33.片想い
辺境伯の邸宅は、その四方を高さ5メートルはあるであろう鉄柵で覆われており、入り口となる場所は正面の門以外には存在していない。
門を潜るとそこには月明かりに照らされた庭園が広がり、その草花が月光によって陰影を映し出していた。
恐らく日中であらば、咲き誇る花の色彩が訪れる者の目を楽しませ、見事な芸術品のように感じられたのかもしれない。
生憎訪れたタイミングは夜間であり、その息を呑むような美しさはフィーナとセレナに届く事は無かった。
庭園を抜け、開け放たれた扉が家主であるデズモンド・エルンスト辺境伯を出迎える。
「父上!」
家主が玄関に入って早々、好青年然とした男性が飛び込んできた。
ゆったりとした服を着ている為分かり辛いが体格は良く、180センチ程度はあるだろう。
家長であるデズモンドを父と呼んだという事は、この男性はデズモンドの息子だという事は理解出来る。
父親と髪の色や瞳の色が違うのは、母親の遺伝が強いからなのであろう。
「ご無事ですか!? 盗賊から襲撃を受けたと――」
「おお、ディラック。心配無用だ、傭兵達の働きのお陰で、この通り傷一つ無く戻ってきたぞ」
心配そうに安否を気遣っていた息子であるディラックに対し、なんら問題は無いという事をアピールするように自らの身体を叩いてみせるデズモンド。
「そうですか。それは良かっ――」
父親の無事を確認し、胸を撫で下ろすディラック。
懸念事項が消えた事で視線を父親から逸らし、目を見開く。
「セレナさん! セレナさんじゃありませんか!」
ディラックはセレナの元へと駆け寄り、その手を握り締める。
「どちら様ですか?」
「覚えてませんか? 私ですよ、同じ学び舎で魔法を学んだ、ディラック・エルンストですよ! まさか私の父を助けてくれた方が貴女だったとは! 精霊様の導きを感じずにはいられません!」
これぞ正に運命の出会い! といった具合に捲くし立てるディラック。
ディラックの興奮した面持ちとは対照的に、セレナは失礼の無いように取り繕ってはいるが、冷めた対応である。
「知り合い?」
「ううん、知らない人だよ」
知人なのかとフィーナに問われ、バッサリと断言するセレナ。
その言葉を聞いてしまい、その場にガックリと崩れ落ちるディラック。
「くっ……! あれだけアプローチを掛けても欠片も記憶に残らないと言うのか……っ!」
「御免なさい。私、どうでも良い男の事はすぐ忘れるようにしてるんです。頭の容量の無駄なので」
地に伏したディラックに追い討ちを掛けるかのような、言葉によるヤクザキックを突き刺すセレナ。
「私、ライゼル様以外の異性に興味無いんです。私の身も心も、ライゼル様のモノですから……♪」
ウットリと、心酔し切った表情で言ってのけるセレナ。
それを「貴女絶対男の趣味悪いよ!」と言いたいのだが口を噤むフィーナ。
「……誰だね? それは?」
この場に居ない、聞き覚えの無い男の名前が出てきた事で立ち上がり、目付きを鋭くするディラック。
セレナから無下にされているにも関わらず、中々心は強いようだ。
「私の王子様です♪」
「ねえセレナ……もう遅いし、早く寝よ……」
「それもそうですね」
邸宅の中に入っても引き続き行われる立ち話。
眠気を堪えながらセレナに提案するフィーナ。
既に時計の針が頂点を通過した後の時刻、良い子は寝る時間である。
「それでは夜も遅いので、この辺で失礼させて頂きます。夜更かしはお肌の大敵でもありますからね」
フィーナの提案を、興味無い男から離れる為の理由として利用するセレナ。
この邸宅の使用人であろうか。メイドの案内を受け、寝所へと歩いていくセレナとフィーナ。
「そんな……私を差し置いて、セレナさんの心を射止めた男が居たというのか……ッ!?」
フィーナとセレナが広間から去った後、その場で呆然と立ち尽くすディラック。
その心に受けた衝撃の深さ故に、再びその場から動き出せるようになるまで、ディラックはしばしの時間を必要とするのであった。
―――――――――――――――――――――――
翌朝。
デズモンドが聖王都のギルドを通じて雇い入れたという傭兵達に混ざり、今後の警備方針の刷り合わせを行うフィーナとセレナ。
ライゼルは木の上で寝ている。
周りに居るのは屈強な男ばかりであり、十代の少女であるフィーナとセレナは余りにも場違いであり、嘲笑の的になる。
しかしながらフィーナと組み手を行い、セレナの魔法攻撃力を目の当たりにした傭兵達はあっという間に押し黙るのであった。
フィーナとセレナの担当は、朝から夕方までの時間帯の警備となった。
理由は非常に単純で、単にフィーナが夜更かし出来る身体じゃないからである。
夜遅くになるとうつらうつらと船を漕ぎだすので、良い子のフィーナが護衛として動けるのはこの時間帯しか無いという消去法で決まった結果だ。
故に日中はフィーナとセレナは仕事で拘束されるが、それ以外の時間に関しては自由に過ごす事が可能である。無論、有事に備えてエルンスト辺境伯邸宅からあまり離れる事は出来ないが。
「ライゼル様~♪」
