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15.セレナ・アスピラシオン



 ――どうして、私はこんな所に居るのだろう。



 それは、私……セレナ・アスピラシオンがまだ10歳になったばかりの、幼少の頃の記憶。

 子供の頃に良く着ていた服ではなく、微妙にカビ臭いボロを着せられ。

 首には動物が付けるような革の首をを嵌められ。両手足には逃げられないようにする為であろう、手錠に足枷が嵌められている。


 私は両親と共に、普段住んでいる街を離れ。数日の馬車旅を経て、妙に恰幅の良い髭面の男の元へと連れて来られた。

 その屋敷でこの衣服へと着替えさせられ、枷を付けられた。

 嫌で、抵抗も試みたが、その当時は何の力も無い、少女であった私に出来る事は何も無かった。

 両親に助けを求めたが、返事は無い。

 言葉の内容こそ上手く聞き取れなかったが、扉の向こうで両親の笑い声のようなモノが聞こえた。

 その喜色に満ちた声を耳にして、私は幼心ながらも悟った。


 ――私は、両親に売られたのか。


 これは年を重ねて、当時の状況を鑑みて考えを纏められるようになってからの結論だが。

 当時は訳が分からず、ただ泣き叫んで両親の助けを求めるばかりだった。

 父は商人として働いており、その当時は妙に疲れた表情で帰宅する事が多かった。

 雇われではなく、経営者としての立場であった父は、恐らく当時資金難で悩まされていたのだろう。

 そんな風な話をしていた記憶が、私の脳裏の隅にこびり付いていた。

 そして金策で首が回らなくなり、経営資金欲しさに私の身柄を売った――そういう事なのだろう。


 両親に愛されて育った、子供時代だと思っていた。

 だが、そう思っていたのは私だけで。両親は私を愛してはいなかったのだ。

 少なくとも、家族という絆を。容易く金で売り払う程度である事は確かだった。

 綺麗だった思い出は、その日から泥に塗れた汚らしい代物にしか感じられなくなっていった。


 私の閉じ込められた部屋は、何の飾り気も無い石壁が剥き出しの、まるで物置のような部屋であった。

 石畳の寒さを和らげる為の藁の山程度は置いてあったが、それだけだ。

 日の当たらぬ地下特有の土臭くひんやりとした空気。寒さから身を守る為に、その藁の上に転がり込むが、藁からは私ではない、何者かの人の臭いが嗅ぎ取れた。

 ここには私以外誰も居ない。という事は、きっとこの臭いは私ではない、何者かがここに居たという証拠なのだろう。


 涙も枯れ、寒さで身を震わせていた私。

 あれから何日経ったのかは分からないが、その劣悪な環境故に当然ではあるが、私は風邪をひいてしまった。

 頭が酷く重く、身体もだるい。咳が出るが、自分の声だとは思えない程に潰れひしゃげている。

 時折、生命維持に必要な分だけとでも表現するべきの、質素な食事が運ばれてくるが、それ以外で私と外界を繋ぐモノは何も無かった。


 ……このまま、死んじゃうのかな?


 風邪で身体が弱っているからか。心も疲弊し、あの当時は毎日、死を考えていた。

 そんな状況下、頭の中を過ぎるのは。暖かく、笑顔に満ちていた、両親と過ごした平和な日々。

 魔物に襲われる心配も無く、餓えに苦しむ事も無く。とても幸せで、記憶の中の両親は何処でも笑顔であった。


 ――馬鹿馬鹿しい。

 そんな記憶を思い浮かべても。私の両親は、私という存在を金で売ったのだ。

 その事実は変わらない。



 熱にうなされ、意識が朦朧としている中。

 幻聴なのか、耳鳴りのような、人の喧騒のような。そんな音が耳に届く。

 藁越しとはいえ床に寝ているも同然なので、床を伝って響く振動に気付く。

 その音は少しずつ大きくなり、そして――止んだ。


 ――音がしなくなった。

 一体、何がどうなったのだろう?


 直後。衝撃音!

 私と外界を隔てていた、冷たい金属製の扉が、くの字に折れ曲がって吹き飛び、石壁へと叩き付けられた!

