10.聖王都ファーレンハイト
ファーレンハイト領の名前の由来でもあり、この世界の人々にとっての不落の首都であり象徴、世界最古の国家。
それこそがこの地、聖王都ファーレンハイトである。
人々が信仰し崇める精霊教の総本山である精霊教会の本家はこの聖王都に存在し、また聖王都の象徴の一つである王城も当然、この地に存在している。
戸籍上の総住民数は五千万人を優に超えており、商売等で一時的に滞留している者達などを含めれば億に到達してても不思議ではない。
新王であるグラウベ国王陛下主導による新たな試みも多数行われており、その中の一つにギルドという物が存在する。
人々が仕事の依頼をギルドに提出し、ギルドを通じて掲載された仕事を傭兵等に割り振っていく――仕事の内容も千差万別で、言うなれば大規模な便利屋である。
この仕組みは国家を超えて波及しており、ファーレンハイト領内に限らず、ロンバルディア領、果てにはレオパルド領にもこのギルドという概念が波及していった。
また、インフラの整備も積極的に行われた結果、グラウベ国王陛下が即位する前と後では流通の速度がおよそ倍になったという報告もある。
これに関しては、ロンバルディア共和国にて発明されたという、蒸気機関車の存在が大きいのだろうが。
そして新王になってから、今まで人類全ての大敵であると言われ続けた、魔族が治めるレオパルド王国。その住人たる魔族との交流も少しずつ進むようになっていた。
住民の反発が強く、流石にこの聖王都に根差している、とまでは到底言えないが。国賓として招かれる、程度にはこの地でも魔族を見掛けるようになった。
また、貧困街にも国王の手が加えられ、いわゆるカースト最下層である人々にもある程度までは救済の手が伸ばされた。
それと同時に、旧来態勢の国の富を貪る貴族達には弾圧が加えられており、魔族とは相容れないという考えを前面に押している精霊教会と国王は正面衝突を繰り替えている。
聖王都継承戦争を終え、実権を手にしたグラウベ国王の主導の下、この聖王都は既存の態勢の多くが破壊され、新たな制度が打ち立てられ。それに伴い人々を取り巻く環境も大きく変化していった。
それが良い事だったのか、それとも悪い事だったのか。それを評価するのは、遠い未来の評論家達の手に委ねられるのだろう。
だがどちらに転ぶにしろ、この聖王都が転換期を迎えている。それだけは疑いようの無い事実であった。
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「わぁー! ここが聖王都ファーレンハイトかぁー! 凄い! 人がいっぱい!」
「典型的おのぼりさんな挙動してんじゃねえよ」
俺が来るのは初めてではないが、フィーナはそうでは無いようで。
周りにある全てが珍しく見えるのか、周囲をキョロキョロと見渡し、下らない些細なモノにまで驚きを見せている。
「おっと、スマン」
「うひぇっ!」
そして、そんな風に視線を明後日の方向に向けながら歩いていれば、道を行き交う歩行者とぶつかるのも道理で。
ぶつかった衝撃で無様な悲鳴と共に石畳の上に倒れるフィーナ。
「痛た……!」
「! あ、ああぁぁぁ……!」
な、何て事だ!
こんな……っ! こんな残酷な事が……!
「えっ? な、何よ。一体どうしたの?」
「フィーナの、フィーナの胸が……! タダでさえみすぼらしい胸なのにさっきの転倒でブッ潰れて完全にまな板になっぶっぷらっ!?」
「往来でセクハラとか良い度胸してんじゃない! 殴るよ!」
「もう殴ってんじゃねえかよ! 俺様の美貌が歪んだらどうする気だよ! 世界中の女性達にとって大きな損失だぞ!?」
「うっさいバーカ! アンタみたいなチビ助に誰も振り向かないわよ!」
「チビじゃねえぇぇしいいぃ! チビって言う奴がチビなんだよおおぉぉ!!」
好きでチビなんじゃねえやい!
つーかお前と俺は5センチも違わないじゃねえか!
何で比較対象が女なんだ! ぎええええぇぇぇぇ!!
