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28.「惰眠の魔女」シェレニエーラ

 ――僕が彼女と出逢ったのは、まだこの村の辺りが深い木々に覆われていた時だった。

 ファーレンハイト領の大きな分岐点とも言える聖王都継承戦争が起こる、更に数十年前の頃。

 まだその当時は人と魔族の対立が深く根付いており、半分エルフの血が混ざっている、半人半魔である僕はこのファーレンハイトの地で、奴隷の身分として道具のように使われ続けていた。


「――ここだ! ここから先が『魔女』の領域だ! 魔女を討ち取った者には約束通り褒美を取らせる! 心して掛かれ!」


 そう口にしたのは、確かこの辺りを統治している貴族の次男だったか三男だったか。

 貴族は世襲制で、余程の功績を挙げていたりだとか、長男が相当な無能だとか、そういった理由でも無ければ原則として長男が家長の座を継承する。

 故に、この一団を指揮する貴族の男は、普通であらば家長の座を得る事は不可能であった。

 だから、この森の中に潜む「魔女」を討ち取り、功績を挙げたかったのだろう。

 討ち取る大義名分も有るようで、何でもこの森の魔女は魔族であり、自らの父親である領主が治める土地を不当に占領し、この森に入った者を何人も帰らぬ者にしているらしい。


「第一部隊が先行し、その後第二部隊以降も突撃するぞ!」


 第一部隊とは、僕が置かれた部隊の事である。

 奴隷や借金持ちといった、貴族達からすれば居なくなっても何の問題も無い連中だけで固められた部隊。

 この第一部隊が最初に先行する事で、罠があるならわざと発動させ、攻撃が来るなら盾として使い、後続の安全を確保するのが目的だ。

 逃げれば容赦無く後ろから撃たれ、当然、生きて帰れる保障など無い、決死隊のようなモノであった。


 藪や茨で覆われた、森の中。

 それらを鉈で切り払いながら奥へと進んで行く。

 女児に間違われる程の体躯しか持たない僕にとって、そもそも藪を払って進むだけでも重労働だ。

 それでも逃げれば殺されるし、そもそも逃げて駆け込む先も無い。

 当時の僕は、言われた通りに前に進むしか許されてはいなかった。



 ――誰?



 そんな時、女性の声が聞こえた気がした。

 でも、僕が居る第一部隊に女性なんか居なかったし、女性の声が聞こえる訳が無かった。

 実際、周囲を見渡しても、誰かの声が聞こえて戸惑っているような素振りを見せている人は居ない。

 ただの幻聴だろうか?



「――うるさい……!」



 今度はハッキリと、この耳で聞き取れた。

 不快感を露にした、冷たい口調だった。

 この声は僕以外にも聞こえていたようで、武器を手にして森に立ち入った者全てに緊張を走らせるのに十分であった。


「魔女だ! 魔女が来るぞ! 全員武器を構え――」


 総指揮官である、貴族の声が上がるが、その言葉は途中で途絶える。

 その後、断続的に悲鳴やくぐもったような声が上がる。

 その悲鳴の正体は、すぐに分かった。


「うわっ――!?」


 足元に生えていた蔦や茨が、まるで蛇のようにうねり出し。

 意思を持っているかのように僕の腕や足に巻き付き、僕の身体を宙に吊り上げた!

 しかし蛇と例えたが、蛇のように絞め殺す程の強さで締め上げている訳では無かった。

 だがそれでも、縛られているのと同じではあったので、僕のひ弱な肉体ではその拘束を断ち切る事は出来なかった。

 ちゃんとした大人の筋力を持っている人達は、藪を払うのに使っていた鉈なんかで蔦や茨を断ち切り、宙吊り状態から脱出していた。

 脱出した者達が他の宙吊りの人物を助けようとするが、落ちてもそこまで酷い怪我をする程ではないが、微妙に手にした刃物が届かないような微妙な高さに全員が吊り上げられていた。


「自力で脱出出来ない者は捨て置け! 脱出出来た者で再編成を行う! 準備が整い次第突撃だ!」


 部隊長である男の声が下から飛ぶ。

 その後しばらくして、まとまった足音が森の奥へと進んでいった。

 自力で抜け出せない、足手纏いである僕達は見捨てられたようだ。

 足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

 足音だけでしか判断出来ないのは、腕も足も縛り上げられた結果身体の向きが固定されてしまい、僕の視線が空の方向へ固定されてしまったからだ。

 その間、僕の目に映るのは木漏れ日の光だけ。耳に届くのは、虫や鳥の鳴き声だけ。

 何故か、聞こえてくるはずの戦闘音のような物は聞こえなかった。



「うるさああああぁぁぁぁい!!」

 