 咄嗟に頭を抱え、身を小さくする。

 扉が地面に転がる、鈍く乾いた音が室内に響き、そして静まる。

 間を空けて、ゆっくりと周囲を確認する。

 扉があったであろう場所には、一人の人影があった。



 私よりも、少し年上かもしれない。

 多分、男の人だと思う。まだ私と同じで子供位の大きさだ。

 なのに、自分よりも遥かに大きい筈の大人の襟首を掴み、引き摺っている。

 異質なその存在感を周囲に放っているにも関わらず、何処と無く、何時消えてもおかしくないような朧気な……矛盾しているようだが、そんな感想を抱く。

 瞳はまるで月の無い夜の闇のように深く暗く、その全身は、真っ赤に染まっている。

 最初はそれが何なのか理解できなかったが、少しずつ混乱が頭の中から抜けてくると、その赤色に対し理解が追い付いてしまう。


 ――あれ、もしかして……人の血……!?


 私と目の前の男の人と、無言でしばし視線が交わる。

 一番最初に動き出したのは、男であった。

 小さく一つ、舌打ちをした後。無表情で引き摺っていた大人を投げ捨て、私へ向けて歩み寄りながら開いた片手を私に向け伸ばす。


「――や……あ……ゲホッ」


 声が出ない。何か言おうにも、私の声は風邪で潰れていて、上手く言葉にならなかった。

 やだ、やめて。怖い!

 嫌だ、何で私がこんな目に遭わなきゃいけないの!

 助けてお母さん! お父さん!

