第8話 再会
それは突然起こった。
無数の氷の刃が牛鬼の腕を貫いたのだ。
牛鬼が悲鳴を上げ、苦痛のあまりにその巨大な戦斧を落とした。
冷静さを欠いた化け物が、襲撃者に向かって突進した。
牛鬼は襲撃者に肉迫した。
突如、襲撃者の体が霧に変貌した。
牛鬼の体当たりがむなしく空を切る。
魔王が咆えながら霧に向かって遮二無二に腕を振り回した。
どこからともなく『氷の刃』と唱える声が再び聞こえた。
霧の中で暴れまわる牛鬼に目がけて無数の氷柱が飛び交った。
牛鬼が叫んだ。「なめるなよ!下等生物風情が‼」
同時に魔王を取り囲んでいた霧がかき消された。
牛鬼より遠く離れた巨大な戦斧が一瞬浮かんだかと思うと、弧を描きながら目で追いきれないほどのスピードで飛んでいき、牛鬼の手に収まった。
「その目で確と見届けよ‼大地崩…」と叫ぶ魔王の声に被せるように『氷牢』と冷淡に唱える声が僕の傍らから聞こえた。
一瞬にして巨大な氷塊が牛鬼を包み込んだ。
為す術なく牛鬼が巨大な氷壁に圧し潰された。
朦朧とする意識の中、僕は牛鬼が倒されたことを理解した。
声の主を見上げるとよく見知った顔がそこにはあった。
しかし、その姿はタルタロス攻略時に比べると遥かにみすぼらしかった。
男は術符を取り出すと僕に『治癒』の呪文を唱えた。
流れていた血が自然と止まり、傷が辛うじて塞がったことが感ぜられた。
「参謀…今までどこに?」息も絶え絶えに僕は男に問うた。
「とりあえず隠れていたのですよ、ユベル」参謀と呼ばれた男が答えた。
参謀――ハクスラ探検隊ではファルネウスと呼ばれる男のあだ名である。ファルネウスは攻撃魔法と補助魔法を使いこなす魔導師職のプレーヤーであった。僕らのギルドではWOWの敵ごとの分析、戦術を考案し一定の戦果を挙げることに貢献していたこととその性格から敬意と皮肉を込めて”参謀“と呼ばれていた。
「見たところ、あなたはどうも装備を失っていないようだ。それはどういった経緯なのか教えてもらいたいのだが?よろしいかな?」ファルネウスが僕を見下ろしながら尋ねた。
「全部じゃない、漆黒の魔剣を無くした。」と僕は参謀に抗議した。
「ああ、あのなまくらの剣ですか。何故あのようなものにひたすらスキル付加を施して使い続けたのか不思議でしたが、結局役に立つことなく紛失しましたか。」侮蔑するような笑みを口元に浮かべながら参謀が言った。
「何としてでもあれだけは取り返す必要がある。」と僕は返した。
やれやれといった風に参謀は肩を竦めると「それで、あのローブの男に倒された後、何が起こったのか教えていただけませんかね?」とわざとらしく恭しい態度で尋ねた。
「あれは魔神と呼ばれているらしい。
アイツからの攻撃を受けて僕以外のメンバーが死んだ。
その後、魔神に全部返せって破れかぶれに言ったら現実世界にプレーヤーの姿でパソコンの前に座っていた。」と僕が答えた。
「状況は私と差ほど変わらないようですね。
但し、私の場合はレベル1で全ステータスが初期値にリセットされていたこととアイテムがほとんど残されていなかったことを除けばですが」と遠くを見るような目をして参謀がフフッと笑った。
「おいおい、参謀。レベル1になったのなら何であれだけ魔法が使えたんだよ?その前に普通死ぬだろ?」と疑問に思ったことを僕はそのまま投げかけた。
ここに来るまでに数多くの魔族に出くわしたはずなのに初期ステータスから単独で戦えるほどファルネウスは人間を辞めた領域のテクニックを有したプレーヤーでもないはずだ。
それに、WOWでレベル以上に魔法やスキルを使えば間違いなく死ぬはずであった。
ファルネウスはキョトンとした顔をしたかと思うと腹を抱えてしばらくの間くつくつ笑っていた。
「あなたがあれだけ派手に暴れまわってくれたおかげでかなり経験値が稼げたのですよ」と参謀は落ち着いた調子に戻して答えた。
「おい、お前ふざ…」「あなたには感謝していますよ」と言いかけた僕の言葉に、ファルネウスは被せて言った。
正直に言えばこの男とはどうも気が合わない。
そもそも参謀は人をからかうようなことが多いのだ。
プリシラともよく口論していたし、ルシファーともそりが合わないといった風だった。
ルシファーかリーダー、はたまた他の二人ぐらいなら会えるかと思ってここまで来たがよもやそれが参謀だったのは思惑が外れてしまった。
「ところで、ここに来るまでに青いローブを着た女の子を見なかったか?」と僕は思い出したように尋ねた。
