29.時間の違い
「――待て。お前、今何て言った?」
「え? ですから、シェレニエーラさんのお陰で、僕の奴隷契約が解かれて――」
――奴隷契約書を、「解いた」?
奴隷契約の解除なんてのは、そもそも奴隷の売買の過程で普通に出来る事だ。
奴隷契約を解除する方法自体は簡単だ。
その術式を刻んだ契約書を、破るなり焼くなりして破壊してしまえば良い。
それだけで終了、簡単なモノだ。
だが、まだ生きてる奴隷契約書の権限をガン無視して、勝手に契約内容に介入・改竄して横紙破りするだと?
何故、そんな事が出来る……!?
確か師匠の話じゃ、奴隷契約書ってのは相当ヤベェ効力を持っている術式だったって話だ。
そもそもそんな術式に囚われるようなマヌケじゃねえが、仮に囚われたとしたらこの俺様でも相当厄介な状況に追い込まれるのは間違いない程だ。
奴隷契約書を物理的に破壊しちまえばそれで脱出出来るから、奴隷契約の術式を物理的に突破するって事なら俺でも出来る――が。
「……何で、そんな事が出来たんだ……? 術式は生きてる状態だろ!?」
思わず、口に出てしまう。
そんな方法、俺は知らない。
多分師匠だって――いや、師匠ならもしかしたら知ってるかもしれないか――少なくとも姉弟子様だって知らないだろう。
今、俺の前で寝息を立てているこのエルフの女は、俺の知らない世界を知っている。
そう結論付けるしかなかった。
「そんなに凄い事なんですか? シェレニエーラさんがアッサリやってたから、てっきりそんな物なのかと思ってたのですが」
「……奴隷契約書を物理的に破壊せずに奴隷を解放するか、街一つ消し飛ばすかの選択肢で、どちらかを選ばなきゃいけないなら俺は考慮の余地無く後者を選ぶぞ」
そもそも、俺にはそんな事は出来ないから選択肢が無い訳だが。
一体どんな理屈で、このシェレニエーラって女はそれをやってのけたんだ?
知りたい。今すぐにでも。
もしかしたら、そこに俺の求めている答えがあるかもしれないのだから。
だが、シェレニエーラは目の前で眠りこけている。
「……シェレニエーラは何時になったら起きるんだ?」
叩き起こしてでも、と考えたが流石にこの考えは引っ込める。
寝てる最中に見ず知らずの男に叩き起こされて「教えろ」とか言って、素直に教えてくれるような奴が居る訳が無い。
教えを請う立場である以上、こちらが譲歩せねば話にならない。
「さっきは騒がしくしちゃったのと、たまたま眠りが浅いタイミングだったから起きたみたいですけど……十分に寝てないと不機嫌になっちゃうので、ちゃんと起きるのはええと……早くても10ヶ月後位だと思いますよ? 大体1年位は眠りっ放しなので……」
だがミールから聞いた言葉は、余りにも常識外の回答であった。
そんなに待ってられるか! というかそれ以上に。
「何で一年も寝てて餓死しねえんだよ……!」
「僕も不思議に思って、シェレニエーラさんに質問したんですけど。何でも、燃費が良いのと時間の流れをゆっくりにする魔法を使ってるらしいですよ? 傍で見てますけど、ずっと寝てるはずなのに痩せこけて行く様子も無いですし、シェレニエーラさんは嘘は言ってないと思います」
……常識の外で生きてんな、このエルフの女。
俺が言えた義理じゃねえのかもしれないが。
「――もう良いや。夜中に押し掛けて悪かったな。俺様もそろそろ寝るわ」
何もせず、ここでただボーッと一年近くも待つなんて馬鹿馬鹿しい。
だったら、起きるであろう頃合にもう一度再訪した方が建設的だ。
場所も、分かった事だしな。
ミールに対し後ろ手を振りつつ、地下室を後にし、階段を上り、俺に与えられた寝床へと戻る。
目を閉じると、俺にしては珍しく睡魔に導かれるがままに意識を闇へ溶かして行くのであった。
―――――――――――――――――――――――
「――まーだ寝てるぞコイツ」
「寝てますね」
翌朝。
セレナと共に何時まで経っても起きて来ないフィーナを叩き起こすべく、フィーナが眠りこけている部屋の扉を開ける。
「おいコラさっさと起きろぶっ!?」
起きないフィーナにちょっかい出そうと手を伸ばしたタイミングで、寝返りと共に放たれた唐突な蹴りが俺の頬の辺りに突き刺さる!
思わず頬を押さえる。
「――あれ? 何だ夢か……」
「夢の中でまで暴力女かよテメェ……!」
「大丈夫ですかライゼル様!? 今回復魔法を」
「ああ大丈夫。俺様、回復魔法も使えるからさぁ。なんたって俺様、天才ですから!」
「流石ライゼル様! 何でも出来るんですね!」
笑顔を浮かべながら俺の事を持ち上げてくるセレナ。
……結局、昨日のセレナの奇妙な行動は一体何だったのだろうか?