 両親に助けを求めるが、答える訳も無く。

 最早私の記憶の中にしか存在しない、綺麗な両親に対して叫び続けた。


「……こっから出るぞ」


 男は、逃げる術も抵抗する体力も無いのだから当然だが、私の身体を楽々と抱え上げる。

 その声は、同じ位の年頃な筈なのに妙に低く、何処と無く怒りの色を感じた。

 何処に向かっているのか分からない、その怒りの気配を感じた私は、萎縮しただただ震えるだけであった。


「――ちょっとだけ寝てろ」


 その言葉が耳に届いた直後。

 今思うに何らかの魔法であろう効力を受け、私はその意識を手放した。



―――――――――――――――――――――――



 次に目が覚めた時には、私の悪夢は終わりを告げていた。

 そこは、聖王都ファーレンハイト魔法学院、その医務室の中であった。

 服もぼろ切れではなく、普通の市販品の衣服へと着替えさせられていた。

 熱も引いており、身体を起こした私に気付いたのか、医務室の担当医が私へと歩み寄ってくる。

 まるで今までの事はただの悪夢で、すぐに目の前に何時も通りの両親が現れるかのように考えてしまうが。

 担当医から告げられた話は、今までの出来事が夢ではなく現実であるという事実を、より確実に踏み固める報告だけであった。


 私を抱え、一人の少年がこの学院にやって来た事。

 その少年は、この学院で十年は暮らせるであろう学費と生活費という大金をポンと出し、私をこの学院に入寮させた事。

 引き止めたのだが、「強い奴にしか興味が無い」と少年は言い残し、私の体調と意識が回復するのを一切待たず、この地を去ってしまった事。


 説明を受け、私はあの同い年位の少年に助けられたという客観的事実を知った。

 私の悪夢を容易く打ち壊し、あの冷たい空間から救い上げ、そして過ぎ去って行った人物。


 それは正に、嵐のような出来事であった。


 体調が回復した後、私は私の意思確認という意味で入学手続きを踏んだ。

 とは言え、大半の手続きと入学金、寮生活の費用の入金は済んでおり、後は単純に私の署名だけであった。

 その書類を確認している際、家族構成の欄に「不明」という記述があるのが目に留まった。


「あの――」


 その箇所を修正しようと、目の前に居た担当教官に向けて口を開き、そこで止まる。

 ……両親は、私を突き落とし。救いもしなかった。

 その事実が、私の行動を反射的に止めてしまう。


「ん? どうかしましたか?」

「……いえ、何でもないです」


 ――私は、両親に捨てられたのだ。

 この時から、私はそれを強く認識し始めた。

 ならば、修正する意味も、無い。


 書類を読み進め、私はその書類にサインし、私は正式にこの学校に入学する事が確定する。

 私の第二の人生は、ここから始まるのであった。



―――――――――――――――――――――――



 この魔法学院に入寮してからは、毎日がとても輝いていた。

 同じ寮の部屋に割り当てられた、プリシラという人物と友達になれた事。

 生まれて初めて、自分の力だけで魔法を発動させられた事。

 勉学と実技に励み、学内の上位成績を叩き出した事。

 それが原因で、スクールカーストの上位に存在する貴族の息子と敵対し、それを返り討ちにしてしまった事。

 綺麗な思い出ばかりでは無いのだが、それでもこの学院内で起こる毎日の日々は、穢された過去の思い出を過去に追い遣り、薄れさせていくには充分な存在感であった。

 楽しい毎日を送っていたが、そんな日々の中ふと、心の中に引っ掛かる。


「……結局、お礼も何も言えなかったな」


 学校生活に馴染んできて、落ち着いた頃合にふと気になって調べたのだが。

 このファーレンハイト王立魔法学院は、授業料と入寮の費用を合計すると目玉が飛び出す程の高額な費用であった。

 例えるなら、一般的な成人男性が節制していれば二、三十年は暮らせる程の金額だ。

 入寮せず、分校に通うのであらば庶民でも充分手が届く程度の学費に抑える事も可能なのだが、この学院はファーレンハイト領内における最高学府故に、これ程の高額になっているのだろう。

 仮にも私は商家の娘であったので、金銭感覚は身に付いていた。故に、こんな大金をポンと一括で支払ったという事実に目を白黒させてしまう。

 そしてそんな大金を出したのだから、それこそ恩に着せて私に色々注文を付けて来るのかと思っていたが、本当に何も無かった。

 あの暗く淀んだ、冷たい世界の中。そこで逢ったきり。あの少年は私の目の前に現れる事は無かった。


 こんな大金、仮に返せと言われても返せないけれど。

 それでも、逢ってお礼の一つ位は言いたい。

 貴方のお陰で、私はあの暗闇から抜け出せたと。

 だけど、私はあの人の事を何も知らない。

 出身地も知らない。共通の知人も居ない。唯一あの人と話したであろう学院の教員も首を横に振るばかり。

 何も知らない。何も分からない。私には、どうする事も出来なかった。

 そんな中、私は一つの言葉を思い出した。



 ――強い奴にしか興味が無い。



 そう言い残し、あの人は去って行ったと、そう言っていた。

 強くなれば、何時かまたあの人と逢える。

 私自身が強くなれば、もうあんな――暗闇の中、一人ただ死の恐怖に怯えるだけの毎日を味わわなくても済む。

 強くなれば、もしかしたらまた、あの人が私の目の前に現れてくれるかもしれない。

 そうしたら、あの時言えなかったお礼を……私の気持ちを、ちゃんと伝えるんだ!


 幸いにも、私には魔法を用いる才能はあったようで。

 無論、何もせず容易く扱えるような、そんな天才では無かったが。それでも練習に励み、訓練を重ねればそれだけしっかりと身に付いてくれた。

 朝晩、寝る間も惜しんで実技に勤しむのは当然の事。

 ある程度年齢を重ね、成長した後はギルドを通して仕事を請け、魔物討伐にも何度も参加した。

 その時、何度か命の危機に陥った事もあったが。それでも全てを跳ね除け、成長し、限界という殻を破ってきた。

 貴方のお陰で、私は立派な一人の女性として独り立ち出来たと。

 そう胸を張れるように、私は毎日を過ごしてきた。

 その甲斐あってか、何時しか私は聖王都内でもそれなりに名が知れた、魔法使いの中でも実力者として数えられる程に頭角を現す事が出来た。

 名が売れている。つまり、世界に私の名前が知れ渡りつつある。

 これなら、もしかしたらあの人の耳にも届き、私の目の前に現れてくれるかもしれない。

 だけど、まだだ。こんな所じゃ止まれない。

 私より強い人など、まだまだ沢山居る。こんな所で満足していたら、あの人の目に留まらないかもしれない。

 それこそあの――魔王討伐を果たしたという、勇者一行の一員である、現宮廷魔術師に並ぶ位。

 そこを目指す心意気でなければ、きっと届かない。

 そして私はずっと走り続けた。

 年齢に見合わない魔法の実力を身に付けた。飛び級はプリシラと一緒に居られないから蹴った。

 最早この学校で吸収出来る事はほとんど無くなっていたが、卒業論文をわざと提出せず留年を続けた。

 もしかしたら、あの人がまたこの学院に戻ってくるかもしれない。可能性は、ゼロではないから。

 在学し続け、私の名を轟かせる。

 何時か、あの人の目に耳に、届く日が来ると信じて――



―――――――――――――――――――――――



「アルバート様! ご無事ですか!?」

「当然だ。だがまぁ、良い仕事したと褒めておこう」

「ありがとうございやす!」


 一瞬――意識が途切れていた。

 強い衝撃のせいで、呼吸が乱れる。

 無理矢理思考を働かせ、周囲を確認する。

 弾け飛んだ樹木。焦げ臭い空気が充満している。

 その焼け焦げた樹木の破片には、自然の物ではない、明らかに人為的に刻まれた傷跡が存在していた。

 それは、何の術式かは分からないが、それでも魔法陣の一部である事は瞬時に理解出来た。


 まさか、私と戦いながらこの一帯に魔法陣を刻み付けて回っていた?