「ローブ…ああ、あの少女なら倒壊した遊具の傍にいましたけれど、それが何か?」と解せぬといった風に参謀は言った。
「どうもWOWはただのゲームじゃなかったらしい」と僕は言った。
「普通じゃないとはずいぶん前から言われていましたけれど、説明願えますか?」とファルネウスは癇に障る言い方をした。
「僕たちの魂そのものがWOWに転送されているらしい」と僕は説明した。
参謀は先ほどとは打って変わり冷淡な目で僕を見つめていた。
「あなたは随分とWOWの設定とやらに感化されすぎているようだ」大きくため息をつき、ファルネウスはやれやれといった風に言った。
「じゃあ、今の状況をどう説明する気だ?どう考えても現実世界じゃないか。ここが仮想空間じゃないことはわかっているだろ!?」と僕は怒鳴った。
「確証はないですが、集団心理による一種のパニック状態という説明もできます。」と水を差すように参謀がポツリと言った。
「どういう意味だ?」と僕が言った。
「確かに今ここで見知った風景がある。
ここに現れて以来感じられる感覚と言うものがすべて本物のように思える。
体感型RPGではタブーとされる温覚、痛覚、冷覚がある。
一種の錯乱状態に陥って本来なら熱くないものを熱いと錯覚したせいで、それらすべて本物だと錯覚する。
よくある話ですよ。
脳が誤った情報を正しいと認識するせいで虚構がすべて現実になるのです。
あるはずもない化学物質に吐き気を催し、アレルギー症状を引き起こし、果ては病気になる。
人間の脳とは存外、簡単にバグを引き起こすのです。」と始終冷めた口調でファルネウスは語った。
「そんな都合のいいことが起こるはずがないだろ!?」僕はついカッとなった。
「あなたの話もつじつま合わせでしょう?」すかさず参謀は嫌味っぽく僕の言に返した。
そこからしばらくの間、僕らは無言で睨み合っていた。
芝生を踏む音が近くにした。
二人はその音の主を見た。
ミリアがこちらへと小走りで来るのが見えた。
少女が二人の元にまで来ると、僕と参謀のことを交互に見ていた。
「ああ、こいつはファルネウス。僕のいたギルドの一員だ。」と僕は参謀のことを紹介した。
ミリアはファルネウスにお辞儀すると「わたくしは福音派の二等級魔導士のミリアと申します。ユベル様にはこちらの世界に来てから何度も命を救っていただきました。以後お見知りおきくださいませ。ファルネウス様」と慇懃にあいさつした。
「これが、あなたの言う例の少女というわけですね」と参謀は少女を尻目にかけた。
「あの…一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」ミリアがおずおずと尋ねた。
僕はいいよと答え、ファルネウスは横目で少女を見ただけだった。
「先ほどの魔王は倒されたのでしょうか?」と少女は心配そうな顔をした。
「氷漬けになっているから何とも言えないかな。このことについてどのようなお考えをお持ちでしょうか?参謀殿?」と僕は他人行儀に尋ねた。
「氷牢は本来、詠唱後に氷山砕きを行使して相手を葬るのが定石です。が、今回はレベルが足りないので使えませんね。せいぜい氷が解けるまで足止めしておくのが関の山でしょう。ユベル様にとどめは任せますよ」と皮肉がましく参謀が答えた。
僕が満身創痍だってことを知っていて言うのだから性質が悪い。
本当に人の神経を逆なですること言い方をする男だ。
そして、取るべき行動も一つしかないという状況だというのに。
「倒せるわけがないだろ。この場は逃げの一択だ」僕は投げやりに言った。
ファルネウスは肩を竦め、彼には考え何て無いのだよ――とでも言うようにチラッと少女を見やった。
少女は困惑した顔をした。
「とりあえず、観測の魔法でもかけておきましょう。体勢を立て直してから倒す以外に方法は無いですし、備えあれば患いなしともいいますからね」と言ってファルネウスは観測の魔法を使った。
その後、僕らは森林公園を後にした。
ひとまず、魔王は撃退した――ということになるのだろう。
だが、脅威が去ったわけではない。
間違いなく、この魔王が自由になった途端死に物狂いで僕らを追ってくるだろう。
とにかく今は魔族を狩ってレベル上げする必要があるし、残りのギルドメンバーと合流することも重要だ。
そして、何より体の傷を癒し、牛鬼を屠る以外にこの危機を脱する術はない。
第8話 再会 ――了――