17.舐めプ
科学技術とは異なる、もう一つの法則。
ロンバルディア共和国がこの世界に建立される以前、この世界全てを支配していた魔法という名の法則。
生きとし生ける者全てが有し、この世界に繁栄をもたらし続けた魔力という存在。
強大な力を持つ魔法を戦闘に用いるのは、非常に難しく、状況に応じた対処が求められる。
例えるならば強力な魔法というのは、ゴム風船のような物だ。
息を吹き込めば吹き込む程より大きな魔法へと成長していき、肺活量の多い者ならばそれだけ早く大きく膨らませる事が出来る。
操作を誤れば膨らませた風船内の空気が全て逆流し肺を損傷させるし、誰かから風船に針を刺されれば一気に破裂し、近くで膨らませていた術者はタダでは済まないだろう。
下級魔法程度ならばいざ知らず。それなりの破壊力が伴う魔法を用いるとなれば、操作も慎重に、精確に行わねばならないし、相手から飛んでくる攻撃によってその精確な動作を邪魔されるのは致命傷足りえる。
その為、もし自らの身に妨害が飛んできて、魔法の発動を中断させざるを得ない時が来た時に、暴発させないように安全に中断、もしくは不完全な状態でもしっかりと発動させられるよう、日々魔法使いは訓練している。
これは、魔法使いが一番最初に魔法を習う上で徹底的に叩き込まれる技術の一つであり、これが出来ないと術者としては半人前呼ばわりされても仕方の無い事なのだ。
武術を習う上でも、最初に技を習う前に受身を徹底して指導されるが、それと同じ事である。
しかしながら、無茶な受身が身体に負担を掛けるのと同じ様に、無理矢理な魔法の中断は術者に強い負荷が掛かる。
なので全ての魔法使いにとって、あまり魔法の中断、ましてや咄嗟に中断せねばならない事態に陥る事自体を避けたいのが本音であろう事は疑う余地が無い。
故に、魔法使いというのは原則的に単身では行動しないし、戦闘を行う際も魔法発動の工程に集中出来るよう、その無防備な状態を前衛に守って貰うのが常識中の常識なのである。
「――アサルトレイフォース!」
アルバートの放つ、光の矢が無数にライゼル目掛け飛来する!
若干の誘導性能があるその魔法矢を、ライゼルは見事なまでに見切り、その回避した矢が大地へと突き刺さり、その熱量によって地面を穴だらけにしていく。
……そう、単身では行動しない物なのだ。
しかしながら、このアルバートという男は単身で戦闘をこなすばかりか、ライゼルと互角に渡り歩いていた。
ミスリル銀糸ワイヤーによる、中距離攻撃のレンジ内に入らぬよう。相手の射程距離外を維持し、徹底的に自分の土俵である遠距離からの魔法攻撃を撃ち込み続けるアルバート。
無論、ライゼルは馬鹿ではない。射程距離外だというのなら、距離を詰めて射程内に収めようと詰め寄る。
その速度は時速百キロを優に超える、人間の身体能力では到底不可能な、肉体強化術による高速機動。
しかしアルバートはその動きをしかと捉える。
捉えた上で、的確に魔法の中断、不完全発動、無詠唱魔法を使い分け。手にしている武器の術式が魔力伝導熱で焼け付かぬよう、クールタイムを捻出しながら。的確に状況に対応していく。
もしこの場に、魔法に精通した術者が居たのであらば。アルバートの事をきっと曲芸師か何かかと半ば驚愕、半ば呆れで称えたであろう。
それ程までに、アルバートの魔法技術は卓越していた。
今のライゼルを相手に持ち応える所か、拮抗する程の戦闘技術を有している者と、ライゼルはここ最近の戦場で対峙した事はまるで無かった。
「ハハッ! やるじゃねえか! まさかここまで詰め寄れない相手だとは思いもしなかったぜ!」
「……『黒衣の暴風』ライゼル・リコリス、か。成る程、確かに驚異的な戦闘力だな」
