51.白霊山、単身登頂
雲海を眼下に望みつつ、誰も何も存在しない大空を、黒い影は我が物顔で往く。
雲が下にあるという時点で当然ではあるが、その高度は非常に高く、空を飛ぶ生物が飛行するような高度を遥かに上回っている。
冷たい空気を切り裂き、突き進む弾丸のように目的地へ向けて邁進する影の正体は、ライゼルであった。
己が最も得意とする魔法の一つ、風を操る術を用いる事で、ライゼルは人の身でありながら鳥を遥かに上回る速度と機敏さで空を飛びまわる事が出来る。
ライゼルが単身で動く際、その速度はこの世界の人々基準での「速い」という範疇の枠には収まらない。
普段、フィーナやセレナと一緒に行動している際の行動速度は、彼女達に配慮した上での移動速度であり、ライゼルの本来の移動速度とは比にする事すら馬鹿馬鹿しい程だ。
事実、ライゼルがフィーナと再会するまでは、ライゼルはその天性とも呼べる魔法の才を存分に振るい、この世界を縦横無尽に駆け回っていた。
本気さえ出せば音速すら突破する速度を出す事が出来る力量を有しているのだから、フィーナ達と共に駆け足だったり蒸気機関車に乗って旅をする、というのがライゼルからすればどれ程暢気でチンタラした旅路に見えた事か。亀の散歩に付き合う位の気持ちだったのだろう。
そんな、最早枷とでも言うべきフィーナ達から一時離れた事で身軽になったライゼルは、フィーナ達に合わせる事も無く、自分のペースで行動する事が出来るようになった。
故に、音すら置き去りにする速度でライゼルは目的地である白霊山へとその足を踏み入れる。
――踏み入れるというか、速度を一切落とさずに着地した為、その衝撃で積もっていた雪が勢い良く周囲に吹き飛ばされ、ただでさえ吹雪で白い周囲の視界が、完全に白で染まり上がった。
「邪魔だ」
その両腕を巧みに操り、振り抜いたミスリル銀糸が、ライゼルの周囲に居た、氷塊を人型に組み上げたような魔物――アイスゴーレムを両断する。
剣や、銃弾ですら弾く程の硬度を持つそのアイスゴーレムの身体を、まるで抵抗すら感じさせずにするりとミスリル銀糸は通り抜けていく。
表面を撫でただけと錯覚する程であるが、その実、しっかりとアイスゴーレムを切り裂き、二体、三体、四体――その体躯が無機物らしく地面へと転がった。
「先ずは"掃除"だ。余計な邪魔をする要因は全部排除しとかねえとな」
砲弾のように飛来し、着地した場所は白霊山の調度中腹の辺りであった。
空を飛べるのだから、馬鹿みたいに雪に埋もれながら麓から登山する気はライゼルには毛頭無い。
しかし、これからライゼルが行う作業は集中力が必要なので、この地に生息する魔物という存在は目障りであった。
故に、ライゼルは中腹から上に存在する魔物を皆殺しにする事にした。
血風が舞う。
自分の行く手を阻む者には一切容赦しない。
ライゼルが浮かべた、獰猛とも狂気とも言えなくもないが、何かが少し違うと感じさせるその笑みを見る者は、この地には誰も存在しないのであった。
―――――――――――――――――――――――
……中腹以上の場所は、全て片付けた。
さっさと頂上へと足を進め、遠くからでも肌をビリビリと伝わる、膨大な魔力の奔流……その大元へと向かう。
まるで火山の噴火、立ち昇る黒煙全てが魔力となったとでも例えるような、暴力的な魔力量。
この世界ではない何処かから、この地を通じてこの世界へと流れ込み続けている。
それは人が飲み込まれれば、瞬く間に精神汚染を引き起こしかねない、濃密で危険極まりない濁流そのもの。
そしてこれこそが、俺が捜し求めていた入り口の地点。
――ここが、魔力極点の地。
この世界全ての魔力がここから来て、もう一対の地へと去る。
世界中の魔力量を調整する、バランサーの役割を果たす地。
流点と湧点の二対の一角、魔力湧点、白霊山。
師匠はこの二箇所が何処なのかは教えはしなかったが、ロンバルディアに残っていた情報によってそれを特定出来た。
かつてこの世界に居たという、ロンバルディア建国の礎となった少女、ミラの残した文献の中にその情報があったのだ。
白霊山に登頂を果たした際、魔力極点がこの地にあったと。
しかしその文献以外一切の情報が無いので、しかも300年以上前の情報という事もあり、信憑性に欠ける。
だからここは後回しにし、俺は先に他の場所を潰して回った。
どうせ俺の目的の都合上、世界一周虱潰しの弾丸旅行は確定していた。
魔力が多く存在する、魔力溜まりとなる他の場所に術式を刻みつつ、そして見て回る都度、その信憑性は高まっていく。
魔力流点と魔力湧点はこの世界に必ず存在し、その二対が世界の秩序を保っている。
だが、世界中を回ってもその場所は見当たらず、最早それらしい場所はここしか残らなかった。
