16.黒き災害
「――舐めてんじゃねえぞクソガキ」
無防備にノコノコと歩み寄ってきた黒衣の男を、爆裂魔法が捕らえる。
あの魔法学院の女を仕留める為に仕掛けた罠がまだ残ってて、その圏内に無警戒で入り込んで来たからな。
当然だが一切回避の様子すら見せず、男は爆風に飲まれた。
「舐めてんのはテメェだろ。ンだそのヘナチョコ魔法はよォ」
――飲まれた。はずだ。
何だ? 一体何が起きた?
魔法が不発? 否、術式を仕込んだ樹木は爆風で弾け飛んでいる、それは無い。
避けた? 一切動いた素振りが見えなかったぞ?
防いだ様子も無いのに、さも当然のように黒衣の男は、その場で悪態を付く。
「先手は譲ったぜ。んじゃ、次は俺様の番だ」
黒衣の男の袖口から、何かの煌きが見え――
直後、予感。背筋に冷たいものが走る。
咄嗟に俺は、緊急用の身を守る防御障壁を展開する!
「オル゛ルァ!!」
巻き舌気味な、裂帛の怒声。
まるで竜がその強靭な爪を、自らの腕力で振るい両断するかのように、その片腕を振り抜く。
直後、男の前方、視界に映るその扇状の範囲、その全てが一閃の元に両断、輪切りにされる!
俺もその圏内に巻き込まれたが――凄まじい衝撃と共に吹き飛ばされ、まるで金属でも削り取るような耳障りな音と共に障壁が一撃で破損したが――自分の肉体へと届くダメージ自体は辛うじてカットできた。
「ギェーッヘッヘッヘェ! 環境破壊は楽しいゼェ! ってかぁ!」
吹き飛ばされた先で、体勢を整える。
ガサガサと枝葉が地面へと転がる。
森――だった。
あの男は、その腕一振りだけで。
この森をまるで開拓した更地のようにしてしまった。
木々の中、何かの音が聞こえる。
それは、人間の呻き声であった。
その全てが、苦悶の声を上げており、それらが先程俺と一緒に居た男達の声である事はすぐに理解出来た。
俺は、辛うじて防げた。
だが、奴等はそうは行かない。
あの黒衣の男の、謎の攻撃の直撃を受けたのだろう。
――あんな、大木を纏めて積み木を崩すかのように容易く、輪切りにしてしまうようなあの攻撃を――
「オイ、この程度で何ビビって縮こまってんだァ!? もっと気合入れて掛かって来いってんだよォ! この俺様の攻撃防いだんだから雑魚じゃねえはずだろォ!?」
つまりあの木々の下、輪切りにされても尚、絶命し切れなかった者達が。血溜まりの中に沈んでいる。
僅かに怯む。
俺も、地獄の中で何度も死線は越えてきた。
だが、目の前に居るあの男は。
俺が今まで見てきたどの死地よりも、異質に感じられた。
詠唱していた? そんな暇が無い程に一瞬だったぞ?
魔法陣を仕込んでいた? 馬鹿な。だったら魔力伝導熱が感知出来るはず。それすらも無かった。
無詠唱に見える位の速度で、詠唱した? それで出せるのは下級魔法が良い所だ。こんな、上級魔法レベルの出力など出る訳が無い。
あの男は、一体何をした――!?
「――何だ、こりゃ――!?」
「あ、アルバート様! ご無事ですか!?」
洞窟の奥の中から、遅れてやってきた増援がこちらの安否を確認してくる。
遅れてきたお陰で、難を逃れたか。
しかし難を逃れたようだが、俺の僅かな動揺が伝播したのか、増援にも動揺が走る。
いや、俺は関係無いか。
そこにあったはずの森が急に消えたら、何事かと思わない方がおかしい。
「……テメェ等。逃げるか腹括るか好きに選べ。お前等に構ってる余裕は無いんでな」
確かな事は、今、目の前に居るこの黒衣の男。
コイツはあの女を庇って、その敵意をこちらに向けている事。
そして、どうやら俺を逃がす気は無い事。
手品の種が不明で、その手品は一撃で森を切り開く、上級魔法の破壊力を有している事。
……ハッ。
何なんだアイツはよ!