 そして戦いながら、私が仕掛けられた罠に踏み込むのを虎視眈々と狙い続けていた?


「ハッ! まぁ確かに術の腕前は中々なモンだ。こんな所まで殴り込み掛けてくるだけの事はある」


 私は、自分が最強だなんて自惚れてはいない。

 学院でも、私より強いかもしれないという人物は何人か思い当たる。

 でもそれだって、絶対に手が届かないという程の差ではないと私は考えている。


「だがテメェの魔法には何の気迫も感じねぇ。学校育ちの教科書魔法なんかが、地獄で生き抜いてきた戦場の魔法に勝てるかよ」


 だけど、目の前の男は違う。

 逆立ちしても届かないような、絶望的な力量の差。


 ――勝てない。

 そして、逃げる事すら出来ない。

 手を抜いたつもりなんて微塵も無いのに。

 私の持てる全力をぶつけて相手をしたはずなのに。あの男にはまるで片手間で遊ぶ程度であしらわれてしまった。

 少しは強くなれたと、自分の足で立つ事が出来たと。

 そう胸を張って言えるつもりだったのに。


 私はまだ、あの頃のまま。

 抗う事すら出来ない、子供のままだったのか――


 だけど。それでも。

 こんな所で折れていられない。

 私にはまだ、守らなきゃいけないモノがある。

 プリシラの親友の、カーバンクル。

 それだけは、護り切る……絶対に!


 爆発の衝撃の最中でも、手放さなかった杖を軸に、無理矢理立ち上がる。


「――ア」


 声が、出ない。

 爆破の煙を吸い込んだのか、それとも物理的な衝撃のせいか。もしくは両方か。

 回復に回す魔力は残っていない。

 ルビィに手振りで逃げるように示し、目の前の絶望的な力量差である男と相対する。


 私でも、時間稼ぎ位なら――!



「ま、それには俺様も同感だな。お山の大将さんよぉ」



 半ば身投げ同然の、悲観に満ちた決意を踏み固めつつあった、そんな時であった。

 この場の空気にそぐわない、軽い男の口調が横入りしてくる。


「世間知らずのお嬢さんに教訓叩き込むってならこれ位で良いだろ。これ以上大の大人が寄って集って袋叩きにすんのは大人気ねぇーんじゃねえのー?」


 逃げてと叫びたいのに、その声が喉から先へ出て行かない。

 あの時だって、助けてくれたあの人に、何のお礼すら出来なかった。

 私の声は、肝心な時に何時も、届けたい人に届かない。


「随分と魔法での戦闘に自身が有りそうじゃねえか。ちょっと俺様と遊んでくれねぇかなぁ?」

「んだテメェは。お子様が大人の話に首突っ込んでんじゃねえぞ」


 その黒衣の男に、敵の視線が逸れる。


「この間の自称魔法使いさんはロクに使い物にならなかったからなぁ……俺様、最近ロクに『戦い』って呼べるのをやってねえんだよ。このままじゃ腕が錆付いちまうからよぉ……テメェなら丁度良い『砥石』になると思うからさぁ~……」


 ――相手しろや。


 私を守るように背を向けた、その黒衣の男の声が、低く冷たい声に変わる。

 私と話していた、軽薄で適当な声色を出していた男と同一人物とは思えぬ程の、それは正に変貌と呼べる物であった。


「雑魚をプチプチプチプチ潰してたって前には進めねぇんだ。掛かって来い。ああ、そこの覆面野郎以外の雑魚はどうでも良いから逃げたきゃ逃げても良いぞ」 


 その声は。ただただ冷たい、命令にも近い口調。

 怒りの色の中に、何か別の感情が見え隠れする、そんな声色。



 そんな、彼の声。

 初めて聞くはずなのに、それは遠い昔に聞いたような――



 私の思考を中断させたのは、一つの爆音であった。

 樹木から発せられた魔力。そこから轟く爆音。

 その爆風は、目の前の黒衣の男を容易く飲み込み――

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