夕方。辺境伯邸宅から少し離れた所にある大木の下。
膝を立て、大木に背を預けているライゼルの所へ足音が近付いてくる。
仕事の時間を終え、一目散にライゼルの下まで駆け付け、猫撫で声を上げるセレナ。
そんなセレナから数十秒程遅れて、野菜スティックを齧りながらフィーナが歩いてきた。
「何してたんですか?」
「んー? ちっとばかし本気で特訓してたんだよ、つーか、結構時間経ってたんだな」
ライゼルは手にした懐中時計に目を落としながら、ポツリと呟く。
「あれ? 3時? ライゼル様その時計、時間ズレてますよ?」
ふとセレナの目に留まった懐中時計の短針が、3の文字盤を指している事に気付くセレナ。
フィーナとセレナの仕事の担当時間は朝8時から夕方5時までなので、こうして仕事終わりに来ている以上、時刻がズレているのは明白であった。
「ズレてんのは当たり前だろ」
ライゼルの不思議な発言を受けて頭上にクエスチョンマークを浮かべるセレナ。
そんな彼女の背後から、足音が近付く。
「セレナさん!」
足音の正体はディラックであった。
走って来たのか、荒れた息を整えながらセレナに対して笑顔を浮かべる。
かなりの美形であるディラックが浮かべる笑顔はとても様になっており、その柔和な笑みは世の女性を容易く虜にするだけの存在感を放っていた。
しかし、セレナはピクリとも反応を示さない。まるで肉眼にフィルターでも掛かっているのかと言いたくなる程である。
「ここにいらしたんですね。宜しければ、夕食は僕と一緒」
「ごめんなさい。私、ライゼル様と一緒に夕食を食べるので遠慮させて頂きますね」
ディラックが言い終わるのを待たず、セレナは問答無用とばかりに両断する。
フィーナが横でカリカリと野菜スティックを齧っている。
ライゼルが野菜スティックをフィーナから一本横取りし、ボリボリと齧る。
「ニンジンうめえ。マヨネーズが欲しいな」
「マヨネーズって何?」
「ロンバルディアで生まれた美味い調味料だ」
「そういう訳でライゼル様。夕食にしましょう?」
「あ? ごめん聞いてなかったわ。何だって?」
「夕食食べましょうよ。お腹空きました」
「腹減ったなら勝手に食えば良いじゃねえか。保存食はキッチリ買い込んでるだろー?」
「そうですけど……ライゼル様と一緒に食べたいです」
「俺様はセレナちゃんの事食べたいな~、なーんてね!」
「やだライゼル様ったら~☆ そういうのは日が落ちてからにしましょうよ~♪」
「何真に受けてんだ馬鹿じゃねーの?」
「あー、少し良いかい?」
わざとらしい大きな咳払いと共に、ライゼル達の会話に割って入るディラック。
ニヤニヤとした笑みを貼り付けたライゼルに対し、鋭い目付きで視線を飛ばす。
「話の流れからして、君がライゼルという人かな?」
「俺様男色家じゃないんで帰ってくれ」
「私を勝手に男色家扱いしないでくれないか!?」
「じゃあ宗教勧誘か? 俺様精霊教会はクソ食らえだって考えだから話すだけ無駄だぞ」
「罰当たりな! だけど今はそういう話をしてるんじゃない!」
「訪問販売はお断りしてまーす」
「私は何も持ってないだろ! 空手で何を売るって言うんだ!?」
「油とか喧嘩とかあるだろ」
「ライゼル様、その例え上手いです!」
「だろ~?」
「話が噛み合わない……!」
ライゼルの飄々というか、他者をおちょくる態度に頭を抱えるディラック。
「あの……私で良ければ、この馬鹿の代わりに答えますけど……何か用ですか?」
野菜スティックを食べ終わったフィーナが、ディラックを気遣う。
「あの男は、何時もあんな調子なのか?」
「そうですね。何度殴っても改める気配が無いです」
「分からない……何でセレナさんはこんな男を好いているんだ……!?」
「ゲテモノ好きなんですよきっと」
「だぁ~れがゲテモノだゴルァ!」
「痛い痛い痛い痛いィ!?」
フィーナにヘッドロックでオシオキをするライゼル。
フィーナはそのまま首に力を込め、勢い良く身体を倒し、その勢いでライゼルを宙へと持ち上げ投げ飛ばす!
その勢いでヘッドロックが外れ、ライゼルは地面を転がった。
「ライゼル様がゲテモノな訳無いじゃないですか! こんなに強くてイケメンで優しくて格好良い人、他に居ませんよ!?」
フィーナの発言に口を尖らせて否定するセレナ。
「こんなのただのクソガキがそのまま大きくなったようなモンじゃない! 大きくなったって言っても私より背が低いチビだし!」
「だああぁぁぁれがチビだゴルアアアァァァ!?」
トサカに来たライゼルがフィーナに向かって吠える。
「アンタの事に決まってんでしょ!」
「チビじゃねえし!? 俺様絶賛成長期だし!?」
「アンタ私と同い年でしょ! 成長期なんかとっくに終わってるわよ!」
ディラックをそっちのけで、罵声で殴りあうライゼルとフィーナ。
ディラックの仲裁が入っても中々止まらず、その聞くに堪えない口喧嘩が終わるには、呆れ果てた太陽が水平線の向こう側へと消える程の時間を要するのであった。
ライゼル達の和気藹々()とした会話を始めると何処で切れば良いのか分からなくなる




