第二話 少女
こいつは一体何を言っているのだ?
不意の闖入者は至ってまじめな雰囲気でこちらを見上げていた。
どうすべきか考えあぐねていると、次第にミリアと名乗る少女は不安そうな顔になってきた。
少女は自分の恰好をしきりに見回した後、持っている杖をギュッと強く握りしめた。
しまいには少し瞳を潤ませてしまう。
「あ・・・あの、勇者様。と・・・突然の非礼をお詫びしなければなりません。
事態が急だったものでどうにかして、お目にかけていただかなければと思い・・・
我々の不手際により非常事態に陥ってしまって・・・」少女の声は先ほどの初対面の挨拶とは異なり、
たどたどしく、そして最後には消え入るような声へと変わっていた。
女はうつむいてしまい、肩をわなわなと震わせた。
耳がほんのりと赤くなっていることに気が付いた。
突然家に不法侵入したかと思えば助けてくれと言い、
今度は泣き出すという不可解な行動をする少女が理解できなかった。
「ひとまず、キミの・・・ミリアちゃんの話を聞かせてもらってもいいかな?」と僕は言った。
泣いている少女にぶっきらぼうな態度というわけにもいかないだろうし、害意のあるようではない。
何よりWOWの魔法を使う人間なのだから何か手がかりになるようなことがあるかもしれない。
少女をパソコンの前のリクライニング機能付きのレザーチェアに座るように勧めた。
彼女はレザーチェアに触れると少し驚いたような表情を浮かべるも、
直ぐにその表情をかき消してしまった。
ミリアは持っていた杖をゆっくりと床に置いた後、
ローブの上から太ももを抱き込むようにしながら、ちょこんと座った。
少女が座るのを見届けてから僕はキッチンへ行き、牛乳をレンジで温め、
蜂蜜を大さじ一杯ほど入れてよくかき混ぜた。
スプーンをシンクに置いてから彼女のもとに戻り、ホットミルクを差し出した。
少女は驚いたようにこちらを少し見てから
「お心遣いありがとうございます。勇者様」そう言って両手でコップを受け取った。
彼女はその小さな口でホットミルクを飲むと、甘い――そう、呟いた。
その頬には笑みが浮かべられていた。
「恐れながら勇者様、これは一体どう言った飲み物なのでしょうか?」
好奇心に満ちた目でこちらを見上げた。
ホットミルクに蜂蜜を入れたものだと答えた。
「勇者様の世界には不思議な物にあふれているのですね。我々の世界にはこのような"ほっとみるく"や、"はちみつ"なるものはありません。このような珍しい飲み物をいただいてしまっても、よろしいのでしょうか?」彼女は不安そうな表情を浮かべて僕を見つめた。
「ホットミルクは牛から取れる乳を温めたものだし、蜂蜜も普通に売っているものだから大丈夫だよ」そう僕が答えた。
するとミリアは目を輝かせて「これが勇者様たちの強さの秘訣なのですね。」と少し前のめりになった。
彼女の言葉に僕はあっけにとられた。
僕が黙っているとミリアは失礼しましたと少し俯いてしまった。
気まずい空気になる――続く言葉を探していると、彼女に聞くべきことを思い出した。
「さっそくだけれど、ミリアちゃんの言う――助けてほしいって言うのはどういうことなの?」と尋ねた。
「そのためには我々の歴史というものを語らなければなりません。少し長くなってしまいますがよろしいでしょうか?勇者様」とミリアは同意を求めた。
そういう世界観でWOWに参加しているプレーヤーなのだろう。
確かにWOWにのめり込む程、そういう何かよくわからないルールに縛られていくプレーヤーは多い。
例えば、強力なモンスターが無限に出現し続けるダンジョンの最深部に、
好き好んで住居を構えるプレーヤー、ペナルティを受けるというのにも関わらず呪い武器の多用して人型を辞めるプレーヤー、ひたすら強さだけを求めるプレーヤー、果ては新興宗教を立ち上げてしまう、商人になる、語り部になるなど――プレーヤーの趣味やさじ加減が色濃く出る。
概してそういう独自のルールや世界観を作り上げていくギルドやプレーヤー程、人気を集めていることも確かである。
WOW内で魔族に侵略される人類を救うなんて世界観を作って、わざわざ遊説するプレーヤーたちがいても不思議ではないと思うが、こんなギルドがWOWにあっただろうか?
というか、僕と同様に現実世界に飛ばされてまで、わざわざ勧誘に来るプレーヤーなど正気の沙汰とは思えない。
もっとこう――今どういう状況にあるのか?とか、WOWにはもうアクセスした?とか聞かれた方がもっと現実感があるのだが…。
まずは彼女の話を聞いてみるとするか。
一通り思考を巡らしてから僕が頷くと、ミリアは彼女の言う歴史とやらを語り始めた。
「およそ500年前、人類は初めて魔族と呼ばれるモノたちに遭遇しました。
魔族は非常に強力な力を持っていたため、我々の力だけでは魔族を退けることができませんでした。
ですが、魔族にはおよそ統率などというものがなかったため我々のご先祖様たちは自らの居住圏を魔法の力で隠し、ひっそりと暮らしていたと伝え聞いております。」
彼女の息継ぎのため言葉を切ったタイミングで「ちょっと質問していいかな?」とぼくが割って入る。
どうぞと彼女は短く答えた。
「ミリアちゃんはどこのギルドに所属しているのかな?」僕の質問に対してミリアは目を白黒させた。「"ぎるど"とはいったい何のことでしょうか?勇者様たちの間で交わされる…約束手形か何かのことなのでしょうか?」彼女は真剣な顔をしたかと思えば、突然見当違いなことを言った。
この子とは先ほどから話がかみ合わない気がする何故なのか。
WOWのプレーヤーなら間違いなくギルドに所属しているはずだ。
もしかしてWOWの攻略情報サイトを見たことがないのか?