手数はこっちが上のはずなのにまるで後ろに居る増援がゴミにしか見えねぇ!
何でこんな時に限ってあいつ等は居ないんだよ!?
居てくれりゃちったあ楽に済むってのによォ!
自ら輪切りにした木々を踏み越え、悠然とこちらに向けて歩み寄る黒衣の男。
その視線は真っ直ぐに、俺の方だけを向いている。
クソッタレが。レディを守るナイト気取りかよ。
無警戒に真っ直ぐ突き進みやがって。
左手の指――木々に仕掛けておいた爆裂魔法の術式と連動した引き金――を折り曲げ、全て起爆させる。
積み上げられた輪切りの木の山か爆ぜて吹き飛ぶ。
幾つかあの大破壊に巻き込まれて術式が破損したか。思ってたより爆発の規模が小さい。
アレで死んでくれりゃ御の字だが。そんな楽には済まないだろうという予感。
この爆発に巻き込まれて、さっきの攻撃に巻き込まれた連中は全員死んだだろうな。
どうせ助からんし助ける気も無い。楽に死ねただけ感謝するんだな。
「復讐の意志宿――」
仕込んでおいたこちらの手品の種は全部使った。
これで隙は作れただろう。その間に詠唱を――
飛来する黒い影。
矢か? 否、そんなチンケな代物じゃない。
例えるならそれは、馬鹿デカい黒い狼がその牙をギラ付かせながら、こっちに向けて突進してくるイメージ。
クソが! 足止めにも煙幕にもなりゃしねえ! ガッツリ詠唱する暇は無ぇってか!
「以下省略! アヴェンジャーゲイル!」
だがこっちだってマトモに詠唱する時間をくれるなんざ思ってねぇよ!
詠唱さえさせてくれるなら魔力を注ぎ込んで破壊力上げられるが、今使ってんのは何時でも詠唱終わらせられる、極論無詠唱でも撃てる術だ!
風の刃を形成し、今目の前を猛進してくる殺意に向けて即座に撃ち放つ!
黒い影は足元の大地が爆裂するかのような勢いで横へ飛び退く。
が、その影目掛け風の刃は直角に軌道を変える。
生憎、それは追尾するタイプの魔法だ!
「良いねェェ! それ位は出来なきゃつまんねえからなァァ!!」
――黒衣の男の手元から、僅かに煌く筋。
夕日の朱を反射させる、金属の輝き。
その輝きが男の周囲で踊ると、風の刃は男を切り裂く所か、逆に粉微塵に切り裂かれ霧散した。
見えた。
アレが、さっきの不可視の攻撃の正体か。
糸状――もしや、アレはミスリル銀糸か?
あれだけの破壊力を出すのであらば、魔力が流れる代物でなければ不可能。
それでいて糸状に加工出来るようなモノとなれば、もうそれ位しか消去法で残らない。
「……ミスリル銀糸を武器に使うとは随分珍しいな」
「良いだろ? 欲しいか? やらねえぞ」
「いらねえよ」
さっきの見えない斬撃、大木を輪切りにした攻撃の正体はやはりそれか。
手の中で杖を滑らせ、術式を起動させながら大地を突く。
黒衣の男の足元が爆ぜ、その全身をズタズタに食い破る大地の槍が次々に飛び出す。
最早奇声のような、歓喜の叫びを上げながら。男はその魔法攻撃を、真正面から打ち破ってくる。
畜生が。狂人か何かかよ。しかも力がある分始末に終えねぇ。
あの野郎は多分、近距離から中距離位の立ち位置で戦うスタイルと見た。
だったら、相手のレンジ内に入ってやる義理は無い。
こちとら初めから遠距離戦前提だ。あんな化け物にマトモに接近されたら死ぬ未来しかない。
――このまま、物量と火力で。押し潰す!