そんな疑問を浮かべていると、寝癖の付いた頭と身体を起こすフィーナ。
「何で勝手に私の部屋に入り込んでるの? 夜這い? 蹴るよ?」
「お前の部屋じゃねえしもう朝だし既に蹴ったじゃねえか! 何時までも起きてこねえから起こしに来たんだろうが!」
「そうですよ! なのに酷いじゃないですか!」
「そうなの? ごめんねライゼル」
素直に謝るフィーナ。
俺が理由を言ったからと言うより、セレナが糾弾したからって感じが凄いするが。
「詫びとして乳揉ませろ、いややっぱ良いやお前無にゅくぺっ!?」
寝起きにも関わらず、一切表情を変えずに俺の鼻に素早いジャブが伸びるのであった。
自前の携行食料で朝食を済ませる。
久し振りにまともな環境で睡眠出来たからか、フィーナの顔色も随分と良い気がする。
あんだけ爆睡すりゃ疲れも取れるか。
「一晩、お世話になりました」
「ありがとうございました」
「いえいえ。僕も久し振りに旅の方とお話出来て楽しかったですよ」
食後の一服を飲みつつ、ミールは整った顔立ちに笑みを浮かべつつそう言った。
「……ライゼルも礼を言いなさいよ」
「ありがとうございやしたー。それはそれとして、機が来たらまた来る」
「昨晩も言った通り、あんまり他所との交流が無い場所なので。また来られるのでしたら楽しみにしてますよ」
ミールと別れを済ませ、手を振りながら俺達を見送るミールの姿を背にする。
「所でライゼル。機が来たらって、何が?」
「おめーには関係無ぇ話だよ」
そう、フィーナには関係無い。
これは、俺の用件だからな。
―――――――――――――――――――――――
ライゼル一行が去り、季節の巡り以外はまるで時が止まったかのような日々が流れるタリタリア村。
「……おはよ」
「おはようございます、お姉ちゃん。今回は少し長かったですね」
階段を上がり、リビングへとやってくるシェレニエーラ。
何ヶ月も眠りっぱなしだったにも関わらず、そのふくらはぎまで伸びた長髪には大して寝癖は見られない。
目元を擦りながらミールの腰掛けたダイニングテーブルの対面へと座る。
シェレニエーラが起きてきたのを見て、ミールは淡々と軽食の用意を始める。
「……そういえば以前、この村を訪れた旅人さんに聞かれて思ったんですけど。お姉ちゃんは僕の奴隷契約書を解除してましたけど、アレって凄く大変な事だって聞いたのですが、そんなに難しいんですか?」
シェレニエーラの為の食事を用意しつつ、ライゼルから聞いた事で生まれた疑問をシェレニエーラへと投げ掛けるミール。
ミールは多少は魔法の知識があるものの、それでも一般的な魔法使いの範疇に納まる程度の実力でしかない。
余りにも高度な魔法に関しては、ミールは何も知らないのだ。
「……アレは、『法則』の力が絡んでるからね。何も知らない人だと、まあそうなるかもね」
「『法則』の力?」
頬杖を付きながら、ぼんやりと宙を眺めながらミールの問いへと答えるシェレニエーラ。
「そういう名称で情報が残ってたから、そう呼んでるけどね。この世のありとあらゆる法則――林檎が木から地面へと落ち、鳥が空を飛び、水が高きから低きへ流れる――そんな、皆が当たり前だと思っている、その全ての事象を司る、世界の根幹に等しい存在よ」
「ほえ~……何か良く分からないけど、凄いです」
「奴隷契約書って呼ばれてる紙切れに記されている術式は、そんな法則を強制的に生み出し、課す術式よ。だから破れば執行、って部分を別の法則で上書きしてしまえば良いってだけね」
ミールに対しやってのけた事を、淡々と述べるシェレニエーラ。
しかしながら、彼女がさも息をするかのように言ってのけた事柄は、最早優秀だとかそういう枠に収まっていないライゼルですら思わず目を見開くような内容であった。
「でも、私はまだあの力の根源をロクに理解出来てない。それを理解する為に、私はここで寝続けてるのよ」
「そんな理由で、お姉ちゃんはここで延々と眠り続けてるのですね。はい、出来ましたよ」
「ん」
消化に良い食事を手早く用意し、シェレニーラの前に並べた後、ミールは再び元の席へと戻った。
「寝てる最中、私はあの地に精神だけの状態で赴く事が出来る。……確か、あの男の話だと思念滞留域とか言ってたかしら?」
ミールに用意して貰った軽食を口にしつつ、その食事の合間にミールの質問へと答えるシェレニエーラ。
「まあ、目には見えないけど確かに存在する、ここではない何処か別の世界、とでも言えば良いかしらね……ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
シェレニエーラの食べ終えた食器を下げ、流しにて食器を洗い始めるミール。
そんなミールの背を注視するシェレニエーラ。
「それはそうと、ミールくん。今日は久し振りに、どう?」
急に作ったような声色で、ミールに言葉を投げ掛けるシェレニエーラ。
そんな彼女の声に対し、淡々と答えるミール。
「どうって、何がですか?」
「やだなぁ~、ミールくんったらお姉さんの口から言わせたいの?」
ニヤニヤと口元を歪めるシェレニエーラ。
そんな彼女の口調から察したのか、小さく溜息を付くミール。
「……お姉ちゃん、起きたら毎回それですよね」
「私を好事家みたいに言わないでくれる?」
「違うんですか?」
食器を洗い終えたミールは、シェレニエーラの目を見ながら問う。
シェレニエーラは、ミールから視線を逸らした。
「……ミールくん、年の割りに淡白過ぎない? 貴方位の時期は興味津々だって本で書いてあったんだけど……私とするの、嫌なの?」
「嫌じゃないですけど……何か、お姉ちゃんが起きる度にこんな事してると精神が堕落して行くような気がして」
「良いじゃない。一緒に堕ちましょうよ。私とじゃ嫌なの?」
「…………一回だけですよ?」
「うんうん♪ 一回だけね~」
――これは、一回だけじゃ済まない。
覚悟を決めるミールなのであった。
この後めちゃめちゃ