「おろぉ~ん? 俺様の事知ってる系かなぁ~? まぁ野郎なんざに知られてても全ッ然嬉しくもねえんだけどよぉ」
だらりと手にしたミスリル銀糸ワイヤーを宙で揺らめかせながら、おどけた返答をするライゼル。
「確かに驚異的だが……思っていた程じゃないな。あの『白焔の剣姫』と一緒に語られる程だから、一体どれ程の者かと思ったが――」
「アイツと一緒に括るんじゃねえよ」
アルバートが言及すると、その言葉を遮ってライゼルはやや苛立ちの感情が宿った言葉を吐く。
口調も先程までのふざけたハイテンションから、一気に冷え込んだモノへと変わる。
「――まあ良いさ。こんなワイヤーじゃテメェには届かないってのは分かった。瞬殺されないんだし大した腕前だって認めてやるよ」
「ならそのまま帰ってくんねえかなぁ? 負けるとは思わないが、お前を相手にするのは面倒臭いんでな。その戦闘力を称えて、そのまま回れ右すんなら特別に見逃してやるよ」
アルバートとライゼルは、互いにその腕前を認め合う。
しかしながら、その二人の口調はどちらにも余裕が感じ取れ、双方共に上から目線の発言だ。
何故ならば、この二人は両者共に切り札を隠し持っている。
それを切らずに、余力だけでここまでの戦闘を繰り広げているのだ。
「ハッ! 久々の強敵相手にはいそうですかって逃げる訳無ぇだろうがよォォ!!」
ライゼルは、手にしていた銀糸を袖口から収納する。
無手になった上で、アルバートを挑発する。
「そんなに遠距離戦がしてぇなら、その土俵に上がってやるよ……勇者様と違ってこっちは不得手で悪いけどよぉ、その分手加減は心得てるつもりだから、安心して味わってくれや」
「……舐めんじゃねえぞ。俺と魔法の撃ち合いやろうってのか?」
「モチのロン。何だったら先手だって譲ってやるぜェ~? ほらほら~、さっさと出してみろよ。テメェの最高の手札をよぉ~」
自分の土俵に上がって来た上で、その傲慢な口調。
流石のアルバートも、頭に来る物がある。
「あれ? あれあるぅえ~? 怒ってる? ねえもしかして怒っちゃってる? トサカなの? おこなの? 良いんだぜぇー? その怒りの感情全部魔力としてぶちまけちゃってもよぉ~。ほらほらさっさと本気出してみろよぉ~。ちょっと良い所見てみた~い!」
尚も煽り続けるライゼルを睨み飛ばすアルバート。
魔力を注ぎ、自らの持ち得る最大の手札を、警戒しながら展開する。
先手は譲る、とか言って置きながら不意打ちをしてくるような輩を、アルバートは過去に何度も見てきた経験がある。
故に、ライゼルに対し警戒は怠らない。
しかしどれ程警戒していても、ライゼルは宣言通り本当に無防備に立っているだけである。
「咬裂の大地、万象を噛み砕け! 震土襲来!」
アルバートは、詠唱による魔力注入工程を終え、その手にした杖をライゼル目掛け突き付けながら。
「――グラウンドストライク!!」
その最大火力を――解き放つ!
それは例えるのであらば、無数の大地の槍。地から襲い来る鮫の牙。
突き出した大地の槍が、更に次の大地の槍よって破壊されるような密度の、無差別範囲攻撃魔法。
ライゼルを中心とした、半径1キロ以上にも及ぶ範囲が。
木々も岩も、何もかもが分け隔て無く食い破られ、噛み砕かれていく。
等級で現すのであらば、それは間違いなく上級魔法。
地形すら変貌させてしまう、魔法使いの中でも一握りの天才にしか到達し得ない、最高峰の力。
避ける素振りすら見せる事無く、ライゼルはその大地の顎門に飲み込まれ――
「――ライトニングブラスター!」
――簡略化したその魔法によって。真正面からアルバートの術を薙ぎ払う!
