第五話 襲撃
ミリアはその場にへたり込んでしまって動けずにいた。
彼女を置いていくわけにもいかない。
かといって背負っていくのは危険が増すだろう。
ならば、この場で戦うしかない。僕は『宝物庫の鍵』を唱えた。
大剣『荒野で叫ぶもの』をストレージの中から取り出した。
それと同時に「擬態」の魔法が消えた。
大剣『荒野で叫ぶもの』を上段に構えて僕は周囲に注意を巡らせた。
しかし、どこを見渡しても魔族の姿はおろか気配さえ感じられなかった。
もう逃げてしまった後なのだろうか。そう思いながらも僕は周りへの警戒は怠らない。
この状況では一番ミリアが無防備である。
魔族に襲われたらひとたまりもないだろう。
少しでも敵の情報を得るためにマイルズと呼ばれた者の残骸を見下ろした。
腹部には無数の狼の歯形のような噛み傷が残され、ぼろ雑巾のように下腹部が引きちぎれた姿だった。
おそらく敵は複数体、恐らく狼のような魔族だと思われる。
体格はそこまで大きくないということは無数の噛み傷から想像される。
だとすれば既に囲まれている可能性が考えられた。
大剣使いの戦士職と言うのはどうにも一回ごとの攻撃のモーションが大きすぎて、
誰かを守らなければいけない状況には適していない。
「ミリアちゃん、その場で伏せてもらえるかな。」とミリアに声をかけた。
少女はその場に座り込んだまま僕を見上げたが、何を言ったのか理解すらできていないようだった。
僕はミリアの傍に近づき、片膝をついた。
彼女の顔を覗き込んで僕はもう一度言った。
「ミリアちゃん、これから起こる怖いことを僕は片づけなくちゃいけない。
だからそれまで地面に体を伏せて目を閉じていてほしい。僕がいいよっていうまで
起き上がっちゃだめだよ?」諭すように少女に語り掛けた。
ミリアは小さくうなずいてからその場に腹ばいになって伏せた。
僕はそれを見届けてからミリアのすぐ側に立った。
さあ、いつまでもお互いにらみ合いなどしていないでやり合おうじゃないか‼
そう心の底から叫びたくなる。
心臓の鼓動が高まる。
筋肉に程よい緊張を感じる。
感覚が拡張され、鎧の表面に皮膚があるのではないかと錯覚するほど
五感がさえわたるのを感じる。
不意に何かが僕の背後から複数近づく気配がした。
左足を軸にして体を左に半回転させた。
大剣を下段に構え直し、刃先が地を這うような横薙ぎの一太刀を僕は振りきった。
大剣は僕を中心にして弧を描くように振り払われ、
死角だった方向から迫る三匹の獣を肉片へと変える
――吹き飛ばされた肉片は地面に叩きつけられ、湿った、不快な音を立てた。
続けて僕の背後を取るように魔獣が襲い来る。
今度は右に半回転させ、体の向きは常にミリアを視界の
どこかでとらえられるように足さばきを行った。
『荒野で叫ぶもの』を引き摺り、もう一度タイミングを合わせて魔族へ太刀を浴びせかけた。
次から次へと襲い掛かるモンスターを僕はミリアを視界から外すことなく切り伏せていった。
最後に残ったのはひき肉のようにちぎれ、山となった魔族の死体であった。
この太刀捌きは基本的な雑魚戦専用の戦い方である。
ポイントは相手を一撃で屠れるだけの力を持っている事、
大剣のように間合いの広い武器を使用できるときに使える戦法である。
まず、中心になる向きを決めて、それに対して体を約45度回転させることで
死角から迫る敵を処理していく。
それが終わり次第体を元の向きに戻して視界の端にとらえた敵を向いて
切り伏せていくという戦法である。
弱点としては必然的に背後からの敵の攻撃に弱くなるということ、
そして相手を一撃で敵を倒せなければ圧倒的に不利になるということである。
僕は築き上げた魔族の死体を見やった。
どこにでもいるような平凡な狼型の魔族であった。
この程度の魔物なら駆け出しの魔導士プレーヤーでなければ脅威にもならないだろう。
そう思いながら魔族の死骸に右手をかざした。
同時に死骸の山から光のようなものが舞い、僕の手の中へと吸収された。