そして、この山の中腹に到着した時点でここがそうなのだと。ビリビリとした感覚が肌を焼き、確信に変わった。
吹き荒ぶ魔力の暴風が、俺の知る魔力流点とは違う、激しさを感じる爆風となって身体を突き抜ける。
「やっとだ――!」
誰も居ないというのに、思わず零れた独り言。
当然だ。この時の為に、俺が何年世界を旅してきたかを考えれば。
懐から、鉄板に仕込んだ何十枚もの魔法陣を展開する。
地面へと規則性に従って配置され、その魔法陣から魔力反応による熱と光が発生し始める。
その熱量は膨大で、ゆらゆらと陽炎が立ち昇る程。もしこれが鉄板ではなく、紙に書かれた魔法陣だったならば即座に炎上し灰となっていただろう。
これから行う作業は、普段の俺の舐めた無詠唱による魔法行使とは訳が違う。
この膨大な魔力を、その勢いに任せ、流れを誘導し、大気中ではなく地中深くに潜らせ、地下水脈を築き上げるイメージ。
力強さが必要なのに、繊細な制御も必要で、全神経を磨り減らすような集中力が必要となる。
だから、魔物を気にする余裕なんて無い。魔物からの妨害が邪魔になると最初から分かっているから、中腹以上の魔物を皆殺しにした。
ついでだ。テメェ等の持つ魔力もコイツの足しにさせて貰うぜ。
大地に根差し、星を蝕むようなこの術式。
言ってしまえば、世界を改変するような大掛かりな作業。
失敗なんざ許されない。
一度大きく深呼吸し――目を見開く。
自らの足から、魔力という根を生やすようなイメージで――かつて訪れた、世界中の場所を思い浮かべていく。
「――ラーディシオン領域、接続……」
マイナス数十度の世界だというのに、全身から流れる汗が止まらない。
直接受け止めている訳ではないというのに、魔力湧点の暴力的な流れは誘導するだけでも精神を削られる。
その破壊的な流動に、指向性を与えて世界中へと波及させる。
激流を操作し、その勢いでこの星全体に魔法陣を刻み付ける。
最初は砂漠の大地――
「レオパルド領域、接続……」
次いで、魔族達の治める大地――
無意識に、歯を食いしばっていた。
意識は地中に飛ばしたままだ。
大丈夫、俺なら出来る。
今までの状態であの"化け物共"と向き合うのと比べれば、今やっている作業のなんと温い事か。
「ファーレンハイト領域、接続――!」
俺は、何もかも足りない。
才能も、実力も、魔力も、知識も、どれもこれも足りない、無い無い尽くしだ。
だから、俺は積み上げる。
あいつ等が居るその高みへ至る為に、必要な「魔力」という問題を、この術式で補う――!
勝負の土俵に立つ為に!
「ロンバルディア領域、接続……ッ!」
誰から教わった訳でもない。
俺が考え、俺が辿り着いた回答。
始まりから刻み続けた、この旅路。
この白霊山で、9割方終わる。
これが終われば、後は消化試合に等しい。
――越えられないというなら、あいつ等が遥かなる高みに居るというなら。
その高みに届くまで、俺の足元を盛り上げ、山を築けば良い。
なあ、こんだけすりゃ――片膝位は付いてくれるだろう?
その胸中に浮かんだ問いは、誰も答えを提示したりはしなかった。
魔力極点の力を利用し、世界中に散らばった術式をリンクさせる。
額の汗を袖で拭い取り、荒れた息を整え――刻み付けた術式に、最後の仕上げを施す。
「紡ぎしは世界――地を繋ぎ、空を見定め、万象の魔を誘え――付与世界陣!」
自らの魔力を、地面へと流す。
星が胎動し、身震いするかのように地面が揺れた――そんな感覚を覚えた。
全身が鉛のように重く感じ、疲労感に任せて背中から倒れ込み、身体を白霊山の頂上で横たえた。
「流石に……しんどいぜ……! 本当、久し振りの全力だったからな……クソッ、間違いなく腕が鈍ってやがる……!」
鈍った原因が何かと聞かれれば、間違いなくフィーナ達が原因だ。
その存在は明らかに俺にとって邪魔で、足手纏いで、思い通りに行動出来なくさせる重石。
「こんな程度でへばってたら、絶対あいつ等には届かねぇ……!」
言葉として口にして、自らを叱責する。
今更戻れねぇ、戻りたくない。
握り締めた拳の中で、数えるのも馬鹿馬鹿しい程の幾星霜、風雪に晒され風化した岩塊が砕けた。
付与世界陣の構築を、俺は成し遂げた。
まだ細かいポイントは残っており、それを潰さなければ完璧とは言えないが、それでも理論上ではこれで9割出力までは行ける。
残ったポイントも、ロンバルディアとファーレンハイトの一部だけ。ゴールはもうすぐそこに見えている。
これさえ出来れば、俺の足場は完成する。
あんた達が生まれ持った、その山の頂――俺も山を一から作り上げて、その山頂に立った。
これで届く、届く筈だ。
そう信じ、疲労感で重くなる瞼を落とし。しばし体力の回復の為に意識をまどろみの底へ横たえるのであった。
付与世界陣。
ライゼル基準で切り札となる代物、とだけ。




