第19話
目の前の男が眉間にしわを寄せてこちらを睨んでいる。
男の名はランスロット、私と同じ魔王様に忠誠を誓った四天王の一人。
だが、今この男と私は対峙している。
それはなぜか?
忠を尽くすべき相手を違えたからだ。
ランスロットが忠誠を誓ったのは先代魔王様の嫡男、グラーク様。魔王の血を引く正統な後継者で、誰もが彼こそが次期魔王だと疑うことは無かっただろう。かくいう私もそうだった。
だが、現実はそうはならなかった。
魔王様の後を継いだのは、グラーク様ではない、ましてや魔の者でもないただの人間だった。
ゲド・フリーゲス。何処からともなく現れたその人間は、次期魔王を決める試合で華々しい戦果を上げ、次期魔王となった。
それが決まった瞬間、多くの者がその決定に反対し、そして反乱が起きた。首謀者はグラーク様、そして魔王様に忠誠を誓っていた四天王たち。もちろん私もその中にいた。
人間などの下には就けない。
誰もがそう考えていたし、私もそう思っていたのだ――ゲドに会うまでは。
ゲドは不思議な男だった。
初めて出会ったのは魔王城に攻め入った時、ゲドはなぜか城から離れた森の中に一人いた。なぜ自らの城を攻められているにもかかわらず、一人森を歩いていたのか、あの時の私には分からなかったが、今思えば、アレはゲドの作戦だったに違いない。
自らの命を狙う私たちから城と部下を守るため、ゲドは単身囮になったのだ。
ゲドを見つけた私はその場で手にかけることをせず、彼を我が城の中にまで連れてきてしまった。目標を捕らえ、すでに勝利を確信していた私は本当に愚かだった。捕らえたのではなく、捕らえるように仕向けられたのだ。
その証拠に、城に着いたゲドは私を手玉に取り、その間に仲間たちを我が城に潜伏させていた。
そして、私はゲドに敗北した。
四天王にとって敗北とは死を意味する。強さによってその地位を手に入れた四天王が破れたのだ。四天王として生き残る道理などありはしない。ましてや、敵に情けを掛けられて生き延びるなど。
だが、ゲドは私が死ぬことを許さなかった。彼は私が欲しいと言った。
まるで子供が親に玩具をせがむ様に、真っ直ぐにこちらを見据えて。私の都合などお構いなしに。
だけど、いや、だからこそ――私はその真っ直ぐな瞳に心を奪われた。立場も種族も関係ない、純粋に私を欲しいと言ったその男に、私は身を委ねてみたくなったのだ。
立場も種族も関係ない。私の主はゲド・フリーゲスただ一人なのだ。
我が刃は我が主の敵を滅するために。例え目の前にかつての戦友がいたとしても、我が刃は躊躇うことは無い。
そして、敵を滅したその先には――
「ま、また、頭撫でてもらう。えへ、えへへへへへ」
「メルディア!?――なんと不気味な表情を!やはり幻術の類か!?」
「――ハッ!ち、違うぞランスロット!少し未来に想いを馳せていただけだ!」
「俺と対峙してなお先のことを考える余裕があるとはな。甘く見られたものだ」
「ランスロット、頭を撫でてもらうために倒させてもらう!」
私は一気にランスロットとの距離を詰めた。私もランスロットも武器は剣。同じ得物を持つ者同士、戦い方は熟知している。
ランスロットは剣のみに重点を置いたいわば正攻法の剣士、対して私は剣を持った手以外も戦いに使う。 単純な手数なら私の方が圧倒的に多いのだ!
攻撃は最大の防御。攻めて攻めて攻めまくれば負ける道理など無い――が。
「――ッ!チッ!」
「ふふ、手数での勝負でなら自分に分があると思ったかメルディア?甘く見てもらっては困るな、伊達に神速などと呼ばれてはいない!」
私が右袈裟がけの形で振るった剣と、それとほぼ同時に繰り出した左足の蹴りは、見事にランスロットの剣に防がれてしまった。
常人なら反応することも難しいだろう同時攻撃を難なく受け止めてしまうこの男の笑みを、私はただ苦々しく見つめるしかない。
「今度はこちらの番だな!」
腰を落としたランスロットがこちらに突進してくる。
「チッ!」
「無駄だ!」
後退しながらその勢いを削ぐ為に振るう私の剣は、ランスロットの鎧に防がれる。強固な鎧に身を包んだデュラハンは、その防御を頼りに一直線にこちらに向かってきた。
「もらった!」
「くっ!」
自らの間合いの中に私を捉えたランスロットの剣が振り下ろされる。間一髪でそれを躱したつもりだったが、左腕に走る鋭い痛みに目をやれば、上腕に血の線が走っていた。
「メルディア、俺とお前は同じ剣士だが、戦い方には大きな差がある。お前は剣と体術を組み合わせた言わば複合剣士、対して俺は剣のみを突き詰めた純粋な剣士だ。確かにお前の変幻自在の攻撃は脅威だが、俺の自慢の鎧はお前の攻撃も全て受け切ってみせる。加えて、いくら広いとは言ってもこの廊下ではお前お得意の竜化は出来まい。つまり、お前の攻撃は全て効かないということだ!」
まったく、人が気にしていることをズケズケと。攻撃が効かなければ勝てる道理などない、と言いたいのだろう。
だが――
「ラァァァァァァァ!」
「ちっ!」