 その声は、先程聞こえた女性の声で。まるで突風のようにこの場を走り抜けて行った。

 まるで巨大な岩が大地に叩き付けられたかのような、巨大な振動が走る。

 その衝撃で鳥達が驚いたのか、一斉に羽ばたく音が聞こえた。


 鳥の鳴き声が森から聞こえなくなった頃。

 突如、視界が動く。

 僕を縛り付けていた蔦や茨が、身体を縛り上げたまましゅるしゅると森の奥へ進んで行くのだ。

 その際、身体の向きを変える事が出来たので、視線の向きを変える事が出来た。

 抜け出す事も出来ず、蔦の動きに任せて森の奥へ進んで行くと、不自然に開けた空間が出来ており、そこへと連れ出された。

 そこには一軒家がポツンと建っており、その家を背に、一人の女性が仁王立ちしていた。

 ふくらはぎまで伸びた緑色の髪が、魔力によって蛇の如くうねうねと動き。その鋭い目付きと併せて、まるでメデューサと呼ばれる見る者全てを石化させる化け物のようにも見えた。

 僕と一緒に運び出された人達も同じ印象を抱いたのか、ビクビクと身を小刻みに震えさせ、小さく縮こまっていた。


「――やっぱり奴隷か。抜け出せない程衰弱してたりひ弱だった事に感謝するのね」


 誰に言うでも無く、その女性は吐き捨てるように呟いた。


「術式で縛られてるから、従うしか無かったって訳ね――従わなければ、罰が下されるよう。そういう『法則』にしている、か」


 これも、誰かに言うでもなく呟いている。

 その言葉の後、先程僕達を運んで来た蔦がうねうねと地面の上を這い、女性の足元まで伸びる。

 その後、蔦が絵筆の如く地面に何らかの文様を描き始める。

 それが何なのかは分からないが、何らかの魔法の術式だという事は理解出来た。

 内容は理解出来ないが、呪文の詠唱を始め、その言の葉と同調するように、蔦が描いた魔法陣から眩い光が迸る。

 思わず目を覆う。

 その光が止むと、僕の首元から乾いた音が響いた。


「……ほら。アンタ等の下らない枷全部外してやったわよ。とっとと巣に帰りなさい」


 まるで小動物でも追い払うかのような、ハンドサインを面倒臭そうにする女性。

 首元を触る。

 物心付いた頃から首に付いていたはずの、僕を縛る首輪が外れていた。

 周りを見渡すと、僕だけでなくこの場に居た奴隷達全員の首輪が外れたようだ。


「何処へなりと消えなさい。そしてもうここに戻ってくるな。分かったらさっさとしろ!」


 段々、女性の言葉に不快感と苛立ちの色が浮かび始める。

 僕達奴隷は、主人が不機嫌な時、理不尽な暴力を振るわれる事が度々ある。

 それ故に、他社の顔色を伺う能力が否応無しに育ってしまっている。

 目の前の女性の顔に、苛立ちの色が見え隠れし始めた事で、この場に居た人達は皆、散り散りになってこの場から立ち去って行った。

 僕はというと、何故か理解出来ないが、その場から離れる事が出来なかった。

 僕以外の皆が、何処かへと走り去って行くのを見た女性は、その場で踵を返し、後ろに建っている家へ向けて歩き出した。


「……何? 私、眠いからもう寝たいんだけど」


 白く、とても綺麗で、冷たい手。

 咄嗟に、女性の手を掴んでしまう。


「あの、僕、帰る場所、無いです……」


 無意識に出た言葉だった。

 助けて貰って、こんな事を口にするのは図々しいのかもしれない。


「お願いします。助けて、下さい……」


 でも、僕には一人で生きる手段なんて無いし、生きる場所も無かった。

 僕はどうすれば良いのか、何も分からなかった。


「……ん? あれ? 貴方、エルフなの?」


 それは、僕の耳の形を見て気付いたのだろう。


「えっと……僕、ハーフエルフみたいです」

「そうなんだ。私、ハーフじゃなくて普通のエルフよ」


 そう言って、長い髪を白い指でかき上げる。

 女性の耳元には、僕同様に尖った耳が存在していた。


「……良いかも」


 何が?

 この時、彼女が言った言葉の意味は、今でも理解出来ていない。


「そういう事なら、私の家で暮らすと良いわ。でも、私の与えた仕事はちゃんとやって貰うわよ」

「は、はい! 大丈夫です!」

「じゃあ、これからは私の事をお姉ちゃんと呼びなさい」

「……え?」


 これが、その後ファーレンハイトで「惰眠の魔女」と呼ばれ、恐れられた。

 シェレニエーラ・ドライアードというエルフとの初めての出会いであった。

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