。我が力を貸してやろう。
貴様の器と、我が力があれば。出逢った当初ならいざしらず、死に体となったあの程度の物の怪であらば、今なら十分に勝機がある。
我にその身を預け、委ねろ。
貴様等の言う、目の前の災厄は、この我が斬り殺してやろう。
代わりに貴様は、この我を更なる高みへ導く為の礎となるのだ。
「貴様のその魔力、この我が喰らってやろう」
目の前の上質な魔力を前に、思わず口元が釣り上がる。
そんな我を目にして、先程までの持ち主が何かわめいていたが――あのような甘い男に最早興味は無い。
先程までの持ち主を咥えていた、その首へと一瞬で間合いを詰め、一閃。
不意を突いたその一撃に対応出来ず、その災厄と呼ばれた物の怪の首がまた一つ、地面へと転げ落ちた。
「ほう。我自身の切れ味という後押しもあるとはいえ、よもや一撃で首を刎ねられるとはな」
この器は、思った以上に良い拾い物かもしれぬな。
しかもまだ幼いという事は、成長の余地を残しているという事だ。
反撃を避ける為、地を蹴り距離を離す。
見た目が幼い少女であったが故に、油断していたのだろう。
先程の一撃で首を更に失った事で、我に対し再び強い警戒心を向けてきた。
最早再度油断はしてくれないだろうが、その警戒心はこの少女が我を手にした時にするべきだったな。
更に首を失い、戦闘能力を落とした。そろそろ血も流し過ぎた頃合だろう。最早貴様は、我と切り結ぶに値しない。
「――その魂、その魔力を我への供物として捧げよ」
ここは戦場、だがそれと同時に、我の狩場だ。
最早周囲に戦える者など居らぬが、邪魔はしてくれるなよ?
この物の怪は、我の獲物なのだからな!!
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ジパング領、その最高峰である霊峰フジヤマ。
色濃く緑を残した、深い森に覆われた山に雄叫びが轟く。
それは女性の声であり、勝鬨の声のようにも、苦痛に喘ぐ悲鳴のようにも聞こえた。
8年前、この地を襲った物の怪によって引き起こされた災害。
後にヤマタノオロチと呼ばれる、この生物のもたらした災害によって、集落から多くの死傷者を出した。
この土地に住まう全ての人々が滅亡に瀕したこの災いは、ある家族の犠牲によって終結を迎えた。
その一家の家長にして天橋流活人剣道場師範代、天橋 源治、そしてその一人娘である美里。
多くの犠牲と共に、師範代の獅子奮迅の働きにより怨敵、ヤマタノオロチを追い詰めたが、トドメを刺すには至らず。
師範代は戦い自体では命を取り留めたものの、戦いの後の予後不良によりその命を落とした。
満身創痍となったヤマタノオロチへトドメを刺したのは、何と当時10歳であった師範代の一人娘、ミサトであった。
少女のモノとは思えぬ機敏な動き、鋭い剣捌きによってヤマタノオロチはその全ての首を斬り落とされ、絶命した。
集落は救われ、天橋家を知らない多くの大衆は安堵した。
だが、一家を知る人々の中では、まだこのヤマタノオロチがもたらした災いは終わっていなかった。
「ミサトちゃん、あんなにええ娘やったのに……これもヤマタノオロチの呪いなのかねぇ……」
ごま塩のように白髪が混ざった、過労と年月を感じさせる皺が刻まれた表情を歪め、悲痛な声色で呟く老婆。
そんな老婆に対し、連れ合いと思わしき白髪の老人が重苦しそうに口を開く。
「フジヤマに近付く人達に見境無く襲い掛かってるって話だし、言葉も通じないし……本当、神様ってのは酷な事をするねぇ。あんな少女に、こんなにも重たい業を背負わせるなんて」
「あんな事件が無ければ、きっと今頃、素敵な旦那さんでも見つけて、可愛らしい赤子でも生んでる頃合だろうにねぇ……」
フジヤマ近隣に、人が立ち入る事は無い。
入った者は皆逃げ帰るか、そうでなければ彼女の振るう凶刃の前に絶命するからだ。
ヤマタノオロチを討伐したミサトは、そのまま霊峰へと居座り、野生児同然の生活を送るようになった。
常に片腕には抜き身の刀が握られ、山に近付いた者は誰であろうと分け隔てなく襲撃し、そして命を奪い続けた。
事態を重く見て、ミサトを取り押さえる為に討伐隊が森へ入った事もあったが、失敗に終わる。
女性のモノとは思えぬ、豪腕で薙ぎ倒されるかのような力強い一閃と素早く変幻自在な剣捌きには、歴戦の剣士が束になっても敵わぬ程であった。
勝ち目が見えず、また、何故か霊峰周辺から離れる事が無かった為、近付かなければ害無しと判断され、そのまま放置の状態が続いていた。
彼女は、何も知らない。
既に父親が死んでいる事も、倒すべき敵も既にその手で討ち滅ぼしている事も。
その意識は、父親が所持していた妖刀に飲み込まれ、何も見えない闇の中でもがき続け、時折、苦しそうに意味を成さない悲痛な声を上げるのみ。
彼女は今も尚、霊峰の麓で倒すべき敵を探し続けていた。




