124.リコリス家
過去編、スタート
「ほら起きろライゼル! 何時まで寝てんの!」
威勢の良い、身体の芯まで響くような声。
何の料理か分からないが、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。
今起きるから。
そう考え、行動に移そうとしたタイミングで、ベッドを蹴られた。
今、起きるってば。
「……おはよ」
「はい、おはよう。起きたらさっさと顔洗って、服着替えて、朝飯食べちゃいなさい。飯が冷めても作り直したりなんかしないからね! 母ちゃん忙しいんだから!」
――忙しなく家の中を動き回る、母の姿。
我が家では何時も通りの、光景。
ベッドから身体を起こし、服を着替える。
洗面所で顔を洗う。
まだ貯水槽に水を溜めてから時間が経っていないのか、結構冷たかった。
お蔭で目も覚めた。
食卓に着く。
硬めのパンを牛乳と一緒に咀嚼して飲み込む。
どうやら美味しそうな匂いの正体は目玉焼きだったようだ。
適当にかじりながら、皿の上を片付けていく。
一日で使う水の汲み上げや、父さんや俺の食事の用意に掃除に洗濯。
これらを毎日やっているのは、母さんだ。
以前、水の汲み上げ作業を手伝ったが、大変な重労働だった。
あれを毎日、欠かさず続けている母さんは凄いなと、本当に痛感した。
「ああ、そうだった。ライゼル、お隣りのフィーナちゃんがまた後で遊びに来るらしいから、伝えておくよ」
「えー……」
「何嫌そうな顔してんのよ。子供は遊ぶのが本業なんだから、お父さんみたいに家に引きこもってたら駄目よ?」
「風邪で寝てるって言っておいて」
「仮病使おうとするな。今すぐ叩きだすよ?」
母さんは笑顔だったが、この口調からしてマジで家から摘まみ出される感じだ。
物理的に。
父さんから聞いたのだが、母さんは元々は聖王都の軍に勤めていたらしい。
軍属だったという経緯もあり、このリコリス家において母さんに頭が上がる者が存在しないというのが現状だ。
水汲みという重労働を寧ろ日々の鍛錬のついでやっている節もあり、軍を辞めて主婦をやっているはずなのに、全然体力が落ちていない――と、父さんが言っていた。
母さんが普段から忙しいと言っているのも、日課の鍛錬に割く時間が減ってしまうからのようだ。
ちょっと位休めば良いのに。
「遊ぶって言うか、フィーナと一緒だとフィーナに連れ回されてる状態なんだけど……」
「ちょっと位身体動かさないと、子供なのに寝たきりになるよ」
玄関から、扉を叩く音が聞こえる。
妙にやかましいし、その乱雑な叩き方で嫌な予感がする。
「こんにちわー!」
「あら、フィーナちゃん。いらっしゃい」
予感が的中した。
奴が来た。
寝起きの頭が急激に覚醒し、警報音を鳴らし始めた。
食事を急いで胃に流し込み、襲撃者から逃れるべく、父さんの仕事部屋へと身を滑り込ませる。
「――ん? どうしたライゼル?」
「逃げてきた」
柔らかい笑顔を浮かべて振り向く、父さんの姿。
青臭かったり、妙に甘い臭いがしたり、何だか色々な臭いが充満する室内。
父さんはずっと、このトゥーレ村で暮らしていて、こうして魔法を用いた薬を作る仕事をしている。
あんまり詳しく知らないけど、父さんの作る薬は結構有名らしく、儲かってる――らしい。
フィーナのお父さんから聞いただけだから、うちがお金持ちだとか言われても、実感は湧かない。
今日だって朝食は牛乳とパンと目玉焼きだったし。
「逃げてきたのか……何でも良いけど、この部屋にある機材とかは高いやつだから、触って壊すなよ?」
苦笑を浮かべる父さん。
ロンバルディア共和国から仕入れてきたという、ガラスで出来た道具がこの部屋にはいっぱいある。
落としたりすると簡単に壊れてしまうので、触らないようにと父さんにも母さんにも言われている。
でも、汚したり乱暴に扱ったりしないなら、この部屋にある本は読んで良いと父さんは言っていた。
本を読むのは、好きだ。
特に、身近にある分からない、が分かる事になった時が一番好きだ。
母さんは外に出て身体を動かせと言っているが、俺は父さんみたいに家で何かをしている方が余程楽しい。
「いたー!」
扉を開けた直後、部屋の中に響く元気な声。
振り向けば、短く切り揃えた青髪に、満面の笑顔を浮かべた、同い年の女の子が一人。
「人違いです」
「今日もあの隠れ家、作りに行くよ!」
「何の話か分からないんですが、どちら様でしょうか?」
「ライゼルのお父さん! ライゼルと遊んでくるね!」
「ああ、そうか。行ってらっしゃい」
襟首を掴まれ、凄い力で引っ張られて部屋から連れ出される。
笑顔を浮かべたまま手を振る父さん。
助けて父さん。
「ライゼルのお母さん! 行ってきまーす!」
「はい、行ってらっしゃい。それじゃあこれ、ライゼルのお昼ごはんね」
自分の息子が強制連行されている最中だというのに、その実行犯に遠征に必要な食糧を提供する母さん。
助けて母さん。
「陽が沈む前に帰って来るのよー!」
「はーい!」
手を振らないで。
見送りしないで母さん。
助けてってば。
抵抗しているつもりなのだが、まるで意に介さないフィーナ。
なんか、大人の人に引っ張られてるような力強さだ。
もしかしたら、フィーナも俺の父さんや母さんみたいに、魔力っていうやつを使える人なのかもしれない。
魔力の使い方を知っている人は、例え子供であっても、弱い魔物程度であらば追い払える位には強いと、以前母さんから聞いた事がある。
フィーナも多分、それをやっているんだ。
話を聞かない、言う事聞かない。
俺の父さんや母さんは隣のトラウムさんの家と仲が良く、フィーナとも仲がいいので、俺の事をかばってくれない。
フィーナと俺は、トゥーレ村の中で唯一の同い年の子供だ。
年齢が近いのが俺しか居ないせいか、フィーナはやたらと俺に関わってくる。
俺は家の中に居たいのに、アウトドア気質のフィーナと母さんは気が合うらしく、こうして息子が連れ出されていく状況を見ても、止める所か送り出している始末だ。
「今日はお父さんから色んな物を貰って来たからね! これで、凄く良い秘密基地が作れるよ!」
鼻息荒く、目を輝かせながら言うフィーナ。
俺という、同い年の男を片手で引っ張っているにも関わらず、もう片方の手でボロボロの台車を引っ張っている。
その台車の中には、何やら古ぼけた桶や鍋、椅子やら敷物やら、ゴミとして捨てられた物なんだろうなという感想しか出てこない雑貨の数々。
多分これ、相当重いと思うんだけど、何で片手で引っ張れるんだ。
「そうですか。楽しそうで何よりです。じゃあ僕はこれで失礼しますね」
「だから今日もライゼルに手伝って貰うね!」
「話を聞いてください」
話を聞いてください。
「僕は本を読んでたいだけなんです」
「本読むだけなら、秘密基地でも読めるよ!」
そうじゃなくて。
ああー。
多分、というより絶対。
魔力によって身体能力を強化しているフィーナの猛進に、俺が力で勝てる道理は無い。
抵抗空しく、俺はフィーナが息巻いて作ると豪語している、秘密基地とやらに連行されていくのであった。