47.犯行声明
蒸気機関車、機関室。
様々な計器や管が伸び、その高熱が発せられる室内では、ロンバルディアという厳冬の地ですら汗が滲む程の高温になる。
そんな機関室に、3人の人影。
ひらひらとした外套で全身を包み、頭部から足元までキッチリと覆い隠している。
それは旅をするのには向いている格好かもしれないが、どう考えても機関室内で働くような出で立ちではなく、一人を除き目元まで布で顔を覆い隠し、外見を特定されぬよう完全に防備を固めている。
そしてその残った一人も、浅黒く日焼けした肌に、鋭く細い目付きの男。
その男が、機関室内に取り付けられた受話器のような形状の物体へとその声を飛ばす。
「――我々は、砂狼の牙。この車両は占拠させて貰った。車両には爆弾を設置してある、走行を妨害したり外部から襲撃があれば人質の乗客諸共爆破する」
その声色は平坦で落ち着いており、決して激情に満ちたような怒声ではなく。
淡々とその要件を述べていく。
「要求は金貨一千万枚。72時間以内に指定した港まで運べ。交渉は受け付けない、港の場所は追って指示する」
蒸気機関車自体は、一切魔法の力を用いずに稼動する事が出来る。
それ故に、機関士という職業は魔法の才覚が無い者でもなる事が出来、技術さえあれば蒸気機関車を走らせる事が出来る。
しかし、一切魔法技術を用いずに使用されている訳ではない。
ロンバルディア共和国の創始者たる人物、ミラという者が魔法と科学、その両側面を上手く活用しこの国の礎を築いた。
彼女がこの世界を去った後も発展を続け、科学と魔法、その両側面を利用し、このロンバルディアは発展を続けてきた。
その一つが、この蒸気機関車に備え付けられた魔力式の電話である。
この世界を去る時にミラが残した技術を、この国の技術者が自分達なりに噛み砕いて生み出した超遠距離通話手段だ。
電話自体は、「電」気で「話」すという文字通り、電気で動かしている。
その電気を、魔法という電撃魔法と関連付ける事により、その通話距離を飛躍的に伸ばした。
大陸横断を果たす超長距離の路線間で、意思疎通を図るには魔法の力が必要であった。
「これは脅しじゃない。色よい返事を期待する」
蒸気機関車をジャックした、砂狼の牙の構成員はそう言葉を告げ、交信を終了した。
直後、男は手にしていた握り拳大の魔石に魔力を流し、その魔石に刻まれた魔法陣から不気味な光が放たれた。
その言葉は魔力を帯びた電気となって飛び立ち、それらを総括する場所へと目掛け飛来する――
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ロンバルディア共和国、首都オリジナ。
この地にある電話局に入った一報、そこから矢継ぎ早に飛び込む情報でロンバルディアの首都に緊張が走った。
砂狼の牙による犯行声明。
その直後、ロンバルディアの駅から次々に飛び込む、停車中の蒸気機関車が爆破されたという報告。
この犯行声明がただの脅しではないという事は疑う余地も無く、この情報は即座にロンバルディアの上層部へと繋がれた。
「――そうか、また砂狼の牙がこの国に牙を剥いてきたという訳か」
繋がれた、ロンバルディア共和国最上位に位置するその一人。
マルクス・コルレオーネと呼ばれるその男は自らの髭を片手で弄りながら、受話器からその報告を自らの個室で受け取った。
ロンバルディア共和国国防軍の将軍であり、先代にして初代将軍であるルナールからその地位を受け継ぎ、国力の増強に尽力。
年齢は100歳を越えており、随分と高齢に感じられるが、その見た目には表情の皺一つ見られず覇気が満ち溢れている。
それもそのはずで、彼は人間ではない。
先程から弄っている髭も、人間と違い平衡感覚を保つ為の重要な器官であり、趣味で生やしているモノではない。
彼は人と魔族の血が混ざった半人半魔という存在であり、その寿命も人間と比べてかなり長い部類になる。
故に人間であらば既に隠居なり大往生してて当然の年齢でも、彼は働き盛りなのだ。
「我が国はテロには屈しない。そうでなければ、ルナール将軍に笑われてしまうからな。大統領と『所長』に繋いでくれ」
毅然とした態度で、通話の相手にそう告げ。
自国内で発生した、テロ事件に対処するべく。
この国における最高権力者たる大統領と、『ロンバルディア最強』へ、電話局を通じて話を通すべき相手に連絡を飛ばした。
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無機質な、機械の駆動音が小さく響く。
外壁を撫でる強風の音が、壁面のガラスを通じて廊下に鳴り渡った。
充分な横幅と高さがあるその廊下を、白衣を纏った一人の女性が闊歩する。
その足取りは速く、やや苛立ちを感じさせる。
廊下を渡り終え、一番奥にある扉をノックする。
返事は無い。
やや怒気を帯びた溜め息を一つ吐くと、女性はその扉を押し開けた。
室内は電力によって生み出された無機質な光源で照らし出されており、立派な会議室程はあるであろうその室内は、足の踏み場も無い程の大量の書物や作業機材、数々の薬品によってその床を、壁を覆い隠していた。
一応、辛うじてその室内の主である人物が通る為の道だけは確保されており、現在進行形で明後日の方向を向いて座している男の作業机までは道が伸びている。
室内ではあるが、まるで獣道である。
「……電話に出て下さい、所長」
白衣の女性が、机の向こう側に居る所長と呼んだ男をジロリと睨む。
所長と呼ばれた男の机は、床同様に乱雑としてはいるが、その机の端には電話が備え付けられていた。
この電話は別に見せ掛けとか断線しているという訳ではなく、ちゃんと通じるようになっている。
実際、マルクス将軍からの通話は直通でこの所長室へと繋がれたのだ。
ただ、目の前の所長と呼ばれた男は受話器に手を取る所か見向きもしなかっただけだ。
白衣の女性が獣道を慣れた足取りで通り抜け、机の奥で何やら試験管に入った薬品を注視する人物の前に立つ。
「所長!!」
腹の底から捻り出した怒声と共に、机に向けその掌を力一杯に叩きつける!