「――って! ライゼルなんかと馬鹿やってる場合じゃなかった! 早くロゴルニア村の事を伝えに行かないと!」
「おいちょっと待て! どう考えても迷子予備軍のお前が勝手に突っ走るな!」
「ならライゼルも一緒に来なさいよ!」
「なーんでこの俺様がフィーナちゃんなんかの自分勝手に付き合わなきゃならねぇ~のさぁ~。オラ、あそこ見ろ。あそこに時計塔があんだろ? あそこが5時になったら時計塔の下に集合だ。分かったな?」
「時計塔……?」
俺が指し示した方向、頭に疑問符を浮かべながらフィーナは天を仰ぐ。
少しばかり昔、時期的には俺の両親が生まれた辺り位か。
ロンバルディア共和国内ではいくつか存在していたが、ファーレンハイト領では初めてとなる時計塔がこの聖王都に建立された。
それまでファーレンハイト領には「時間」という概念が太陽に基づく物という、余りにも大雑把な感覚でしか存在していなかった。
日が昇ったら起きて、日が沈んだら眠る。そんな原始的な生活が比較的最近までまかり通っていたのだ。
しかし、この時計塔がファーレンハイトに建てられ、人々は太陽の高さによる時間概念から卒業する事となった。
聖王都内にしっかりとした時間概念が浸透し、この時計塔を頼りに、人々は正確な時間を用いての行動を行うようになったのだ。
「あそこの小さい針が『5』の数字になったらあの時計塔の下に来い。分かったな? 分かったらワンって鳴け」
「鳴かないし。ライゼルみたいに短い針が5に止まったら行けば良いんでしょ」
「オイゴルァァァァ!!」
吠え猛るもフィーナは我関せずの態度でピューっと人ごみの中へ向けて突っ走っていった。
言うだけ言って逃げやがったぞあの女。
「――チッ。まあ良い。こっちもこっちでやる事山積みなんだし」
舌打ちしながら、この地でやらねばならない行動を頭の中で纏める。
ロゴルニア村で背負い込んだ問題解決は全てフィーナに一任し、俺は俺の成すべき作業を進めるのであった。
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時刻は丁度昼3時になった辺りか。
世界の中でも最大級の首都だけあり、人が多くて座標を特定するのが困難だったが、時間を割いて足を運び、虱潰しに探し回った結果、何とか求めていた座標を特定する。
やや湿った空気が漂う、裏路地の一角。
そこに俺が求めるモノが存在した。
「紡ぎしは世界――地を繋ぎ、空を見定め、万象の魔を誘え――」
魔力を大地に浸透させ、術式を刻み込んでいく。
精確に、一度たりともミスは許されない。
――繋がった。
以前から繋ぎ続けた、既存の術式との連結を確認。
魔力の導通確認、問題無し。
良し。これでこの地の術式接続は完了した。
ラーディシオンから始め、レオパルドを巡り、こうしてファーレンハイトまでやって来た。
これでおおよそ、折り返し。後は、ファーレンハイトとロンバルディア、その他残りを潰していくだけ。
これが終われば、俺はもう一つ上の領域に到達し得る。
だがまだだ、まだ足りない。
何が足りない? 何もかもが足りない。
どれだけ手を伸ばしても届かない、あの背中にこの手が届くには――
「――こんな所で何をしている」
突如、背後から飛んだ声で意識を呼び戻す。
振り向けば、そこには外套で全身を覆った巨漢の姿。
体格からして男だろう。だが、そんな事は問題ではない。
少々意識が散漫になってたとはいえ、この人物の接近に俺が一切気付けなかったという事だ。
そんな事が可能な人物が、一体この世界でどれだけ居るというのか。
そして、それが可能であろう人物を頭に思い浮かべれば、自ずと正体の推測は出来る。
「何だ? 随分と暇そうにしてるじゃねえか。こんな所で油売ってる暇があるなんて羨ましい限りだぜ」
「生憎、使える人材が足りな過ぎて俺自身が駆け回らざるを得ない多忙な毎日だ。何なら手を貸せ、小僧の手も借りたい程なのでな」
「断る。そういうのは俺との約束を果たしてから言うんだな」
その声で完全に正体を把握する。
お膝元だから遭遇するのは不思議じゃねえが、何でこんな路地裏で遭うんだよ。
「約束、か。それならば、近々果たせそうだぞ」
「――嘘じゃねえんだな?」
「二言は無い。その時が来たならば、お前宛に手紙が届くよう手配しておく――所で、お前は一体ここで何をしていた?」
「大事なモノを探してたんだよ。これが無いと俺様、困るからな」
「……そうか」
納得したのか、してないのか。
外套の男は背を向け、その場から足を進める。
「――この俺の居る場所で、余計な真似をしたならば。誰であろうと斬り伏せる。それだけは覚えておけ」
そう言い残し、男は一足跳びでこの空間から離脱する。
意識してレーダー網を張り巡らせるが、その存在が感知出来ない。
フィーナの居場所は分かる。レーダーの精度が狂ってる訳ではない。
単純に、あの男にはこんな小細工は通用しないというだけなのだろう。
「……やっとか」
どれだけ雑魚を捻じ伏せても、全く前に進めない。
俺には必要なんだ。俺の力を出し尽くす必要があるような、強者との戦いが。
強者との戦いでなければ、成長など有り得ない。
「――少し早いな」
懐から懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認する。
4時を回った辺りだ、少しまだ早いな。
折角だ、少しミスリル銀を買い足しておくか。
あればあるだけ使う代物だからな、値は張るが、それだけの価値はある。
数少ない強者との遭遇の後。フィーナとの待ち合わせ時刻になるまで、俺は店先を回り、目当ての代物が並んでいないかを探し回る事にするのであった。