第七話 死闘
屠った魔族たちの屍が辺りに転がっていた。
おびただしい返り血でフルプレートの鎧『王の威厳』の
輝きが失われていた。
高揚感が失われ、昂った神経が少しずつ冷めていった。
『屠畜者の槌』を腰に括り付け、
大剣『荒野で叫ぶもの』を取りに行こうとした。
その刹那、体がざわっとする感覚がしたかと思うと、左側面より火球がユベルを襲い掛かった。
ユベルはそのまま体が吹き飛ばされ、数メートルほど転がった。
激しい火傷の痛みが全身に広がった。
何が起こったのか、すぐにユベルは理解できなかった。
だが、すぐに敵の魔法攻撃であることを悟った。
つい、油断してしまった。
残りの体力は4/5ほどである、このままではまずい。
それに、WOWでは感じなかった痛みもひどい。
常人であれば動けなかっただろう。
ユベルはひとまず体勢を立て直そうとし、立ち上がろうとした。
しかし、必死にあがくユベルをあざ笑うかのように背後より火球が襲い掛かった。
またもや激しい痛みが全身を襲った。
とっさの判断でユベルは魔法『宝物庫の鍵』を使い、結晶の形をした特殊効果アイテム『転移石』を取り出した。その間にも敵からの魔法攻撃を受ける。
残りの体力は40%を切っていた。
あと2回攻撃されたら死ぬ。
さっさと敵を見つけて状況を打開しないと。
死んだらどうなるのかはわからない。
もしかしたらWOWのゲーム内に戻れるかもしれないが、
そんな不確定なことに賭けることはできなかった。
地面に転がったままで体を捻ってうつぶせの状態から腹ばいの姿勢へと変えた。
敵の姿を必死に探したが、パッと見ただけでは位置がわからなかった。
火球が左方向からユベルめがけて投射された。
その方向にとっさに向いて、敵の位置を見やった。
と同時に『転移石』を砕いた。
その瞬間、スキル『位置転換』が発動した。
『転移石』の持つ特殊スキル『位置転換』とは
レベルを10消費して発動する魔法である。
その効果は見た対象者とアイテム使用者の位置を転換する魔法である。
一般的なRPGと違いこのアイテムには、安全地帯まで戻る効果は無い。
加えて、アイテム使用時にレベルとステータスの減衰ペナルティを受ける。
そのためか、中級者クラスの人間だと倦厭して使わない傾向がある。
しかし、使いどころさえ心得ておけばかなり有用なアイテムである。
スキル発動と同時に、火球を放った魔族とユベルの立ち位置が入れ替わった。
ユベルに攻撃を仕掛けていた魔族は狐の姿をした魔導士であった。
続いて狐が放った火球が自らを襲った。
狐は何メートルも吹き飛ばされた。
ユベルは『屠畜者の槌』を携え、狐に向かって一直線に駆けていった。
状況が全く呑み込めず、周囲を見回す狐の後頭部を目がけて渾身の一撃を叩き込んだ。
鮮血と肉とが飛び散り狐は絶命した。
狐を屠った後もユベルは油断しなかった。
WOWとは違い、敵もそこまでいないだろうと油断していたため先ほどは不意打ちを受けてしまった。
ユベルは敵がいつ現れてもいいように槌を構えながら、周囲を見回した。
警戒を怠ることなく後ずさるようにして、大剣『荒野で叫ぶもの』を取った後、アスレチックの2階のステージへと移動した。
ユベルが感覚を研ぎ澄ませて敵の気配を探ると、とてつもなく嫌な気配を感じた。
そして、直感した。
恐らくこれは自分の手に負えるものじゃない――と。
ハンター職以外のプレーヤーの感覚はWOWにおいて、おまけ程度というレベルのものであった。
敵の探知などほとんどできるものではなく、何となくそこにいるかもしれないということまでしか判らない。
だが、一定以上の敵になるとその探知能力もある一定水準では判別できる。
魔王クラスの魔族になれば大体自分の手に負えるか否かぐらいは判別が嫌でもわかる。
恐らくこのクラスの力であれば“魔王”クラスの魔族に違いない。
WOW内にも一握りのプレーヤーでなければ”魔王”の討伐は無理だろう。
そして、僕には魔王の単独討伐は不可能だ。
それに残りの体力は40%を切っている。
倒した敵の経験値を回収することなく逃げるしかない。
その状況下で切り抜ける方法は一つしかない。
ユベルは一か八かの賭けに出ることに決めた。
彼は大剣『荒野で叫ぶもの』を背負った。
続いて魔法『宝物庫の鍵』を使って『屠畜者の槌』をしまった。
その代わりに5つの短刀のうちの一本である『苛む茨』と『転移石』を一つずつ手に持った。
より一層、強い気配が近づくのを感じたユベルは、2階のステージから見下ろした。
すぐ側にまで巨大な戦斧を持つ牛鬼のような魔族が鈍重な動きでこちらに近づいて来るのをユベルは見た。
アスレチックの中央にある時計台のらせん階段を登り、ユベルはミリアの元へと行った。