―――――――――――――――――――――――
男達は、その戦いを離れた場所で見ていた。
不穏な気配を感じ取ったが故に、また目上の人物の発言からもそうした方が良いと判断したのだ。
自分達が居ては、足手纏いだと。そして足手纏いになる位なら容易く自分達は切り捨てられるというのを良く理解していた。
無論、隙があれば援護しようとクロスボウの弦を引き絞ってはいるが、男達は半ば諦め気味である。
……戦いの速度が、余りにも速過ぎるのだ。
敵である黒衣の男に対し狙いを定めようにも、まるで弾丸の如き速度で地を駆け回る相手ではまともに狙える訳が無い。
もしそんな事が可能な程の天才的な狙撃センスがあったのであらば、こんな野盗という身分に身を落とすような事は無かったのだから。
「――何であんなツラすら見せない野郎なんかに様付けしなきゃなんねえんだって思ってたが……はは、成る程……確かに、そうでも呼んでご機嫌取らないとヤベェな……」
男の一人が、諦観に満ちた乾いた笑いと共にポツリと漏らす。
アルバートという男が、その気になればチンケな野盗風情、いとも容易く吹き飛ばせる。
男は余所者の分際でデカい面しやがってと内心考えていたのだが、そんな考えは目の前で繰り広げられる光景を見せられた結果、押し込めるを通り越して完全に霧散したのであった。
「にしても、ハデに暴れてくれちゃってまあ……これじゃもう、この穴倉は放棄決定だな」
「だな……こんだけ綺麗に更地にされちゃ、聖王都の軍に睨まれるのは当然だろうしな……ん? おい、どうかしたか?」
野盗の一味の一人が、急に様子が変貌した一人の優男に声を掛ける。
その優男は体調を心配する程に顔色を青くしており、その口元も小刻みに震えている。
「まさか……嘘だろ! そんなはず無ぇ! よりにもよってなんでこんな場所に……!」
急変した口調が伝播し、野盗達の間に緊張感が走る。
「おい、なんだどうしたんだ一体?」
「……俺は、元聖王都の軍人だったってお前らに話しただろ。賊軍側に属してたから放逐されたんだが……俺等の軍を、消し炭にしやがった化け物が! あそこに居るんだ!」
今正に、戦場と化しているその場を、高台の上から指差しながら優男は叫ぶ。
「おいおいちょっと待て! それは勇者様とやらだろう? 今代の勇者は女だぞ! あそこに居るのは男のガキだろ!」
「いやちょっと待て……聞いた事がある……! 聖王都継承戦争で状況を覆す決定打になったのは、確か二人のガキだったって話だ」
爆撃音しかしない戦場で、声が掻き消されぬように周囲の耳目を集めるよう、一呼吸置いて一人の男が口を開く。
「その内の一人が、今の勇者。今代の勇者の化け物っぷりのせいで印象が薄いが、聖王都継承戦争を終わらせたのは、勇者だけじゃねえ。『二人』が終わらせたんだ」
勇者という称号。
それは、この世界において人類の希望の象徴とでも言うべき存在。
世界を守護する精霊様によって祝福され、代々勇者の称号を得た者達から受け継がれた聖剣を手にし。
人智の及ばぬ圧倒的力を振るい、闇を切り裂く存在。
目に見えぬ精霊とは違い、実際に目の当たりにする事が出来る勇者という存在は、その輝かしい歴史故に信仰の対象にもなり、その畏怖すら覚える戦力故に、時に疎まれる事もある。
勇者の名が出た事で、どよめきが上がる。
すねに傷を持つ者ばかりの野盗の集団からすれば、勇者という名は恐怖を覚えるモノだろう。
何故ならば、彼らは大衆からすれば恐怖を振り撒く側。勇者によって討伐される側なのだから。
「そして勇者と共に居たってのが、全身を黒衣に包んだ男――」
太陽の如き、白き輝き。
その輝きは歴代最強だとも噂され、どんな宝石よりも強く輝く希望の象徴。
されど、そんな彼女の隣に、その者は確かに存在した。
勇者になれず。隣を歩む事も出来ず。
ただただ、力のみを追い求めた男が居た。
「『黒衣の暴風』ライゼル・リコリス――ッ!!」
黒き天災は、世界に爪痕を刻む。
気に入らない相手を襲う、人の形を成した災害。
その爪が、強者との戦いで牙を剥くのであった。
クリスマスなんてキングクリムゾンで吹き飛ばした