その音と声で、回転椅子に腰掛けたその男がクルリと向き直る。
真っ白なセミロングの頭髪は、一切手入れをしていない為にボサボサであり、寝癖を直した様子も見られない。
目元には薄っすらとクマが出来ており、黒のタートルネックセーターにジーンズ、その上から厚手の白衣を纏うという、ファーレンハイト領ではまず見ない出で立ち。
不健康そうな青白い肌をしており、その青い瞳も何処と無くくすんでいるように思える。
「何だ、キルシュくんか。ノックもせずに押し入るなんてレディとは呼べない蛮行だよ?」
「ノックしましたよ! 電話も鳴らしましたよ! 無視してるのは所長じゃないですか!」
「来て早々小言か。キミは私の小姑かね? 見ての通り指でなぞるまでもなくホコリなら大量に蓄積しているぞ?」
やれやれ、とでも言いた気にオーバーリアクションを取る所長と呼ばれた男。
そんな態度に対しこめかみに青筋を浮かべるキルシュと呼ばれた白衣の女性。
大きく一つ深呼吸をし、自らの内に貯まった怒りの感情を吐息と共に吐き出す。
「……所長。ルドルフ線にて砂狼の牙によるテロ事件が発生したらしく、大統領と将軍から応援要請が出ています」
「テロ? どうして私がそんなものに手を割かねばならないのですか、断りなさい」
所長は、一刀両断でその提案を切り捨てる。
「地上の蒸気機関車のことごとくが爆破され、テロリストが占拠した蒸気機関車に速度で追い付ける手段も無く、手出しをすれば乗客の命が――」
「それは軍の仕事でしょう。私には関係無いし、その動向如何で不利益なりがあるとしても、その原因も当然国防を担う軍の責任です」
完全に対岸の火事という態度を決め込む所長に対し、キルシュは問答するだけ無駄だとさっさと切り札を切る事にした。
「それが、どうも占拠された車両が以前所長が発注したグレイシアル産の氷魔結晶を積載している車両らしく……断っても良いが、人命最優先なので物資の被害は気にしない方針で動くと大統領及び将軍からの報告です」
そのキルシュからの報告を受け、そのくすんだ目を見開く所長。
「馬鹿! 何を言ってる! 私の研究資料に手を出す事は断じて許しませんよ!」
「そんな事を私に言われましても。どうしますか所長? 一応回答は保留にしていますが、時間はありませんよ?」
「ええい、面倒な……! どうしてよりにもよって私の研究資料が乗っている車両がジャックされるんですか! テロを起こすならそれ以外の車両にして欲しいですね!」
人命よりも自分の研究資料、という態度を一切隠しもせず、そのボサボサの頭を掻き毟る所長。
大きく溜め息を吐くと、キルシュに対し真面目な目線を向ける。
「……そのふざけたテロリストは何処に居る?」
「ルドルフ線を走行中との事です。近々、ソルスチル駅を通過する所です」
「ああ、そうですか。私の研究資料に手を出そうとした舐めたガキにはお灸を据えてやる必要がありそうですね」
「私は所長にお灸を据えたいですね。難聴の疑いがあるので」
キルシュがさり気無く吐いた毒に対し無視を決め込む所長。
「良いでしょう、将軍や大統領の思惑に乗ってやるとしましょう。一つ貸しですね、さっさとソルスチル街に向かいましょうか」
「そう言うと思って、既に向かっています」
所長とキルシュが、室内の窓へと視線を向ける。
窓ガラスは嵌め込み式であり、開閉は出来ない。
分厚く強度のあるそのガラスは、家屋に使うモノにしては少々重たく過剰に思える。
だがそれも当然だ。何故ならばここは家屋ではないのだから。
唸りを上げるプロペラ。
大空を覆い隠す楕円状の球体。
その下部に取り付けられた、居住スペース。
それは宙に浮かんでおり、魔法の補助を受ける事でその巨体からは考えられない程の高速で移動している。
所長――「ロンバルディア最強」と呼ばれる最高戦力の一人、イブラヘイム・クラークが所有する移動式空中研究所。
その飛行船は進路を変え、テロリストによって暴走させられた蒸気機関車の走る路線へと向かうのであった。