先刻よりは顔色もよくなっていたが、未だ疲れ切った様子であることには変わりがなかった。
「ユベル様、どうか、私のことは見捨てて逃げてください」
ミリアは弱々しい声で言った。
「ミリアちゃん、そんなことはできないよ。」そう言ってユベルは少女を滑り台の前に座らせた。そして、自分はその後ろについた。
「ユベル様…これは一体どういったことなのでしょうか?」
僕の突然の行動に少女は困惑しながら訪ねた。
「これは滑り台と言ってね、こちらの世界の子供のための遊具だよ。これに乗って下まで降りよう。」そう言って彼女の背中を押した。
ミリアは悲鳴を上げながら滑り台を滑って行った。
僕はその後に続くように滑った。
牛鬼に見つからないように僕らは静かに逃げ出した。
ミリアを抱きかかえながら丘を下っていく。
取り出したアイテムはミリアに持たせておいた。
少女を抱えて走りながらアイテムを持つことはできないからだ。
とにかく、”魔王“同等の強さを持つ化け物に悟られないうちに逃げ切る必要があった。
丘を下りきったところで背後からけたたましい金属同士が打ち合わされる音がしたかと
思うと何かが崩れる音がした。
後ろを振り返るとアスレチックが倒壊していた。
崩れ去った瓦礫がすさまじい雄たけびを上げてユベル目がけて突進してきた。
ユベルはミリアを抱えて、少しでも牛鬼との距離を広げようと必死で走った。
しかし、ミリアを抱えて走っている分だけこちらの方がわずかに遅く牛鬼の迫りくる
足音がどんどん近づいてきた。
もはやこれまでか。ならば、戦う以外に手はない。
そう思い、ユベルはミリアに持たせていた『転移石』を手に取った。
後ろから迫ってくる牛鬼の姿を目に焼き付け、ギリギリの瞬間まで待った。
牛鬼が怒り狂った形相で駆け寄った。
10メートル…5メートル。
牛鬼が走る勢いを殺し、その反動で巨大な戦斧を右から左へと横なぎに振りかざそうとした瞬間。
ユベルは数歩程後ずさってから『転移石』を砕いた。
瞬間的にユベルと迫りくるモンスターとの場所が入れ替わった。
同時に牛鬼の戦斧が空を切った。
牛鬼は息を飲んだ。
「どこへ消えた⁉」怒りに満ちた声が響いた。
牛鬼は周囲を見回した。
その間にユベルはミリアを下し、短刀『苛む茨』を少女から受け取った。
続いて、『苛む茨』を両手で握った。
ユベルは牛鬼の右側面からわき腹へと短刀『苛む茨』を深く差し込んだ。
牛鬼がぐぅッ――と呻いた。
同時に短刀の持つ特殊スキルが発動した。
短刀『苛む茨』はレベル5消費して攻撃した対象の行動を
1分間停止させる効果を持つ武器である。
ただし、使用後この武器は消滅するということと同じ相手に二度も使うことが
できないという制限があった。
今のレベルは96。
“魔王”単独討伐には心もとないけれど、逃げ切る算段もない。
ならばこの場で倒すしかない。
ユベルはそう思い、大剣『荒野で叫ぶもの』を携えた。
「ミリアちゃんはとにかく、この場から逃げて」
ユベルは少女を見ることなくそう言った。
少女は戸惑っていた。
しかし、ユベルの言葉に込められた、
ただならぬ気迫に圧され「ご武運を」と短く答え走り去った。
体を動かせない牛鬼は声の方に何とか振り返ろうとするが、
短刀の特殊スキルのため動けずにいた。
「戦士とあろうものが卑怯な真似をするとは何事だ‼」と
牛鬼が怨嗟に満ちた声で叫んだ。
ユベルは『荒野で叫ぶもの』を何度も何度も、
無防備になった右わき腹に打ち込んだ。
がら空きのわき腹に斬撃を受けるたびに牛鬼は悶えた。
心の中でユベルは焦っていた。
このままでは倒しきれないだろうと――。
万全の状態で挑んでいたとしても厳しいだろうと。
だからと言って、ミリアを巻き込むわけにも見捨てるわけにもいかなかった。
逃げることができないのなら、この場で倒す以外の選択肢などなかったのだ。
最後の一撃を牛鬼に叩き込んだ瞬間、牛鬼がこちらに振り返った。
咆哮を上げたかと思うと、強烈な一撃をユベル目がけて振るった。
大剣でそれを受け流したが、その勢いを殺しきることができずユベルは体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。
続いて、上段に振りかぶった牛鬼の戦斧がユベルの背中を目がけて振り下ろされた。
斧が『王の威厳』の金属板を切り裂き、肉を引き裂いた。
続いて血が勢いよくあふれ出した。
残りの体力は5%を切っていた。
このまま僕は死んでしまうのだろうか…意識がぼんやりしていく感覚にユベルは襲われていた。
全ての感覚がマヒしていき、痛みも感じなくなっていた。
死んだら僕はどうなるのだろうWOWに戻れるのか?
それともこのまま僕という肉体も死ぬのだろうか?
薄れゆく意識の中、『氷の刃』と魔法を詠唱する声を聞いた。
第七話 死闘 ――了――