その収束圧縮され高エネルギーを有した紫電の剣はライゼルの前方、アルバートの居る方角に向けて伸び、扇状の範囲の大地の槍を焼き尽くし、一掃していく。
大地の牙によって阻まれ、その破壊力がアルバートに届く事は無かった。
アルバートはライゼルの周囲全てを攻撃したが、ライゼルは扇状に削り取っただけ。
攻撃範囲ではアルバートの圧勝。威力も、良くてライゼルとアルバートは互角程度であろう。
アルバートは息を呑み目を見開く。その目に初めて動揺の色が浮かぶ。
そう、威力はアルバートとライゼルはほぼ互角なのである。
念入りに魔力を注ぎ込み、最大の魔法を放ったアルバート。
それは例えるならば、ボクサーの放つ全力のストレート。
地を足で蹴り、身体を捻り、拳を弓矢の如く放つ、全身のバネを躍動させて放つ渾身の一撃。
対し、詠唱を省略した魔力を注ぎ込む時間が余りにも少ないライゼル。
格闘で例えるのであらば、両足を縛られしかも取っ組み合いの距離で放たれるパンチ同然。
勢いも乗らないし、体勢もロクに整えられない。威力が出なくて当然だというのに――両者の威力が互角なのだ。
それはつまり、ライゼルは同条件であらばアルバートの放った上級魔法。その更に上を行けるという結論に他ならない。
「オイオイオイ……! 何だあの化け物は――!」
油断していた訳ではない。
ライゼルという男を、甘く見ていた訳ではない。
だが、アルバートはこのままでは自分に勝機が無いという事を悟ってしまった。
接近戦は元々専門外。最も得意とする遠距離からの魔法戦で、これ程までの絶望的な力の差という壁を見せ付けられ。
アルバートは、認識を改めた。
ライゼルは、強敵ではなく……天災の類であると。
「へぇ~。俺様、化け物だったんだ。じゃあ聞くが、俺様が化け物なら、罪の無い人々を食い物にするテメェ等は一体何者なんだよ」
自らの魔法で薙ぎ払った、何も存在しない荒地を踏み締めながら。
笑顔でライゼルはアルバートに向けて歩み寄る。
その笑みは、義憤だとか優しく諭すだとかそういう代物ではない。
悪党が、食い物に出来る相手を発見した時に浮かべる、そういった邪悪な笑みに他ならなかった。
「――俺は、ヒトだ。誰が何と言おうとな!」
その目から動揺の色を消し去り。僅かに怒りの色が滲んだ声色で、やや含みのある台詞を吐き捨てるアルバート。
「――チッ。とんだ化け物が居たもんだな……だが、ある意味納得か。あの勇者様とやらと一緒に語られるような奴が、凡人の枠に当て嵌まるって考えの方がどうかしてたんだ」
「ほーん。で? それでどうする気だ?」
「俺だけで相手にするには分が悪い、尻尾巻いて逃げさせて貰うぞ」
先程の攻防の結果、アルバートは確信する。
――自分では、あのライゼルという男に勝てない。
少なくとも、こんな面と向かった正攻法では。
夜討ち朝駆け、不意打ち邪道であらばまだ分からないが、そんな事が出来る状況ではない。
罠を仕掛けるにしても時間が掛かるし、仕掛ける場所も必要。のうのうと罠を仕掛け終わるまであのライゼルという男は待ってくれる訳が無い。
故に結論。最早勝機無し。
勝てないのであらば、逃げる。その判断は当然といえた。
「逃げられると思ってんのか?」
「生憎、逃げるのは得意中の得意なんで、な!」
アルバートは勢い良くその腕を振るう!
アルバートの袖口から、小さな玉らしき代物が飛び出し、腕や手を滑り抜け――地面へと叩き付けられる。
直後、その玉が破裂。
周囲に膨大な量の白煙が、まるで突風の如く吹き荒れる!
「おいおい煙幕とか随分と古典的だなオイ!」
ライゼルは片足を振り上げ、勢い良く大地を蹴る!
ライゼルを中心に、突風をも押し流す圧倒的な暴風が吹き荒れ、大量の煙幕を一気に霧散させた!