だが、そんなことがありうるのだろうか?
まさか、この子は…。
そう思いながら少女をしげしげと見た。
彼女は少し不安そうな声で「あの続けてもよろしいでしょうか?」と尋ねた。
僕が頷くと彼女はまた説明を始めた。
「200年ほど前に魔族の中でも動きがあり、魔王と名乗るモノたちが徒党を組んで人類を襲うようになりました。これにより人は滅亡寸前まで追い詰められたそうです。
我々が窮地に陥った時、天より5人の守護天使様が降臨されました。
守護天使様たちは猛威を振るう魔王を倒し、人類はその危機を脱したと伝わっております。
しかし、守護天使様たちの多く"魔王"との死闘の際にお命を落とされました。
最後に残った守護天使シュウ=ジ=エル・ミャグチ様は、再び魔王の脅威が訪れたときのためにと、我ら人類に英知を授けてくださりました。
魔王が亡き後、長きにわたり人々は未だかつてない平穏な日々を享受したといわれております。」
彼女が一息ついたところを見計らって疑問を投げかけた。
「その守護天使シュウ=ジ=エル様が授けたっていう英知っていうのは一体何のこと?」
もしかしたら、その妙な名前をした天使とやらが授けた英知がWOWに戻るためのヒントになるかもしれないそんな淡い期待が沸き起こった。
しかし、その思いを裏切るかのように、少女は少し目をそらした。
「勇者様たちを我々の世界にお招きする魔法なのですが、詳しいことは掟により禁じられているのでお伝えすることができません。」とミリアは申し訳なさそうな顔をして答えた。
そうなんだと僕が素っ気なく返すと彼女は困惑の色が浮かんだ。
「あっ…あの勇者様」と言いかけた彼女の言葉を遮り、僕は続けてと催促した。
少女は肩をビクッと震わせた。「えッ…と守護天使シュウ=ジ=エル様の預言の通り、再び魔族の脅威に人類は晒されました。
今から33年前、歴史書に残されているものとは比較にならないほど強大な力を持った"魔神"と呼ばれる存在が現れたそうです。
その当時の平和を象徴するかのように栄えていた王国の首都プロスペリタ―スに"魔人"は何百体にも及ぶ"魔王"の軍勢を従えて侵攻したと記録には残っています。」ミリアは一度そこで止まってしまった。
少女の顔から血の気が引いていくのが判った。
今にも消え入りそうな声で少女は僕に言った。
「一晩にしてプロスペリタ―スは死の都となり果てました。必死に抵抗した王国の兵士たちは無残に引き裂かれ、都の外縁に串刺しにして晒されました。
そして、彼らの狂宴の後には食い散らかされ女子供の躯が都中に散乱し、誰一人として生ける者は残されていなかったといいます。」そこまで言い終えると少女は口元を手で押さえた。
込み上げてくるものを必死に押し戻すかのように喉元が動く。
ようやく落ち着いたと見えた彼女の顔は死人のように真っ青になっていた。
少女は最初見た時以上にか弱く、儚く、そして今にもその小さな体が霧散しまいそうに見えた。
ベッドから立ち上がり、彼女の元に近づいた。
彼女の目は焦点が合わず、自分がどこを見ているのか、どこにいるのかもわかっていないかのようだった。
彼女を支えてやりながらゆっくりと立ち上がらせ、横抱きにした。
それからベッドの上にゆっくりと、羽のように飛んでしまわないように優しく少女を寝かせた。
体が冷えないように毛布をミリアにかけた。
異世界から来たという少女は定まらない視点で僕がいる方を向いた。
「どうか勇者様、我々を助けてください。あなた様たちだけが彼の者と対峙し、
一太刀を浴びせられたのです。どうか世界を救ってください。」
そういうと少女は意識を失ってしまった。
こんなにも脆く、儚い少女に八つ当たりしてしまったことが後ろめたく感じられる。
WOWに戻る手がかりを得られず、苛々してしまった自分を苦々しく思う。
確証は得られないが、おそらくこの子はWOW世界における住人なのだろう。
WOWに帰還する術は全く見当もつかない。ギルドの仲間たちの消息も分からない。
果たして僕と同じように現実世界へと飛ばされてしまったのだろうか?
あるいはWOWにまだいるのだろうか?
だが、この少女だけが唯一の手掛かりである。その事実だけは確かだ。
第二話 少女 ――了――
どうも小説家になろうというサイトの形式と言うものを理解していなかったようなので
章とか話のタイトルが微妙に変わることがあるかもしれません、読みづらいかと思います。
申し訳ありません。