私は全力で自らが持てる技をランスロットに叩きこんだ。右腹を狙った剣が奴の剣に弾かれれば、間髪入れずに左足で足を狙い、強固な鎧に弾かれれば次はその腹に剣先の突きを食らわせた。
が、そのどれもがランスロットへは届かない。
「諦めないという姿勢は評価する。だが、お前がやっていることは勇敢ではなく無謀だ。お前に勝ち目はない、大人しく道を開けろメルディア!」
「断る、と言ったら?」
「残念だが、次の四天王を探さなければいけなくなる」
「グラーク様を裏切った時点で私に四天王として帰る椅子などないと思うがな」
それどころか生きていられるかも怪しいものだ。グラーク様は恐らく裏切り者の私を許さないだろう。
しかしそれも覚悟の上。例え今まで積み上げたものが崩れても、見てみたい未来があったのだ。
「……メルディア、もう一度問う。引く気はないんだな?」
「ない」
「なぜそこまで……。ゲド・フリーゲスという男はそこまで忠に値する男だというのか?」
「お前も会ってみれば分かるさ」
ゲドの懐と思慮の深さは会ってみなければ分かるまい。そして、会ったが最後、ランスロットでさえもゲドからは逃れられないだろう。かつての私のように。
「会わせてもらうさ、お前を倒してな!」
「寝言は寝て言うといい!」
ランスロットが剣を正中に構える。それと共に纏う殺気も先ほどとは比べ物にならないほど膨らんでいく。
必殺の構えというわけか。いいだろう。
「ふぅぅぅぅ」
私は息を大きく吐きながら剣を持つ手を引いた。地面と平行に剣を構え、その切っ先をランスロットの胸元に向ける。
振るう剣では恐らく奴の鎧は通らない。
ならば一点集中の突きではどうか。私も四天王の端くれ。実力はそれなりにあるつもりだ。
如何に強固なランスロットの鎧でも貫けないことはないはず。
ランスロットの神速よりも早く、私の刃を叩き込む!
沈黙がその場を支配する。
ランスロットも私も構えたまま動かない。お互いに攻撃の隙を窺っているのだ。恐らく、次の一撃がそれぞれの最後となるだろう。
打ち終わった後に立つのはただ一人。決着は一瞬。強い者が残るのだ。
「――」
「――ッ!」
ほぼ同時、いや、一瞬だけ私の方が動くのが早かった。
一直線にランスロットの胸目がけて伸びる切っ先。
その先端がランスロットの鎧に触れた。
鉄と鉄のぶつかり合う鋭い音。
構わずそのまま前進する。
私の剣がランスロットの鎧を貫き、獲物を仕留めるべく直進する。
――抜いた!
私の剣がランスロットの鎧を貫通し、切っ先に肉を突く感触を掴んだ瞬間、私は勝利を確信した。
この勝負私がもらった――
「甘いな、メルディア」
「――ッ!」
瞬間、ランスロットが不敵に笑う。
しまった!罠か!?
そう思った時はすでに手遅れだった。引き抜こうとした剣をランスロットが掴み、動きが止まった私めがけてランスロットの剣が振り下ろされる。
「ぐっ!」
身を引いたが遅かった。左肩にまともにランスロットの剣を受け、肩から先の感覚が無くなる。血の滴る腕に力が入らず、痛みが走る肩はおそらく折られている。
「功を焦ったなメルディア」
私の剣を引き抜き、それを彼方へと放り投げたランスロットがこちらへと近づいてくる。
武器は無し、片腕は使い物にならない。まさに絶体絶命か。
「まさか私の攻撃を受けてから反撃に転じるとはな。肉を切らせて骨を断つ作戦か」
「俺をここまで送り出してくれた仲間たちの痛みを思えば、この程度、屁でもない」
「私としたことが、見誤ったな」
私は抵抗の意思を示さず、ただランスロットを見据えた。
私も戦士の端くれ、醜く足掻くくらいなら潔く散る道を選ぼう。
「メルディア、昔の仲間のよしみだ。せめて苦しまぬように一撃で終わらせる」
「あぁ、一息にやってくれ」
目を瞑ってこれまでの人生に思いを馳せる。長いとは言えないまでもいろいろなことのあった人生だった。
だけど、あぁ、なぜだろう、他に思い出すべきことはたくさんあるはずなのに、共に過ごした時間はとても短いはずなのに、浮かんでくるのはあの人の顔ばかりだ。
「泣いているのか、メルディア」
「何も言うなランスロット、何も……」
彼との思い出を抱いて逝こう。
最後は怒鳴って別れてしまったけれど、せめてあなたのことを想って逝くことを許して欲しい。
「さらばだメルディア、四天王として戦士として、お前と戦えたことを誇りに思う」
空を切る音が聞こえる。ランスロットが剣を振り上げたのだろう。
さようならゲド、私の愛しい人――
「おい、ちょっと待てや」
「ッ!貴様は!?」
空を切る音が止まる。
私は己が耳を疑った。嘘だ、彼がここに来るはずがない。だって、あの時私は彼にあんなに酷いことをしてしまったのだから。
これは幻聴に違いない。だけど、も死本当に彼だったなら。
不安と期待で恐る恐る目を開く、そして、声の方へと視線を向けた。
「――うそ?」
信じられない、そこには彼の姿があった。寝ても覚めても頭から離れず、私を悩ませ続けたあの姿が。
「ゲド・フリーゲス!」
「俺の女がずいぶん世話になったみたいだなランスロット。……覚悟は出来てんだろうな?」




