140.新たなる一歩
ガラガラ、ガラガラ。
水気をあまり感じない、カラリと乾いた空気と空の下。
街道の僅かな段差で、台車が揺れる。
「あー……」
まるでベビーカーに乗せられたまま、意味も無い言葉を呻く赤子のようだ。
台車に詰め込まれ、空を仰ぎ見るライゼル。
台車を押すのは、詰め込んだ張本人であるフィーナだ。
その後をセレナ、そしてミサトが続く。
次の目標は設定されているのに、その目標に向けてライゼルが、まるで歩き出す様子を見せない。
その為、痺れを切らしたフィーナがライゼルの事を台車に乗せて、無理矢理移動させる事にしたのだ。
何故馬車で移動しないかというと、金銭的な理由が原因として挙げられる。
四人+手荷物というのは、それなりの大荷物だ。
馬車を利用するとなると、ほぼ貸し切りのような状態となる。
それで長距離を移動するとなれば、その馬車賃も馬鹿にならない。
ライゼル一行の現在の目的。
本来の主目的であったライゼルの目的は、向かうべき先を見失い、これ以上先に進む事が不可能――というより、どう進めば先に足を踏み出せるのか、分からない状態となってしまった。
五里霧中、とは正にこの状態の事だと言うべきか。
その為現在は、これからユニオンを結成し、旗揚げをするの主目的となっている。
言うならば、起業するのと同じだ。
これから先、金銭がどれだけあっても足りないというのは、想像に容易い。
なので、少しでも資金を減らさない為に、馬車ではなく人力で移動しているという訳である。
ファーマイングでの争乱。
その戦いは、ほぼライゼル一人の手で制圧され、騒動の原因となったドラゴンは討ち取られた。
戦いを終え――今のライゼルは、こんな状態だ。
軽薄で、軽口を叩き、女を見掛ければすぐに言い寄る。
そんな普段の姿が影も形も無い。
燃料切れ、という表現が実にピッタリな状態であった。
「……あれから、マジでずっとこんな状態だね。何時までダラけてる気なの?」
「寧ろ、今まで何でこうならなかったのか、っていうのに驚くべき何だと思いますけど」
ただの怠けモードだとしか考えていないフィーナに対し、セレナが補足する。
「ライゼル様は、感情のオーバーヒートを起こしてる状態なんですよ」
「感情のおーばーひーと……??」
魔法。
それは魔力を燃料としてこの世に発生する、科学ではないもう一つの世界の法則。
そして魔力とは、人々の命、記憶、感情の総称だ。
魔法を扱う者は、自らの記憶や感情を燃やし、その魔力を用いて魔法という現象を発生させている。
そしてライゼルは、以前の戦いで感情を燃やし過ぎたのだ。
一例を挙げるとするならば、自分のお気に入りのマグカップを、誰かに割られてしまった。
怒りもするし、悲しみもするだろう。
その感情の力は強く、それだけ発生する魔力量も大きい。
だが、一度怒って、悲しんで、発散してしまえばそれで終わりだ。
もう一度、その思い出を元に怒りや悲しみを燃え上がらせようとしても、最初程の爆発力は期待出来ない。
ましてやそこから更に二度三度となれば、もう苦しい。
その内に「もういい」と失火してしまうのがオチだ。
それに、怒るにも体力を使うのだ。
その体力というのは、肉体ではなく精神――心の体力だ。
一度怒った事柄に対して更に怒りを燃やし、無理矢理怒りに火を投じる。
それによって強引に魔力を捻出し、強大な魔法を発生させた。
心の負担は計り知れず、相当に疲弊してしまっている事は間違い無い。
肉体の疲労と違い、心の疲労というのは二、三日寝てれば回復するというモノでもない。
回復速度は人それぞれだ。
さっさと立てと言われた所で、立てるかどうかは人次第。
今はこんな状態だが、その内回復するのを待つ他、道は無い。
「――さて、と。やっと到着したね。天下のお膝元、ファーレンハイトの首都に!」
凱旋だとばかりに仁王立ちするセレナ。
自信に満ちた表情を浮かべ、聖王都の街中を見渡す。
「取り敢えず、宿を取りましょうか」
「そうでござるな。荷物を置いて身軽にならねば、仕事も何も無いでござるからな」
「荷物と一緒に、ライゼルも放り込んでおくね」
「あー」
そのあー、は肯定なのか否定なのか。
一切抵抗しない所を見ると、拒絶でない事は確かだ。
適当な宿の一室に、荷物と共にポイッと放り込まれるライゼル。
「これからどうするにせよ、路銀が必要なのは間違い無いでござるからな」
「ギルドに行って、何か適当な仕事を探して働くとしますか」
「ここは世界最大の首都である聖王都だからね。仕事に関してはうんざりする程あるはずよ、貴女達は頑張って稼ぎなさい」
「セレナはどうするのよ」
「勿論私も働く事は働くよ。でも、ユニオン結成の為の物件探しもしないといけないから、それだけに専念する訳にも行かないからね。ま、私は貴女達と違ってそれなりに貯蓄があるからね、少しだけ高みの見物させて貰うわよ」
フフン、と髪をかき上げながらドヤ顔を浮かべるセレナ。
ライゼルという例外を除けば、この中で一番ギルドランクが高いのはセレナである。
ゴールドランクというのはギルドという仕組みにおいて、事実上の最高ランクであり、それより上は例外中の例外だ、というのが大衆にとっての一般的な認識である。
ゴールドランクの人物がユニオンにとっての顔であり、企業として見るのであらば社長である。
マウント取るも何も、ギルドランクという目に見える形で明確にセレナが上である事が証明されている為、セレナのこの態度も性格を考えればやむなしという所か。
「何かユニオンとかいうのを結成するのも良いな、とかライゼルも言ってたけど、勝手に進めて大丈夫なの? あの馬鹿が正気に戻った途端に癇癪起こしたりするかもしれないよ?」
「キッチリ物件を吟味して、良い物件の中からライゼル様にも選んで貰いますから。だから、絶対に妥協する気は無いですよ!」
「徹底的でござるなぁ」
「物件選びなんて、基礎の基礎じゃないですか。これからユニオン結成という高い山を積み上げるのに、基礎の部分で適当に妥協してたらおしまいですよ!」
「いやまあ、それはそうなんでござるが……」
苦笑いを浮かべるミサト。
以前、セレナの容赦ない物件選びに振り回されていた不動産屋の職員の姿を思い出したのだろう。
これから先、セレナに付き合わされる人物の事を思い、心の中で黙祷を捧げるミサトであった。
主人公、ダウン中。
第二章からは主人公が一歩退きます。
その分、周りに人達に視点が移っていきます。