今の戦闘で得られた経験値は当然のことながら微々たるものであった。
経験値の回収を終えると死骸の山は霧のように消えていった。
続いて、マイルズと呼ばれた者の死体にも手をかざすと、霧散して消滅した。
残った物はマイルズが持っていた装備品と魔獣のドロップアイテムだけであった。
「もう目を開けても大丈夫だよ。ミリアちゃん」と僕は屈みながら、少女に声をかけた。
ミリアは体を起こすとマイルズがいた場所を見つめていた。
彼女は顔面蒼白となっており、今にも倒れそうであった。
「マイルズは…還ったのですね」少女は誰に言うとでもなく呟いた。
僕はミリアに手を差し伸べ、立ち上がらせようとした。
しかし彼女は力を入れることができず立ち上がることも出来なかった。
冷静に状況判断をしなければ。
この場合、あの程度の魔族であればこれほど隙だらけの相手を放っておくはずはない。
それに獲物を前にして逃げるほどの知能があるとも考えられなかった。
基本的に魔族とは、戦うことしか頭にないものが多い。
たとえ負ける状況であっても馬鹿の一つ覚えのように押しの一手で行く。
それが魔族である。
それは知能が低い魔族であればなおのことであった。
ならば、このようなところで長居するぐらいなら少女を抱えて移動するより他にないだろう。
僕は『荒野で叫ぶもの』を肩に背負った。
そして屈んでから彼女を両手で抱きかかえた。
いざとなれば僕が身を挺して守ればなんとかなるだろう。
そう思い、僕は少女の導きに従って仲間の元へと進んだ。
仲間に近づけば近づくほど嫌な気配が強くなっていた。
道中では50代頃と思われる女性の死体や赤ん坊を連れた母親の遺骸が転がっていた。
それらの死体は先ほどのように食いちぎられた後ではなく、擦り潰されたような死体になっていた。
それはまるでおろし金で削った紅葉おろしのようだった。
いくら映画やゲームでスプラッターものやグロテスクなものに慣れていたとはいえ、
これはさすがに不快な光景であった。
作品のスプラッターやグロテスクはどこか過激さというものがある。
しかし、これは一言で言い表せばただひたすらに下品と言う言葉でしか言い表せなかった。
この妙にリアルではなく、生々しさから想起される下品さというものに僕は胃が
むかむかして名状しがたい嫌な感情が心の中に湧こるのを感じた。
憔悴しきったミリアには少しでも見せないようにして、先を急いだ。
僕は丘の上へと登っていき、ミリアの魔法で探し出した場所へとたどり着いた。
そこには大型のコンビネーション遊具と呼ばれる滑り台やターザンロープ、
斜面ロープ登りや雲梯など複数のアスレチック遊具が組み合わされた複合型の
アスレチック遊具であった。
とりわけ、コンビネーション遊具の中心に立つ時計付きの塔のらせん階段を
登った先にある長い滑り台は僕のお気に入りだった。
あの軽くらせん状に巻いた滑り台を滑っていくだけで僕は満足な気持ちにさせてくれた。
子供の頃はよくここに来て遊んだものだ。懐かしさがこみ上げてきた。
と同時に、そのような場所で魔族が暴れまわっているという事実に心底憤りを感じていた。
アスレチックの周りを歩き回り見渡してみたが仲間らしき者の姿は見かけなかった。
あのコンビネーション遊具の真ん中に立つ塔の中であればミリアを休ませることが
できるかもしれない。
そう思った僕は、アスレチックの階段を登っていきミリアを壁に
よりかからせるように座らせた。
ミリアは力なく「ユベル様、強い魔族の気配が迫っています。
どうかお気をつけてください。」とうわ言のように何度もつぶやいた。
「僕は必ず戻ってくるから、ここを動かないで待っていてね」と僕は少女の肩に手を置いた。
彼女は少し微笑んだかと思うと気を失ってしまった。
らせん階段を下り、アスレチック遊具の上でも広い場所に立って僕は辺りを見回した。
丘の上へと勢いよく登ってくる魔族の群れが視認できた。
先ほどとは打って変わり、比べものにならないほどの強さを連想させた。
第5話 襲撃 ――了――