「クッセエ煙なんか撒き散らかしやがって。こんなんで俺様から逃げられると――」
そこまで口にした所で、ライゼルの表情が僅かに歪む。
先程の煙幕は、アルバートが丹念に時間を掛けて仕込んでおいた、逃亡手段における取って置きの切り札である。
その効力はアルバートの仕込み得る、ありとあらゆる欺瞞工作の施された極限の一品なのだ。
幾重にも仕掛けられた妨害手段の内の複数が、ライゼルのレーダー網の一部を麻痺させる。
ライゼルは、遠く離れた場所に存在しているモノ、特に動いているモノを容易く捕捉する事が出来る。
それを可能にしているのは、ライゼルが常に周囲に張り巡らせている魔力によって生成される、電波によるレーダー網。
ライゼルの周囲に常時放出され、その反響位置のズレによって動体を捕捉する代物である。
だが、先程のアルバートの放った煙幕の中には、金属粒子が含まれていた。
これがチャフの役割を果たし、ライゼルの電波網を無力化していたのだ。
この金属粒子は魔力によって操作がなされているのか、物理的な風という現象で押し流せず、周囲に滞留し続けている。
「チッ、何か煙の中に不純物が混ざってんな……」
しかし、この電波レーダーはライゼルの索敵防衛網の一つでしかない。
他にも空気の振動を感知する方式と、魔力の動きを探知する手段という複数の探索網を有しており、これ等を展開しているライゼルに対し、不意打ちを仕掛けるというのは不可能に近い。
しかし、周囲を滞留する金属粒子が原因で電波によるレーダーは麻痺。
空気振動による探知は、先程煙幕を吹き飛ばすのに風を起こしたせいで大気が荒れ、一時的に麻痺。
故にこれはライゼルの対処手段が原因なのだが、これをしなければ白煙によって視界が、異臭によって嗅覚が潰されている状態なのだから、吹き飛ばすという判断は間違いだったとは言えない。
魔力反応を辿る手段は、先程からライゼルも行っているのだが、周囲に反応無し。
魔法を操る者ともなれば、自らの魔力を操るのは出来て当然なのではあるが、魔法を使うのであらば魔力を外に出さねばならない。
当然だ。缶の中に入ったままでは水を飲む事は出来ない。缶の中の水を飲みたいのであらば、缶を開けねばならないのだから。
その魔力を辿るレーダーが反応無しという事は、相手は魔法を使っていないという事だ。
つまり、肉体強化術も使えない。
であるならば、まだこの近くに潜伏しているか、逃げていたとしてもそれ程距離を稼げていない。
「生者を屠る、虐殺の刃! カルネージエッジ!」
簡略化を行わない、真っ当な魔法発動工程を経てライゼルは周囲に無数の空気の刃を解き放つ!
生い茂る木々を枝葉を、転がる岩塊を、先程切り倒した丸太を、自らが切り開いた何も無い大地を。
無差別に、一切の手加減無く風の刃が切り刻んでいく。
「野郎……」
しかしライゼルは舌打ちと共に吐き捨てる。
その様子から、炙り出し目的の一撃が完全に空振りに終わった事は容易に推察出来た。
アルバートの取って置きの切り札は、初見のライゼルに一泡吹かせる結果に終わった。
それ即ち、アルバートの逃亡は成功したという事に他ならなかった。
「まあ良い。ネタは割れたんだ、次は絶対に逃がさねぇ……ん?」
ライゼルが常時展開している、レーダー網に引っ掛かった反応に向けて、振り向くライゼル。
そこに居たのは、先程アルバートとの戦闘で負傷したセレナであった。
爆発に巻き込まれた事で防具であった学生服は破損してはいるが、傷は自らの魔法で治療した為か、特に目立つ物は無い。
顔を上気させ、熱っぽい視線をライゼルへ送ってくるセレナ。
その目の輝きは、例えるならそう……というか、例えるまでもなく。それは乙女の眼差しであった。
「ライゼル、様……私の、私の――黒衣の王子様……!」
「……あ゛?」
キラキラとした視線を向けられた事で、ライゼルはしばしフリーズする。
完全に日も沈んだ暗闇の中、ライゼルとセレナはライゼルの思考回路が回復するまでの間、しばし見詰め合うのであった。
突然ですが今日は私の誕生日です。
おめでとう。
おめでとう・・・おめでとう・・・
誕生日おめでとう・・・
congratulation・・・
おめでとう・・・(黒服感)